マイナス利回り3(消費信用2)

消費信用(南欧の資金手当問題は昨日書いたとおり、借り換えに使う資金ですから一種の消費信用に変質しています)と金利問題に戻しますと、市場原理に委ねれば、苦しいところには資金が流れ難くなって高金利となり、お金が余っている豊かな国に安全を求めて資金が流入するので、豊かな国は更に低金利で資金運用出来て益々有利になります。
ちなみに日本の企業は円高その他で6重苦などとマスコミが宣伝していますが、物ごとには裏表が必ずあります。
日本の円独歩高とは(貿易黒字あるいは投機資金流入によるものであれ、いずれにせよ)資金流入超過ということですから、資金流入→その分資金余剰で低金利になり、国内企業は資金調達が世界一有利になっています。
この話は何回も書いていますが、ある国で同じく数百億ドルの投資をするのに高金利国の企業は例えば5〜6%の金利負担で工場を新設するしかないのに、日本企業は1%前後の超低金利で資金調達して新規工場稼働出来ます。
仕入れ価格を約5%安く仕入れて競争相手と競争しているようなもの(仕入れも多くは銀行融資や保障でしていますので、金利負担の差が大きい)ですから、もの凄く有利な競争をしています。
その上仮に1割円高になると現地貨幣への両替に際しても、従来5000億円必要だったのが4500億円で済むのですから、現地への投資資金元本自体が1割少なくて済み、現地企業よりも当初から競争も同率で有利になります。
ちなみに今朝の日経朝刊11面真ん中囲み記事には、「トヨタの普通社債の発行金利が0・186%と記載されています。
大手企業のお多くは0.2%以下で資金調達していることが報じられています。
その他書き出せばキリがないですが、円高は消費者にとって有利なだけではなく企業にとっても悪いことばかりではありません。
バブルで高額の土地を買って損した人がいれば、その対極に吊り上がった高値で売り抜けて得した人がいるし、国債が1000兆円があればその対極にほぼ同額の国債保有者が国内にいて、更には国債によって形成した資産(公共工事によって出来上がった資産・・学校用地の買収など)があるのに、これを報道しないで債務ばかり報道しているのを批判してきましたがこれと同じです。
物事には裏表・バランスシート的に双方の事象があるのにマスコミはいつも一方ばかり強調する傾向があって、国民の判断材料提供者としては問題があります。
話がそれてしまいましたが、生産向けの投資資金融資の場合利潤を生むのでその分け前としての金利を期待するのは合理的ですが、低成長社会では成長率に合わせた低金利にするしかないし、・・消費者向け融資には利潤を生む余地がないのでプラス金利は合理的ではありません。
生活に困っている人に対する消費者向け融資は、本来元本の何割か返せれば上出来と言うマイナス金利であるべきです。
市場原理主義・新自由主義批判論者は、消費信用分野では正しいことを言っていることになります。
生活に困って借りたとすれば「御陰さまで、これだけ残りましたありがとう御座いました」と借りたお金の何割かだけ返せば上出来という経済原理ですから、本来消費者信用は社会保障分野の問題で市場原理を働かせては行けない分野です。
約10年前、06/04/02「社会システムの大型化と細やかなサービス4」前後で「サラ金は生活保護の一変形である」(社会保障システムの不備がサラ金禍を招いている)と言う意見を連載したことがありますので参照して下さい。
(2002年〜2010年8月31日までの旧バージョンコラムの検索は、この表紙の写真の下についている「このサイトについて」というところをクリックすると以前の方式によるコラムのアドレスが出ますのでクリックしていただければ検索できます)
サラ金問題は社会保障分野であると書いたのは上記のとおり約10年前の意見ですが、その後(私の意見が浸透したのかどうか不明ですが・・)サラ金に頼る生活苦は社会保障分野であるという認識が広がった結果、最近では(地元市会議員の配布して来たデータによると千葉市で言えば約1、8%)生活保護受給者が増え過ぎて困るほどになってきました。
私は、サラ金苦問題はその殆どが社会保障分野の問題であると書きましたが、だからと言って直ちに生活保護需給に走れと主張したのではありません。
その解決策としては06/07/02「社会の大型化と細やかなサービス7(公営住宅家賃未払いと貸し付け制度)」前後のコラムで社会保障の一環としての貸し付け制度の創設が合理的であると提案して来ました。
貸付金を社会保障の一環として考えれば、全額回収出来なくとも8割でも5割でもあるいは3割でも・・少しでも回収出来れば上出来です。
消費信用・・使ってしまう資金の場合、マイナス金利(元本割れ)で良いのじゃないかと言う応用編です。
病気高齢・障害等に入らないいわゆる「その他受給者(健康な若者がタマタマ職がないだけ)」の場合、生活保護だと一旦受給者になってしまうとそこで安住してしまうリスクがありますが、社会保障的貸付金の場合、何とか返そうと努力する人が多いので社会復帰が期待出来ます。
元金全部と利息を付けて返せと言われたら、消費信用の借り手は夜逃げか破産または生活保護に逃げるしかありません。
利息を付けて返すか破産するか、あるいは生活保護に逃げ込むかという二者択一ではなく、返せる限度で返せば良いという(これはそのとき考えついた一例に過ぎず、外にも似たような解決案があるだろうという意味で)06/07/02「社会の大型化と細やかなサービス7」を提唱していました。
私の提唱した(パソコン利用が出来るようになってコラムに書いたのは約10年前ですが、こうした意見は昭和50年代から事件処理の度に関係者に言ってました)消費信用は社会保障分野の問題であるという意識が社会一般(法律家)に一般に根付いたのは有り難いですが、苦しければ生活保護しかないという短絡的方向へ進んでしまったのは、国民や行政・関係者の工夫不足ではないでしょうか?

マイナス利回り2(消費信用1)

食費等の純然たる消費信用では借りた資金から利潤・メリットを生み出さないのですから、(種モミを貸せば秋には何倍もの収穫が期待出来ますが、その日その日に食べてしまう食糧として、食用米を貸しても秋に米粒が増えて戻ることはありません)使ってしまった物を満額返すのさえ大変ですから、さらに金利を上乗せして回収するのは無理になります。
投資資金ではなく消費目的の資金を貸す方から見れば、信用のない・・元々返すのには無理のある人に貸すので焦げ付きリスクが高くなることから、市場原理からすればリスクの高い分金利を高くしないとペイしません。
スペインやギリシャ国債の値下がり=金利高騰を見ても分るように、資金の必要に迫られているところは苦しいので高金利を払うどころではないのに、苦しいところに限って高金利になります。
南欧諸国の資金需要は(付加価値を生み出す)新規投資資金需要ではなく、借換債のための資金需要ですから消費信用化していることによります。
消費信用として貸す以上はリターンを求めるのではなく、万物は無価値化するという原理に戻って、社会保障・恩恵的運用・・「元本の何割かだけでも返してくれたら良いですよ」と言う運用が必要です。
市場原理と万物の価値が減少する自然界の原理とは、本質的に矛盾関係になります。
ここ10年近く新自由主義経済悪玉論(負け組を作るな!と言うアッピール)が盛んですが、この主張者の多くは旧社会党系人権運動家に多いことから見ても、弱者の空間に市場原理を持ち込む領域の広がりに危機感を抱いているからかも知れません。
弁護士で言えば消費者系運動家がこの範疇に入るのは、こうした分類をすれば理解可能です。
現在社会は資本主義的利潤追求システムと個人間の情義に基づく(原則無償)システムが共存する社会ですから、どちらに比重をおくか・・その境界移動の激しさに対する反発とも言えます。
里山が荒廃して行き・山奥まで人が進出して熊などの生息域が荒らされ、動物のすみかがなくなりつつあることに対する危機感と似ています。
1994年のアニメ映画「平成狸合戦ポンポコ」を見たことがありますが、人権活動家と里山保全・自然を守れ関連活動家と心情的にかなり重なっているように見えるのは偶然の一致でしょうか?
法の世界ではご存知のように個人間の利潤追求を目的としない社会関係を律するのが民法で、飽くなき利潤追求・・商的世界(会社関連条文が商法から独立して6〜7年前に独立の会社法になりましたが、本籍は商の世界です)を律するのが商法世界です。
民法では委任でも貸金でも特約がない限り無償(無利息)が原則ですが、商の世界では以下に紹介するように特約がなくとも、何かをすれば必ず報酬請求権があり、お金を借りれば金利がつくことが法で決められている、まさに市場経済を前提としています。

商法
(報酬請求権)
第五百十二条  商人がその営業の範囲内において他人のために行為をしたときは、相当な報酬を請求することができる。
(利息請求権)
第五百十三条  商人間において金銭の消費貸借をしたときは、貸主は、法定利息(次条の法定利率による利息をいう。以下同じ。)を請求することができる。
2  商人がその営業の範囲内において他人のために金銭の立替えをしたときは、その立替えの日以後の法定利息を請求することができる。

最近は何もかも商的分野(親子で解決していた介護でさえ他人に頼んで対価を支払う形式が主流です・・介護自体が商行為という意味ではなく対価形式になったという意味で商「的」と書いています)が増えて来て無償行為が減ってきました。
まさに民と商の精神境界・領域が大きく変わりつつあり、民(無償行為)の分野が浸食されて大幅に減りつつある社会と言えます。
平和な江戸時代に商人層が発達しましたが、彼らが最下位で遇されていたように、利潤目的の行為は近代社会になって生まれて来た新たな行動パターンで、我が国の過去の何千年の道徳規準にはない価値観ですので冷遇されていたことになります。
明治以降列強に伍して行くために国家自体が貿易の主体となって(しかも儲けない限り赤字では大変です)行くしかなかったのですから、商(儲け追及)を(幕府もお金の重要性を知っていましたが、飽くまで表向きは重視しない態度でした)正面から重視する価値観に転換されたことになります。
その後150年近くもたっているのに、商・利潤追求行為を蔑む根強い気風があることは今でも変わりません。
我が国では、未だに物造りに対する価値・ウエートの強いことと関連があるかも知れません。
愛情をもっとも期待している介護についてまで対価関係になって来ると(道徳観の違いだけではなく)心に隙間が出来るので、無償のボランティアが発達して来たのはその穴埋め作用でしょう。
東北大震災で無償の助け合い活動が多くの感銘を呼んだのは、失われつつある無償行為への挽歌かも知れません。
今後交際相手のない独身が増えて来て、兄弟姉妹もいない中高年者が増えると完全無償の人間関係が激減して行きます。
ペットを中心にした疑似愛情関係・・人間同士の新たな関係が増えて来るのでしょうが、こればかりはボランティア頼りというわけには行きません。

年金赤字5(赤字の基礎2)

9月4日の続きです。
次にマスコミが主張している少子長寿化による年金赤字問題を見て行きます。
第2 ① 次世代人口減少(加入者減)
これをマスコミが強力に主張しているので国民もそうかなと誤解している方が多いところです。
しかし、これは第1の②で書いた業界団体や企業での年金が加入者減で火の車になっていることと根源は同じです。
公的年金だけではなく、肝腎の年金支払時期が来たときにそれを支えるべき加入者減によってどこの業界・企業も困りきっています。
企業年金の苦境はそれぞれの業界規模の縮小によるもので、少子化によるものではないのが明らかでこれに原因を求めて騒いでいる企業・あるいは業界団体はありません。
厚生年金も同じ原因(少子化によるのではなく企業従業員数減や給与減によるものであるのに、公的年金だけが少子化が原因と騒いでいるのはおかしくないですか?
我々弁護士業界は、タマタマ経済実勢に反した増員政策の御陰で、会員数が激増中ですから、年金財政に関しては全く問題が生じていません。
各種年金制度が、保険契約者数・業界年金の会員数が現状維持で払う仕組み・・各自の掛け金に応じて支払う仕組みではなく、支払時期が始まるころには契約会員数が数倍以上になっているので、増えた会員の納付金で何とかなるという設計であるとすれば、まさに自転車操業的設計であったことになります。
自転車操業的設計が多かったことが、現在各企業年金が火の車になってしまったそもそもの原因ではないでしょうか。
公的年金に関しては、世代間扶養制度などともっともらしい説明が多いのですが、本来永続制のあり得ない企業の場合、(仮に企業が数千年続くとしても従業員は世襲制ではないのですから)他人間で世代間扶養の理念など成立し得ません。
とすれば各人が積み立てた限度での年金支給しかあり得ないのですから、後輩社員の増減に関係がない筈なのに企業年金が現実に加入者減で困っているのは、自転車操業的設計をしていた事によるとしか考えられません。
加入者増に頼っていると数倍以上になった会加入者・契約者数が数十年後に保険や年金受給者になれば(際限なく構成員数が数倍になって行くことはあり得ないので)破綻してしまうのは初めっから分ってることです。
構成員・納付者数の増加を前提にした制度設計は(どんな優良企業でも永久に会員数や従業員数が増加し続けることはあり得ないので)早晩破綻するのは理の当然です。
日弁連の年金システムも、もしも現有会員数のままで支払出来る設計でないとした場合、弁護士数の増加がその内頭打ちになる以上は、今の若手弁護士が受給する頃には大赤字になってしまいますので無責任設計となります。
いわゆる「ねずみ講が危険である」と言われるのと同じ論理です。
(土建関連業界が会員数の減少で困っていますが、構造不況業種に限らず優良業界でも一定の成功を収めるとその先は海外展開しか拡大の余地がなくなるので、国内従業員減少はあらゆる企業に生じます)
企業規模あるいは業界規模が際限なく拡大することで漸く何とかなる制度設計であったとすれば、数倍になった会員が受給者になるときには破綻するのは予め分っていることですから、将来に責任を持たない無責任体質こそ糾弾すべきです。
日弁連の年金の場合、納付金は会員の加入した口数によるので、納付金自体は収入の増減に直接連動しませんが、収入が減って来ると加入口数も減って来る可能性があるので長期的には厚生年金と同様の問題が生じます。
公的年金も同様で、健全な制度設計としては、将来の加入者増加やインフレを期待する(踏み倒し戦略同様の)その場しのぎの考えをやめて、受給予定者の納付した資金の積み立てプラス運用益だけで年金支給が出来る制度設計であるべきです。

少子化と 年金赤字2

マスコミは明治政府の富国強兵政策以来約70年ほど続いた子沢山時代を太古からの歴史であるかのように誤解して、少子化を大変なことだと反対を唱えているに過ぎません。
マスコミは如何に少子化が困るかと言う議論すり替えの笛マスコミの宣伝・・マインドコントロールに精出しています。
(少子化が原因で工場が海外移転しているのではないのにあたかも原因であるかのように東大教授に書かせていることを7月30日に紹介しました。)
マスコミ宣伝に惑わされずに、多くの親が自分の正しいと思う少子化→次世代のレベルアップを選んでいるのが現実です。
少子化・人口減少をもっと早く進めるべきだというのが、ここ10年くらい繰り返し書いている私の意見ですが、マスコミに出て来る意見・少子化が国を滅ぼすかのような意見がもしも正しいとすれば私の意見は少数意見です。
国民大多数が現に実践している少子化行為をみれば、少子化を進行させて子供に手厚い訓練を施して社会に出す方が良いとする親の方が(マスコミには報道されないけれども)実は多数派だとなります。
民主主義国家では政策は多数意見に基づいて行うべきなのに、財政赤字・増税問題同様にマスコミの誤った・偏った少数意見を前提に、少子化対策・・逆にもっと出産させようとする逆行した政治が行われているミスマッチこそが問題です。
マスコミは昔の共産党みたいに「前衛である我々が遅れた庶民に正しいことを教えて」やろうとする指導者のつもりなのでしょうか?
国民多数の意見によれば、少子化の進行促進(・・一人一人のレベルアップを図る親に対する後押し)のためにこそ、税を使うべきです。
実は税を使う必要がなく、出産課徴金をとれば税収も上がるし一石二鳥ですが、この点は後に書いて行きます。
以下年金納付問題に入って行きます。
成育段階で4〜5人兄弟で育つよりは、(何回も紹介していますが私の世代は4〜5人兄弟が普通でその親の世代では6〜7人兄弟が多かった印象です)一人っ子の方が、双方の祖父母から独占的に可愛がられて、(薫陶を受ける機会が多く)ポケットが両親と祖父母合わせて6個とも言われる有利な環境で育っています。
(実はもっと大きな格差があります・・親世代が4〜5人兄弟の場合、祖父母にとっては4〜5人の子供が更に4〜5人生んでいると孫の数は何十人単位になりますので、6分の1どころではありません)
子供が4人いる場合、上から2人だけ大学まで行けて、下2人は高卒というパターンが多かった時代から今では少子化ですから殆どみんな(本人さえグレなければ)最高学府まで行けます。
彼らが少人数で有利に育った分、大人になれば少ない人数で社会を支えなければならなくなるのは当然の責務です。
4人部屋に2人で泊まれば宿泊費が2倍かかります。
少人数で相続する以上は、少人数で家の修理費や相続税を払う・・各種負担すべきは当然です。
4人兄弟ならば4分の1しか相続権がないが、その代わり親の世話(年金介護)も4分の1分担ですみますが、2人しか子供がいなければ2人で2分の1ずつ相続出来る代わりに2分の1ずつ分担するしかないでしょう。
相続や親の愛(各種投資)は独り占めあるいは少数で受益したいが、義務(年金支払や親の介護負担)は4分の1にしてくれというのでは、虫が良過ぎるでしょう。

国債の増減と景気調節2

私のような論理ですと、一旦発行した国債は永久に削減出来ない・する必要がないのかと心配する人がいるでしょう。
しかし、景気過熱したときには今とは逆に市場から資金吸収するために、国債償還のための大幅増税をすれば大量資金吸収によって景気を冷やせますし、発行済み国債を削減出来ます。
このような理論(と言えるかな・・私個人の思いつきですが・・)であれば、国債大量発行と償還の組み合わせで、インフレとデフレの調整がある程度出来ます。
(ただし、近代生活に渇望している新興国以下と違い先進国では充足状況ですし、一国閉鎖経済と違い、しかも大量生産時代到来によって量的緩和によってもインフレが起こり難い状況になっていることを書きました)
景気変動を調節するための日銀の金利調節の意味・効果が少なくなっていること何回も書いてきましたが、今では、金利調節よりは国債の増減が経済活動に重要な役割を果たす時代です。
資金不足時代には貸し出し金利の上下が重要ですが、資金あまり時代にはその吸収装置の方が意味があります。
結局国債増発するか償還するべきかは、景気対策(国債による紙幣流通量調節政策)として考えるべきことであって、政府財政をどうするかの基準で考える必要がないばかりかその基準で考えては行けないのです。
政府財政は国際収支黒字の範囲を超えるときに議論すべきで、そのとき以外にする必要がなく不必要なときに議論の材料にすると却って害があります。
このような考え方によれば、景気過熱・インフレが来ない限り償還するチャンスがないことになり、累積する一方となりますが、国債はいくら溜まっても国際収支が黒字である限りそれで良いのです。
バブル崩壊後ずっとデフレ状態でしたので、赤字国債が累積したのはこの理屈で説明がつきますし、正しい政策だったのです。
デフレ下で市場から資金吸収して国債を償還すれば大変なことになるのは明らかで、橋本政権で増税して償還財源にしたのは経済原理に反したことをやった結果、景気悪化を招いたことになります・・。
資金吸収・・インフレになるかデフレになるかについては、日銀の仕事で政府に関係がないという学校で習ったとおりの分業論で・・政府が市中から如何に資金を吸収しても関係がないだろう式に考えた頭の良い人(秀才)が失敗したのです。
橋本元総理は蔵相経験者で・・理解力の良いことを取り柄にしていた総理でしたから、大蔵官僚の言うとおりやったのですが、私に言わせれば実際の社会構造が高度化して来て、学校で習った仕組みよりも進んでいる・・経済理論が実態的経済原理に反していることを知らず(秀才はこう言うタイプが多いのです)にやっていたことになります。
野田総理は橋本総理のように事前勉強していた形跡もないので、今国会での消費税増税邁進は彼の考えによるのではなく、まさに官僚の振り付け通りにこれを政局に利用すれば有利と読んで政治生命を賭けているに過ぎないでしょう。
国債残高に関する私の意見によれば、デフレが続くと際限なく国債残高が増えて行くことになりますが、国債発行残高がいくら累積しても国債以上に国内金融資産・・、国際収支の黒字の範囲内ならば何の問題もないこと、世代論としても国債の借金以上に預貯金(プラス資産)があれば問題がないことをこれまで繰り返し書いてきました。
ちなみに国内金融資産の増減は、国際収支の結果によることです。
豊富な外貨準備は政府・日銀が国民・企業から貿易で稼いだ外貨(黒字分)の両替の結果保有しているもので、その分を国民は円貨を保有していることになります。
その他にも企業その他の海外投資残高が、結局その株式等を通じて国民の保有資産になって行きますので国内企業の株主構成は重要です。
マスコミは如何にも外国人株主増加を期待するような記事が原則ですが、何のためにそんな期待感を下地にした意見ばかりになるのか疑問です。
トヨタや日産が如何に世界展開で成功してもその株主の95%が外国人では国民に男のメリットがあるの?となります。

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