「こおり」(評→郡)1

日本古来の「評(こおり」がいつから郡の文字に変わったかの新井白石らの論争は出土木簡によって勝負ついたようですが、これによれば律令制定後一斉に「評」(こおり)がなくなり「郡」(これも和音では「こおり」)表記しか無くなっていることが分かっているようですから、律令制徹底のために郡に限らず里(さと)など土着用語が全て中国伝来制度表記圧力が働いた様子がうかがわれます。
と言うより廃藩置県を起点に日本の地方制度が抜本的に変わり今の都道府県制度ができたのと同様の地方制度・統治形態の大規模変化があって、廃藩置県で小さな国が(伊豆、駿河、三河の国が静岡県に)一つの県になり、小さな集落がいくつかよって小字(アザ)になり、さらに大字(あざ)の集まりが村になり、村が成長して町になり市が生まれ、市が大きくなってその中に中央区江東区のような区制ができたように、後漢書に言う百余国が大宝律令制定で六十余国に統合されて地方単位が大きくなった時代でした。
それまでの豪族の支配地・・後漢書に言う百余国・・私のイメージでは、現在の郡の地域がいくつか集まって国に昇格したので、元の地元豪族支配地が郡になったということでしょう。
大宝律令で郡になる前には「評」(こおり)が使われていたとしても和語としてはいずれも「こおり」であったことは明らかですから、「こおり」とは何かこそ重要でしょう。
「こおり」とは、水がに凝る(ニコゴル)状態・・固まった状態を表す和語らしいですが、(私の思いつきですが、物事が滞ると言う時の「とどこおる」も同じ用例でしょうか?)物が塊になっている状態を和語で「ひ」とも言いますので、固まった状態の「こおり」を「ヒ」とも言い表していた時代があり・今でも氷川(ひかわ)とか表現することが多いのは周知の通りです。
律令制前に入っていた漢字の用法として?こおり・「ひ」に該当する万葉仮名として「評」をヒ・万葉カナ分類で言えば、略音仮名様式での利用だったのではないか?
当時の漢字利用は音を利用しただけで、漢字の意味と関係はなかったという想像です。
https://japanknowledge.com/image/intro/dic/manyougana2.jpg
には万葉カナの詳しい説明がありますが、
その中の

略音仮名(有韻尾字,韻尾を捨てる)
安(あ),散(さ),芳(は),欲(よ),吉(き),万(ま),八(は)

の一種でないかな?と素人的想像するものの、上記に掲載されている表にも「評」は出てこないし、万葉仮名と言っても漢字はある日一斉に大量輸入されたのでなく、人の交流等を通じて大陸から4〜5百年以上かけて順次に伝わった歴史があるでしょう。
紀元前の前漢時代のことを書いている後漢書に倭の百余国の記載があることからして、当時から人の往来があったことが確かですし、紀元後701年の大宝律令制定前の700年間の交流によって、じわじわと漢字が流入していたことが明らかです。
表音と言っても古くは南方系の呉音が入り、その後漢音が主流になって行ったようですから漢字に接する時代によって発音自体が違う上に「評」はもともと朝鮮半島由来とどこかで読んだ記憶です。
万葉仮名といえば日本独特の工夫かというとそうではなく、これをひらがなやカタカナにまで仕上げたのがすごいのであって音を当てるだけならばどこでもやっていることでしょう。
漢字のご本家中国自体が仏教伝来に当たって、サンスクリットの音をそのまま漢字の表音に当てはめた漢字の仏教典を作っていることから見ても、(お経の中にはいろんな梵語を漢字の音で書いた音写がいっぱいありますが、例えば仏教と言っているブッダという漢字自体、サンスクリット語の音に似た発音の漢字を当てたものです。
ブッダに関するウイキペデイアの記事です。

仏陀とは、サンスクリット語の「buddha」の音写語である。この「buddha」は「知れる人」という意味であり、古代インドから「経験的に知る」ことをさす√budhという語根の動詞で示される。
また、「目覚めた人」という意味もあり、このように考えるときには、√budhを「眠りから目覚める」という意味でとる。この意味では、ジャイナ教でも仏陀という言葉を使っている。さらに発展させて「覚った人」というように理解され、「the enlightened one」と英訳され、漢訳でもしばしば「覚者」と訳されている。

現在フランスを仏蘭西→仏というのと同じで、本来ほとけ様の意味がありません。
日本で盧舎那「仏」とか「〇〇仏」」というのは単なる音訳であり、和語の「ほとけ」という意味は日本人がつけた意味です。
和語でいう「ほとけ」様とはどういう意味でしょうか?
仏教思想が入った頃には当然同じ思想が日本列島になかったので、覚者を意味する語彙自体がなかったでしょう。
どのようにして仏を「ほとけ」と訓で読むようになったのか今の私にはわかりません。
すぐに思いつくのは古事記の「ほと」の記述ですが、そこからなぜ覚者の意味が出てくるか不明ですので、「ほとけ」自体も漢字の音から出た可能性がありそうです。
http://www.daianzi.com/howa/datadata/howa0133.htm
によれば「ほとけ」というようになった語源をいくつか紹介されていますが、以下が私にはしっくりきます。

第三に、中国では古い時代、「ブッダ」のことを、「浮屠」「浮図」(ふと)と音写することがありました。
なにか陰惨な感じのする文字ですが、これは中華意識のなせるワザのようです。
そこで、仏教徒のことも、それに応じて、「浮屠家」(ふとけ)、やがて、ブッダその人も「浮屠家」と呼ぶようになりました。
これが我が国でなまって「ほとけ」となった説。

当時日本には高度な哲理が未発達で悟るなどの内面をあらわす和語自体なかったので(勝手な想像です)音をそのまま採用したと見るのが落ち着きが良そうです。
現在社会でコロナ型ウイルスやロケット、テレビ、パソコンなど従来の日本語にない単語が入ってくると無理に日本語化せずにその音をそのままカタカナで使うのと同じだったでしょうか?

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC