民主国家と人民論の矛盾3

一知半解というか青い主張に対する社会の支持が広がらない結果、唯我独占傾向が進むといよいよ社会の理解を得られなくなって孤立化する一方→唯我独尊的特殊集団になり、暴発集団化します。
共産党は視野狭窄.偏執狂に陥らないように自己抑制している様子ですが、そうすると弾き飛ばされる跳ねっ返りが行き場をなくします。
左翼からも阻害された超原理主義者の集団化は、精神病者の集団化現象に似ているともいえるでしょうか?
日本では連合赤軍・・浅間山荘事件やオーム真理教事件などがそれに当たる・・国際的に見ればいわゆるテロ組織でしょうか?
以上の次第で人民という用語が廃れるわけですし、現在民主国家における実力行使正当化論は時代遅れであり、アウトローの集まりでしかないというべきでしょう。
専制支配国家→正義に基づかない規制や処罰=恣意的処罰・権力行使が許される社会では、正義の裏付けのない強制となりますのでこれに抵抗するのが正義の実現行為である場合もあるでしょうが、民主主義のルールに従って制定された法秩序を自分や一定の党派が気に入らないからといって抵抗権があると主張してこれを実力行使で秩序破壊するのを許すならば、民主主義社会が成り立たない・裸の実力闘争社会になります。
民主主義社会においての人民論は、民意による政治に従わない→民主主義社会を否定する主張となります。
抵抗権行使によって実力闘争に勝ち抜けば支配者になり政府権力に抵抗すべき人民ではなくなるのですから、中国や北朝鮮政府が朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国と名乗り人民解放軍、人民日報、人民銀行・人民元などというのは言語矛盾です。
政府は人民の代表だから、人民は政府に従うべきという意味でしょうか?
国内武力闘争に勝ち抜いた以外に、人民の代表という根拠が不明です。
内乱・反乱軍が政府転覆に成功して政権樹立後も反乱軍とか反乱政府と自称しているようなものです。
実際には、人民は権力闘争に庶民が利用されて捨て駒に使われるだけですので、政権獲得後、邪魔者扱いで反乱軍として弾圧される側に回ります。
いわゆる草莽崛起の末路です。
人民用語が一般化されていない江戸時代には草莽と呼ばれていたのですが、草莽に関するウイキペデイアの説明です。

幕藩体制が動揺をきたした18世紀後半以後、在野もしくはそれに準じた豪農・知識人層(江戸幕府に対して直接意見を進言できるルートのない人々)の中に、自らを「草莽」になぞらえ政治的主張をする者が出現した。それが19世紀に入ると尊王論や攘夷論と結びつき活発化する。
黒船来航など西洋からの圧力が大きくなった1850年代に入ると、吉田松陰らによって「草莽崛起」論が唱えられた。吉田らは武士以外の人々、すなわち豪農・豪商・郷士などの階層、そして武士としての社会的身分を捨てた脱藩浪士を「草莽」と称し、彼らが身分を越えて、国家を論じて変革に寄与して行くべきであると主張した。
これを受けて、1860年代にはこうした草莽が尊王攘夷運動や討幕運動に参加していくことになる(奇兵隊・天誅組・生野組・真忠組・花山院隊・赤報隊など)。しかし、攘夷という方便に利用されただけであったことに気づかなかった大多数の人々は、討幕がなると、討幕とは逆の「開国和親」というスローガンをかかげた政府によって手のひらを返され、反乱を起こすもののトカゲの尻尾切りよろしく大量に打ち捨て殺された(士族の反乱、奇兵隊の末路など)。結果的に、明治政府へ組み込まれた者は頭がよく使えるごく一部であり、大半は政治的敗者として姿を消すことになった

人民・・当時の用語でいう草莽に関するウイキペデイアの解説は、〇〇チルドレンや付和雷同型の本質がよく出ている印象です。
小池都知事の都民ファーストに共鳴して参集した多くのチルドレンが、当選してみると話が違うと不満を持つのと同じです。
すぐに運営方法に対する不満で都民ファーストを脱退したか?批判意見を展開していた都議がいた記憶です。
反NHKで昨年総選挙時に参加して東京都区議に当選したばかりのユーチューバーが、運営に不満で?離党したようですが、末端ほど純粋ですので実際に運営が始まると齟齬が生じます。
庶民は権力闘争に利用されるだけで権力闘争が終われば、ご用済みになってきたのが中国歴代王朝交代時に大動乱の結果でした。
「王候相なんぞ種アランや!」というスローガンを掲げていた育ちの悪さが売り物であった?漢の高祖であれ、朱元璋であれ、天下を取るまで付和雷同して付き従った多くの武将を粛清していきます。
武将の場合范蠡の有名な言葉・・・「飛鳥尽きて 良弓蔵れ 狡兎死して 走狗烹らる。」で表現される実態で誰もが知っている現実ですが、雑兵等に関しては、誰も気にしませんが、平和が来ると真っ先に無用になります。
秀吉の天下統一以来、武功を挙げた功臣・武将の出番がなくなった不満から家康についた豊臣恩顧の大名らは、徳川政権確立後次々と粛清・戦国大名の取りつぶしが行われたのも同じです。
徳川家だって政権を握ってみれば、無駄な兵力がいらない点は同じです。
社会のあり方を見通す眼力もないのに、ただ日頃の不満のはけ口として?煽りに乗る時局便乗・付和雷同型の人材は政府転覆に成功すれば、今度は邪魔者になる運命です。
新政府構築・・真っ先に必要な政治は治安回復です・・小難しい細かな法の縛りを破って奔放に暴れ回る人材は真っ先に標的になります・・に向けて役に立つ能力がない大多数は結局弾圧される方に回る仕組みです。
漢の高祖は庶民出身で最もバカにしていた儒教の礼式を彼が天下を取って真っ先に採用したと言われています。
権力を握ればルールに従わせる必要が生じるので、ルールになじまない彼らが真っ先に邪魔になる運命です。
社会のあり方を見通す眼力もないのに、煽りに乗る時局便乗・付和雷同して政府転覆に成功しても、新政府で役に立つ人以外の大多数は結局弾圧される方に回る仕組みです。
人民が人民(思慮不足)のまま権力を握れることはありえないのが現実でしょう。

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