あいちトリエンナーレ不自由展に関する専門家意見と民意乖離10(行政には、選任した芸術監督の裁量に判断を委ね、多様性を保障することに最大限の配慮をすることが求められるか?)

芸術監督津田大介氏に関するウイキペデイア記載経歴引用続きです。

2010年代
2010年 – 、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)フェロー。
2010年 – 、特定非営利活動法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパンフェロー( – 2013年)。
2010年、上智大学文学部新聞学科非常勤講師。
2010年 – 、スマイキー株式会社(旧ピーエムアール) 顧問。
2011年、武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。
2011年9月、有料メールマガジン『メディアの現場』の配信を開始。以降、毎週水曜日発行。
2012年4月、株式会社ゲンロン取締役( – 2015年3月)、関西大学総合情報学部特任教授(任期:2012年4月 – 2013年3月)に就任。「ネットジャーナリズム論」「ネットジャーナリズム実習」を担当。
以下中略
2015年 – 朝日新聞社論壇委員
2017年 – 早稲田大学文学学術院教授(任期付)[12][13]
2017年8月1日 – あいちトリエンナーレ2019の芸術監督に就任[1

10年代に入るとどういう実績によるのかメデイア関連の仕事が増えて15年に朝日新聞論壇委員になって17年にアイチトリエンナーレ芸術監督就任の経歴です。
以上によると彼が芸術家=創作の専門家ではないばかりか、芸術専門家としての評論活動等の実績もないし、作品展覧会等の主催経歴もなさそうです。
10年台に入って朝日新聞やあちこちの大学で任期付きとはいえ招聘されているのは、彼の情報発信力が評価されたからではないかと推察されますが、それにしても芸術監督になるベき経歴としては異色で、その異色性(政治的発言の方向性も十分に知られていたでしょう)を発揮してもらうはっきりした意図で芸術監督に選任したと想定されます。
津田大介氏をジャーナリストと紹介していますので、彼の基本職業はジャーナリストと理解すべきでしょうが、ジャーナリストが芸術監督になったことになりますが、これまで見た経歴では、芸術系専門を生かしてジャーナリストになったのではなく、メデイア系活躍の経歴しかなさそうです。
こういう人でも芸術監督になってさえいれば、素人は口出しするな!と言えるのでしょうか?
昨日引用した大村知事による委嘱時の記事の再引用です。
どこかの大学の名誉学位を貰った政治家が政治発言して都合が悪くなると、学問の自由を守れ!と政治発言が免責されるかのような主張です。

「実行委員会の大村秀章会長(愛知県知事)は津田に「とんがった芸術祭にしたい」と委嘱状を渡した」

というのですから、彼の政治方向性を知悉した上で「とんがった」企画を期待していたことになります。
「とんがった」企画期待とはジャーナリストとして日頃表現しているとんがった主張を遠慮なく出して下さいという意味ではないでしょうか?
政治色満々の展覧会を(政治任用?)の(芸術家でない)芸術監督がプロ学芸員の提案を作品を次ぐ継と拒否し自己の好みで捨選択し開催しておきながら、いざ政治問題になると芸術展への政治の介入を許さないかのような立場を代表するのはなんとなく(自分自身が芸術家でないのに芸術展示作品取捨選択の監督をしているのとどのように整合するのか)不思議な主張です。
ウイキペデイア記載の津田大介芸術監督の発言と朝日の主張を再引用します。

芸術監督の津田大介は「政治家は、表現の自由に対して権力を行使できる立場であり、もう少し発言は抑制的であるべきだと思います」と批判し[71]、また、津田を論説委員として擁する朝日新聞も「行政には、選任した芸術監督の裁量に判断を委ね、多様性を保障することに最大限の配慮をすることが求められる。」と批判を行った[

芸術監督というといかにも専門家のようですが、津田氏の経歴を見たように、ジャーナリストというだけで何の専門家かも不明で、はっきりしていることは朝日新聞の政治傾向と親和性のあるジャーナリストらしいというだけです。
芸術監督として選べばその人の政治姿勢そのママで良い、外野(行政や世論)は意見を言うべきでないというかのようです。
そこまでいうと芸術監督のレベル保証はどうなっているのかが気になりませんか?
津田氏の経歴によると芸術そのものに関する経歴がなく、芸術を政治利用した発言があるかも知れない程度のイメージしか伝わってきません。
政治組織内部で部下の一人を芸術監督すれば良いのか?
早速津田芸術監督や朝日新聞の主張を逆手に取った施設利用が行われたようです。
トリエンナーレ・不自由展に関するウイキペデイアの記事内にある参考事例に飛んでみると以下の通りです。
「不」自由展に対するアンチテーマとして「自由展」を開催しています。

あいちトリカエナハーレ2019「表現の自由展」
2019年(令和元年)10月27日に愛知県名古屋市の愛知県女性総合センター(ウィルあいち)で開催された芸術祭である。主催は政治団体の日本第一党の愛知県本部。
経緯[編集]
主催側の主張では、「国民からの猛反発を受けて一部が展示中止され、未だに責任の所在や事実の検証、展示再開是非で迷走を続けるあいちトリエンナーレ2019に対抗する日本人のための芸術祭として企画・開催された」[1]芸術祭である。 あいちトリエンナーレが愛知県や名古屋市などからの税金、県や複数企業からの後援を受けたうえで開催されていたのに対し、こちらは全て個人個人からの資金により開催され、県や企業からの後援を一切受けていない。また、一時停止後に再開されたあいちトリエンナーレ2019では撮影などが禁止されていたが、こちらでは参加者の顔を映さない限りは撮影や中継はほぼ可能としていた。
内容[編集]
桜井誠によるライダイハンについての講演と、同氏制作の芸術作品「ベトナムの子供」の展示、「不自由」と大きく書かれたバッグ、ベトナム戦争時の韓国軍兵士の蛮行を表現する紙粘土製「ライダイハン像」[3]、「犯罪はいつも朝鮮人」と書かれたカルタなどが展示された[4]。
芸術監督は長尾旭日本第一党副党首、会場責任者は谷口博史日本第一党愛知県本部長[1]
愛知県の大村知事は、「内容からしてヘイトに当たると言わざるを得ない。(内容を確認した時点で)中止を指示すべきだった」と述べた[5]。主催者側代表の桜井は「私はチマチョゴリを着てライダイハンの説明をしただけで、ヘイトなんて全くやっていない」「かるたは売っている物。それがヘイトというのは検閲じゃないですか」と主張した[9]。

是枝監督の政府祝意辞退と公権力2

脱俗と経済・社会基盤に戻ります。
日本の歴史上有名寺院が、権力者の子弟を受け入れて出身身分に応じてすぐ高位に就任できるには、相応の経済関係があってのことです。
例えば、6代将軍足利義教は急遽還俗したものです。
ウイキペデイアによると以下の通りです。

足利 義教(あしかが よしのり、正字体:義敎)は、室町幕府の第6代将軍(在職:1428年 – 1441年)。第3代将軍・足利義満の子。母は側室の藤原慶子で、第4代将軍・足利義持の同母弟。僧侶時代は義円(ぎえん、正字体:義圓)、還俗直後は義宣(よしのぶ)と名乗った。
・・・・応永26年(1419年)11月に153代天台座主となり、「天台開闢以来の逸材」と呼ばれ将来を嘱望されていた[要出典]。その後一時大僧正も務めた

世俗と縁を切ることができるのは、権力や経済力がバックにあってこそ可能です。
漂泊の詩人として有名な西行法師も世俗バックの仕送り(だけでなく安全保障)があってこそ、世俗との縁を切って諸国行脚できたのです。
是枝監督は公権力と距離を保つというのですが、年金も健康保険も保育園も生活保護も救急車も駅前広場や高速道路も交通整理も、飛行機便の発着が安全に行えるのも何もかも政府が関わっているので、政府の関与することには一切世話にならないというなら主張が一貫しますが・・。
そこまでの覚悟があるならば、ゴーン氏が外国に逃亡したように、活動の場を外国に移してからいうべきではないでしょうか?
このあとで書いていきますが、政府は国民の代表ではありますが、公共の福祉に反する行為(主に犯罪)を取り締まる秩序維持の機能があり、これが公権力を背景にしているのですが、現在では表現の自由の関係で映画内容には公権力介入の余地が皆無と言えるでしょう。
各種助成金審査も権力意思と遠く離れたそれぞれ業界の人材で構成される委員会等で審査されるのが一般的です。
芸術文化系審査はその最たる分野でしょう。
このように公権力介在と縁の遠いはずの分野の人が、なぜ公権力と距離を置くという理由で補助金交付機関の代表らの祝意を跳ねつけたのか?です。
社会全体の基盤の上に成立しているのが文化・スポーツなどですから、特定分野の興隆に直接応援したこともない国民でも、自国出身者のノーベル賞受賞や国際大会での活躍等を誇らしく思うのです。
まして具体的補助金を受けていながら、その補助金交付機関代表者からの祝意に対して「距離を保つ」と称して拒否するのは異常ではないでしょうか?
大相撲で内閣総理大臣杯授与という儀式がありますが、優勝者の決定に権力介入の余地がないし、その他書道会などの各種展示会での大臣賞(地方の菊や盆栽展では県知事賞?)など枚挙にいとまがありません。
こういう場の表彰に「公権力から距離を置く」とあえて禍々しい権力を持ち出して、否定的評価を演出すると格好いいのでしょうか?
格好いいと評価する人と不快感を持つ人がいるからニュース価値があり報道を賑わしているのでしょう。
不快感を持って欲しいと願って発言する人がいないとすれば、彼の関係者にはこういう姿勢を歓迎・評価する傾向の人が多いからでしょうか。
芸術表現が結果的に政治影響力を持つことがあり得るし、それ自体構わないというか当然の効果としても、内面表現をした結果政治的反響を呼ぶ・政治効果を持つ場合と政治主張を通すために表現したのとでは意味が違うように思われます。
政治活動であれば言動に対する政治責任を負うべきですし、芸術でもその表現によって実際に不快に思う人がいれば、不快感レベルに応じた報復を受けることになり結果責任を負うのは同じかもしれません。
政治主張するための芸術表現利用が激しくなれば、対立勢力も対抗上これを行う芸術家と組むようになるでしょうし、芸術業界全体が自ら政治介入を招くようになりますが・・。
ここにきて昨年だったかの愛知ビエンナーレ騒動を想起しました。
芸術活動を標榜すれば、天皇や政敵肖像の大型映像を引き裂いたり、踏みつけたりして騒ぐのも良自由だという主張をするようになれば、かえって芸術活動そのものへ信用を落とし芸術・文化を冒涜し貶めることになるのではないでしょうか?
我が国が誇る和歌・俳句、能や歌舞伎・源氏物語や浮世絵が、政治批判したからレベルアップしたのではありません。
どんな主張するのも言論の自由としても、言論戦は言論の自由市場でやるべきで絵画、彫刻、音楽映画等々は、それぞれその分野で頑張れば良いのであって、そこで負けそうだから違った分野から応援を求めるのはいわば、リング外の場外戦に持ち込もうとするようなものです。
争いには一定のルール・・自ずから品位が必要ということでしょうか?
国内言論戦で負けているからか、左翼系は国連人権委員会の決議がどうのという外部権威を持ち込みたがります。
しかし日本の国情に合うかどうか・・民族の知恵・総意が何かの議論をするのに、よその人の意見が国民総意より優先するかのようにいうのは・・論理矛盾です。
まして今回の新型肺炎に対する科学的事実認定にさえ、中国のゴリ推しが国連機関の意見表明の決め手になるような(印象を受ける)国連機関の現状を見るとなおさら国連意見に頼る人らの信用性に関わるでしょう。
死刑廃止論の根拠に諸外国の死刑廃止がどうなっているという主張が多いのですが、国内政治そのものである刑法の処罰・特に死刑のようなものは(電子商取引や税関のあり方など技術的分野と違い)宗教観・死生観と絡み民族意識が最も強固な分野ですし、商取引の商品と違い、民族個性があっても無理が少ない分野ですので、これを決めるのに国際標準を持ち込むのはおかしな風潮です。
アメリカに比べて弁護士数が少ないというが日本には膨大な周辺士業がいるのに米国では税理士や司法書士あるいは不動産の宅建資格などの業者がなく皆弁護士とカウントされている違いがあるように、欧米では死刑廃止している代わり犯行現場で容赦ない射殺が行われている日々の報道・現実を無視した議論が多いようです。
日本では現場射殺される事件は何十年に1件もないでしょう。
今日の日経新聞夕刊13ページには茨城県で警官跳ねて逃走した車に向けて発砲したとの見出し記事がでいていますが、これだけでニュースになる社会です。
日本民族では生命尊重の精神が行き渡っていて、(猿など野生動物が出ても追い回すばかりです)現場での射殺は恐れ多すぎる・裁きは神に委ねたい日本人の深い心情を表しているようです。
キリスト教の精神が死刑廃止論に影響しているかいないかの議論が提起されて、死刑廃止論はキリスト批判の学者の議論から始まっているからキリスト教精神と関係ないという意見がありますが、神が死んだとニーチェが言えば彼の思想の根元にキリストの影響がないという人がいるのだろうかとふと気になりました。
キリスト教の布教でなく単なる欧米思想だったら死刑廃止論が正しくなる訳ではないでしょう。
要するに民族の死生観・むやみやたらに殺生して良いのか?と・死刑はダメだが犯人射殺は現場判断で良いというのは、牛肉を食べても良いがクジラは許さないという議論とどこか似ていませんか?
キリスト教がない社会でも無宗教社会でなく別の宗教がある場合があるし、シャワーのない社会でもお風呂があるし、米がないから野蛮でなく小麦加工が進んでいる社会もあるなど、パスタがないから野蛮でなく、うどん、そうめんやそばがあり、それぞれの社会ごとに補完する何かがあるので、どちらが合理的かは別問題であって何でもそのまま取り入れなければならないと言えません。
ニュースを見ると欧米では現場射殺が多いのですが、欧米諸国における年間犯人射殺数を公開してその関連で議論してほしいものです。
以下の通り銃乱射のような事件でない・・刃物を持っているだけでも安易に即射殺が欧米流儀です。
https://www.bbc.com/japanese/51352236

ロンドン南部で男に刺され3人負傷 仮釈放中の容疑者を射殺
2020年02月3日

是枝監督の政府祝意辞退と公権力1

補助金をもらわない人でも、各分野で活躍している多くの人々、スケートの浅田真央さんや羽生結弦、テニスの大坂なおみや野球のイチローなどが、国民の祝福を受けたくないのでしょうか?
国民代表である政府大臣の祝意表明行為をあえて「公権力と距離を保つ」と政府機能の一分野だけを抽出表現して拒否するレトリック自体に疑問があります。
政府の祝意表明は公権力行使である→距離をおくと言う図式のようですが、政府の行動のうち公権力行使に当たる分野は何かとあまり考えたことはなかったですが、なんとなく違和感を抱く人が多いでしょう。
菅直人氏が、総理現職中に警察等は物理的強制装置・・いかにも害悪の根源のような発言をして物議を醸しましたが、このような一方的な定義づけは、私が司法試験受験当時の基本書であった政治学原論だったか?に書いていたのを思い出したものです。
脳の柔らかい若者の多くがこういう洗脳に染まったまま成人し総理になっているのか?と郷愁を覚えたものです。
教育機関ではまだこのような思想を教えしている教授が牛耳っているのでしょうか?
韓国文在寅大統領はいわゆる86世代と言って学生運動家上がりで、その刷り込みで現実無視の政治をしているから韓国政治が無茶苦茶になっているという評価が出ています。(どの評価が正しいかは歴史評価を待つしかないですが・・)
文大統領は何となく菅政権の後をなぞっている印象ですが、日本のように政権が民意に敏感でないというか、制度上任期が5年間と固定されている関係で国民が困ろうと観念論を推し進める気配で、抵抗する官僚を抑えるために?
まず検察官の総配置変えの断行を始めたようです。
これが終われば、左翼系政権得意の粛清政治を思い通りに行える予定でしょうか?
左翼政治家の信奉する旧ソ連や中国の粛清弾圧体質を理想社会と仮定すれば、菅元総理のいうとおり「警察組織は政府の物理的強制装置」・・悪しきものの代表でしょうが、
日本の場合、武士の発祥に知られるように自警団・明治以降は身近な駐在さん→今は交番・・道案内や、動物が逃げたとか野生の猿が出たと言っては駆り出される・日頃困ったことがあれば相談に行く重要な存在ですので、社会のなりたち・意味が違います。
「交番のおまわりさん」というだけで嫌悪感を感じる国民が何%いるかの調査などないのでしょうが、神の声・国民総意を直感的に感得すれば、大多数の国民が、地元で揉め事などで暴力に発展しそうなリスクが生じた時に弱い方が真っ先に、いざとなった時のために交番にあらかじめ相談をしておこうとなる人が大半ではないでしょうか?
ヤクザに脅されそうになったりしたら弁護士相談と並行して警察相談するのが普通です。
国民の多くは警察を頼りにすることがあっても、見ただけで嫌悪感が走るような人はヤクザ等特殊な人以外に滅多にいないでしょう。(これは直感で書いています。)
パトカー通報後いかに早く来てくれるか、早い方がいい人と遅い方がいい人とどちらが多いか?
是枝監督は、日本ではもはや化石化しつるある左翼ガリガリ運動家の吹き込み・・警察=暴力装置論による知識を前提に格好良く発言したつもりなのでしょうか?
こういう程度の社会理解を前提に社会派?映画を作って動向のグループで賞賛しあっているのでしょうか?
話題を公権力に戻します。
公権力に関する一般的な理解では強制力を伴う行為・刑事処分に限らず各種行政処分・・許認可処分・・今回のコロナウイルス騒動での強制隔離処分等がありますが、学校教育も保健衛生分野も一種の公権力の外延でしょうが、国民国際的な快挙に対する大臣祝意表明になると駅前広場や公園整備等より権力性が弱いように思われます。
ウイキペデイアで公権力を見ると以下の通りです。

公権力(こうけんりょく)とは、政府の統治行為のうち、物理的な力により執行されるもの、あるいは服従しなければ刑罰を科せられるものを指す。また、公権力を執行する機関である警察・検察・裁判所・税務署・軍隊も指す。
公権力は様々な行為によって行使されるが、代表的な例は逮捕・収監・召喚のほか、行政処分(強制収用・徴税・かつての徴兵)などがこれに当たる。

私が考えているよりもずっと狭い・いわば物理力行使=中核的行為のみに限定するようです。
こう言う狭い定義が一般的理解とすれば、是枝監督の「公権力と距離を保つ」という声明?は、何を言いたいことになるのでしょうか?
警察権力等と距離を保つとの主張と理解した場合でも文部大臣の祝意を拒否するのとどういう関係があるのか分かる人は滅多にいないでしょう。
文部大臣が上記権力定義とどう言う関係があると言う主張か不明であるばかりか、祝意拒否がなぜ上記権力活動と距離を保つことになるのかも飛躍がありすぎで不明です。
警察権力との距離と限定しても、彼は強盗や泥棒被害にあっても自分の子供が誘拐されても警察に何も求めないし、交通事故や契約違反等の損害を受けても裁判所を利用しないのでしょうか?
文部大臣の祝意拒否が「公権力と距離を保つ」ことになるとすれば、上記ウイキペデイアの定義より広いイメージ・・私のいう程度の定義よりももっと広い・・なんとなく政府行為には全て距離を保ちたいというかのようなイメージが伝わります。
しかし、この世の中で水滸伝で有名な梁山泊みたいに政府と距離を置ける場所はない・・竹林七賢は世俗を離れて生活できていたか?というと、彼らは名門貴族の子弟で、権力闘争から離れただけで実家からの仕送り(今で言えば軽井沢の別荘)で優雅に暮らしていられたのは、権力による庇護(治安維持)があったからです。
日本の権力者子弟・皇族や将軍家子弟が出家して叡山等に入っても・相応の仕送りをしているから成り立つし、修行らしい修行もしていないのに天台座主などになれるのです。
今回中国のコロナウイルス蔓延に対してWHOの対応の遅さに対する批判的社説が日経新聞2月1日朝刊にでました。
同紙3ページは、中国の資金とWHOへの人材送り込み・・中国の巨額援助国エチオピアを事務局長として推して当選させたことなどの掘り下げた記事が出ています。
個々人宛の賄賂の有無は不明ですが、WHOやエチオピアへの大規模資金注入があるような解説記事です。
映画に限らず各種文化活動はこれを受容し育成すべき社会の経済力あってのことです。
自分の社会に敵意?距離を置いて文化が育つのでしょうか?

任命5と市場競争(是枝監督の政府祝意辞退1)

1月21日「任命の効力4→選択権1」の続きです。
競合権力多数並立の場合、武将や武士、足軽等階層にかかわらずどの豪族〜戦国大名に従うかの選択肢があり、日本の戦国時代の英雄豪傑で言えば島左近や後藤又兵衛や藤堂高虎のように戦国大名を自ら袖にして有力大名家を渡り歩く例が多く見られました。
豊臣秀吉だって、小者の頃には渡り歩いて(今川家の陪臣松下加兵衛に仕えたことが知られています)最後に信長の小者になって落ち着いた遍歴です。
高名な英雄豪傑に見限られた大名は面白くないので、戦国末期で大名間交際が安定してくると黒田家?のように「奉公構」という回状を回して後藤又兵衛の再就職を妨害する例も出てきます。
企業で言えば、楯突いてやめた社員の再就職妨害行動をするようなものです。
のちに黒田家から後藤又兵衛との関係修復を目指して幕府に斡旋依頼したようですが、うまく行かない内に大阪の陣に突入して行くようです。
群雄割拠・並列競合状態が終わって最高権力・国家権力が確立すると、最高権力者=国家からのお召があると、これに応じないのは謀反の疑いがかかるので、契約以前に喜んで参上するようになっていたから契約概念が育たなかったのでしょう。
ところが経済水準が上がり、主食以外の嗜好品や寒さを防ぐだけでなく、おしゃれを楽しむ衣料品、その他文化芸術や娯楽性サービスが発達し、勤め先となる民間企業が発達してくると、国家権力に連なる分野以外の働き先が増えてきます。
今でも景気が良くなると、公務員応募が減るなど民間雇用状況次第の傾向が強まっています。アベノミクスの成果で民間は働き手不足で困っている→公務員に任命してやるありがたいだろう!という優越的関係が薄れてきました。
形式上一方的任命精神同様に叙勲や祝意は、一方的に授けるものでした。
最近国家の叙勲や祝意を辞退する(是枝監督のような)人が出ますが、これの盲点を突くと同時に国家権力の相対性をアピールしたい人がやるものでしょうか。
「公権力と距離を置く」と言うのが趣旨のようですが・・。
任命のように義務を伴わない一方的叙勲や祝意拒否は国家政府などに褒められたりおめでとうと言われたくない」という・・国家権威無視の態度をはっきりさせたものでしょう。
とはいえ、能力発揮・特に文化発露は個人の遺伝的能力のみによるものではなく、長い歴史・文化蓄積を切り離して考え難いものですから、生まれ育った社会を代表する公的な祝意・民主国家においては政府が国民代表です・・政府からの祝意は、生まれ育った、社会そのものからの祝福です。
これを受けられないと言うのは自分を育んでくれた社会や自然を否定したいという意味でしょうか?
よほど自分生い立ちに不満があるのでしょう?・・育った環境に不満があっても逆教を跳ね飛ばし、名を挙げ功を遂げられた以上は、結局感謝するのが凡人の心情ですが、こういう人が出てくると凡人には違和感を感じる人が多いから反響を読んだのでしょう。
いや、自分を育んでくれた友人先輩、環境に感謝しているが、今の政府におめでとうと言われたくないだけ・と言うのでしょうか?
今回のテーマ・・任命と拒否権の関連に戻り大臣就任要請を断るのは、一定の政策目標実現組織である内閣と意見が違う場合当然の権利ですし、政府の文化政策と意見を異にする場合それに協力しないのは映画人当然の権利ですが、是枝監督が映画製作段階で政府が介入したのをはねつけて映画を完成したなどの特別な遺恨があるのでしょうか?
それならばそれを公表すれば良いことですが、武士の情けで公表していないのでしょうか?
https://www.asahi.com/articles/DA3S13532802.html

是枝監督「公権力とは潔く距離保つ」 カンヌ最高賞、文科相の祝意辞退

https://bunshun.jp/articles/-/7743では「万引き家族』是枝裕和監督の「祝意辞退」と「助成金」の関係で「辞退」に対する擁護論らしく、是枝監督の映画が如何に素晴らしいかを書いていますが、最後に以下の引用があります。

文化庁の「日本映画製作支援事業」の定義を確認してみましょう。
「我が国の映画製作活動を奨励し、その振興を図るため、優れた劇映画、記録映画の製作活動を支援する。新たに、日本映画の魅力や多様性を強化し、その基盤を維持するため、中小を含む制作会社や新進映画作家向けの助成枠を設ける」。
助成金は「優れた劇映画」を作るための支援です。カンヌでパルムドール受賞を果たした『万引き家族』は、まさに正しく助成金の目的が達成された例といえるでしょう。

上記意見は、どちらかといえば政府助成金をもらっていても政府の祝意辞退は問題ないという擁護論のようなトーンですですが、その最後に解説なし引用があるので、擁護論の根拠としての引用かな?と予想されますが、読んでみるとこれが何故祝意辞退擁護根拠になるのか不明です。
上記引用部分によれば一党一派の立場からでなく、国民全体・国税を使った助成を受けたので自民党からの祝意を受けなくとも矛盾しないと言外に言いたいのでしょうか?
しかし、文科大臣の資格において祝意を示すのは出身母体はどの党であろうとも国民代表としての祝意です。
政府所管大臣/長官が補助金を出し、その時は自民党大臣だから受け取らないと拒否したなら一貫しますが、自民党政権の大臣あるいは長官から補助金を受けておきながら、祝意辞退の時だけ自民党政権の大臣から受けられない・嫌だというのは矛盾がないのでしょうか?
私の基本的立場は、補助金以前に同じ日本人としての快挙に素直に喝采したい人が多いのではないか・・政府は国民代表として祝意を表したいということではないでしょうか。
大臣個人は主観的にその映画を良いと思ったかどうかは別として、公人としての職務行為をしている以上、大臣の好みを持ち込むこと自体が許されないはずです。
国民の大方の気持ち・・総意を汲み取って国民代表として政府が祝福するのを自民党政権だから嫌だというのであれば自分の方から政治的立場の違いを芸術活動に持ち込み政治化するための発言でしょうか?

14年政変→大隈重信下野

14年政変による大隈重信の下野と政権内復帰・・下野=反乱図式がなくなった流れの事例に戻ります。
大隈重信に関するウイキペデイアの記述からです。

立憲改進党の設立[編集]
野に下った大隈は、辞職した河野、小野梓、尾崎行雄、犬養毅、矢野文雄らと協力し、10年後の国会開設に備え、明治15年(1882年)3月には立憲改進党を結成、その党首となった。また10月21日には、小野梓や高田早苗らと「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を謳って東京専門学校(現・早稲田大学)を、北門義塾があった東京郊外(当時)の早稲田に開設した[57]。しかし党首としての大隈は、演説をすることもなく、意見を新聞等で公表することもしなかった[58]。明治17年(1884年)の立憲改進党の解党問題の際に河野敏鎌らとともに改進党を一旦離党している[59]。明治20年(1887年)、伯爵に叙され、12月には正三位にのぼっている[60]
明治20年(1887年)8月、条約改正交渉で行き詰まった井上馨外務大臣は辞意を示し、後任として大隈を推薦した[61]。伊藤は大隈と接触し、外務大臣に復帰するかどうか交渉したが、大隈が外務省員を大隈の要望に沿うよう要求したため、交渉はなかなか進まなかった[59]。明治21年(1888年)2月より大隈は外務大臣に就任した[62]。このとき、外相秘書官に抜擢したのが加藤高明である[62]。 また河野、佐野を枢密顧問官として復帰させ、前島密を逓信次官、北畠治房を東京控訴院検事長に就任させている[6

明治14年「国会開設の詔」に関するウイキペデイア引用です。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原文(原文では句読点がないため、適宜、句読点を挿入している)

朕祖宗二千五百有餘年ノ鴻緖ヲ嗣キ、中古紐ヲ解クノ乾綱ヲ振張シ、大政ノ統一ヲ總攬シ、又夙ニ立憲ノ政體ヲ建テ、後世子孫繼クヘキノ業ヲ爲サンコトヲ期ス。嚮ニ明治八年ニ、元老院ヲ設ケ、十一年ニ、府縣會ヲ開カシム。此レ皆漸次基ヲ創メ、序ニ循テ步ヲ進ムルノ道ニ由ルニ非サルハ莫シ。爾有衆、亦朕カ心ヲ諒トセン。
顧ミルニ、立國ノ體國各宜キヲ殊ニス。非常ノ事業實ニ輕擧ニ便ナラス。我祖我宗、照臨シテ上ニ在リ、遺烈ヲ揚ケ、洪模ヲ弘メ、古今ヲ變通シ、斷シテ之ヲ行フ、責朕カ躬ニ在リ。將ニ明治二十三年ヲ期シ、議員ヲ召シ、國會ヲ開キ、以テ朕カ初志ヲ成サントス。今在廷臣僚ニ命シ、假スニ時日ヲ以テシ、經畫ノ責ニ當ラシム。其組織權限ニ至テハ、朕親ラ衷ヲ栽シ、時ニ及テ公布スル所アラントス。
朕惟フニ、人心進ムニ偏シテ、時會速ナルヲ競フ。浮言相動カシ、竟ニ大計ヲ遺ル。是レ宜シク今ニ及テ、謨訓ヲ明徴シ、以テ朝野臣民ニ公示スヘシ。若シ仍ホ故サラニ躁急ヲ爭ヒ、事變ヲ煽シ、國安ヲ害スル者アラハ、處スルニ國典ヲ以テスヘシ。特ニ茲ニ言明シ爾有衆ニ諭ス。
奉勅   太政大臣三條實美
明治十四年十月十二日

以上のように地方議会を先に開設して地方から議論の経験を積んでいくなど着実に国会開設の準備が進むにつれて不満があれば言論活動で・という動きが加速していき、実力行動が影を潜めていきます。
こういう面では板垣による自由民権運動の啓蒙的役割が大きかったと思われますし、「有司専制」を排し、庶民に政治参加経験させれば民度が上がるという板垣らの主張を政府を取り入れて板垣の言うようないきなり国会経験でなく地方議会を設立してそこで議論経験から人材を育てるという着実な運用をしてきたことが上記「国会開設の詔」の

「嚮ニ明治八年ニ、元老院ヲ設ケ、十一年ニ、府縣會ヲ開カシム。此レ皆漸次基ヲ創メ、序ニ循テ步ヲ進ムルノ道ニ由ルニ非サルハ莫シ。爾有衆、亦朕カ心ヲ諒トセン。」

によって分かります。
昭和の頃には地元政治経験・現場を経て・市町村〜県会→国会→派閥領袖に成長後国家基本を論じるパターンができていました。
現在の菅官房長官も地方議会出身ですし自民党元幹事長の野中努氏もそうでした。
企業で言えば若手の頃には営業現場や地方(今では海外子会社も含む)経験を積ませその実務経験をもとに本社企画部等に抜擢されて最後は社長になるパターンが多く見られるのと同じです。
地方議会もない社会でいきなり国会だけ作っても空理空論の激突しかないので明治政府は発足直後から廃藩置県に始まり地方制度創設、村〜郡単位の地元民の意思決定経験〜日常決定参加から始めて行ったようです。
こうして着実に国民に政治経験を積ませた上で、明治23年に帝国議会開設になるのですが、自由民権運動は国会開設にこぎつけたことで国民啓蒙的運動としては目的を達したので本来の使命は終わったことになります。
コストカッターとしてのゴーン氏はリストラ成功で役割が終わったことになるのと同じです。
住宅公団が戦後住宅不足対応の役割を終えたのに、都市整備公団という名に変えて生き残ろうとしているものの、都市整備?この数十年何をしているのか不明・・を批判したことがあります。
日本も民選議員が必要という西洋の聞きかじりを吹聴する程度でも明治維新当時はそれでも新知識だったでしょうが、大久保らが数十年も行ってきた啓蒙運動の成果でそういう制度がある程度のことは誰でも知るようになり、具体的にどう運用するかの実用段階に入ると草分けを自慢しても時代遅れになります。
実務運用・「罵り合いではなく対話が必要」という書物の受け売りではなく、自分が対話力があるかは別です。
政治家と評論家とでは能力の方向が違います。

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