脱原発論と原発訴訟の矛盾  

5月20日まで書いてきた判例時報記載の海渡氏の原発訴訟の論説に戻ります。
今流行りのフェイク主張論の関心ですが、具体的な論証なく一方的独善的解釈?であっさり「脱原発」の方向性を「即時原発停止を求めている」かのような方向へ誘導しているのは狡猾です。
脱原発の内容・いつまでに廃止するかを争点にしてすでに何回も選挙を経ている現在、「国民大多数の意思」に言及する以上は選挙結果に対する言及をすべきです。
これを一切しないで、断定的に即時停止論が支持を受けているとは言わず、そのように受け止めそうな印象を書いて裁判官が自分の主張に同調するように主張するのはズルすぎませんか?という批判を受けるべきものです。
また、具体的受任事件に関しての主張(どの事件を受任しているか不明ですが、もし受任中事件であるならばの話です)は訴訟手続き内の(訴訟相手に交付し反論できるような形の)準備書面等で行うべきであって、係属中訴訟事件の方向性について担当裁判官に対して一方当事者に有利な方向での判決を書くように示唆ないし求めるのは、弁護士倫理として如何なものかの疑問を持ちます。
判例時報掲載では相手方弁護士は反論できません。
脱原発論と即時停止論とは違うのに、「こんなごまかし論をプロの読む雑誌に書くなんて!と思うのは私だけでしょうか?
専門誌で確固たる地位を得ている法律時報で、論理の裏付けのないスローガン的主張を麗々しく連載すること自体が不思議な傾向です。
一般に東京都の選挙は国政の一定方向を占う選挙・・国政選挙・・民意の先行指標と言われてきましたが、著名な元総理二人が脱原発を争点に(メデイアもこぞって大々的な報道した選挙の結果(有効投票の19%の支持しかなかった・有権者の1割以下の獲得票)をまるっきり無視して「脱原発は国民大多数の反対意思」→即時停止を求める訴訟が(民意に沿っていて?)正しいかのように言うのですが、なぜそうなるかの説明がありません。
思想の自由市場論の帰結として、左翼思想家隆盛の事例としてちょっと書くつもりで原発訴訟に深入りしてしまいました。
元々の国会審議拒否問題に戻ります。
今回の審議拒否に対する国民の意向が世論調査で現れてきて、これが連休明けの審議再開の原動力になったようです。
4月30日日経朝刊2pに「審議拒否不適切が64%」と世論調査結果が出ていて、無党派層で見ると「審議拒否適切でないが62%で、適切が20%になっている」他、政党支持率の現状見ると立憲が14%で昨年選挙後変わらずで民進党1%希望の党0%と紹介されています。
日経新聞記事によれば立憲民主党は一見現状維持ですが、17年選挙後多くの議員が民進党から入党していることから見ると・・議員一人当たりの当選可能性で見れば実質大幅目減りの印象ですが、参院議員の移籍が多かったのかな?
昨年の選挙で立憲民主とほぼ同数の50人(議席比率では10%以上)も当選した希望の党が、今では0%台の支持率に減って安定しているのですから、選挙すれば野党議員総数は激減でしょう。
この想定から希望の党から逃げだすというか、民進との合併に必死になっていたのが野党再編の動きの真相でしょう。
しかし、民進党を泥舟扱いで昨年総選挙直前に逃亡して憲法改正同意の踏み絵を踏んで希望の党に受け入れてもらったグループでしたが、民進党に戻る(形式は出戻りではなく新党結成)ための協議においては憲法改正反対で合意したようです。
https://mainichi.jp/articles/20180413/k00/00m/010/069000c

希望・民進
9条に自衛隊、認めず 基本政策で合意
毎日新聞2018年4月12日 21時00分(最終更新 4月13日 01時54分

このような変節常無き行動をする議員の集まりが、党名を変えても有権者の信任を得られるでしょうか?
支持率0%の政党が50名・10%以上の国会議席を持っているって民主主義の基本に反していませんか?
しかも総選挙後1年も経ないで政党が合併して党の重要方針も変わるのでは、選挙で得た民意を違った政治活動ができることになります。
国会の勢力図が民意を反映しないので、一刻も早く正常な形にするために解散して民意を正確に反映した国会にすべきではないでしょうか?
元々国会解散は、民意と乖離していないかを確認するために行うものです。
4月30日の日経新聞調査ではセクハラ、森かけ問題を先頭切って追求している立憲民主の支持率が上がっていないと書いていましたが、国民の方は、メデイアが煽るほど=国会審議を止めるほど・・そんなテーマに重きを置いていないと言う意味でしょう。
野党各党が解散風が吹き始めると解散阻止のために「解散に大義がない」と必死に言い出す(昨年総選挙前のこの種の訴えは効果がなかったので、今回は「解散の大義」という大げさな主張をしないものの・今回何かの討論会のネット報道を見ると立憲の枝野氏が相手の意見ニカブセる形・・討論ルール違反の大声で喋っていましたが、言論には言論で・・というリベラル系の金科玉条とは大違いの体質・それほど必死なのでしょうか?を明らかにしていた印象を受けました。
もともと革新系というかリベラル系政治家は民進とか民主とか市民の声を尊重しろなどの単語を使うのは大好きですが、彼らの基本体質は愚妹な国民に高度な思想を教えてやる姿勢が顕著で「相手や目下の意見を聞く耳を持たない」タイプが多い印象です。
メデイアによる世論調査のようにバイアスのかかっているものではなく、選挙こそが民意を確かに聞くチャンスなのに選挙を特に嫌がる政党って民主主義否定政党ではないでしょうか?
投票率が低いこと理由に?選挙結果を無視してデモを動員して「国民多数の声を無視するな」と言っては騒動ばかり起こす体質って何でしょうか?
民主国家で政治に満足していれば、(お任せで良いので)投票率が下がるのが普通です。
不満の強い人は投票率が高くなります。
これを逆にして投票率が低いのを政権批判票に読みたい点は、反政府側では出馬すら出来ないロシア等の選挙と同視する・・中国やロシアの社会を理想とする人たちは日本にも自由な選挙がない・と言いたいように見えます。
国連にまで出かけて行って「日本には言論の自由がないと運動している人がいて、昨年か1昨年あたりに国連特別調査官が日本に調査に来て物議を醸したことがあります。
選挙は茶番だという非民主国家では、選挙結果よりも騒動や命がけの反抗の強さこそが、民意のバロメーターということでしょう。
そういう主張は運動はロシアや中国などに行ってやればいいことで、自由に選挙に出られるし、言いたい事なんでも言える日本でやっても国民支持をうけません。

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