外国人の政治活動2(民族教育1)

日本でも諸外国でも、いろんな国に〇〇商工会などの国内県人会的相互扶助的組織がありますが、民団や朝鮮総連のようによその国での政治活動を主目的にした組織を維持している国や民族があるのでしょうか?
諸外国での日本人学校は子供小学校4〜5年で帰国した場合のカルチャーショック・・帰国時にスムースに日本の教育過程に馴染ませるためのウオーミングアップ目的であって、帰国予定もない自国出身者に対する民族教育目的で小中学校などを設置している民族があるでしょうか?
ただし以上の感想はメデイアを通じた印象操作?的情報(の受け売り)によるもので、独自の見解を述べるほどの事実認識がないので朝鮮人学校で検索してみたらすぐに以下の2件の論文が見つかりましたので、紹介しておきます。
ただし、学者の論文とはいえ、朝鮮関係になるとこれまで別のテーマで引用した論文も全てそうですが、在日か帰化人か不明ですが、氏名の印象からするとルーツ的には朝鮮人系学者の論文しか見当たらないのには今更ながら驚きます。
日本社会における朝鮮系民族の歴史を見るには、敗戦を一つのエポックにする思考自体おかしくないとしても、日本人の多くにとっては敗戦の日ですが、朝鮮人にとっては「解放」後何年というような書き出しになるようです。
例えば後に引用する韓東賢氏論文の一部を抽出します。

2.1. 誕生と模索,放置と消極的容認
1945年8 月の「解放」時,日本には約200万人の在日朝鮮人がいた。不安定な状況のなかで様子を見つつも当初,その多くは帰国を目指した。だが,一緒に帰国するにも日本で生まれ育った子どもたちは日本語しかできず,また皇民化教育や差別を通じて被支配民族としてのスティグマや屈折を内面化していた。
子どもたちの朝鮮語習得と,またそうした状態からの脱却を願う在日朝鮮人のニーズが,朝鮮学校を生んだ<

韓国や朝鮮の学者が韓国内で発表した論文を日本語翻訳しているなら別ですが、在日・日本社会の仲間として受け入れられて京都大学やその他一流研究機関の研究者・・一般日本人でも京都大学等の学者といえば大成功者でしょう・・として生きている在日研究者?が、そういう意識で堂々と論文発表するのか?と驚かされます。
立場によれば「解放の日」と賞賛するのも勝手でしょうが、日本人にとっても「戦争に負けて大変ったなったけれども、結果的に良かった」という言い方があってもいいでしょうが、日本で職を得ている韓国朝鮮系学者にそういう視点で論文発表されても日本国内へ影響力は限定されるでしょう。
学問表現の自由は国家社会のためではなく「自己実現のためにある」という憲法学の主流に対する疑問の続きですが、政府=国民の税を使って行う学問というものはその社会のためになろうがなるまいが「自己実現すればいい」というものではなく、日本国内(日本社会から資金を得て)で研究発表する以上は、「より良い日本社会にする」かの視点での研究発表が欲しいものです。
日本に住んでいる以上日本社会を良くしたいと思って研究しているのでしょうが、頭から「解放記念日」と始められると読んでいる方は日本批判のための研究発表かと誤解してしまうので、その分だけでも損でしょう。
ところで、研究というものは、引用資料さえ捏造でなければどういうう立場で研究しても同じではなく、どういう立場で意見を書くかによって、都合の良い資料を収集したくなるものです。
どう言う意識で研究していても引用資料自体は正しいのでしょうが、研究者は自己意識の求めたい資料を探すし、自己意見に都合よく解釈する傾向がありますから、その反対資料への目配りも偏りがちになるでしょう。
歴史で言えば、矛盾した資料は山ほどあるので、そのうちどの資料を引用するかによって結論が違ってくるのはよく知られている通りです。
あるいは、政治家の公式発言を前後の動きから真意を読み解くのも普通に行われていますが、読み解く立場によっても政治家の発言に対する解釈が180度変わることがあります。
科学者の発明発見も、無意味に行うのではなく、「こうしたらこうなるのではないか?」というひらめきというか方向性に基づいてそれに向けて集中実験し、民俗学でも一定の方向性があって、古老から聞いて歩いたり現地調査・収集して歩くものでしょう。
ですから、学者が初めから特定の政治的立場で研究するのでは、結論に対する信用性をハナから失う点を気にすべきではないでしょうか?
いろんな立場(特に少数意見)による研究が必要ですが、逆の多数を占める日本人側からの研究が皆無ではないまでも、ほとんど表に出てこない・特定立場の集団による研究ばかりでは危うい感じです。
今春以来のアメリカの北朝鮮危機対応でも驚いたのですが、米国の北朝鮮専門家として出てくるのは、なんと朝鮮人系氏名の人が多いことに驚いていたのですが、北朝鮮を研究対象にしたい学生などアメリカにいない・・市場競争がそうさせるのでしょう。
大国の方は小国の正確な情報を知らなくともそれほど困らないので知る機会が少ない・・弱い方が大国研究に精出すのも市場原理でしょうし、大国に入り込み易い仕組みが出来上がっているようです。
これでは日本に限らず大国の方が相手の手の内を知る機会少ない・北朝鮮との国際交渉で、大国の方(片手間ですし、人材も有能な順に米国など先進国の専門家になりたがります)が毎回北(の方は有能な順に米国中国など大国順に集められます)に翻弄されてきた原因(大国のビリレベルと小国トップレベルとの交渉)もわかります。
大国では「ビリの人材」でさえも北朝鮮の専門家になりたがらない結果、北朝鮮専門家といえば北出身者任せになってしまったようです。
日本で韓国研究の専門家志望のネイテイブ日本人学生は滅多にいないでしょうから、人材も集まりません・多分在日か元韓国人がその分野の主流でしょう。
一旦学会主流を韓国系人脈が抑えると、主流に反して「中立的方向からの見直しをしたい」と言っても干されるばかりになってしまう・たぶん博士論文が通らないし、教授等への昇進の道が閉ざされるので、自己満足的議論がはびこる→ 韓国人のサロン化し国民意識から遊離していきます。
弁護士会でも、一旦政治一定方向が決まるとその方向に反対する人が出難い結果、似たような傾向が出ている批判がありますが、意見が合わないからといって就職に困らない限り弁護士志望は減りませんが、学者の道は教授を頂点とするピラミッド型支配ですから、思想的が合わないと大学院段階で干されて終わりですから「解放記念日」から始まる研究では日本人の専攻希望は皆無になっているでしょう。
逆からいえば、(日本国内に反論すべき学者がいない結果、)韓国等では韓国系学者の一方的視点による意見が、日本国内世論(サイレントマジョリティーを理解し損ねる)と思い違いして行動するので、余計サイレントマジョリテイに嫌われるリスクも起きてきます。
朝日等のマスメデイア界に食い込めば日本世論を支配できると誤解したのと同じような流れです。
本日現在のウイキペデイアの記事です

韓 東賢(はん とんひょん、한 동현、女性、1968年 – )は、在日朝鮮人の社会学者、日本映画大学准教授。比較文明学修士。専門はナショナリズムとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティの問題など。主な分野は在日外国人問題とその周辺、とくに朝鮮学校とそのコミュニティの在日朝鮮人。
経歴 東京都生まれ。朝鮮大学校卒業後、朝鮮新報での記者生活を経て、立教大学大学院文学研究科、東京大学大学院総合文化研究科に在籍したのち、現職。

ヘイトスピーチ7(外国人の政治活動1)

集会場所使用許可権を握る自治体の姿勢次第で、日本社会は相互不信社会に導いてしまうリスクがあります。
反捕鯨団体員に対する和歌山県の太地町のクジラ博物入館拒否事件を7月17日に紹介しましたが、実は自治体がこの種騒動の最前線にいるのです。
戦後ずっと、在日犯罪の場合だけ氏名を公表しないなどの過保護・・過敏すぎる配慮に対する国民不満が溜まった結果「在日特権」許すなという過激運動の培養源になったと思われますが、今度はこの法律を利用して韓国系に都合の悪い意見に対して「ヘイト」と大量攻撃さえすれば、短期間相手の主張を自動停止させられる別の特権・これを恐れて事実上中韓批判を控えるような萎縮効果→事実上特権付与されたことにならないかの疑問が生じます。
これまで以上にもっと有利な保護を与えるようになると不満がさらに蓄積されていく・こういう悪循環を阻止するには、双方自粛する理性が必要ですが、韓国または政府に関係ない民間団体名による対日攻撃の出方によって国民感情が揺れ動く面があるのは否定しきれません。
感情というのは一方だけの現象ではなく相手の挑発等に左右されることです。
相手国や相手国民間集団のどんなひどい挑発があっても、他方が感情的表現をしたら刑事処罰あるいは何らかの不利益処分というのでは片手落ちでしょう。
一般刑事事件で言えば、挑発があっても言い返すのを超えて手を出した方が犯罪者という基準ですが、「ヘイト禁止論では相手の挑発の有無にかかわらず」同程度の激しい言葉で言い返すことだけでも違反」となれば、「日本人だけ黙って我慢しろ」となって片手落ちのような気がする人が多いでしょう。
とはいうものの日本を挑発している相手方は外国政府または外国政府の別働隊の民間人であり、日本国内で仕返しされるのは日本にいる(そういう運動に関係のない)「在日外国人」であるというズレを無視できません。
外国での反日行為ならこの「ズレ」を無視した「反感を感じること自体に無理がある」というのは分かり良いのですが、日本国内で在日外国人ABC〜Nが激しい憎悪表現で排日運動やテロ行為を連続した場合に、(靖国神社では天皇の肖像写真に竹槍を突き刺してデモしている写真が出回っていましたし、沖縄基地反対運動家ではハングル表示の看板類が目立ち、外国語が飛び交っているとも言われます)「あれは在日のほんの一部であって多くの在日は親日的だ」というだけで納得する人が多数を占めるでしょうか?
もしも短期ビザで政治活動目的に来た特殊活動家による行為であって長期居住している在日に関係ない・・親世代から日本にいる本来の在日にはそんなことをしたい人はいないのでしょうが、日本人には短期ビザできて政治運動している人との区別がつきません。
特定民族出身者のテロや反日発言が続くとその集団員を色目で見たくなるのが自然の感情であり、「そんなに日本が嫌いなら出て行ってくれ」という気持ちが生じ易いでしょう。
中国の反日攻撃が激しい時期に京都嵐山付近を旅行した時に、普段観光地では、中国語程度しか見分けがつかず「中国人はうるさくて観光が台無しだ」程度の印象でしたが、その時には台湾の旗だったか掲げて台湾人であり、中国本土人ではないことをアッピールしていたので「台湾人だったのか!」といきなり親近感に切り替わった光景を思い出します。
在日にも、そういう知恵があれば双方にとって良い方向へ動くでしょうが、反日攻撃を過激化する一方で「反撃するな!ヘイト禁止しろ」という逆方向に注力すると民族和解が難しくなりそうです。
これを感情的意見と批判し集会場利用不許可・抑圧→処罰することで物事が解決するほど社会が甘くありません。
仮にもヘイトを理由に刑事処罰まで進むような制度が作られるようになると、却って国民感情が激化する事態がおきかねません。
色々考えると少数者に対して「出ていけ!」論は1線を超えた表現だから「排除目的扇動」だけ規制するのが合理的に見えますが、その場合でも相手の出方にもよります。「売り言葉に買い言葉」という場合もあるので、難しい問題であることがわかります。
そもそも表現の自由は政府成立前の基本的人権と言いますが、在日外国人が日本政治に口出す表現の自由があるのでしょうか?
自由の有無というよりは、よそから転居してきたばかりのものは、古くからの集落の重要決定に口出ししないで遠慮するのが普通の知恵です。
私の意見・・自由な発想が結果的にその国家・社会の発展に資するから、言論思想の自由市場が望ましいのであって、国家社会秩序を破壊し他国に支配されるように画策する自由があり得るかの関心です。
主権国家は自国内の政治について外国人に干渉される謂われがないので、外国人が適法に入国していても日本国内政治に介入する権利をあたえる必要がない・参政権を付与する必要がないはずです。
大げさな憲法論以前に、サークルに始まって各種組織は自治が原則で、会構成員でないものが会の運営に口出しする権利があるという意見は例外(例えば所属先の定める法令違反・・違法行為があれば権力チェックが入りますが、それは国を含めた上部機関との秩序相克です・・組織トップ関係者の違法行為に関して組織トップや関与者が処罰されたり組織業務停止などの処分を受けた場合でも会内運営自体は、善後策をどうするかを含めて自分たちで決めること)でしょう。
言論の自由は外国人にも原則付与されるとしても、国内政治に関する政治意見を主張しデモ行進などする権利を付与することが、憲法上の要請とは思えません。
とはいえ、仮に政治活動しないことが入国要件になっていないならば、政府が靖国神社や沖縄基地反対闘争などの政治運動に対して、短期滞在外国人が行なっている場合に、それを禁止抑圧する方法がありません。
この場合でも過激な反日政治活動している彼らは非居住者であり、長期居住の在日とは違うことが分かれば・関係のない人に不満が向かうのは合理的でないので、「ある程度」解決します。
反捕鯨活動家が日本に来て何か騒いでも在日豪州人一般に反感が向かわないように・・。
沖縄基地闘争でハングル文字があるということは、逆に親世代からの韓国人でないことが推測されます。
以下に書くように民主国家においては外国人の政治運動自体を取り締まる方法がない・状況下で、短期ビザで来た外国人が日本人に敏感な分野で激しい政治運動している場合には、その旨区分けして分かるようにメデイアが報道すれば、親世代から居住している在日に批判が集まることはないでしょう。
前から書いていますが、情報をきちんと出した方が却って在日のためにも良いのです。
在日団体の行動は、自己防衛に過敏過ぎる結果?長期的に自分の立場を悪くするようなことばかりしているのが、日韓双方にとって不幸です。
外国人の政治活動の自由権ですが、以下にみる通り結論から言うと憲法上の権利ではないが、公職選挙法や政治資金規正法等の具体的法令違反がない限り違法ではないが、在留更新拒否の裁量事由にはされるという灰色的身分です。
普通の人々・・個々人の生き方としても政治に関わらないのが生きる知恵ですから、よそ者がわざわざ政治の争いに首を突っ込んで政敵を作る必要がないといえば言えるでしょう。
「郷に入り手は郷に従え」と古来から言われるように地域社会にうまく溶け込む知恵・工夫が必要です。

ヘイトスピーチ6(我が国法律上の定義2)

現行法を見ると「差別的言動」の中身に言及できない上に、差別的言動に該当したらどうするのかを書いていない・・前文では「不当な差別的言動を許さない」と宣言する」のですが、「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」するだけのようです。
直接規制はこれまで書いてきたように、いきなりやるのは無理が有りそうなので、(当面?)「取り組み推進」となっていて何かを規制するという法律ではありません。
それでもこの法律が成立するとこの法で宣言された基本理念をもとに、行政が自信を持って行動できるようになったことは確かです。
すぐに川崎市では、公的施設利用拒否されるなど相応の効果が出ていますし、デモ行進場所も在日の多い地域を除外しての許可になったような報道でした。
https://mainichi.jp/articles/20160531/k00/00e/040/191000c

毎日新聞2016年5月31日 12時43分
在日コリアンを対象にヘイトスピーチを繰り返している団体に対し、川崎市は31日、団体が集会を予定している市管理の公園の使用を許可しないと通告したと発表した。ヘイトスピーチ対策法が今月24日に国会で成立したことなどを受けた措置。ヘイトスピーチを理由に会場の使用を許可しないのは全国初とみられる。

法律でうたっているのは、「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」するだけのことであって、なんらの取り組み努力もなしに、法成立後わずか1週間で使用不許可・・実力行使したのは表現の事前禁止?になるのか?行き過ぎの疑いが濃厚です。
この法律による規制ではなく、法成立の勢いを借りてやった印象です。
この評価意見はちょっと見たところ以下の
https://togetter.com/li/982640
高島章(弁護士) @BarlKarth 2016-06-02 13:52:58
に出ています。
言論の自由に敏感な筈のメデイア界や憲法学会が(支持基盤に利益であれば?)一切論評しない印象ですが、国民の空気に乗っている限り法理論抜きで何をしても良いかのような対応では憲法や法律学・・人権保障論は不要です。
行政機関が、言論発表の内容を事前審査して(事前検閲は原則として憲法違反)世論動向を読んで使用不許可できるのではおかしなことになります。
法は、このような強権規制を前提としない今後の教育目標にすぎないから、「差別的言動」自体の内容定義すらない条文で終わっている・・・のに、理念宣言法の成立による空気を利用して直ちに表現自体の直接規制が許されるとすれば「差別的」とは何かについてもっと議論を詰める必要があるでしょう。
法で容認されたのは「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」とあるように時間をかけて国民合意を形成するべき努力宣言ですから、逆からいえばまだ「ヘイトとは何かについて)国民合意ができていない宣言です。
このように現場で規制が先走り始めると今後の啓発目標に過ぎないから「定義が曖昧でも良い」とは言い切れません。
竹島を返せとか、特別在留者という「特別身分?」を廃止すべきかどうかの議論をする程度では、国内政治論であって、差別言動にならないように見えますが、これなどもその「会場参加者が突発的にヘイト発言する可能性が高いから」と、あらかじめ会場利用拒否.集会やデモ行進禁止できることになるのでしょうか?
あるいはヘイト発言が始まると即時に発言禁止・集会解散を命じる・・戦前特高警察が常時集会を監視していたような時代が来るのでしょうか?
戦前の特高警察の場合でも、発言しないうちはわからないので、集会自体を開催できて途中現実の発言があってからの制止でしたが、川崎の事例は発言すら始まっていない段階の会場利用自体を拒否ですから、いわゆる事前規制ですから戦前すらしていなかった過激規制です。
過激発言が過去にあった場合、今度も同じ発言する可能性があるとして、あらかじめその人の口を塞ぐ規制が許されるでしょうか?
要は憲法学の定説である事前規制に要する「明白かつ現在の危険」の法理をどのように担保するかの問題です。
実際の経験で「日頃に似合わず、あの人今日は静かだったね!と言う事が幾らもあります。
そもそも暴力行為等を標榜しない政治意見表明の集会にすぎない・・「ヘイトになるかもしれない」という程度の場合、それが「現在する危険」と言えるかの疑問があります。
デモ行進の場所を在日集落付近を避けるよう(在日の密集地帯付近を行進中に暴徒化リスクが高いので不測の事態が起きないように)にコース指導したと言われる県警の判断は合理的印象ですが、会場使用と危険性とは関係が遠すぎる印象です。
特定犯罪に直結するような集会・・例えば〇〇糾弾集会で副題で、糾弾し反対している政治家の家に押しかけるテーマのように具体的害悪提示のスローガンの集会を開くような場合にはその政治家近くの公園での集会は「明白かつ現在の危険」として不許可処分も合理的ですが、抽象的な在日批判集会の会場参加者が「〇〇を日本から叩き出せ!というような過激発言したとしても、参加者が自己満足しているだけで具体的危険性がありません。
取り組み推進過程で支持者を広げるための街頭活動など、その時の発言次第で微妙になりますが、紳士的活動の範囲内であれば、表現・政治運動の自由を制限するほどの問題ではないでしょう。
韓国の竹島不法占領批判集会や運動は、在日韓国人には嫌なことだから集会や運動をすべきではないとなっていくのかなどの批判がされていますが、条文を見るとこれらもそのついでに過激な(行き過ぎた「出て行け」などの)感情的批判をしなければ良いことで、韓国批判の集会を開くこと自体が制限される心配はないはずです。
従来の憲法論からいえば、その集会参加者の一人二人が、いきなり過激意見をぶった場合でもそれはその後の市場評価に委ねるべきであって、その程度の可能性を理由に事前検閲・・会館利用不許可あるいはデモ不許可になるのは行き過ぎです。
今回の騒動によって在日は焼け太りしたかのような批判があり、この法律制定に尽力した政治家が批判されていますが、内容を見ると穏健な内容です。
彼らの期待に応えるかのようにちょっとした韓国批判集会でもひらけないような過剰反応が現場自治体でもしも次々と起きる・(幸い日韓合意成立によって一定の沈静化に成功したので今後嫌韓運動の下火になっていくでしょうが)一方で韓国の反日攻撃がおさまらない場合には、不満が潜行するようになって大変なことになります。
4〜5日前にカズヤとかいう若い人のユーチューブ動画が、政治意見を述べているだけなのに、ヘイト発信しているという集中的攻撃によって、(一定件数の苦情があれば自動的に一旦削除する仕組み?)一方的発信削除されていた件で、機械的取り消しが誤りであったとしてネット再開された途端に僅か1日で50何万件とかの会員登録があったという説明がありました。
このような法律ができたのに便乗して、特定ブログ等に対して「ヘイトの拡散動画」という集中的攻撃をすると自動停止削除する仕組みを利用した攻撃らしいです。
上記の通り対韓国関係で政治意見が気に入らない相手にはヘイトとして攻撃できる副作用を早速生じさせているようですが、これが(日本不安定化を目指す勢力の工作によって)どこまで広がるかによって、社会分断化が進むリスクがあります。

ヘイトスピーチ5(我が国法律上の定義)

現行法の紹介です。
法律名が長くて(ヘイト規制法など)簡略な名称化の難しい法律名です。
それだけにヘイト規制の難しさが反映されていると思われます。
そもそも「規制」という単語すらありません。
論争が決まっていないことから歯切れの悪い条文となっていますので、条文全部みないと、この法律で何が事実上規制されるようになったかがはっきりしないので、引用が多すぎる嫌いがありますが、大方の条文を紹介しておきます。
私の理解では、これまで書いてきたように、「差別的言動は良くない」ことを宣言した意味がその限度で大きな効果があり、(公的施設使用拒否の根拠法となる?→さらにはデモの許可基準にも発展する?)一方で道義心向上に取り組む教育必要性を宣言したような法律です。
ヘイト禁止を推進してきた革新系は長年道徳教育反対論ですが、結果的に少数民族(在日)保護のために特化した「道徳教育?」が必要として道徳教育を推進することになったようにみえます。
これまでの思想の自由市場論の例外として「地域からの排除目的の表現」は市場原理に委ねない分野とし、規制対象となる能登同様に教育現場でも「地域からの排除論に限定した道徳教育」を求めるようになったことは確かでしょう。

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=428AC1000000068

本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年6月3日法律第68号)
前文
我が国においては、近年、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、適法に居住するその出身者又はその子孫を、我が国の地域社会から排除することを煽せん 動する不当な差別的言動が行われ、その出身者又はその子孫が多大な苦痛を強いられるとともに、当該地域社会に深刻な亀裂を生じさせている。
もとより、このような不当な差別的言動はあってはならず、こうした事態をこのまま看過することは、国際社会において我が国の占める地位に照らしても、ふさわしいものではない。
ここに、このような不当な差別的言動は許されないことを宣言するとともに、更なる人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進すべく、この法律を制定する。
第一章 総則
第一条 この法律は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消が喫緊の課題であることに鑑み、その解消に向けた取組について、基本理念を定め、及び国等の責務を明らかにするとともに、基本的施策を定め、これを推進することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。
(基本理念)
第三条 国民は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消の必要性に対する理解を深めるとともに、本邦外出身者に対する不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない
(国及び地方公共団体の責務)
第四条 国は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関する施策を実施するとともに、地方公共団体が実施する本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関する施策を推進するために必要な助言その他の措置を講ずる責務を有する。
2 地方公共団体は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、当該地域の実情に応じた施策を講ずるよう努めるものとする。
第二章 基本的施策
(相談体制の整備)
第五条 略
(教育の充実等)
第六条 略
(啓発活動等)
第七条 略
一般に言われるヘイトスピーチ規制法の定義は人によって幅があるとしても、この法律では「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」の解消に向けた取り組み推進に関する法律です。
そして、差別的言動の対象を本邦外出身者に絞った上で、「不当な差別的言動」の定義を見ると「差別」自体の国民合意ががはっきりしないので差別「的」言動として逃げてしまい、地域排除等の目的から絞るものの、厳しい規制には無理があるので、解消に向けた人権啓発・教育に「取り組み推進」する程度となっています。
(1) 対象を「適法に居住する・・本邦外出身者」に対する差別的言動に限定し
(2)「差別的言動」とは
① 目的による絞り
「本邦外出身者に対する差別的「意識」を助長し又は誘発する「目的」に限定
② 方法・態様の絞り
a「公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は 本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、」
b 本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」

となっていて判り難い定義ですが、上記ab 間には「など、」となっているので前段を例示として(「などにより」)「排除することを扇動する不当な差別的言動」と一体的解釈することになるのでしょうか?
それともabで独立の要件なのか人によって解釈が違うかもしれません。
独立要件であれば、aだけでbの「扇動」しなくとも該当しますが、一体であれば、侮辱的言動等があっても扇動しなければ良いように読めます。
実際的にも、個人的争いでたまたま罵ったとしても、地域排除の扇動でなければ一般的な名誉毀損や脅迫等に該当するときの処理で足りるでしょう。
普通の喧嘩まで外国人に限って特別保護する必要がありません。
bは「差別的言動」の定義規定の中に「・・を扇動する不当な差別的言動」というのですから、「差別的言動」自体の意味解説がなく、その定義は国語的に決まっている?前提で・・・家柄、身長体重、性別、人種、学歴その他さまざまな差別的言動がある中で「地域社会から排除することを扇動する」(ような)「不当な差別的言動」に限定すると読むべきでしょうか?
以上のように読むと、かなり要件が絞られていて、在日系批判が網羅的にマイナス評価されている訳ではなさそうです。

ヘイトスピーチ規制4と自由市場論

「中身のない・・耳を疑うようなことばが次々と出てくる」という意見がヘイト規制必要論の基礎になっているようですが、もともと野党やメデイアが内容のないスローガンを多用してきたのを聞き慣れていて、そう言うものかと自然に身について真似しているだけです。
民主党の「日本死ね」も在特会の「耳を疑う」発言もどちらも国民支持を求めてやっていることでしょうから、「日本シネ」が良くて「韓国死ね」がなぜ悪いかをメデイアが決めるのではなく国民がどちらに嫌悪感を持つかの言論の自由市場で決める問題でしょう。
どちらも意味のない言語での決めつけですから、意味のない意見を受け付けない民度レベルに引き上げて行くのが正道でしょう。
そういう根拠のない意見に踊ろされる国民かどうかによることですから、民度の向上努力をするのが先決であって、これをしないで安直な即効的効果を求めて法で禁止・・強制すると色んな問題が起きてきます。
道徳律というものは、法で強制しない・・文化力で解決しているうちが「花」でしょう。
いきなり法規制するのではなく、直接的攻撃言語を使うのは「人として問題がある」「下品だ」という道徳・・言語マナーの向上運動教育などするべきことが色々あると思われます。
私の記憶によるので時期がはっきりしませんが、いわゆる「街宣右翼」と称する組織が約40年間ほど「どぎつい言語でかつ恫喝するかのような恐ろしい声音」で街頭を走り回っていましたが、規制しなくともそんな運動を誰も支持しなかったので、10年ほど前からほとんど見かけなくなりました。
品がないか内容がないかは国民が選ぶべきことでしょう。
ロバートキャンベル氏の意見は在特会等の主張に対する批評として意味があるとしても、それを理由にして発言を規制しなくてはならないものとは思えません。
彼は規制根拠を述べたのではなく、単に在日批判演説の特徴を述べただけだと思いますが、「内容のない意見や耳を疑う意見」は全て「規制しなければならない」とすれば変な社会になります。
内容のないことしか言わなければ市民に対するに訴求力がなくなり、自然消滅して行きますからこれを規制する必要がない.規制理由にはなりません。
これこそが思想表現の自由市場論だったのではないでしょうか?
漫才やコントも吉本興行も、あるいは選挙時の代議士の街頭演説も内容がないと言えばないでしょうが、何を求めて聞くかは聴衆の自由です。
シンガポールでは20年以上前からタバコ吸い殻のポイ捨て処罰法を施行してニュースになっていましたが、自発的道徳心の向上を待てない社会では何でも為政者による強制が必要(後進国では独裁が効率良い所以)でしょうが、自発的道徳心の高い民度の高い社会では強制から入るのは愚策です
左翼系は反権力を標榜していますが、一方でなんでも自発的努力や市場淘汰に委ねずに規制強化・強制することが大好きです。
日本でもこの10年くらいで地方自治体レベルでポイ捨て禁止条例等が制定されるようになっています。
今回の禁煙規制でも自民党は徐々にしていこうとしますし、メデイアはこれでは骨抜きだと騒ぎます。
最低賃金も好景気を演出して自動的に賃金が上がるのを待つよりは、野党は引き上げ要求(好景気による自律的賃上げを待つよりは強制的引きあげ要求)し、働き方改革でも「自由化反対」一色です。
例えば、最低賃金引き上げを要求する各地弁護士会の声明がネットで出ていますし、労働形態のフレキシブル化を目指す働き方改革反対も同様です。
革新系が何故規制強化が好きなのか(もしかして国家による計画経済・思想・文芸何でも統制してきたソ連型政治を理想化するDNAによるのか?)不明ですが、何かあるつど規制不足していた→「もっと規制強化しろ」と政府批判する傾向があります。
話し合いや社会の自然な流れを利用しないで、なんでも規制強化で促成効果を狙うのは簡単なようでいて結果的に、社会の亀裂を深める低レベルな方法です。
何でも法で強制する風潮・特に政治意見対立関係について根気よく話し合わないで表現方法について法で強制するようになると、処罰規制される方に不満が溜まり、社会がギスギスし、長期的に相互不信社会に変容して行き、社会の安定感が壊れていきます。
一定の反応者・支持者がいる段階でヘイトだからと、強制的に発信手段を遮断されると支持者に不満が残りますが、強制手段によらずに道徳律が行き渡り粗野な言動に国民の多くが眉をひそめて迷惑に感じるようになれば、自然に粗野な言動が減っていきます。
民意が受け入れてくれない以上は、彼らは自己の発言がうけいれられるように紳士的発信になっていくでしょうし、自発的に修正を試みるので恨みが内向しません。
日本で過激派学生運動が下火になっていったのは、規制法が制定されたからではなく、国民が過激主張に賛同しなかった現実・・過激派支持がなくなったので、勢いを失ったのです。
内容のない演説ばかりであれば、放っておけば次第に過激発言支持が下がっていくべきなのに規制が先走りすると、「不公平ではないか」と感じる支持層の参入+感情論が勢いを持ち、却って過激派支持が長引くようになりカネません。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3598/1.html引用の続きです。

龍谷大学教授 キム・サンギュンさん
「彼らのやってることは非常に突拍子もないと思いますけども、その背景にサイレントマジョリティーがいると思いましたね。
自分たちの生存権が侵害される。
もしかしたら何か大変なことに、被害遭うんちゃうかという、そういうふうな危機感なり不安感って非常に強いですね。」

上記記事を見ると在日批判論に対する反対派の意見でも「サイレントマジョリテイ」の支持が背景にあることも書かれていますが、支持者が多そう→「市場競争で在日擁護派が負けている」から「強権で発言を封じよう」という方向になって来たかのような記述です。
在日批判はメデイアのようにスマートな表現訓練を受けていないから、国民不満の表現力が足りずに過激表現になっているようにも見えます。
政治は溜まっている国民不満をすくい取る努力をすべきであって、表現力不足・稚拙さを奇貨として発言の場を取り上げるのは、不満を内向させ日本社会を亀裂社会に変容させるマイナス効果を生む可能性があります。
20日に書いたように「弱いものいじめ」は卑怯ですが、それは第一次的に表現のルール範囲を守るように道徳律で自制を促し、京都の朝鮮人学校への攻撃のように表現の自由の限界を超えれば、それぞれの法による制裁を課せば良いことです。
朝鮮人学校事件以来、さらに攻撃が激化している場合には、既存法の運用では間に合わない・特定表現に絞った新法制定の必要となりますが、私にはよくわかりませんが、その後朝鮮人学校事件以上の激しい事件は起きていないように思いますが、規制に向けた法制定が何故必要になったかの疑問です。
自宅の周りを各人が掃除して綺麗な街にすべきということと、法で強制→処罰する必要があるかは別問題です。
道徳である限り定義が曖昧・柔軟処理可能ですが、法で規制するとなると定義が曖昧では困ります。
ヘイトとは何か?ですが、色んな定義があるとしても当面現行法が制定された以上はその法律の規定・定義・その法でどの程度の規制をしようとしているのかがまずは重要です。

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