消費力アップ4と世界的減税潮流の基礎1

減税→小さな政府論・・消費力アップには財政投資はいらない・・邪魔だと言うのが世界の潮流であり、それが正しい方向です。
先進国では生産力アップよりは消費力アップがテーマであれば、政府が税で資金を集めて需要創出→生産力増強するのではなく、消費者のニーズを探りつつニーズに敏感な民間が生産して行くしかありません。
江戸時代には藩も幕府も財政は赤字で(今の国債のように豪商から借りて)苦しみ、上は質素倹約・・贅沢出来ずに、その分民は豊かでした・これこそが民中心・消費時代のあるべき姿です。
中国王朝やフランスの宮廷など民が飢えに苦しんでも華美な生活を誇り宮廷文化(だけ)が盛んでしたが、日本の場合庶民文化が栄え豊かになる一方で今も支配層や天皇家も質素倹約が上に立つものの努めとなっているのはこの歴史によります。
江戸時代の浮世絵や落語や盆栽各種娯楽が多方面で発達した文化力・需要は、政府が創出したものではなくニーズに敏感な民間が適応して来たのです。
レッセフェールと言う学問を知らない頃から、日本では昔から民の力を信じて実践してきました。
西欧が近代に入って漸く気が付いた人道主義とかと動物愛護の思想以前から日本では人道に反する虐待をしたり動植物を粗雑に扱う文化ではありません。
消費力アップ論によれば、税収=政府の役割をへらして消費者・国民の選択に委ねるのが正しい方向であり、これに応じて政府の役割を縮小して行くのが正しい方向です。
先進国で減税の機運が強くなって来たのは(マスコミは金持ちの強欲と非難し,それでも足りずにタクスヘイブンなどとスケープゴート化して騒いでいますが・・)税の縮小は政府の機能縮小の現実に適合しているのであって、大衆迎合主義と言う批判は政府の役割を従来どおり維持したい立場による一方の立場の宣伝に過ぎません。
「財政赤字をどうするのだ」という脅迫も税収が減ったならば、成長目的の政府機能.財政支出を縮小すればいいことですから、縮小すべきか否かの議論を先にすべきであって、この議論を飛ばしている点怪しいところがあります。
飽くまで旧来型政府の役割を維持したい勢力・・日本の官僚マスコミは減税要求の潮流を大衆迎合主義とか大金持ちが肥え太るばかりと批判しながらも減税の潮流に抗し切れないことから、これとセットで赤字財政をどうするのだと言う脅しを使い法人税と所得税の減税分を補填すべく所得税等を払っていなかった別の階層に対する増税をしようとしているのが消費税強化論になります。
所得税・法人税の課税対象は比較的所得の高い階層(一定所得以下の人は課税されない仕組み)ですが、彼らに対する課税を減税した分、政府の役割を縮小すれば無理がありません。
従来どおりに成長目的の役割を果たそうとすれば別の階層から取るしかないので、対象になるのは所得の低い階層(従来の非課税層)しかありません。
現代では所得格差を是正する税制の所得再分配機能が言われていますが、所得税を減税して消費税で穴埋めすれば、再分配機能の逆張りになります。
税の原初的機能は底辺層から搾り取るだけ絞ってそれを支配層に再分配して来たのが税の成り立ちからの原則的機能でですが民主国家ではこれを表に出せないので、格好付けに貧者にも気持ちだけ配って、再分配機能があるとこじつけて来たに過ぎません。
この点は消費税アップする都度、生活必需品を限定除外して弱者のために配慮したとお茶を濁しているのと同じパターンです。
消費税問題では部分的に除外部分を大宣伝しますが、所得のある人から税を取る代わりに所得のない階層からも税を取ろうとする原則・・骨格は変わりません。
宗教家が貧者の1灯と言って庶民からお金を吸い取りながら、豪華なローマ法王庁を見れば分かりますが..施餓鬼というか時々スープを振る舞う偽善と同じです。
所得税免除(課税限度額の引き上げ)が行き過ぎて来たので?もう一度形を変えて底辺層から徴収しようとするのが消費税の思想ですが、近年格差拡大が社会問題になって来たのは底辺層から税を取り他方で高額所得層に対する減税が進んで来た結果によります。
日本の格差がそれほどではないのは、消費税率をアップ出来なくて穴埋めに国債や郵貯を利用して来た(国民がお金を持っていることが重要ですが・・)・財政赤字によってファイナンス出来た幸運によります。
金欠で苦しんだ江戸幕府や各藩は、海外から借りずに国内資金で間にあわせていた点は今と同じです。
保険の赤字も何故赤字で運用出来ているかと言えば、国債等によるファイナンス(幕府や各藩が税を取らずに豪商から借りていたのと同じ)が出来ていたからです。
日本の財政や保険赤字が可能であったのは、国債や郵貯の資金出し手は(小金持ちを含めて基本は)お金持ちですから、金持ちから税・強制力を用いなくとも事実上所得移転が行なわれて来たから格差拡大も進みませんでした。
ここ数日書いたように金融緩和によって資金が海外に逃げるようになっている・・金融商品も貿易商品ですから…金利が実勢よりも安くされるのは国民にとっては国内金融商品が割高になり、海外の割安な→利回りの良い商品を買うことになります・・。
資金が海外に逃げて資金吸い上げが行き詰まって来た結果、日銀による国債買い戻しや株式市場介入に走っているのですが、このままでは資金が金利の高い海外に逃げるばかりでどうにもならない・・、いよいよ諸外国並みに消費税を引き上げるか政府機能縮小するしかなくなって来たようです。
(2択ならば、税収を上げるよりは政府予算を減らして財政政策機能を縮小すべきです)
トランプ氏は法人税と所得税の大幅減税を公約にし、他方で対外プレゼンスを減らす主張をしているのは主張が一貫しています。
例えば増減税同額・・減税分同額の企業補助金を減らすから資金手当は大丈夫と良く報道されるのは、一見首尾一貫していますがそれでは何のための減税か意味不明です。

消費力アップと消費税増税論の矛盾3

8月14日の日経新聞朝刊1面には戦時公債が紙くずになった例を書いて危機感を煽っていますし、3pにも、GDP比250%にもなっているのは先進国では日本だけだと書いています。
敗戦後の超インフレは、戦争中対外貯金がないまま無制限に公債を発行していたので・・敗戦=対外開放の結果、言わば円が大暴落した結果による・・・ソ連崩壊時のソ連の混乱同様であって、これを資本・通貨取引を自由化している今の日本に当てはめるのは、事例の違うものを、あたかも同じであるかのような報道・・虚偽報道に類するものです。
世界最大の純債権国になっている今の日本を戦前の貧困時代に当てはめて不安を煽るのは一種の虚偽誘導です。
何回も書いているように債務国が消費拡大したら破綻が待っていますが、豊かな国はこの際貯蓄を崩してでも消費拡大し、国民の生活水準を上げる努力すべきです。
ましてこの20年間日本は国際収支黒字の連続・対外純債権を増やし続けているのですからこの増加ペースを落とす程度で良いのです。
これまで書いているように純債権国である限りコップの中の嵐・・お父さんが10〜20億円の預金のある息子に生活費負担させないで毎月20万円借り続けて親の年収以上の債務になっている・・借金を息子に残すのかと騒いでいるようなものでマンガチックです。
一家のトータル収入・貯蓄が債務を上回っていれば将来何の心配もありません。
10億の金融資産のある人が今株を売るのは損だと考えて、金融資産をそのままにして1億借金してある企業に出資した場合、その債務が年収の2倍であろうと3倍になろうと支払力に関係がないことが明らかです。
マスコミは意味のないことを比較対象に持ち出して頻りに大変なことになると主張しています。
紙幣大量印刷の結果円が暴落すれば債務国の場合返済資金がなくて困りますが、債権国の場合対外資産評価が円の下がる率に比例して上がるので、日本人・・日本企業にとっては大儲けするだけで損しません。
借金の額が単独で意味あるのでなく、バランスシート上どう言う関係にあるかで判断すべきは企業会計の常識です。
国債を日銀が何%引き受けているかではなく、心配するべき基準は国際収支の推移・・対外純資産がどうなるかの問題です。
この種の議論は何回も書いてきました。
デフォルトリスクは国債保有率やGDP比率に関係がなく対外純債権の有無にかかわるとしても、東証の株式保有比率に占める公的資金の比率がドンドン上がって行くとどうなるでしょうか?
日銀や年金資金・・公的資金による買い受けが増えて行き究極のパターン・・99%占有率になると株式市場はどうなるのでしょうか?
株式は債務ではないので、国債のような支払能力は問題になりません・・そんなことよりは、投資のリターン予想・・収益予想に基づく合理的相場ではないとなれば、民間投資家は怖くて寄り付かない・・民間からの資金流入が細ってしまった場合に経済活動がどうなるかの問題です。
政府や偉い経済学者に言わせれば、
「民間投資など当てにならない・・頭の良い自分たちが将来性のある分野に選別投資するから心配するな」
と言う立場で税で強制的に資金を吸い上げては、彼らの考える成長株に投資している意味では一貫している・・大した自信家です。
しかし、将来思想が変わるかも知れませんが、今のところ「レッセフェール」の方が正しいと言うのが真理ですから、彼らのよって立つ信条がレッセフェールよりも正しいと信じる所以を力説してもらう必要があります。
現在の普遍的真理によれば、優秀な学者や官僚が投資先を選別することが続くと大方失敗する・・国民資産を毀損する比率が高い・・損する可能性が高いでしょう。
バブル崩壊以降「エリートに資金の使い方を任せろ」と言う信条による政府・マスコミ誘導の結果、ドンドン政府が資金を使って来た結果、政府資金が底をついて来たのでその穴うめが迫られたのが、この10〜20年ほどの財政赤字論です。
タマタマ財政の壁に直面したならば、この機会に立ち止まって旧来政策(官僚が有望な産業を見極めて応援するのが正しいのか?)の見直しをする良いチャンスとすべきではないでしょうか?
赤字(資金不足)だと大騒ぎしていながら、逆に政府の投資を増やしたいのが今の政治風潮です・・安倍政権の参院選挙後の補正予算案を見れば、一部消費拡大のための商品券配布を強調していますが大筋は輸出用の港湾整備その他インフラ整備や助成金拡大などの政府役割増大を目指していることが明らかです。
http://mainichi.jp/articles/20160602/k00/00m/020/064000c
第2次補正予算案
今秋最大10兆円 商品券発行も
・・主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)で合意した「政策総動員」の一環で、足踏みが続く国内景気をテコ入れする狙い・・・
ネット検索ではこの程度しか出ませんが、今朝の日経新聞朝刊7pの「インフレで財政を救えるか」の欄の中には28兆円と出ています。
まだ国会が開かれていないので、憶測記事段階と思われます。
ところで、これ以上に企業税や所得税を上げられない・・むしろ世界中で法人税や所得税の減税競争が始まっています。
それでも飽き足らない国際資本がタクスヘイブン利用になった(やり過ぎた)ので、我慢出来なくなって来た政府がこれを叩く動き(パナマ文書)が出て来ましたが、要点は減税に資本家が悪乗りし過ぎたと言うだけであって、減税傾向が止まる様子が見えません。
トランプ氏は法人税と所得税の大幅減税を公約にしていますし、これに引っ張られてヒラリー氏も減税公約を4〜5日前に発表しました。
減税論の行きつくところは小さな政府しか有りません。

官製相場の限界1(金利)

目標とすべき先進国の産業モデルのある新興国と違って産業振興も政府が主導すれば成功出来る保障はありません・・。
日本は模倣すべき国のない先端産業国であり民間資金余剰国ですし、仮に資金不足国でも本当に脈のある事業ならば、世界の投資家が放っておきません・・M&Aも盛んです・・どこの投資家も見向きもしない投資を政府がやればどうなるものでない・・結果的に失敗する可能性の方が高いでしょう。
※宇宙探査その他政府がやれるべき分野,社会保障のようにやるべき分野が一杯あることはこれまでも書いています・・何もかもやめるべきと言うのはなく、「産業振興は民間に委ねてこの分野の財政支出をなくして行くべき・・税収削減すべき」と言う意見です。
政府が資金を吸い上げるのは良くない→消費税増税反対論の続きです。
とりわけ消費増が目標になって来ると供給側が計画し宣伝さえすれば売れる訳でない・・必需品供給時代は供給者の意向、政府の計画が有効な場合が多いですが、面白そうだから手に取る時代になるとそうは行きません。
日本は室町〜江戸時代から消費者向けに面白いものを工夫しては(朝顔の花1つとってもこれが「朝顔か?」とびっくりするほど変わった変化を楽しんで来ました)消費を盛り上げる文化が進んで来た社会です。
着物の柄であれ役者の似顔絵や村のお祭りであれ、俳諧や都々逸などお上が進めた結果ではなく庶民の工夫が花開いているのです。
石油ショックのように供給側の事件でも、一時的に政府が下支えする必要だった事は確かですが、これは一時の出血手当でしかなく、原油相場の急上昇に対応・・脱却するには、民間の省エネで努力に待つしかなかったのです。
消費増が期待されている以上は、政府が出来ることはホンの僅か・・むしろ庶民からし金を奪いの活力を妨害しない方が有効でしょう。
戦後の赤字国債に関するウイキペデイアの記事からです。
「1965年度の補正予算で赤字国債の発行を認める1年限りの特例公債法が制定され、赤字国債が戦後初めて発行された。その後は10年間は赤字国債の発行はなかったが、1975年度に再び発行されて以降は1989年度まで特例法の制定を続け赤字国債が発行された。
1990年度にはその年の臨時特別公債を除く赤字国債の発行額がゼロになり、1993年度まで発行額ゼロが続くものの、1994年度から再び発行されその後に至っている」
赤字国債発行には戦後だけでも、上記のとおり・・75年は石油ショックであり、93年以降はバブル崩壊ですが、93年以降政府が資金不足に陥った経過を私なりに以下のとおり整理しました。
    記
(1)中国の市場参加による20年以上にわたるデフレ圧力(石油ショックによる石油値上がりと低賃金中国の市場参加による商品値下がりは、交易条件悪化ショックでは同じです)・・に対して、衝撃緩和のために長年財政投入をして来た結果財政赤字が巨額になってしまった。
この必要性は中国との格差がなくなるまでですから、人件費その他生活水準格差がある限りこの衝撃緩和の必要性が続きます。
※ 最近対中ショックが薄らいでいるのは中国の人件費アップによります。
(2)衝撃緩和目的の資金投入は、賃金で言えば中国人件費との差額補填(直截的施策で言えば、社内失業を実施する企業への雇用調整助成金・・その他間接的政策は一杯あります)・・言わば後ろ向き支出ですから財政支出に対応する資産が何も形成されていない・・国債の種類で言えば建設国債ではなく赤字国債になるしかありません。
(3)ショック緩和の資金ファイナンスするために増税出来ないので(これまで書いているように増税すると国内消費抑制になってしまうので)低金利(郵貯や国債の低金利)で資金を国民から吸収する政治を続けて来たが、臨時的な筈の衝撃緩和策が20年にも及んで来ると(個人で言えば臨時出費のために月給では間に合わずサラ金に借りるような事態が20年も続く?)債務総額が増えて来たので低金利でも支払リスクが無視出来なくなって来た。
(4)金利が徐々に下がるに連れて国民の国債・郵貯離れが生じて来たので、穴埋めのために日銀や年金資金による買い受けが常態化・・拡大して来た。
(5)それでも不安があったのでプライマリーディーラー制度を設けて一定量の買い受け強制をして来たが、禁じ手とも言うべきマイナス金利まで来るとさすがに国債や郵貯を通じた庶民からの資金吸収能力がなくなってしまった→エンドユーザー不在のままでは日銀買い戻しをしない残り一定枠を小売り・再販するのは無理が出て来た・・売れないまま自己保有継続しているリスクが大き過ぎるようになってきた。(三菱の特別資格返上)
(6)(マイナス金利採用時には、予めこうなることは予想されていたでしょうが)ここまでくると三菱を脅す・・嫌がらせで引き止めるのは無理があるし、かと言って、今更実勢相場・・投資家が自腹で買ってくれそうな相場まで戻すと日本経済は大混乱です。
金利も市場需給に委ねるべきなのに、金利の官製相場造り(中央銀行による基準金利操縦)はドンキホーテのように滑稽ですが、誰もその滑稽さを書いていませんが遂に無理が明からさまになって来たのです。
「毒を食らわば皿まで」と言いますが、ここまで来ると新規発行国債を100%日銀が買い戻す運用・・直接引き受けをするしかなくなってきました。
国債の場合、既発行国債を日銀が100%保有しても、結果的に紙幣発行の歯止めがなくなったというだけであって、それがどう言うことになるのか実はよく分っていません。

消費力アップと消費税増税論の矛盾2

金融政策で言えば金融引き締めは全産業の水面を公平にアップさせて国内産業全般(輸出用工業製品も含めて)に重荷を負わせ、金融緩和はその逆に水面を下げて活動し易くする政策ですが、消費税増税は国内消費材にのみ重荷を負わせる・・国内消費抑制策になります。
しかし20世紀末頃から、世界の工場から現地生産に移行中で国内産業の顧客は主として国内需要用にあるとすれば、国内消費だけ減る事はあり得ない・・結果的に国内生産の縮小をもたらします。
国際収支赤字で困っている国=輸入超過の場合には消費抑制策は生活費を切り詰めさせ国際収支改善効果がありますが、何十年も国際収支黒字が続いている豊か国でこれをやる必要があるかと言うことです。
先進国・・あるいは純債権国では、政策の目標は民の消費力アップ・生活水準向上にある・・金融緩和は消費底上げ目的・・ひいては国内生産力上昇を計るべき・・消費力アップこそが国力や民の幸福の指標であるとする、このシリーズで書いている意見からすれば、金融緩和しながら消費抑制策である消費税率アップするのは政策混乱あるいは矛盾です。
金融緩和をしながら消費税を上げるベシと言う財務省やマスコミに出て来る経済学者は、金融緩和は国内生産力増を目的にしているが、消費の増減とは関係なく成立すると言う切り離し論を前提にしている・・すなわち消費抑制して倹約した資金を生産力増強に回すということでしょうか?
これならば金融緩和と消費抑制策は一貫します。
そう言うやり方は、スターリンが約2000万人も餓死させながら小麦を輸出していた実績がありますし、現在中国が出血輸出で外貨を稼ぐのも国民犠牲の点で同じです。
何回も書きますが後進国の場合、スター企業を育てるのも一方法ですが、先進国の世界で競争出来る企業は現地生産主流の時代ですから、財政資金投入して成功してもすぐに海外に出てしまい国内生産力の増加は一定で終わり・・(ジャパンでスプレイのように?)衰退産業分野で輸入攻勢に曝されている企業の延命に資する程度です。
※輸出成功すれば自信を持てるので、現地事務所→現地進出でもやれると決断するのが普通の企業ですから、世界の工場再現を夢見るのは時代遅れです。
消費税増税=消費抑制しながら、増税によって得た資金を生産力増強のために補助しても仕方がありません。
ところで、消費税アップ論者は頻りに財政赤字が問題と言いますが、政府資金が不足していることを「財政赤字」と言い換えているに過ぎません。
税収が一定とした場合、福祉予算や生活レベルアップ資金需要が新たに起きたならば、その分時代の役割を終えた殖産興業型従来型予算を減らして入れ替えて行くべきです。
毎年北海道に旅行していた家庭が今年は沖縄にも行ってみたいと言う場合、北海道旅行をやめるのが普通の判断です。
旧来型支出を減らさないママ、社会保障やインフラレベルアップ予算を増やそうとするから増税が必要になっているに過ぎません。
消費税は財政投資に使わない・・福祉目的税と言いますが、一方で増税必要性理由として財政赤字補填を主張しています。
増税が赤字解消もしくは縮小目的ならば、増税分は赤字国債縮小(借換債をその分発行しない)に使うのがスジですから、福祉政策に新たに支出増加させるのでは赤字解消にならないのですから、主張自体が矛盾です。
紙幣には色がつかないので税収増加分がある御陰で無駄な(成長目的の投資継続は無理があることを書いてきました)財政投資を減らさずに済ます・・あるいは減らし方の速度を緩めようとしているのが明らかです。
この辺で政府が資金不足=財政赤字に陥った原因を振り返ってみましょう。
明治維新以降戦後の高度成長期まで恒常的資金不足であった我が国は、庶民から資金を吸収する特定郵便局郵貯制度を全国通津浦々までの完備したことによって資金を集めては(財投資金として)殖産興業に励んで来ました。
この資金吸収政策の成功が明治維新以降の日本の大躍進・殖産興業の成功に繋がったと言われています。
前島密が讃えられている所以です。
庶民の自発的上納・・郵貯資金貯金に頼れなくなって、これを直截庶民から小銭を取り立てようとしているのが消費税になります。
日本は純債権国で世界一の金あまり国ですから、資金需要が諸外国よりも低いので、余剰資金量に応じて金利が諸外国より低くなるのは自然です。
郵政改革によるだけはなく金融の国際化が進んで海外金融商品を庶民も自由に選択取得出来るようになったので金利低下の結果、国民は利回りの良い外貨建て預金や外債購入など流れる・・郵貯も銀行も資金獲得の国際競争力を失います。
政府が税以外に民間資金吸収する方法は郵貯と国債発行(金融機関に入札させて金融機関が国民に小売りする)がありますが、この辺は国債金利低下に伴って国内最終需要が消えてしまった・・国民は買わない・・消化に不安になって日銀が国債を市中から一種の買い戻しをするようになったのと軌を一にしています。
日銀の国債買い戻しは、将来のデフォルトや金融緩和リスクばかりをマスコミで報道しますが、内容実質は末端国民・・エンドユーザーの買い手がつかなく(国民からの資金吸い上げが出来なく)なりつつあって、その打開策として一定量の買い戻しを約束して金融機関に入札させる仕組みにしたと見るべきです。

消費力アップと消費税増税論の矛盾1

金融緩和(金融調政策)によって直接的経済成長を期待する役割が先進国・純債権国・豊かな社会では終わっていることをここでは書いています。
億単位の預貯金を持っている人は、銀行金利が下がっても消費を増やしたりすることはありません。
世界の工場としての役割が終わって需要地・現地生産に切り替わりつつある現在、国内生産量は自国消費プラスαに規定されるのが原則です。
国力の源泉が今では消費力にあるとする意見をMay 7, 2016「資源+生産力から消費力アップへ1」以下で書いてきました。
成長戦略とは内需拡大化またはプラスα部分(マザー工場機能)を増やすしかないのですが、プラスα分は画期的製品で成功しても国内限定でなく現地生産に移行して行きますので、先行者利益期間が過ぎれば元に戻るしかありません。
千か万に1つの大成功を期待するよりは、庶民の消費底上げ政策の方が規模が大きく安定的です。
国民の方も、ある程度のものは手に入っているので、政府の号令一下・・金利をちょっと下げれば設備投資が増え、住宅や各種ローン購入者が増える・・国民が政府の思うように消費を増やしたり減らしたりする単純反応する人が減って来た・・直ぐ反応する時代は終わっています。
純債権国・紙幣あまりの社会では、供給過剰・・消費不足社会ですから、消費を増やす政策(明日以降書いて行きますが量は足りているので生活レベルの向上・・トイレがあるだけはなくウオッシュレットが普及するように、文化発進力の充実)が必須ですし、レベルアップ消費が増えて生活が充実することは国民福利増進にも叶っています。
絶対消費量を増やすには人口拡大と一人当たりの消費を増やす2方法がありますが、人口を増やす方法は、生活水準がそのままの前提ですから国民には、夢がありません。
一人当たり消費を増やすと量の欲求が限界に近づくので、商人はイキオイ全ての分野でレベルアップ競争になり、より上質・・豊かな生活が出来るようになります。
既存商品が行き渡っている豊かな国では、今後国内消費拡大・レベルアップにはどう言う政策が必要かコソが必要な議論ですが、少なくとも、消費抑制に働く消費税増税論は時代錯誤の印象を受けます・・。
学者官僚は「木を見て森を見ない」と言うか、時代の大きな流れがどうあるべきか・・質素倹約論はギリシャ等の債務国には合理的ですが、世界一の純債権国日本の政治としては非合理である点に気が付かないようです。
豊かな社会、純債権国では、貯蓄ばかりしないで逆に消費=需要を増やした方が良いのです。
満腹だからもう要らないと言うのではない・・・量を消費するのではなく上質化する工夫が政策に求められます。
土建的財政支出の時代が終わったのは確かですが、それと内需拡大の必要性が終わったのとは質・レベルが違います。
世帯数より建物の数が多くなれば、家の需要がなくなったのではない・・もっと広い家に住みたい・快適な家(上質な家具調度に囲まれた生活をしたい)・交通便利な場所に住みたい需要などが無限にあるのと同じです。
美術品でもより良い物を解体見たい欲求に答える・この種のレベルアップで国際競争して行くべきですが、この種のものは従来型GDPにはあまり影響がありません。
田舎に行くと料理の味や盛りつけの芸術性よりは量で勝負する傾向が目立ちましたが、国全体でえば、田舎者のスキなGDP競争から脱却すべきです。
今後は量を充足する時代から、上質な料理・農産物・・トマトでも良いものを作ったり味を楽しんで行く時代です。
実用品ばかりではなく、絵画・各種文化を向上させて行く(江戸時代に俳諧や川柳落語は歌、小唄、義太夫・・歌舞伎や各地のお祭り文化等々が発達したように)政策に注力すべきです。
・・・・我が国はその意味でも上質なものを愛する点では遣唐使の昔から世界に冠たる上質品愛好国家ですから消費の上質化競争では、更に世界をリード出来るでしょう。
そうすれば、名実共に世界の尊敬を集められるようになります。
ドイツの批判みたいで恥ずかしいですが、内需の貧弱なドイツの問題点は内需拡大と言っても基礎文化が貧弱だからレベルアップ出来ない(おいしい物を作ったり楽しむ能力が弱い)から・・量で止まってしまうからではないかと言うのが個人的意見です。
質素倹約論に戻りますと、痩せた人は栄養を取った方が良いですが、肥満の人は栄養を取り過ぎないようにするなど国によって、処方が違うべきです。
特定分野、例えば自動車税・ガソリン税や住宅取得税アップは自動車や住宅販売抑制になることは明らかです。
増税分野=その分野の消費抑制の視点で言えば、消費税増税アップ論は特定消費抑制ではなく消費全般を抑制するための政策になることは間違いがないでしょう。
財政健全化論と増税とは必ずしも一致するものではありません。
赤字原因を縮小したり、成長による増収もあり得るしどの税目を挙げるか(どの分野を非課税にするか)も必ずしも一致しない・そこには多様な論理があり得ます。
(喩えば高齢化問題と言えば、65歳以上の人口比ばかりマスコミが書きますが、保険赤字の原因も高齢化ばかりではなく医薬品や医療機器の高騰にも原因があることを「ダイジェスト報道5と正確(中立)性担保4」February 14, 2016前後で連載しました・・これからは65歳以上で働く人が増えて来るなど社会保障負担も変わってきますのでもっときめ細かい年齢別分野別議論が必須です)
政府のえり好みによる・・特定産業に下駄を履かせる・・政府官僚が市場選別よりも優れている前提)個別産業優遇の財政政策は限界があるので、全体の足場・・水平面の上下変動を通じて公平に影響を及ぼし、対等条件下で伸びる産業と伸びない産業が市場で決まって行く金融政策の方が自由競争にも適している・・合理的政策であることをこのシリーズでは書いてきました。

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