あいちトリエンナーレ不自由展に関する専門家意見と民意乖離9
  (表現の自由市場論18と世論軽視論の矛盾10)

京都弁護士会や東京弁護士会の論理構成は、表現の自由と公的施設利用(あるいは補助金支給)基準問題とは次元の違う問題であるのにあえて?これに触れず、「表現を萎縮させる効果」を言うのは、いかにも憲法で禁止する検閲類似行為があったかのような誤解を招く(ための意図的ずれ?)主張ですが、公的施設が使えなくとも検閲に当たらないばかりか、芸術表現に萎縮効果は出ません。
ほとんどの平均的作家は、公的企画展に出品できなくとも、人権重視論者の金科玉条としている自由市場で腕を磨いています。
公共美術館の企画展などで出品できる現役作家は、むしろ限られているのが現状でしょう。
不自由点に関する報道の限りでは自由市場で相手にされていない作家+日韓対立系の韓国主張に焦点を当てる試みのように見えます。
最終判断権を芸術家に委ねるべきとの主張は、芸術系の実績のない津田氏を芸術監督に任命して作品取捨選択権を(政治的主張)を与えてきたのと矛盾します。
企画=作品選択経緯に関するウイキペデイアの記事を引用します。

2017年7月18日、あいちトリエンナーレ芸術監督選考委員会[注釈 2]は、あいちトリエンナーレ実行委員会に対し朝日新聞論壇委員[31] の津田大介を「バランス感覚に優れ、また、情報を整理する能力にも長けていることから、いろいろなアイデアや意見を取り込んで、トリエンナーレを創り上げることができる」などの理由から芸術監督として推薦し[32]、同年8月1日に津田は芸術監督に就任した[30]。実行委員会の大村秀章会長(愛知県知事)は津田に「とんがった芸術祭にしたい」と委嘱状を渡した[33][
津田は「芸術監督に与えられている権限は大きい」と決定権を握ると学芸員が提出してきた作家を「ピンとこない」と退けて陣頭指揮を執る[35]。津田は話題性を集めるため「ジェンダー平等」を仕掛け「日本初」を目玉にした宣伝活動を展開する[35]。2019年3月27日、津田は記者会見を開き、国内外79組の出典作家を「男女平等」に選考したと発表して「あいちトリエンナーレ2019」を全国紙で紹介させることに成功する[27][36][37]。また、あいちトリエンナーレで恒例となっていたプロデュースオペラを廃し、音楽プログラムを新設して[38][39]、ニュースサイト「ナタリー」で津田の共同創業者を務めた大山卓也[40] をキュレーターに任命した[41]。津田の芸術監督就任を批判したオペラ歌手の畠山茂に対して、津田はツイッターで以下の反論を行っている[42]。

こんな僕ですが一応文化庁主催のメディア芸術祭で新人賞なるものをいただいた経験もありまして、その審査した人たちや、芸術監督を選出したあいちトリエンナーレの有識者部会(アート業界の重鎮多し)をみんな敵に回す発言になりますけど、大丈夫ですかw

2019年3月27日に「表現の不自由展・その後」の企画を決定。津田は企画の意図について、あいちトリエンナーレのアドバイザー東浩紀(表現の不自由展を巡る混乱の責任を取って8月15日に辞任)との対談で以下のように説明している[43]。
公立美術館で撤去されたものを、『表現の不自由展』という展覧会を持ってくる体(てい)にして全部展示してやろうというそういう企画で。おそらくみんな全然気づいてないけど、これが一番やばい企画なんですよ。おそらく、政治的に。

津田芸術監督の経歴をウイキペデイアで見ると以下の通りで芸術系の経験皆無・・どちらかというとパフォーマンスに優れているので大手メデイアに重宝されてきたように(もともと知らない人なので以下のウイキペデイアをちょっと読んだだけの印象ですが)推測されます。

津田 大介(つだ だいすけ、1973年11月15日 – )は、日本ジャーナリスト

概要[編集]
東京都北区滝野川出身。父親公男は社会主義協会派の活動家で、日本社会党(現:社民党)の副委員長高沢寅男の議員秘書も務めた[2]。しんぶん赤旗にて、中学生時代に「赤旗」を読んだことが「物書き」になるきっかけとなったと述べている[3]
・・・1年間の予備校生活を経て早稲田大学社会科学部と明治大学政治経済学部に合格し、早稲田大学を選択した[4]。就職活動では出版社を志望するもすべて面接で落とされ、卒業後はパソコン系編集プロダクションのアルバイトとしてライター活動を開始する。1999年に会社設立[5]。
2000年代
2002年、個人運営ニュースサイト「音楽配信メモ」(ブログ)を開設。
2006年、株式会社ナターシャ設立・取締役( – 2014年7月)。
2006年 – 2008年、文化審議会著作権分科会において複数の小委員会で専門委員を担当[10]。
2007年、Twitterアカウント(@tsuda)を開設。
2007年、小寺信良(コラムニスト、AV・音響機器評論家)・白田秀彰(法学者、法政大学社会学部准教授)らと共同でインターネット先進ユーザーの会(MIAU、現インターネットユーザー協会)を設立。現在、一般社団法人*インターネットユーザー協会(MIAU)代表理事。
2008年 – 、特定非営利活動法人情報通信政策フォーラム(ICPF)副理事長( – 2014年3月)
2008年 – 、デジタル・コンテンツ法有識者フォーラム設立・発起人。
2008年 – 、コンテンツ学会設立・発起人。
2008年 – 、特定非営利活動法人ブロードバンド・アソシエーション「P2P関連問題研究会」委員

2000年代の経歴を一見すると次々と誰かと〇〇組織を立ち上げてきたことが分かりますが、(短期間にいくつもの組織立ち上げで同時並行で何ができるの?と言う疑問があり、組織実態が不明です。
名刺にはいくつもの肩書を書けるでしょうが・・。
名称で実態が分かるのは政府系委員会の専門委員になったというだけですが、それも任期2年一回でお払い箱?のような印象です。
この経歴を見ると、シールズを立ち上げた奥田愛基氏の経歴と酷似しています。
時間軸でいえば、津田大介氏の成功例をなぞってメデイア界が、10年遅れで次世代育成の思惑で過保護にデビューさせたのが奥田氏だったような印象です。
津田氏の過去発言内容等を知りませんが、朝日新聞論壇委員になっているところを見ると、多分朝日新聞系の期待する気の利いた「とんがった」発言でモテはやされてきたのでしょう。
芸術監督になる直前の2010年代の経歴を明日引用します。

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