USA=領土拡張6(第二次世界大戦まで)

地続きの領域拡張と内部に抱える先住民絶滅作戦が終わると域外への膨張政策が始まります。
ウイキペデイアの整理では帝国主義時代の項目になっていますが、この時に始まったのではなく独立の成り立ちにそのDNAが仕組まれていたという視点で私はこのシリーズを書いています。
ウイキペデイアによるアメリカ合衆国の歴史からの引用続きです。

帝国主義時代 (1890年〜1918年)[編集]
西部開拓時代の終結によって、アメリカ人は更なるフロンティアを海外へ求め、「外に目を向けなければならない」という意識が起こった。
1889年にパン・アメリカ会議が開催され、この力がアメリカのラテンアメリカ進出を促した。
とはいえ、モンロー主義に基づくアメリカ合衆国の伝統的な外交政策は引き続き重視されていたため、植民地獲得については消極的であり、もっぱら棍棒外交やドル外交に基づいた経済的進出を狙いとしていた。
1898年にハワイ王国をなし崩し的に併合、領土を太平洋上まで拡大した。さらに同年、スペイン領キューバの独立戦争に便乗し、軍船「メイン号」爆発事件を契機として、スペインとの間で米西戦争を起こした。この開戦には、当時普及していた新聞が大きな役割を果たした。
すなわち、米国民の反スペイン感情を煽動する報道を繰り返し行った。これは新聞によって煽動された大衆が戦争を要求した最初の例であり、米国政府はこの情報戦略を積極的に利用し、後の戦争のほとんどに活用された。
米西戦争とそれに続く米比戦争に勝利すると、中米の多くの国からスペイン勢力を駆逐して経済植民地(バナナ共和国)とし、プラット修正条項によってキューバを保護国に、プエルトリコやフィリピン、グアム島などを植民地化した。
さらに、西欧列強と日本によって中国分割が進もうとしているときに、1899年と1900年に清の門戸開放・機会平等・領土保全の三原則を提唱し、中国市場への進出を狙った。
カリブ海地域を勢力圏にするために、カリブ海政策を推し進め、これらの地域で反乱などが起こるたびに武力干渉した(棍棒外交)。また、国内東西物流の安定を目的としたシーレーンの確保を目的に、パナマ運河建設権を買収し、2万人以上の死者と長期間の工事を経て、果ては工兵まで投入して完成させた。さらにコロンビアから分離独立させたパナマから運河地帯の永久租借権を獲得した。
以下略

第二次世界大戦後は、日本の南太平洋にあった信託統治領を支配下に組み込み、現在に至っています。
戦後は世界の覇者として君臨するようになると露骨な領土拡張政策は限界を迎え、余剰人口吸収装置としてのアメリカの魅力が次第に薄れ始めました。
直接的領土拡張は第二次世界大戦まで続き、戦後は直接の領土拡張欲を捨てたように見えますが、戦後は植民支配時代時代の終焉を巧みに利用して西欧諸国の植民地支配の後釜に入り込み・・中東での石油利権をめぐり英仏を追い出して中東への事実上支配を強めるなど、中南米に対する棍棒外交の世界版として世界に張り巡らした軍事基地を背景にしたCIAによる政権転覆活動などによって世界を事実上支配してきたことは周知の通りです。
この力が弱まってくると最近では金融取引停止の脅迫で支配完徹手段としています。
以上見てきたように米国は独立戦争の当初から、実態は支配地拡張・21世紀に入ってからはグローバリズムに名を借りた世界支配に邁進してきた歴史でした。
中国の台頭によりグローバリズムによる覇者の地位が危うくなり始めると逆にグローバリズム反対・・アメリカンファーストと称し、内部分配がテーマになってきました。
内部分配はあちら立てればこちら立たずの矛盾が1体1の矛盾どころか、8対8程度の複雑なパズルを解く必要に迫られます。
この困難に逢着したのがシリアとIS関係・スンニ派とシーア派、トルコとクルド族、イスラエルとアラブ諸国等々利害錯綜で、単純思考の米国民度・政治経験レベルでは、解決不能の迷路に追い込まれてしまったのです。
これまでは反ソ連、反共産主義とか、悪の枢軸とか単純仕分けで攻撃していれば良かったのですが、ソ連崩壊後単純図式が当てはまらなくなり、中国の台頭で米国の将来性も?になってきました。
もともと拡張主義の旗印のもとに連合を組むメリットを享受してきたのですが、米国民が武力経済力等々の侵略の象徴である星条旗の旗印のもとに結集するメリットを感じなくなるとどうなるか?です。
米国は何かというと星条旗の元に団結を誇示するパターンが目立ち、これしか一体化の道具がないのは、以上見てきた通り、独立の始まりから支配地拡張戦争のために団結してきた歴史によります。
単純化すれば、量の勝負・・3〜40年前の日本では地方に行くと旅館ホテル等では量の勝負で食べきれない料理を出す・・と言われた時代でしたが、米国産業界は黒人奴隷に始まり低賃金労働者の大量仕入れ・移民導入で先進国との競争に参入したので叩き上げ熟練職人が育っていないので中下級品しか作れない弱点がありました。
この弱点克服のために、製造工程を分解して流れ作業化することにより熟練工不足のハンデイを克服に成功して世界の経済・軍事大国にのし上がったものです。
ベルトコンベヤー方式に馴染む・適応の進む産業分野から世界のシェアーを奪っていったのですが、原則として規格品製造になる結果、個性や品質で競う能力が低いままになります。
非熟練工でもそこそこのものを大量に安くに作れるようになる生産方式の発明により、米国が熟練工の多い欧州より多量に安く作れて有利になった点は、米国よりもさらなる後進国に対しても参入チャンスを与えたことになります。

USA=領土拡張5(ジェノサイド1)

敗戦を機に主張を変えた人を節操がないと批判する人が多いですが、これが民族を守るための言外の国策だったのですから、民族存続のために恥を捨てた人物(韓信の股くぐりを「誇りがない」と馬鹿にするか褒めるかの違いです)はむしろ国士です。
メデイアと教育界支配に精出していた米国の意向を受けて本気でそのように誤解し?日本民族を悪し様にいう文化人やメデイア界がほとんどでしたが、国民の多くは黙って「意を体して」時節到来を待ってきた状態です。
平成の初めころ、ある委員会の視察旅行の旅先での懇親会で、当時70歳前後のいかにも保守系代表のような委員から、当時若かった私を相手に「今の若い者は・・・・式の意見を述べ始めたことがあります。
弁護士=左翼系と見ての話だったのでしょうが、私の方は持論に従って「アメリカはスポーツであれ何であれ自分に都合が悪くなるとルールを変えるズルイ国であることは常識であり、そんなこと文句言っても始まらないからみんな我慢しているだけです。
物事には時節というものがあるから時節到来を待つしかないから待っているだけで、若者も皆知っていますよ!」と応じるとひどく驚いた顔をして「若い人がよく理解しているなら安心だ!」と大喜びされたことがあります。
昭和40年代末〜50年代ころにかけて右翼政治家が大東亜戦争は聖戦だったとか、朝鮮支配は朝鮮に多くのメリットを与えたなどの主張があると、直ちに(占領当時GHQのメデイア支配の本拠だったか?)朝日新聞を中心に批判が起こりこれに触発されて韓国や中国が批判するパターンが続くようになりました。
これは日本の米国服従が本心かどうかのリトマス試験紙のような役割を果たしていたことから、政府は公式には発言大臣を更迭するしかないのに気をよくした中韓政府の便乗攻撃でした。
この延長が2010年代に入ってからの慰安婦攻撃であり、南京大虐殺キャンペインでしたが、流石に時節は変わっていたので安倍政権は正面から敢然と否定して戦う姿勢を見せたのに対し、中韓は安倍氏を米国向けに歴史修正主義者というレッテル貼り攻勢をかけました。
しかし米国は中国による挑戦を受けるようになっていたこの時点では、日本の忠誠心を試すどころか自国の後詰を頼みたい関係になっていたので中韓の日本攻勢を後押しできる国際情勢ではなくなっていたので、中韓は情勢を読み誤ったことになります。
戦後政治では、敗戦受け入れと同時に一糸乱れず国を挙げて米国を素晴らしい国だと持ち上げた上で図に乗って暴れる朝鮮人の取り締まりを求めたので米軍もこれに応じるしかなくなった・日本民族が根絶やしにされるのを防いだことになります。
引用文では簡略ですが、最後に引用するように「交渉相手になるべき主権国家消滅滅宣言」の一言にその最後(集団としての存続がなくなるまでやり尽くされた)結果が象徴されています。

ウイキペデイアによるアメリカ合衆国の歴史
西部開拓時代 (1865年〜1890年)
リンカーン大統領は南北戦争中から、東西交通の機関となる大陸横断鉄道の建設を進めた。
鉄道建設は苦難の連続であった。西側からは新参の中国人移民が駆りだされ、シエラネバダ山脈で低賃金の労働をしたが、爆薬としてニトログリセリンを、安全性を軽視したまま使用させたことにより、多数の死者を出した。
鉄道建設の邪魔になり、西部のインディアンの生活の糧でもあるバッファローの政策としての絶滅作戦をとる。
組織的なバッファロー虐殺によって、平原のバッファローはただ殺され、19世紀初頭に4000万頭を数えたバッファローは1890年ころには1000頭を切ってしまった。
平原のインディアンたちは生活の柱を奪われ、保留地で飢えることとなった
急速に生活圏を奪われたインディアンは、1860年代から1870年代にかけて、各部族による一斉蜂起を行った。
これがインディアン戦争であり、米軍との間で20年以上の争いとなった。結局、蜂起は次々に鎮圧されてゆき、ナバホ族のように領土を一時完全に没収されるか(ロング・ウォーク)、保留地へ幽閉された。指導者は戦いで死ぬか毒殺されるかして部族のコミュニティも壊滅させられ、人口も減少していった。さらにドーズ法はインディアンの社会を根本から破壊し、彼らの土地のほとんどを白人農業者のものとした。
1871年、合衆国政府は「合衆国はもうインディアン部族を独立国家とはみなさない。したがって今後はもう主権条約は結ばない」と宣言した。この時点で、全米のインディアン部族の領土(保留地)は総計51万km2に過ぎず、合衆国政府は1778年から1868年の100年足らずの間に、インディアンから1億1000万エーカー(44万5200km2)の土地を没収し、768万km2の国土を手に入れていた。西部の最大反抗勢力のスー族も、シッティング・ブルやクレイジー・ホースが殺され、南西部でアパッチ族のジェロニモが投降し、「ウーンデッド・ニーの虐殺」を機に、「開拓に邪魔なインディアンの掃討作戦は終了した」として、合衆国は1890年に「フロンティアの消滅」を宣言した。インディアンはさらなる同化の意図をもって、「インディアン寄宿学校」へと子供たちが強制入学させられることとなった。

文字通り民族浄化作戦の実施でした。
この結果母親から切り離されて白人家庭に乳幼児期から引き取られ育てられたインデイアンの子供世代は、民族のアイデンテイテイ〜を完全に奪われ廃人化していくおそるべき民族浄化政策で、このような人の道を踏み外したことしている国が世界に向かって道義を説く資格があるのでしょうか?
対日焦土作戦や原爆投下の残虐さもこの文脈で見るべきでしょう。

USA=領土拡張の歴史4(先住民ジェノサイド1)

わたしの個人的歴史観の裏付けのために以下、独立戦争の契機について以下の記事を紹介します。
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3474/

米国歴史の概要
カナダとオハイオバレーを機構としてまとめあげるには、フランス人とインディアンの住民を疎外しないような政策が必要だった。この点で、英国政府と植民地の利害は根本的に対立した。
人口が急増し、定住するための新たな土地を必要としていた植民地側は、西のミシシッピ川まで境界線を拡大する権利を主張した。
一方、インディアンとの一連の戦争を恐れた英国政府は、もっと漸進的に土地を開拓するべきだと考えた。また、入植者の移動を制限することは、新しい植民地が形成される前に、既存の植民地に対する英国王の支配を確保する1つの手段でもあった。1763年の「国王布告」により、アレゲーニー山脈からフロリダ、ミシシッピ川、ケベックの間にまたがる西部のすべての領土が、アメリカ先住民のために確保された。これによって英国政府は、13の植民地による西部領土の所有請求を無効とし、西方への拡張を阻止しようとしたのである。この措置が、効果的に執行されることは一度もなかったが、入植者にとっては、西部の土地を占有し定住する基本的権利を無視した、高圧的な対応にほかならなかった。

独立戦争の本音自体が植民地拡大要求に始まるものであった性質上、米国は独立以来連合政府の生い立ちの通り絶え間ない戦争・戦後は情報操作・武力介入等による間接支配拡張の連続でした。
アメリカ合衆国領土の変遷に関するウイキペデイアです。

1783年のパリ条約で独立を達成した後のアメリカ合衆国は西方に拡張し、その境界を7度広げたが、イギリスとスペインの植民地との間にそれぞれ1回の大きな国境調整があり、また数度の小さな論争があった。
最初の13州が50州にまで成長し、その大半は準州として始まって州に昇格した。この成長の一般的なやり方は、領土の拡大、新規獲得領地から準州の成立、これら準州の境界修正、そして最後の州昇格という過程を通った。ネバダ州とミズーリ州の2州は州になってから大きくなり、ジョージア州、マサチューセッツ州、ノースカロライナ州、テキサス州およびバージニア州の5州は新しい州を創設するために小さくなった。

東部13州から現在のアメリカ50州の規模になるまでのインディアン全滅作戦過程は上記に詳しいので関心のある方はご自分で参照してください。
アメリカが現在の本土領域内で先住民(インデイアン)掃討作戦・・ほぼ先住民族絶滅作戦に成功すると今度は北米大陸外部への進出に目を向けるようになります。
先住民インデアンに対する壮絶な民族殲滅・ジェノサイドの歴史を見ると、ナチスのユダヤに対する迫害や現在中国のウイグル族に対する迫害など比較にならないほどの残酷さです。
自宅にある日本人著になる米国の先住民インデイアン対する酷い仕打ちを読むと、あまりにも酷い米国人の所業に慄然とするばかりでした。
インデアンの誇りを踏みにじる圧迫を繰り替えして誇り高きインデアンが已むにやまれず決起すると待ってましたとばかりに皆殺し戦を敢行し、最後に降伏すると武装解除をいいことにして降伏条件無視の卑劣な屈辱を強いることの繰り替えしにより最後は種族自体の存在を消滅させてしまう流れを見ると、r日本が決起せざるを得ないように仕向けられたハルノートを想起せざるを得ません。
日本も降伏に際しポツダム宣言を受諾したに過ぎないのに、ポツダム宣言の条件を占領後反故にされた歴史を以前紹介しましたが、アメリカは条約を結んで降伏させると武装解除後にこのように約束を破る国です。
このような米国のジェノサイドのひどい歴史を前提にするとき、敗戦の詔勅に「耐え難きを耐え忍び難きを忍び・・・最後に「爾(なんじ)臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ」!と言う詔勅は、どんなにひどい約束違反・悔しいことがあってもじっと時を待て!何があっても跳ね上がりのテロ行為は一見勇敢に見えるものの、実は米国の狙う日本民族絶滅の言いがかりになる危機が待っていることを前提にしていたものでした。
敗戦の詔勅一部抜粋です。
・・敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ(ぶ)所(ところ) 真(しん)ニ測ルヘカラサ(ざ)ルニ至ル 而(しかも)モ尚(なお)交戦ヲ継続セムカ 終(つい)ニ我カ(が)民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス(ず) 延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却(はきやく)スヘ(べ)シ 斯クノ如クムハ(ごとくんば)朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保(ほ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ
・・・惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固(もと)ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情(ちゆうじよう)モ朕善ク之ヲ知ル 然レト(ど)モ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び) 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
・・・・ 若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱(みだ)リ 為ニ大道(だいどう)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ(が)如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜(よろ)シク挙国一家子孫相伝へ 確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ) 任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ

日本首脳層は米国は占領後(武装解除させたことを良いことに)降伏条件を守らない国であることを知っていたので日本人の勇敢な精神の骨抜きにくると覚悟していたからこそ、その対処方法を予め国民に説諭出来た最後のタイミングでした。
鄧小平のように韜光養晦戦術などと指導者が明言するような底の浅い説諭の必要な民度ではありません。
その意とするところを日本国民は一人残らず言外に体得し、生産設備一式の国外搬出が始まっても「降伏条件違反だ」と一人もテロ活動するなど抵抗しないで耐え忍び、朝鮮人を使った挑発にも暴発せずに済ませました。
占領軍が上陸しても何の騒動もなくうけいれる(あれだけの激戦を戦ってきたのでマッカーサーは拍子抜けだった)一方で国体護持を叫ばずに、唯々諾々と米国の言うとおり米国賛美の教育にガラリと変えました。

USA=領土拡張の歴史3(独立戦争の本音)

州兵だけ残してもルールオブローの思想のもと、司法権の優越の結果?連邦最高裁の判断が州の決定も覆せるので、徐々に中央政府の権限が強くなり、今や統一国家の体裁を取っていますが、中央政府の基礎たるべき州内の住民同士の一体感すらないので、州連合の一体感はなおさら希薄です。
これまで見てきたように一体感の希薄な国民で成り立っているにもかかわらず、これが分裂せずになんとかなってきたのは、独立戦争自体が領土拡張エネルギーの一環であり、その後絶え間ない領土・支配地拡張が続いていたことによります。
独立戦争というと抑圧からの独立のように見えますが、アジア・アフリカのように異民族が西洋人に支配され搾取され家畜扱いされていたのとは本質が違います。
日本で言えば幕末北辺を守るために北海道に植民して資本をつぎ込んできましたが、北海道の強化のためにどんどん資本をつぎ込んでいるうちに北海道が自立できるようになると今度は本国の干渉・・国際戦略の都合でここは我慢してくれと言われるのが邪魔になってきた・北海道や沖縄が本国から独立して自分たちで自由にやっていこうや!となったようなものでした。
(現在も北海道は本土からの公共事業投資中心でなりたっていてこれといった自立木産業が育っていませんし、仮に産業が育っても北海道民はそういうことを言わないでしょうが・・)
開墾の場合、すぐに食糧生産ができないので自分らが自活できるまでは本国政府や出身地の親族の経済援助が必要ですし、耕作地や生存を守ってもらうために本国の軍事援助・当初は現地人との戦いその後は西欧人同士の戦いに用心棒が必要でしたが、フランスやオランダとのせり合いで英国が完全勝利をおさめると本国に守ってもらう必要がなくなったのが第一の要因です。
その結果昨日まで英本国軍にフランス系移民とのテリトリー争いから守ってもらっていた植民地の人たちが、正面の競争相手がいなくなり、一方で自立できるようにな経済力がつくと本国の干渉が邪魔になって今までの敵だったフランスの応援で独立戦争はじめたことになります。
子供が成長すると親の干渉がうるさく感じるようになる身勝手さですし、英仏7年戦争で完敗したフランスにとってはこれに干渉するることは雪辱・影響力回復のチャンスでした。
米国独立戦争は、沖縄が日本から援助で自立できるようになった場合、中国の対日攻撃の最前線陣地に寝返ったようなものです。
この寝返りの直接の端緒は移民同士のテリトリー拡張争いでフランス系移民との競争に勝ち、邪魔がなくなったイギリス系移民がこの勢いでさらなる生活圏膨張を求めてインデアン領域にまで進出しようとしたところ、英本国が道義上?先住民配慮からOKしないことに不満を持った現地人集団がこれまで敵であったフランス応援で独立運動に進んだものでした。
フランスの応援で本国に対する独立戦を勝ち抜き、いわば自分らの生活領域をイギリス本国支配から奪取したこと自体が一種の主権簒奪行為ですし、海外子会社の社員が根こそぎ本国本社に背き海外子会社を乗っ取ったようなものでしょうか?
どこで読んだか記憶ありませんが、イギリス本国では異民族植民地支配の在り方に関する人道的立場による批判意見が国内で発達していて、異民族に対する過酷支配が正当化され難くなっていたようです。
同族または対等な西欧諸国民中心の北米大陸の植民地においてはアジア〜アフリカ等での植民地支配のような人種差別意識を基礎とする隷属はなかったとしても、内地と外地の経済格差や政治格差に不満があった人たちにとっては、有力なよりどころでもあったでしょう。
アメリカ植民地内の独立意見は本国内の良識は意見に触発されていた面もあったでしょう。
ただ、不平分子が反抗道具に使った場合、自分の人権意識が高いわけではありません。
人権人権と主張する日本の革新系知識人が、日常的行動様式では驚くほど女性軽視なのに驚くことが多いとだいぶ前に書いたことがありますし・・社内不平分子が課長部長の職に就けば、もっと能力がない・気配りに欠けるのが一般的なのと同じです。
北米大陸乗り植民地は、英本国の犯罪者等の流刑地でもあったことから、ならず者の天国でした。
(この点は後に大陸横断鉄道敷設工事や西部開拓時の事例紹介します)
米国独立後この流刑地がオーストラリアに変更されているので、一般的には、米国の都合で隠蔽されオーストラリアが流刑地であったことが知られているだけですが、本当はそういう成り立ちで、これを美化するためにメイフラワー号伝説・一種の建国神話が語り継がれるのではないでしょうか。
当時もその後も世界無比の過酷な黒人奴隷制度を内包していたし、その後先住民インデイアンに対する過酷なジェノサイド行為や黒人奴隷に対する仕打ちなどは周知のとおりであって、ならず者中心の移民らが、本国の人権思想家の意見を本国反抗道具に使ったと見るべきです。
この後に合衆国の歴史で引用する予定ですが、米国人はメデイアを通じて正義のイメージを巧妙に宣伝して国民を戦争に煽り立てることが常套手段になっていきますが、この第一歩・・独立戦争の「代表なくして課税なし」のスローガンが見事に成功して(インでデイアンを殲滅したい国民の)本音を隠すのに成功してきました。
南北戦争でのリンカーンのゲテイスバーグ演説、米西戦争〜真珠湾攻撃〜大量破壊兵器言いがかりでのイラク侵攻・・皆そうです。
後世歴史の真実が暴かれる時が来るのを見越して、批判されれば「国民は当時の指導者の巧妙な宣伝工作に騙された」という逃げ道を作ってきたように見えます。
独立戦争の契機になったのは、植民地側のインデアン居留地への植民拡大に英本国が応じなかったこと・先住民を追い出す支配拡張行動を遠慮なくやりたい衝動が紛争の端緒でしたのでその後の先住民・インデアンに対する侵略→ジェノサイド傾向が露骨になっていきました。
戦後日本学校教育では、米国は理想の国として教育されるので増税反対が独立運動の始まりのように習いますが、それは教育宣伝がそうなっていただけ?・日米開戦は真珠湾奇襲攻撃を受けたから日本が悪いと米国に都合よく説明されているのと同じようです。
親が暴走族で暴れまわっている息子を世間体を気にして説教したら、家を飛び出してヤクザの応援でやりたい放題を始めたのを親の抑圧から独立したと説明しているようなものです。

USA=領土拡張の歴史2

米国の州には自治権があり軍隊まで持っていると聞くとすごい様に思いますが、日本だって各大名家・藩が軍隊を擁していたのですが、明治維新後無駄だからヤメたのに対して米国の場合は、独立後連合政府ができた以上は、無駄なのにまだ持っているのは民族統一政府ではなく軍事同盟関係の本質を脱却できないからでしょう。
トランプ政権が同盟国に対等な負担を求めて来るようになりましたが、United States=軍事同盟である以上は、軍事協力義務が必須という理屈によるものです・・だから今だに州兵を廃止できないのではないでしょうか?
米国政府首脳、大統領や議会を州の代表でなく直接選挙で選出するようになっているので、連合政府ではなく連邦政府(the Federal Government (of the U.S.)と翻訳しますが、似たような制度設計したEUとの違いは地域的な帰属意識の違いです。
だからEU(European Union)欧州連合と言い連邦とは言わないのでしょう。
しかし国家権力構造だけ地域を飛び越して一体化しても、地域ごとの帰属意識を飛び越した一体化は、危ういのでいつも外敵の存在による団結・戦後は領土拡張を卒業した代わりに冷戦構造による対立〜テロ国家撲滅等々〜米中対決など常に標的が必要な社会です。
組織が大きくなると誰もが首脳と直接意思疎通ができなくなる代わりに、各人が小分けしたピラミド型組織に帰属して各部署毎の一体感・歓送迎会・飲み会や運動会などの足元一体感の積み上げで万単位組織一体感が維持できるものです。
政党では派閥やグループ帰属が必須になるように、弁護士会では東京のよう単位会で数千人規模になると早くから派閥が結成され、そこの小グループ味帰属することによる安心感が維持されてきたようです。
千葉県弁護士会等の中規模会では派閥までいかないものの各種委員会活動で日々顔を合わし、切瑳琢磨していく過程で専門的スキルが磨かれるし委員会後の飲み会などで気心のしれた関係が出来上がっていくようです。
そう意味で「あの人は何々系(委員会の名称)」という表現が会員数がほぼ倍増したこの10年ほどで目立つようになりました。
ウエブの発達で中間組織不要と言いますが、個々人が首脳に直接メールできても中間組織がなくなっていくと砂粒のようになった個々人の帰属場所がありません。
戦前の反省?隣組制度は厳しく批判されますが、人は何かのグループに帰属しないと頼りない気持ちがするものです。
砂つぶ化を国家規模で作り出した人工国家が米国でしょう。
これを観察して明治人は、米国の内在的本質を見て合衆国と命名したのは慧眼というべきです。
こういう寄る辺ない組織・社会になると個々の国民大衆は日常生活の現実から遊離した大スターやヒーローを求めるようになり、政治家は地道な政治よりは砂粒の個々人にテレビやネット等で派手に訴えるパフォーマンスが必須になり、国民は扇動に簡単に乗りやすくなります。
ゴーン氏や現トヨタ社長のように露出能力がトップの重要資質になります。
米国は建国以来いつもターゲットの必要な社会になっていたので、世界中に勢威を振るっていたのですが、中国の台頭によってその限界が来たので「世界の警察官ではない」と言い出したのですが、世界のために警察官・正義の押し売りをやっていたのではなく、自国内国民一体感維持の道具としてやっていた以上はその効果が国内に及びます。
外に標的がなくなると砂つぶの統合はどうなるか?United Statesは瓦解するかの関心で書いています。
戦後は、民族独立機運に便乗して領土拡張欲を表に出さず、その代わり英仏等の植民地独立を応援し正義の味方のポーズをとりながら巧みにその見返りに英仏旧植民地の利権を英仏から奪う政策で成功してきました。
いわば北米地域内領土拡張(現在の米本土)が終わると、モンロー主義宣言で中南米を囲い込んで棍棒外交で半植民地化して裏庭とし、これが完成するといちゃもんをつけて米西戦争に引きずり込みフィリッピンを奪い取り、その間日欧に遅れをとった中国参入のために「門戸開放要求」し、先行する日本を攻撃標的にしました。
戦後は、第二次世界大戦を契機に日本が火をつけた植民地支配批判によって、アジアで英仏蘭等の旧植民地独立運動が起きると正義の味方のふりをして応援して、英仏蘭等の旧宗主国退場後の穴埋め浸透する政策で東南アジア、中東等を中南米諸国のように米国市場に取り込んできました。
英仏退場後の空隙補充をソ連も狙ったので例えばナセルのスエズ運河国有化事件では英仏軍進駐に対してソ連が核の脅しを英仏にかけた時に米国が英仏を応援せずエジプトを支持して、ソ連の影響下に入るのを防ぎ逆に米国影響下に編入して現在に至っています。
中東ではアラブ諸国にとって目に入ったゴミのような存在であるイスラエルの存続をめぐり米ソ代理戦争が次々と起きたし、インドは国内安定していたので米ソの介入・内戦にならなかったので中立的立場を維持できました。
米国の戦後国際政治は、ソ連・共産主義浸透を阻止する名目で戦後の独立国への影響力競争にしのぎを削る→経済メリット追求との合体政策=グローバル化推進政策により、目に見えるメリットを掲げて国内人心一体化を煽る政治が必須になっている点は独立以来現在も変わっていません。
・・・例えば中東諸国の英仏植民地の独立を背後で応援して結果的に石油利権をほぼ独占してきた・・中南米諸国支配の構図の中東版でした。
現在中東の混乱が収束しないのは、米国内油田開発(技術革新によりサウジ等の中東系原油産出後、不採算化していた国内油田の採算が取れるようになった)により、中東原油支配の必須性が低下し・・中東の争いに首をつっこむメリットが低下したことによることは明白です。
独立戦争に結集した州の本質と連合体制に戻ります。
これといった帰属意識のない州・・英本国の統治の都合でアフリカ植民地のように地図上に線を引いただけの区域である「州」が対英国独立戦争のために連合を組んだだけのことだったのを独立後も西欧諸国からの干渉を跳ねつけ貿易交渉を有利に進めるために「そのまま連合を続けましょう」となり現在に至っているように理解できます。
明治維新政府軍は薩長土肥の連合軍政府だったのですが、新政府ができて廃藩置県を経て政府軍が編成されると各大名家の軍は解体しましたが、米国の場合南北戦争を経て連邦軍が強化されて州の連合軍ではなくなったにも関わらず、いまだに州兵を維持しているのは、連合国・UNTEDのまま現在に至った・対外軍事同盟(をバックにした経済交渉)維持の利点に重点を置く狙いが濃厚です。
トランプ政権が同盟国に対等な負担を求めて来るようになりましたが、United States=軍事同盟が本質である以上は、軍事協力義務が必須だから今だに州兵を廃止できないのではないでしょうか?
その結果、州兵が形式的に残っていると思われます。

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