中国影響下のWHOと台湾

昨日の日経新聞報道では、米国その他が中国からの中国経由外国人全面入国禁止に対してWHOの宣言は警戒呼びかけで渡航禁止でないのに不当な行為という主張を中国がしていることが出ています。
ここまで来ての警戒呼びかけ程度なら、WHOから世界中が言われなくともすでに実施しているのに、なんの意味があるのでしょうか?
一方でWHO宣言は、世界各国に警戒対象を通知するについて中国の主張を入れて台湾を中国として通知した結果、イタリアやベトナムその他で台湾航空機の離着陸や台湾人出入国禁止騒動に発展しているようです。
中国はこの騒動とWHO宣言を利用してしたたかに、台湾いじめをしているようです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55167370T00C20A2EAF000/

台湾、伊航空便停止を批判 「WHOが誤った情報」
中国・台湾
2020/2/3 11:31
台湾の呉●(かねへんにりっとう)燮外交部長(外相)は2日、緊急記者会見を開き、世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルスによる肺炎で緊急事態宣言を出したことを受け、イタリア政府が台湾と結ぶ航空便の停止を決めたとして「WHOが発する誤った情報に基づく誤った決定だ」と批判、「遺憾の意」を表明した。
呉氏は、WHOは新型肺炎に関する報告で「台湾を中国の一部としている」と指摘し「WHOは、台湾が中国の管轄下にないことを認めなければならない」と強調した。イタリアに対しては「誤りを改めるよう希望する」と述べた。

https://www.sankei.com/smp/life/news/200125/lif2001250004-s1.html

【主張】WHOと台湾 排除続ける場合ではない
2020.1.25 05:00
中国外務省の報道官は、台湾の参加は「『一つの中国』原則下で行われなければならない」と述べた。参加したいなら同原則を認めよ、という露骨な態度である。
だが、WHO憲章は人種、宗教、政治信条などの差別なしに「すべての人々が最高水準の健康に恵まれる」権利を定める。テドロス事務局長は中国から巨額投資を受けるエチオピアの元保健相だが、政治的理由での台湾排除はこの権利にも反しよう。
台湾での感染を受け米国務省高官は「台湾を排除するのではなく一段と関与させるよう働きかけたい」と述べた。台湾のWHO参加は日本の公衆衛生にも不可欠である。米国とともに強く働きかけるよう安倍晋三政権に求めたい。

https://www.msn.com/ja-jp/news/world

新型肺炎で台湾がWHOから排除され続ける理由
安倍晋三首相も「台湾排除」に反対を表明
劉 彦甫 2020/02/02 07:30

航空機関連でも以下の通りアメリカから公式苦情が出ているようです。
上記引用続きです。

・・・1月25日にはアメリカのシンクタンク研究員がICAOに台湾への情報提供を求めるツイートを行い、それを受けてICAOにアカウントをブロックされたと主張。ICAOはツイッター上でわざわざ反論するなど、台湾についてインターネット上で過剰に反応した。ICAOの事務局長は2015年8月から中国人が務めている。

https://www.afpbb.com/articles/-/3266386

米、ICAOを「国連機関としてふさわしくない」と非難 台湾排除で

2020年2月3日 11:50 発信地:ワシントンD.C./米国
【2月3日 AFP】国連(UN)の国際民間航空機関(ICAO)がツイッター(Twitter)で台湾との協力を拒む理由について質問したフォロワーをブロックしたことを受けて、米国務省は1日、ICAOの対応を「言語道断」と非難した。

中国の国連機関私物化の成功・うまく立ち回りすぎて、今回の新型肺炎蔓延に対する世界の同情を呼ぶどころか不快感を呼び起こしているようです。

武漢発新型コロナ騒動とWHOの役割

1月24日頃に1100万人口を擁し、中国産業活動の要衝である武漢市の地下鉄やバス等の公共輸送移動停止、空港や高速道路等市内外の交通遮断が実力(軍が立ち並び、)で行われ、翌日には周辺地域人口、(東京で言えば首都圏全域)約4000万人あまりの地域に広げ、その直後には湖北省全域約6000万人(日本国土の約半分という報道が出ていました)規制が広がり、並行して北京や上海も公共輸送機関の全面停止等が始まり、日米韓等の自国民国外脱出用専用機が飛ぶ事態になりました。
こういう事態でもWHOは、まだ出入国を規制する?緊急事態宣言不要という態度をとっていましたが、ついに日本時間1月31日未明にやむなく?緊急事態宣言(規制を含むか私には内容不明)を出したようです。
日々ニュースを見ていても忘れますので、上記記載はうろ覚えの数字や発生月日が不正確ですので正確には、下記に時系列紹介が出ていますの御利用ください。https://honichi.com/news/2020/01/31/coronavirustimeseries/
新型コロナウイルスに関する情報を時系列でご紹介します。
日本から順次救援機が飛んでいますが、第3便帰国者の新型ウイルス感染者数は以下の通りです。
数日前から帰国時無症状者からコロナ菌検出されるようになっているので、実際の感染者数はこの後どんどん増える可能性はありそうです。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200131/k10012266861000.html

チャーター機第3便 日本人149人到着 25人入院
2020年1月31日 22時26分
日本の場合第三便149人帰国で25人入院ですので、この比率を武漢周辺人口にかければ5〜600万以上の患者が発生していてもおかしくないのに公式発表は、上記まとめによれば
1月30日 中国:感染者7,711名、死亡者170名。

にすぎません。
ちなみに底辺層ほど衛生環境が悪いので感染率が高いというのが定説のようですし、合弁企業幹部として出張者中心の日本人比率が現地人より少ないことがあっても多いとは常識的に考えられないところです。
ネット上では診察を求めて病院で列をなして(9時間待ちとか?)並んでいる途中でばったりと倒れても(病院なのに)1人2人運んでもその後救護がないまま放置されている地獄図動画が1週間ほど前から拡散されていましたが、これが実態ではないでしょうか?
こういう危急状態なのにWHOはまだ、渡航禁止するほどではないとして緊急事態宣言の必要を認めていませんでしたが、ついに日本時間1月31日に宣言を「出さざるを得なかった」ようです。
ただし注意警報であり渡航禁止ではないようです。
2月1日のネット報道では中国の村が自衛のために村の入口を封鎖して村民がよそ者が入らないように検問していると動画ニュースが出ている状態ですが、各国や中国国民自身の自衛対応が先行してからのWHO危険宣言では素人目にも異常です。
一般人が危機感を持っていないときにあらかじめ注意喚起したり警告するのがWHOの役目ではないのでしょうか?
逆にWHOが大丈夫とアナウンスし続けたのは、「大丈夫/カラ騒ぎに過ぎない」というお墨付き機能を果たしてしまった不思議さです。
中国で医師が大変なことになっているとグループチャットで議論していたことで拘束されたという報道がありましたが、政府対応が正しいという国際機関のお墨付きが必要だったのでしょうか?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200130-00000085-mai-cn

中国当局、新型肺炎に警鐘鳴らした医師を「デマ」と摘発 国内から非難の声
1/30(木) 20:12配信
新型コロナウイルスによる肺炎への中国当局の対応が国内で再び激しい非難にさらされている。2019年末に湖北省武漢市で集団感染が発覚した直後、公安当局が「デマを流した」として市民8人を摘発したが、その後の報道などで全員が現地の医師だったことが判明。「デマ」とされた内容も医師同士がグループチャットで事態の深刻さに警鐘を鳴らすものだっただけに「感染拡大は人災」「政府は謝罪せよ」などの声が噴出している。

個人ネット拡散でなく毎日新聞でさえ?上記を報道するようになりました。
以上によると、漫画的ですが、専門家の意見なのにあたかも素人が風評被害を煽っているかのように「市民」を摘発とデマを流したのは拘束した中国当局の方らしいです。
中国当局の言論規制を見ると、WHOの遅すぎると思われる対応は、必死に深刻な事態を隠そうとしている中国による陰陽の圧力があっただろうと推測する人が増えているので、大手日経新聞でさえ2月1日社説で批判する事態になってきました。
WHOには圧力をかけながら中国自身が自国民の交通遮断をせざるを得なくなってる・・・その前から大変な事態になっているから田舎の村まで自衛のためによそ者が村に入るのを阻止する事態になっているのでしょう。
各国が自国飛行機を飛ばして自国民救出に動いたのちに、ようやく日本時間1月31日未明に緊急事態宣言を出しましたが、これはWHO出資比率が米国に次いで2位の中国への遠慮でないか?
WHO事務局長の出身国エチオピアに対する中国の経済援助が巨額になっている圧力によるのではないかの憶測?が広がっています。
2月1日の日経新聞朝刊3ページ・「後手に回った宣言」大見出しには「中国、人・資金で影響力」と出ています・・私は15年ほど前のSARSの時にも中国人事務局長の対応がおかしいなと思っていたのですが、今回は中国人でないのにおかしいなと思っていたら、この記事を読むと金を出すだけでなく、その後も事務局等への中国人材送り込みの影響が大きく事実上事務局支配になっている様子です。)
いざという時のために中国が金を出している以上は、当然の見返りを求めているという図式イメージです。

是枝監督の政府祝意辞退と公権力1

補助金をもらわない人でも、各分野で活躍している多くの人々、スケートの浅田真央さんや羽生結弦、テニスの大坂なおみや野球のイチローなどが、国民の祝福を受けたくないのでしょうか?
国民代表である政府大臣の祝意表明行為をあえて「公権力と距離を保つ」と政府機能の一分野だけを抽出表現して拒否するレトリック自体に疑問があります。
政府の祝意表明は公権力行使である→距離をおくと言う図式のようですが、政府の行動のうち公権力行使に当たる分野は何かとあまり考えたことはなかったですが、なんとなく違和感を抱く人が多いでしょう。
菅直人氏が、総理現職中に警察等は物理的強制装置・・いかにも害悪の根源のような発言をして物議を醸しましたが、このような一方的な定義づけは、私が司法試験受験当時の基本書であった政治学原論だったか?に書いていたのを思い出したものです。
脳の柔らかい若者の多くがこういう洗脳に染まったまま成人し総理になっているのか?と郷愁を覚えたものです。
教育機関ではまだこのような思想を教えしている教授が牛耳っているのでしょうか?
韓国文在寅大統領はいわゆる86世代と言って学生運動家上がりで、その刷り込みで現実無視の政治をしているから韓国政治が無茶苦茶になっているという評価が出ています。(どの評価が正しいかは歴史評価を待つしかないですが・・)
文大統領は何となく菅政権の後をなぞっている印象ですが、日本のように政権が民意に敏感でないというか、制度上任期が5年間と固定されている関係で国民が困ろうと観念論を推し進める気配で、抵抗する官僚を抑えるために?
まず検察官の総配置変えの断行を始めたようです。
これが終われば、左翼系政権得意の粛清政治を思い通りに行える予定でしょうか?
左翼政治家の信奉する旧ソ連や中国の粛清弾圧体質を理想社会と仮定すれば、菅元総理のいうとおり「警察組織は政府の物理的強制装置」・・悪しきものの代表でしょうが、
日本の場合、武士の発祥に知られるように自警団・明治以降は身近な駐在さん→今は交番・・道案内や、動物が逃げたとか野生の猿が出たと言っては駆り出される・日頃困ったことがあれば相談に行く重要な存在ですので、社会のなりたち・意味が違います。
「交番のおまわりさん」というだけで嫌悪感を感じる国民が何%いるかの調査などないのでしょうが、神の声・国民総意を直感的に感得すれば、大多数の国民が、地元で揉め事などで暴力に発展しそうなリスクが生じた時に弱い方が真っ先に、いざとなった時のために交番にあらかじめ相談をしておこうとなる人が大半ではないでしょうか?
ヤクザに脅されそうになったりしたら弁護士相談と並行して警察相談するのが普通です。
国民の多くは警察を頼りにすることがあっても、見ただけで嫌悪感が走るような人はヤクザ等特殊な人以外に滅多にいないでしょう。(これは直感で書いています。)
パトカー通報後いかに早く来てくれるか、早い方がいい人と遅い方がいい人とどちらが多いか?
是枝監督は、日本ではもはや化石化しつるある左翼ガリガリ運動家の吹き込み・・警察=暴力装置論による知識を前提に格好良く発言したつもりなのでしょうか?
こういう程度の社会理解を前提に社会派?映画を作って動向のグループで賞賛しあっているのでしょうか?
話題を公権力に戻します。
公権力に関する一般的な理解では強制力を伴う行為・刑事処分に限らず各種行政処分・・許認可処分・・今回のコロナウイルス騒動での強制隔離処分等がありますが、学校教育も保健衛生分野も一種の公権力の外延でしょうが、国民国際的な快挙に対する大臣祝意表明になると駅前広場や公園整備等より権力性が弱いように思われます。
ウイキペデイアで公権力を見ると以下の通りです。

公権力(こうけんりょく)とは、政府の統治行為のうち、物理的な力により執行されるもの、あるいは服従しなければ刑罰を科せられるものを指す。また、公権力を執行する機関である警察・検察・裁判所・税務署・軍隊も指す。
公権力は様々な行為によって行使されるが、代表的な例は逮捕・収監・召喚のほか、行政処分(強制収用・徴税・かつての徴兵)などがこれに当たる。

私が考えているよりもずっと狭い・いわば物理力行使=中核的行為のみに限定するようです。
こう言う狭い定義が一般的理解とすれば、是枝監督の「公権力と距離を保つ」という声明?は、何を言いたいことになるのでしょうか?
警察権力等と距離を保つとの主張と理解した場合でも文部大臣の祝意を拒否するのとどういう関係があるのか分かる人は滅多にいないでしょう。
文部大臣が上記権力定義とどう言う関係があると言う主張か不明であるばかりか、祝意拒否がなぜ上記権力活動と距離を保つことになるのかも飛躍がありすぎで不明です。
警察権力との距離と限定しても、彼は強盗や泥棒被害にあっても自分の子供が誘拐されても警察に何も求めないし、交通事故や契約違反等の損害を受けても裁判所を利用しないのでしょうか?
文部大臣の祝意拒否が「公権力と距離を保つ」ことになるとすれば、上記ウイキペデイアの定義より広いイメージ・・私のいう程度の定義よりももっと広い・・なんとなく政府行為には全て距離を保ちたいというかのようなイメージが伝わります。
しかし、この世の中で水滸伝で有名な梁山泊みたいに政府と距離を置ける場所はない・・竹林七賢は世俗を離れて生活できていたか?というと、彼らは名門貴族の子弟で、権力闘争から離れただけで実家からの仕送り(今で言えば軽井沢の別荘)で優雅に暮らしていられたのは、権力による庇護(治安維持)があったからです。
日本の権力者子弟・皇族や将軍家子弟が出家して叡山等に入っても・相応の仕送りをしているから成り立つし、修行らしい修行もしていないのに天台座主などになれるのです。
今回中国のコロナウイルス蔓延に対してWHOの対応の遅さに対する批判的社説が日経新聞2月1日朝刊にでました。
同紙3ページは、中国の資金とWHOへの人材送り込み・・中国の巨額援助国エチオピアを事務局長として推して当選させたことなどの掘り下げた記事が出ています。
個々人宛の賄賂の有無は不明ですが、WHOやエチオピアへの大規模資金注入があるような解説記事です。
映画に限らず各種文化活動はこれを受容し育成すべき社会の経済力あってのことです。
自分の社会に敵意?距離を置いて文化が育つのでしょうか?

任命5と市場競争(是枝監督の政府祝意辞退1)

1月21日「任命の効力4→選択権1」の続きです。
競合権力多数並立の場合、武将や武士、足軽等階層にかかわらずどの豪族〜戦国大名に従うかの選択肢があり、日本の戦国時代の英雄豪傑で言えば島左近や後藤又兵衛や藤堂高虎のように戦国大名を自ら袖にして有力大名家を渡り歩く例が多く見られました。
豊臣秀吉だって、小者の頃には渡り歩いて(今川家の陪臣松下加兵衛に仕えたことが知られています)最後に信長の小者になって落ち着いた遍歴です。
高名な英雄豪傑に見限られた大名は面白くないので、戦国末期で大名間交際が安定してくると黒田家?のように「奉公構」という回状を回して後藤又兵衛の再就職を妨害する例も出てきます。
企業で言えば、楯突いてやめた社員の再就職妨害行動をするようなものです。
のちに黒田家から後藤又兵衛との関係修復を目指して幕府に斡旋依頼したようですが、うまく行かない内に大阪の陣に突入して行くようです。
群雄割拠・並列競合状態が終わって最高権力・国家権力が確立すると、最高権力者=国家からのお召があると、これに応じないのは謀反の疑いがかかるので、契約以前に喜んで参上するようになっていたから契約概念が育たなかったのでしょう。
ところが経済水準が上がり、主食以外の嗜好品や寒さを防ぐだけでなく、おしゃれを楽しむ衣料品、その他文化芸術や娯楽性サービスが発達し、勤め先となる民間企業が発達してくると、国家権力に連なる分野以外の働き先が増えてきます。
今でも景気が良くなると、公務員応募が減るなど民間雇用状況次第の傾向が強まっています。アベノミクスの成果で民間は働き手不足で困っている→公務員に任命してやるありがたいだろう!という優越的関係が薄れてきました。
形式上一方的任命精神同様に叙勲や祝意は、一方的に授けるものでした。
最近国家の叙勲や祝意を辞退する(是枝監督のような)人が出ますが、これの盲点を突くと同時に国家権力の相対性をアピールしたい人がやるものでしょうか。
「公権力と距離を置く」と言うのが趣旨のようですが・・。
任命のように義務を伴わない一方的叙勲や祝意拒否は国家政府などに褒められたりおめでとうと言われたくない」という・・国家権威無視の態度をはっきりさせたものでしょう。
とはいえ、能力発揮・特に文化発露は個人の遺伝的能力のみによるものではなく、長い歴史・文化蓄積を切り離して考え難いものですから、生まれ育った社会を代表する公的な祝意・民主国家においては政府が国民代表です・・政府からの祝意は、生まれ育った、社会そのものからの祝福です。
これを受けられないと言うのは自分を育んでくれた社会や自然を否定したいという意味でしょうか?
よほど自分生い立ちに不満があるのでしょう?・・育った環境に不満があっても逆教を跳ね飛ばし、名を挙げ功を遂げられた以上は、結局感謝するのが凡人の心情ですが、こういう人が出てくると凡人には違和感を感じる人が多いから反響を読んだのでしょう。
いや、自分を育んでくれた友人先輩、環境に感謝しているが、今の政府におめでとうと言われたくないだけ・と言うのでしょうか?
今回のテーマ・・任命と拒否権の関連に戻り大臣就任要請を断るのは、一定の政策目標実現組織である内閣と意見が違う場合当然の権利ですし、政府の文化政策と意見を異にする場合それに協力しないのは映画人当然の権利ですが、是枝監督が映画製作段階で政府が介入したのをはねつけて映画を完成したなどの特別な遺恨があるのでしょうか?
それならばそれを公表すれば良いことですが、武士の情けで公表していないのでしょうか?
https://www.asahi.com/articles/DA3S13532802.html

是枝監督「公権力とは潔く距離保つ」 カンヌ最高賞、文科相の祝意辞退

https://bunshun.jp/articles/-/7743では「万引き家族』是枝裕和監督の「祝意辞退」と「助成金」の関係で「辞退」に対する擁護論らしく、是枝監督の映画が如何に素晴らしいかを書いていますが、最後に以下の引用があります。

文化庁の「日本映画製作支援事業」の定義を確認してみましょう。
「我が国の映画製作活動を奨励し、その振興を図るため、優れた劇映画、記録映画の製作活動を支援する。新たに、日本映画の魅力や多様性を強化し、その基盤を維持するため、中小を含む制作会社や新進映画作家向けの助成枠を設ける」。
助成金は「優れた劇映画」を作るための支援です。カンヌでパルムドール受賞を果たした『万引き家族』は、まさに正しく助成金の目的が達成された例といえるでしょう。

上記意見は、どちらかといえば政府助成金をもらっていても政府の祝意辞退は問題ないという擁護論のようなトーンですですが、その最後に解説なし引用があるので、擁護論の根拠としての引用かな?と予想されますが、読んでみるとこれが何故祝意辞退擁護根拠になるのか不明です。
上記引用部分によれば一党一派の立場からでなく、国民全体・国税を使った助成を受けたので自民党からの祝意を受けなくとも矛盾しないと言外に言いたいのでしょうか?
しかし、文科大臣の資格において祝意を示すのは出身母体はどの党であろうとも国民代表としての祝意です。
政府所管大臣/長官が補助金を出し、その時は自民党大臣だから受け取らないと拒否したなら一貫しますが、自民党政権の大臣あるいは長官から補助金を受けておきながら、祝意辞退の時だけ自民党政権の大臣から受けられない・嫌だというのは矛盾がないのでしょうか?
私の基本的立場は、補助金以前に同じ日本人としての快挙に素直に喝采したい人が多いのではないか・・政府は国民代表として祝意を表したいということではないでしょうか。
大臣個人は主観的にその映画を良いと思ったかどうかは別として、公人としての職務行為をしている以上、大臣の好みを持ち込むこと自体が許されないはずです。
国民の大方の気持ち・・総意を汲み取って国民代表として政府が祝福するのを自民党政権だから嫌だというのであれば自分の方から政治的立場の違いを芸術活動に持ち込み政治化するための発言でしょうか?

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