国(くに)とは?1

臣民と国民の違いに戻ります。
民を表現するのに人民と言うときには、ときの権力を覆すことを望む意味を含む用語として生まれてきた・・いわゆる不平分子とすれば、政府は支配下の民を人民と言いたくないのがわかります。
それならば、明治憲法制定当時既に旧刑法で採用していた「国民」を採用すればよかったはずなのに明治憲法で何故採用しなかったのか不思議です。
国民より臣民の方が良いとしたのは、王政復古にこだわる勢力への配慮・妥協の産物でしょうか?
もしかして?当時まだ日本「国」という表現が一般的でなかったとすれば、「日本の民「=日本「国」のたみという概念思考自体が一般的でなかった・特定の人しか考えていなかったのでしょうか?
しかし、明治憲法の表題は「大日本帝国憲法」ですから、大日本帝国国民とすればよかったはずです。
ただし私の個人的興味ですが、いつから日本列島全域を表現するのに「日本国」と言うようになったのかが、この際気になります。
以下見て行くように大和王権成立前の紀元前の前漢時代から倭「国」と呼ばれていたし日本列島の当時の祖先らもそのように自己表示していたようです。
明治政府がそれを否定していたか?というと明治四年の遣欧使節に対して翌五年に明治天皇の発行した全権委任状を見ると大日本国の国璽を押捺しています。
そうとすれば明治政府が何故日本国の民(たみ)という自然な表現をしないで「臣民」という無理筋?定義を何故したか不明です。
古代律令制から明治維新まで、国といえば地方の単位・今の都道府県よりほとんどの場合小さい地方単位でした。(千葉県でいえば安房、上総、下総の3カ国)
いつから日本60豫州の総称として日本「国」というようになったのでしょうか?明治維新後に地方制度として廃藩置県断行後、古代律令制導入以降の地方制度であった国の制度がなくなりました。
それまでは国という単語は、三河国、駿河国、上総国など国内地域の単位だった筈ですが・・。
日本列島の一部の表現だった国の制度がなくなってから日本列島全体の表現になったのでしょうか?
地域単位を表現するのに、和語でない借り物のの漢字の「國」とか邦、州とか郡や県、村・郷、邑を利用するからややこしいのだと思います。
「みどりなす黒髪」という表現が有名ですが、同じく「みどりご」という表現もあります。
これを漢字にすれば嬰児ですし赤ちゃんです。
日本では草花が生き生きと生命力に輝いている状態を「みどり」といい、中国では生き生きした若葉の色を緑というので、偶然一致して緑という漢字を当てただけなので、今になると緑=グリーンという漢字文化が身につきすぎると、緑=色の名詞である現在では黒と緑が同じ?なんで「緑なす黒髪」というか、赤ちゃんを「みどりご」というか?意味不明になっているに過ぎません。
大学生の頃か?大人になってからか中国の揚子江を長江というと知りましたが、遣唐使だったかの日本人が渡船場で地名を聞いたらそこが揚子江(中国語で別の発音ですが)と教えられて(その入江のことのことだったらしいのですが同じ「江」というから間違ったのです)これが日本に伝わり、長江全体の川の名前かと思ってしまったというのもあります。
漢字利用前の和語としての「くに」や「むら」とは「何」だったのでしょうか?
コトバンクによると以下の通りです。
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD-55694

くにとは
一定区域をなす土地を表わす言葉で,現在では,土地,人民,政府をもつ国家のこと。歴史的には,さまざまの範囲を呼ぶのに用いられた。日本に農耕生活が始り,人々が政治生活を営むようになると,従来の「むら」が「くに」と呼ばれるようになった。『後漢書』に,1世紀の倭国に百余国があったというのは,このような「くに」の分立状態を示している。
「豊葦原の中つ国」 (→葦原中国 ) といった国土の総称にも用いられていた。

一部地域の表示にも列島全体の表現にも使う融通無碍げというか、外来語・漢字が入ってきて無理な当てはめが行われたから起きた現象でしょう。
ある外国語が入ってきた時に、道具や社会の仕組みあるいは文学表現等の概念がその社会にある場合にはすぐにこれに当てはめれば済むのですが、ないときあるいはかなり違う時にそれを当てはめると大きな違いが生じます。
例えば、パスタをそのままソーメンと訳してみると共通性は麺というだけで、お互いまるで違うものをイメージして会話することになります。
社会制度の場合、一方の話者が、100万人規模の集団をイメージして「国」の話をしている時に数十人の部族社会しか知らない未開部族の人は自分お部族の人間関係をイメージしているとお互い意思疎通がズレまます。
いまのように世界中の情報が行き渡っていない時代に、「4月頃を春」と言うとの共通認識があっても日本人が桜の季節を前提にいろんなことを南洋の人に言っても、なぜ春が待ち遠しいか楽しみか理解不能でしょう。
言語学でどうなっているか知りませんので素人的無責任想像ですが、人の集合体である「むら」が一定の地域性(同じ川の流域など)を持つようになる・・婚姻は超古代から濃密な血族間婚姻の危険を避ける知恵が生じでいるので、ムラができた当初から周辺他血統のムラとの通婚が必要→これを繰り返すうちに周辺村落同士の共通価値観形成が緩やかに進みます。
私の一家は東京大空襲の結果焼け出された結果、幼少期は地方で育ったのでその時の見聞経験でしかないですが、その地域の風習で見ると多くは徒歩日帰り圏内からの嫁取り婚だったようです。
後になって考えると当時(戦後から今に続く)〇〇郡という地域がほぼこの範囲と重複していることが分かります。
例えば、現在の都道府県制度の前の国制度時代には、下総国に属した江戸川両岸地帯の葛飾郡(こおり)・・葛飾北斎で有名ですが・・だいたいこの程度の文化共同体地域です。

民主国家と人民論の矛盾3

一知半解というか青い主張に対する社会の支持が広がらない結果、唯我独占傾向が進むといよいよ社会の理解を得られなくなって孤立化する一方→唯我独尊的特殊集団になり、暴発集団化します。
共産党は視野狭窄.偏執狂に陥らないように自己抑制している様子ですが、そうすると弾き飛ばされる跳ねっ返りが行き場をなくします。
左翼からも阻害された超原理主義者の集団化は、精神病者の集団化現象に似ているともいえるでしょうか?
日本では連合赤軍・・浅間山荘事件やオーム真理教事件などがそれに当たる・・国際的に見ればいわゆるテロ組織でしょうか?
以上の次第で人民という用語が廃れるわけですし、現在民主国家における実力行使正当化論は時代遅れであり、アウトローの集まりでしかないというべきでしょう。
専制支配国家→正義に基づかない規制や処罰=恣意的処罰・権力行使が許される社会では、正義の裏付けのない強制となりますのでこれに抵抗するのが正義の実現行為である場合もあるでしょうが、民主主義のルールに従って制定された法秩序を自分や一定の党派が気に入らないからといって抵抗権があると主張してこれを実力行使で秩序破壊するのを許すならば、民主主義社会が成り立たない・裸の実力闘争社会になります。
民主主義社会においての人民論は、民意による政治に従わない→民主主義社会を否定する主張となります。
抵抗権行使によって実力闘争に勝ち抜けば支配者になり政府権力に抵抗すべき人民ではなくなるのですから、中国や北朝鮮政府が朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国と名乗り人民解放軍、人民日報、人民銀行・人民元などというのは言語矛盾です。
政府は人民の代表だから、人民は政府に従うべきという意味でしょうか?
国内武力闘争に勝ち抜いた以外に、人民の代表という根拠が不明です。
内乱・反乱軍が政府転覆に成功して政権樹立後も反乱軍とか反乱政府と自称しているようなものです。
実際には、人民は権力闘争に庶民が利用されて捨て駒に使われるだけですので、政権獲得後、邪魔者扱いで反乱軍として弾圧される側に回ります。
いわゆる草莽崛起の末路です。
人民用語が一般化されていない江戸時代には草莽と呼ばれていたのですが、草莽に関するウイキペデイアの説明です。

幕藩体制が動揺をきたした18世紀後半以後、在野もしくはそれに準じた豪農・知識人層(江戸幕府に対して直接意見を進言できるルートのない人々)の中に、自らを「草莽」になぞらえ政治的主張をする者が出現した。それが19世紀に入ると尊王論や攘夷論と結びつき活発化する。
黒船来航など西洋からの圧力が大きくなった1850年代に入ると、吉田松陰らによって「草莽崛起」論が唱えられた。吉田らは武士以外の人々、すなわち豪農・豪商・郷士などの階層、そして武士としての社会的身分を捨てた脱藩浪士を「草莽」と称し、彼らが身分を越えて、国家を論じて変革に寄与して行くべきであると主張した。
これを受けて、1860年代にはこうした草莽が尊王攘夷運動や討幕運動に参加していくことになる(奇兵隊・天誅組・生野組・真忠組・花山院隊・赤報隊など)。しかし、攘夷という方便に利用されただけであったことに気づかなかった大多数の人々は、討幕がなると、討幕とは逆の「開国和親」というスローガンをかかげた政府によって手のひらを返され、反乱を起こすもののトカゲの尻尾切りよろしく大量に打ち捨て殺された(士族の反乱、奇兵隊の末路など)。結果的に、明治政府へ組み込まれた者は頭がよく使えるごく一部であり、大半は政治的敗者として姿を消すことになった

人民・・当時の用語でいう草莽に関するウイキペデイアの解説は、〇〇チルドレンや付和雷同型の本質がよく出ている印象です。
小池都知事の都民ファーストに共鳴して参集した多くのチルドレンが、当選してみると話が違うと不満を持つのと同じです。
すぐに運営方法に対する不満で都民ファーストを脱退したか?批判意見を展開していた都議がいた記憶です。
反NHKで昨年総選挙時に参加して東京都区議に当選したばかりのユーチューバーが、運営に不満で?離党したようですが、末端ほど純粋ですので実際に運営が始まると齟齬が生じます。
庶民は権力闘争に利用されるだけで権力闘争が終われば、ご用済みになってきたのが中国歴代王朝交代時に大動乱の結果でした。
「王候相なんぞ種アランや!」というスローガンを掲げていた育ちの悪さが売り物であった?漢の高祖であれ、朱元璋であれ、天下を取るまで付和雷同して付き従った多くの武将を粛清していきます。
武将の場合范蠡の有名な言葉・・・「飛鳥尽きて 良弓蔵れ 狡兎死して 走狗烹らる。」で表現される実態で誰もが知っている現実ですが、雑兵等に関しては、誰も気にしませんが、平和が来ると真っ先に無用になります。
秀吉の天下統一以来、武功を挙げた功臣・武将の出番がなくなった不満から家康についた豊臣恩顧の大名らは、徳川政権確立後次々と粛清・戦国大名の取りつぶしが行われたのも同じです。
徳川家だって政権を握ってみれば、無駄な兵力がいらない点は同じです。
社会のあり方を見通す眼力もないのに、ただ日頃の不満のはけ口として?煽りに乗る時局便乗・付和雷同型の人材は政府転覆に成功すれば、今度は邪魔者になる運命です。
新政府構築・・真っ先に必要な政治は治安回復です・・小難しい細かな法の縛りを破って奔放に暴れ回る人材は真っ先に標的になります・・に向けて役に立つ能力がない大多数は結局弾圧される方に回る仕組みです。
漢の高祖は庶民出身で最もバカにしていた儒教の礼式を彼が天下を取って真っ先に採用したと言われています。
権力を握ればルールに従わせる必要が生じるので、ルールになじまない彼らが真っ先に邪魔になる運命です。
社会のあり方を見通す眼力もないのに、煽りに乗る時局便乗・付和雷同して政府転覆に成功しても、新政府で役に立つ人以外の大多数は結局弾圧される方に回る仕組みです。
人民が人民(思慮不足)のまま権力を握れることはありえないのが現実でしょう。

民主国家と人民論の矛盾2

人によっては俺は生まれ付きの人民だという人もいるでしょうが、それは国民主権国家においては主観的思い込みであって、ありえない論法です。
日本で生活しながらこういう考えに凝り固まっている人たちは、現実社会のあり方を見ずに旧ソ連や北朝鮮、中共政府支配下の社会を前提に、悲惨な人民状態を日本現実社会と同視して政府の抑圧から人民開放をする必要があるという主張をしている矛盾がありそうです。
人道主義を標榜するならば一党独裁という現代的専制支配に苦しむ人民解放するために中国や北朝鮮人民のために運動するのが普通ですが、左翼系は文化大革命賛美に始まり中国政府等の厳しい言論弾圧や環境破壊を批判するのを寡聞にして聞いたことがありません。
これを日本政府否定に結びつけようとしているので(論理の倒錯が激しすぎて)訳が分かりにくくなるようです。
韓国の決まり文句「歴史を知らないものは・・」式の慰安婦・教科書その他批判は、自分の非(歴史無視の主張)を日本の非と置き換えているので、論理の無茶加減で国民が驚いて辟易します。
このような論理の倒錯は一瞬相手をたじろがす戦法・・「鬼面人を驚かす」論法と同じ戦法でしかなく、短時間しか効果を持ちません。
中国や北朝鮮のように、国民の声など問題にしないと公言する一党独裁体制の場合独裁機関幹部以外は皆人民でしょうが、民意による政治を行い民意の支持を失えば権力を失う仕組みになっている社会では、民意によって出来上がった法を民意による法改正でなく暴力で無力化する行動を正当化する余地がありません。
思想表現の自由がある社会で自分の主張がほとんど支持されないのを相手が悪い、国民レベルが低いから、言論によるよりは暴力革命が正しい式の論法では民主主義社会が成り立ちません。
政治は無数とも言える不確定要素の複合で成り立っているので、戦車一台戦闘機1機の費用で〇〇が出来る式の単純論理・・学校で習った程度の勉強成果を主張する程度では、大方の国民が納得する筈がないので支持されないと自己の不足を反省するのではなく、国民レベルが低いのだと開き直る方向に行くと大変です。
彼らの暴力革命が仮に成功すると、(本当は自分らの思考が硬直的すぎて無数にある変化係数を理解できないだけですが)人民は蒙昧だから政府が指導する・・1党独裁が正当化され、この完徹のための情報統制に走る宿命です。
中国が今回のコロナ型肺炎蔓延初期に「普通の肺炎ではないのじゃないか?と言う医師間のネット情報交換さえ禁止して彼らを犯罪者扱いで拘禁したのがその好例です。
政権獲得成功しない多くの国では、生き方に柔軟性のない者の集団が出来上がり、仲間内での傷の舐め合い現象が起こり、自分らの主張を理解しない庶民大衆の頭が悪い→議論では無理だから革命あるいはテロしかない!的発想に落ち込み謙虚な姿勢がなくなります。
これが戦後共産党の武力革命論だったように理解していますが、独りよがりが支持されず急速に国民大衆の支持がなくなりました。
警察庁かな?の意見は以下の通りです。
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm
警備警察50年  現行警察法施行50周年記念特集号
第2章 警備情勢の推移
1 暴力革命の方針を堅持する日本共産党

暴力的破壊活動展開(昭和20年代)

1 占領下での勢力拡大

第二次世界大戦終了後、公然活動を開始した日本共産党は、敗戦直後の国民生活の窮乏と社会不安を背景に党勢の拡大に努め、昭和24年1月の衆院選では35議席を獲得し、10数万人の党員を擁するようになりました。
2 「51年綱領」に基づく暴力的破壊活動を展開

日本共産党は、同党の革命路線についてコミンフォルムから批判を受け、昭和26年10月の第5回全国協議会において、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」と、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を決定しました。
そして、この方針に基づいて、20年代後半に、全国的に騒擾事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げました。しかし、こうした武装闘争は、国民から非難されるところとなり、27年10月の衆院選では、党候補は全員落選しました。

51年綱領廃止と現綱領
1 略
2 現綱領の採択
・・昭和36年7月、第8回党大会が開催されました。そして、同大会で「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟している日本の独占資本である」とする現状規定や、民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという「二段階革命」方式等を規定した現綱領を採択しました。
・・・両党大会や綱領論争の過程における党中央を代表して行われた様々な報告の中で、革命が「平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」とするいわゆる「敵の出方」論による暴力革命の方針が示されました。

日本共産党の現状
1 略
2 規約、綱領の改定
・・16年1月の第23回党大会で、昭和36年7月の第8回党大会で採択して以来5回目となる綱領改定を行いました。
改定の結果、マルクス・レーニン主義特有の用語や国民が警戒心を抱きそうな表現を削除、変更するなど、「革命」色を薄めソフトイメージを強調したものとなりました。しかし、二段階革命論、統一戦線戦術といった現綱領の基本路線に変更はなく、不破議長も、改定案提案時、「綱領の基本路線は、42年間の政治的実践によって試されずみ」として、路線の正しさを強調しました。
このことは、現綱領が討議され採択された第7回党大会から第8回党大会までの間に、党中央を代表して報告された「敵の出方」論に立つ同党の革命方針に変更がないことを示すものであり、警察としては、引き続き日本共産党の動向に重大な関心を払っています。

政府による共産党の戦後史を見てきましたが、私の体験では暴力革命論挫折後「自分たちが前衛であり蒙昧な労働者に権利要求権の自覚を植え付ける使命がある」とする姿勢が顕著でした。
平成初めころのことですが、いわゆるブル弁希望の司法修習生に労働系事務所の実習を経験させた方が良いと思って私の同期の労働系法律事務所に2〜3日実習を勧めて会内留学に出したことがあります。
その後報告を聞いたところ、ある日夜労組の集会に出かけていわゆるオルグをする状態を見学できたという報告を聞機、良い経験ができたね!と答えました。
最近日弁連や単位会で推進している法教育活動がいつからどういう経緯で始まったかよく分かりませんが、教育内容を見る限り従来のオルグ活動が難しくなった変形版ではなく推進している担当者も(私の知る限りですが・・)思想的偏りがなさそうですのでお間違いのないように。

民主国家と人民論の矛盾1

2月7日の公務員と労働法の続きですが、労使であれ夫婦(離婚騒動)であれ親子(意見相違)であれ兄弟(相続争い)であれ、上司と部下(パワハラ)であれ全て内部関係は対立をはらんでいます。
なぜ公務員に労働法規が不要か?別立てにする必要があるかの実質的説明が欲しいものです。
国民は全て同胞といっても、国民同士でも敵味方があり相争うことが多いから国民同士の争いを裁くシステムが発達してきたし、ルールが整備されてきたのです。
消費者を王様と持ち上げていても代金不払いや万引きがあれば、敵対関係になります。

憲法
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

公務員と国民一般は原則として対立する機能を持っていませんし、逆に全体の奉仕者です。
ただし王様であるはずの顧客でもクレーマーや万引きに対しては、販売員が厳正対処する必要があるように国民全体に対するルール違反者=犯罪に対して公僕が国民を代表してルール違反者を検挙するなどの利害対立が生じますが、この場合はあくまで例外関係です。
民主国家においての公権力とは、国民の福利を守るために行使されるべく存在するものです。
警察権力は国内の国民間の利害対立を話し合いを経て最終的には裁判でケリをつけて、それでも守らない人に対して強制力を行使して実現するためにあります。
外国人の違法行為も個人実行場合には警察対応で間に合いますが、外国政府行為として集団で行われる場合には、警察には対応できないので軍の出動となります。
軍と警察の役割分担は、日常的個々人の違法行為・・原則凶器を保持していても小規模な場合を対象とし、警察が日常的に所持する拳銃程度では対応不能な大規模武装集団を相手にする時に国内でも軍隊の出動となるように大まかな分類ができます。
個人生活で言えば、軽トラや軽乗用車、普通車等に使い分け、引越しになると業者に頼むような感覚でしょうか。
歴史的に見れば、警察活動と軍事活動の未分化状態から、軍事と警察の分化が江戸時代に発達し、一種の軍事基地である大名屋敷自体が盗賊等の被害防止や検挙を町奉行所に頼り、付け届けする関係になっていたことをだいぶ前に紹介したことがあります。
いずれも国民福利を守るためにあるものですから、無政府主義とかその焼き直しの公権力と距離を置くという主張は現秩序維持による日常恩恵を享受しながら、その負担を否定する自分勝手な意見です。
公務員であろうと政府機関の中枢であろうと国内で法を破れば、一般国民同様に法の適用を受けます。
国民と公務員は、公職についたり退職によって時に入れ変わることを前提にしているので、原則として入れ替わることを予定していない身分ではありません。
しかし、人民と政府とは、相容れない恒常的対立関係概念を予定しています。
人民概念は人民と政府権力・支配層が原則的に対立関係にあることを前提にしていますので試験や選挙等で被支配者が支配者と入れ替わることを予定していない対立概念です。
明治憲法制定者の真意は、権力の手足である官だけでなくもっと遠い関係にある民を含めて臣民一丸となって迫り来る欧米諸国に対抗すべきという含意だったのでしょうか?
臣民とは臣と民があるという意味ではなく、臣民一体化の強調の趣旨だったとすれば合目的的ですし実際に成功していたように見えます。
今でも大災害がある都度同胞意識・絆意識の再生産が行われますし、明治憲法の前文にもこの趣旨がにじみ出ています。
明治憲法前文

朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ・・・・。

「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ」といわゆる大御心を「朕カ親愛スル」と表現し「祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民」と先祖代々大事にしてきたよ!という書き出しです。
平成天皇の被災地訪問の繰り返しは、まさに恵撫の実践でした。
国民全てが天皇の恵撫に感動して臣民一丸になれば、臣民以外の刃向かうべき人民はいないはず→明治憲法の臣民論は人民論を根こそぎ抹殺する含意だったことになるのでしょうか?
人民と官とは同じ国民であっても特定の機能側面に限定した概念です。
ある人が生産活動や販売に従事する場面では生産等の供給側ですが、自己の生産品や販売活動以外のその他大多数商品やサービスに対しては消費者であるように消費者概念はその時々における側面の分類です。
例えば反乱軍や反政府デモ隊員もこれの警備出動した政府軍兵士や警備中の機動隊員も、国民か否かのレベルでは双方とも国民です。
特に一般デモ行動は、政権支持者のデモもあるし、いろんな目的(同性愛の婚姻合法化、LGPTなど)のデモ行進があります。
警官が非番の日に何かのデモに参加すること自体は自由なはずですが、特定政党支持を明らかにするのは全体の奉仕者としての信用に関わるので(事実上かな)ダメとされているようです。
特定政党支持ではなく、保育所をもっと増やしましょうとか、わが町に美術館を!というようなデモに参加してはいけないとは思えませんが・・。
支配されていた国民が抵抗権行使する場合だけを人民と言うとすれば、日常的に国民性を否定するものではなさそうです。
国民か外国人かの定義のレベルではなく次の小分類・国民内のサラリーマンか経営者か、大企業従業員か中小企業従業員か、ある人がある時は消費者であり、ある時は供給者側の人間であるなど、その時々の行動によって立場の変わるレベルの分類でしょう。

社会に応じた言語力3

明治維新後数十年で見ると英文学に進んだ夏目漱石は漢文学等の古典素養の高さが有名ですが、いろんな分野に進んだ偉人の多くが民族文化素養が厚かったように見えます。
明治維新以降では英語力の強化あるいは文系より科学教育の必要性が叫ばれるようになったことと関係があるのでしょうか?
最近で言えばみんなが言語素養を磨き切る前(大学入試でも国語力の配点・比重が下がる一方でしょう)に専門分化が進みますので、医学や理系は理系素養中心、文系でも法律や経済学等々早くから分化していくので言語文化素養を磨く時間が少なくなっていることによるのでしょうか?
小学生に英語教育するとかIT教育するなど言語素養にかける時間比率が近年急激に減少してきたように思われます。
中国が歴代科挙(試験科目は四書五経中心)制度に偏りすぎて近代化に遅れを取ったと言われていますが、物事は程度問題(バランス)です。
社会組織が高度化していくとこれに比例して言語表現能力もアップしていくべきでしょう。
中国や朝鮮族で古代意識のままの科挙制度が維持できたのは、社会レベル(需要)に関係ないトップ階層限定の教養でしかなかったことから民族文化と関係がなかった上に、社会の自律的発展がなく社会のあり方が古代から変わらなかったので不都合がなかったからのように見えます。
日本では万葉の昔から、防人に出る末端兵士まで歌を詠み、武士の台頭によって実務重視社会に変化していくと、実務社会に必要な文化教養を備える・薩摩守忠度や西行法師に始まり、秀吉でさえ茶会を催し、辞世の句を詠んでいます。
光秀謀反決起の朝・出陣前に連歌の会を開いていたのも知られています。
江戸時代に入ると文化の担い手と消費者が市民に移行していくので(庶民相手の落語や川柳、役者絵、笠森お千などの美人画・プロマイドや旅行案内・広重の東海道の名所図など)の発達が浮世普及の原点でした)文化活動は社会水準そのものを写すものでした。
文化活動が社会変化について行けていないときには、外来文化が未消化で入っている状態というべきでしょう。
具体的な例でなく架空の例ですが、外資誘致でアフリカのどこかの首都近くに、周辺ホテル群を備えた超近代的空港設備一式を建設して首都まで高速道路で結び、その途中に最新式の工業団地を作ったとしても、その国の文化度がいきなりその設備に見合った内容レベルになるわけではありません。
最新工業設備や先進国の商品等が表通りに並び国民皆の消費対象になり、自分たちで作れるようになってもすぐにそのレベルの文化になるわけでないことは、ミヤコ見物に出かけて仮に1〜2週間滞在してみやこブリを堪能しても、あるいは1〜2年住むだけでみやこの物腰態度や価値観が身につく訳でないのと同じです。
日本の文化発展の歴史を見ると基礎蓄積の上に外来文化接触による刺激で花開いてきたように見えます。
仏教伝来や大唐の文化受容〜禅文化〜西洋の大航海時代・・鉄砲伝来と国産化成功
鍛冶屋のレベルアップの基礎の上に鉄砲伝来があったのですぐに国産化できたのはその一例ですし、明治の文明開花も西洋文明を受け入れさえすればすぐに産業革命の成果を国産化できる各分野の技術力アップがありました。
西洋の到来に刺激を受けた日本では安土桃山の絢爛豪華な文化が花開き、その反作用としての侘び寂びの文化も成長しました。
基礎文化の厚みがないと外来文化に飲み込まれるか混乱するだけで、民族独自文化発酵にまで行かないで混乱するばかりでしょう。
西洋の大航海時代や産業革命の影響も明〜清両朝や朝鮮の方が日本より先に影響を受けた筈なのに、両王朝でこれによって新たな文化レベルで目立った変化がないまま幕末を迎えました。
幕末においても清朝は日本に西洋の余波が及ぶ何十年前からアヘン戦争〜太平天国の乱に至るほどの激烈な影響を受けながらも、内部混乱するばかりでまともな文化変化〜政体変化もできずにいたのは、新文化価値を受け入れるべき基礎能力がなかった・古代社会文化レベルそのままで来たから混乱するしかなかったと見るべきでしょう。
以前からこのコラムで中国では古代から王朝が代わっても前王朝の繰り替えしで進歩がなかったのはこれを支える社会変化がなかったからであると書いて来ましたが、清朝崩壊も古代歴代王朝崩壊時と同様に社会の変化に合わせるための王朝打倒ではなく従来型軍閥による政権争奪戦でした。
その過程で流行の共産主義を唱えた現政権(私見ではこれも清朝末期の軍閥と本質があまり変わらない)が、山賊的に支配権を確立しただけとみる主張を読んだ記憶です。
政治の目的が古代王朝並みに人民からの収奪しか考えていない場合、専制君主制の王朝再樹立では時代に合わない点を独裁政権と言い換えて、その口実に共産主義を標榜しているだけで本来共産主義(分配目的・・裸官で知られるように共産党幹部の蓄財は半端でない状態です)の精神とは関係ない政権という説明です。
民族意識が古代社会のままで開放路線の結果先端産業を社会レベルと関係なく導入するとこれを文化的に消化できない状態になります。
中国の大規模近代化は、アフリカに飛行場と最新設備を作ったような点として作ったものを大規模にしただけですので、衛生観念も最貧困国並みでおかしくない・摩天楼のようなビルをニョキニョキ立てるだけで足元が不潔な状態・・中国人が日本にくるようになった最初のイメージは「汚い」と嫌われるのが、代表的イメージでした。
最近日本へ来る前に教育を受けてくるようで道路に痰を吐くようなことは目立たなくなりましたが、基本的衛生観念レベルの低さが、今回の新型肺炎の爆発的蔓延の基礎事情のようです。
フィリッピンや太平洋島嶼国などが、一様に厳しい包括的入国制限に走ったのは、自国に少しでも菌が入った場合、防疫能力の低さから見て仕方ないというのが国際的理解でした。
先進国では2次3次感染の広がりを阻止できそう・そういう意味では、WHOが(衛生レベルの低い中国特有の広がりにすぎず)世界的な問題性が低いと判断していたとすれば意外に正しいのかもしれません。

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