定義変更の説明責任(戸塚弁護士インタビュー)1

june 6, 2018,「慰安婦=性奴隷論の説明責任1(言葉のすり替え1)」以降018/06/09/「慰安婦=性奴隷論の説明責任4(独仏の売春制度)」まで連載していましたが、その後横にそれていましたのでその続きです。
言葉の意味を自分の都合に合わせて変えるのって「嘘つき」に近い・・今流行り言葉でいえばフェイクというのではないでしょうか?
文学的レトリックと法の適用とは違います。
戸塚弁護士のインタビュー記事は、法的厳密な事実認定によるのではなく「文学的表現すれば・・」という程度であったことを表しています。
それならば法律学者や弁護士の肩書きで公式運動する以上は、文学的比喩的表現と限定主張すべきだったことになります。
(私も弁護士の肩書きがありますが、このコラムは繰り返し書いているように「仕事を離れた仕事の合間というか自宅に帰ってからホンの短時間ニュース等を見ているだけで丹念に読まずに直感的印象で把握している面があるので誤読もあり得るし・・独自の事実調査したものではない・「思いつき意見に過ぎない」というお断りを折りに触れて書いています。)
その意味では慰安婦騒動の起爆剤になった吉田調書の著者は、もともと法律学者でも弁護士でもないのですから、原則としてフィクションを書いたに過ぎない立場がある点で戸塚弁護士よりも責任が軽いことになります。
戸塚弁護士は弁護士の「業務」として慰安婦問題に取り組んできた成果の発表ですから、その道エキスパートとして慰安婦を定義づけるには、相応の責任があるでしょう。
吉田調書に関しては、メデイアが(裏づけ取材していれば基礎データがない・その場でフィクションに過ぎませんよ!という回答ないし印象理解を得られたはずなのにそれをあえて?省いて)飛びつきたくて?飛びついたに過ぎなかった点で軽率または故意に近いとして朝日新聞の行動は、もしも事実と違った場合には、全面的責任を引き受ける覚悟があったと言うべきでしょう。
これまで引用してきたインタビューでの戸塚弁護士の弁明?はこの時点では事実根拠を上げられず、ムード的当てはめをしたことを認めるかのような表現です。
大学の教員兼弁護士資格で研究成果のごとく発表して世界を誤解させ、国際的に日本批判を展開してきた法律家が、後で根拠を聞かれて?フィクションだったかのような弁明をするのは吉田氏よりも酷くないでしょうか。
フィクションとは明言していませんが、ネットで見る限り以下の要約抜粋しか出てこないので正確には言えませんが、(私のコラムは論文ではなく思いつきコラムなので彼の過去の発言を逐一チェックする暇はありません)印象的理解では、メデイア特有の思わぶりな誘導質問しかせずに(本来「どういう事実調査をして何がわかったのか?」という当然聴くべき質問をしない点は、吉田調書事件での朝日新聞が裏付けをあえて取らなかった対応と同じです)
再々引用ですが、以下のやりとりをもう一度みてください。

岩上「自由もなく、意に反して、強要されて、だまされて連れてこられた人達がいる。それらをトータルで見ると、望まぬことを強要される奴隷状態に置かれた人という定義になるのでしょう」
戸塚氏「奴隷は『所有物』。だから、『所有者』が『所有物』に対して人権を認めていないということ。そういう関係について、他の言い回しがちょっと考えられないので『性奴隷』という言葉を使いました」

「・・・こられた人達がいる」という前提をおく誘導的質問ですが、それをどうやって調べたのか、その比率が何%かの前提もない・・1%でもいたら全員性奴隷になるのか?
そもそも「・・・だまされて連れてこられた人達がいる」前提質問自体、実態調査によったのかそれとも時代小説のイメージで質問しているのかすらわかりません。
岩上氏が憶測的な前提を確定事実のごとく誘導的質問して、それに対してまともに答えられない戸塚氏はいきなり「所有物」観念を持ち出して答えています。
明日書きますが、仮に本意ではなく騙されて連れてこられた人が100%としても、その後その女性が奴隷下に置かれていたかは全く別次元の問題です。
人道上奴隷と定義できるかどうかは連れてこられた慰安婦の実態にかかることですが、この肝心の事実・・実態に言及なくいきなり「所有物」(ですから)「性奴隷」と言うしかなかったという結論が来ています。
慰安婦がもしも所有物扱いされていれば辞書的には奴隷でしょうが、ここのテーマは国語の解説ではなく、慰安婦が売買対象=所有物扱いされていたか否かの事実の有無ですが、それには肯定も否定もしない・答えられないで・国語の意味に逃げ込んでいます。
これは6月6日に紹介した韓国でのインタビューで、明らかになっている通り(いくらお国のためとは言っても)売春したい人がいるわけがない」という思い込みが、岩上氏には知られていたからでしょう。
岩上氏インタビュー引用の続きです。
「・・・強要されて、だまされて連れてこられた人達がいる」という前置き質問に対して、戸塚氏はその内容に入らずにいきなり「所有物」と定義づけした問答ですが、肝腎の「どのような事実があるから慰安婦が所有物と言える」かの説明が一切ありません。
「今日はこういうイベントがあるからおいで」と「騙されて行ってみたらそれほど面白くなかった」という場合、騙された人が奴隷になるでしょうか?
ご馳走してやるというのでついて行ったらラーメンだった場合、騙されたと言っても、奴隷になるわけではありません。
財産犯罪にも泥棒から強盗、恐喝、詐欺横領等いろいろ分かれていますが、騙されてもその結果によって効果はいろいろです。
騙された結果財産上の損害の場合詐欺罪ですが、「子供が泣いてるよ!と嘘を言って持ち場を離れさせたり、仲間が商品説明を求めている隙に別の商品等を持ち去れば詐欺ではなく窃盗です。
「騙された」と言ってもその次の行為や結果によって、言葉の定義が色々に変わることは、戸塚弁護士は法律家として常識のはずです。
騙されて行った先で「監禁されるなど逃げられない状態で反人道的行為を強制されて初めて奴隷的境遇」になるのです。
慰安婦の自由はどうであったかなど肝腎な点について何も検討せずに(騙されて連れてこられた慰安婦が何%いるかも検証していない様子ですが、)仮に「騙された」としても、騙された人間がいきなり誰かの「所有物」になるという超短絡的結論ですが、こういうムチャな論理思考自体単なるミスとは到底思えません。
弁護士でありどこかの大学教授も兼任しているという人物が、国際政治の場で日本政府追及の重要論拠として何年も使ってきた意見ですから「思いつき意見でよく調べていませんでした、ミスです」では済まないでしょう。
「ミスではあり得ない」とすれば、特定政治勢力に利するために「無理なこじつけ」をしたと疑いが濃厚になります。
こういう大胆(=短絡)発言・政治能力?を評価して大学教授にした大学も相当なものです。

ヘイトスピーチ6(我が国法律上の定義2)

現行法を見ると「差別的言動」の中身に言及できない上に、差別的言動に該当したらどうするのかを書いていない・・前文では「不当な差別的言動を許さない」と宣言する」のですが、「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」するだけのようです。
直接規制はこれまで書いてきたように、いきなりやるのは無理が有りそうなので、(当面?)「取り組み推進」となっていて何かを規制するという法律ではありません。
それでもこの法律が成立するとこの法で宣言された基本理念をもとに、行政が自信を持って行動できるようになったことは確かです。
すぐに川崎市では、公的施設利用拒否されるなど相応の効果が出ていますし、デモ行進場所も在日の多い地域を除外しての許可になったような報道でした。
https://mainichi.jp/articles/20160531/k00/00e/040/191000c

毎日新聞2016年5月31日 12時43分
在日コリアンを対象にヘイトスピーチを繰り返している団体に対し、川崎市は31日、団体が集会を予定している市管理の公園の使用を許可しないと通告したと発表した。ヘイトスピーチ対策法が今月24日に国会で成立したことなどを受けた措置。ヘイトスピーチを理由に会場の使用を許可しないのは全国初とみられる。

法律でうたっているのは、「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」するだけのことであって、なんらの取り組み努力もなしに、法成立後わずか1週間で使用不許可・・実力行使したのは表現の事前禁止?になるのか?行き過ぎの疑いが濃厚です。
この法律による規制ではなく、法成立の勢いを借りてやった印象です。
この評価意見はちょっと見たところ以下の
https://togetter.com/li/982640
高島章(弁護士) @BarlKarth 2016-06-02 13:52:58
に出ています。
言論の自由に敏感な筈のメデイア界や憲法学会が(支持基盤に利益であれば?)一切論評しない印象ですが、国民の空気に乗っている限り法理論抜きで何をしても良いかのような対応では憲法や法律学・・人権保障論は不要です。
行政機関が、言論発表の内容を事前審査して(事前検閲は原則として憲法違反)世論動向を読んで使用不許可できるのではおかしなことになります。
法は、このような強権規制を前提としない今後の教育目標にすぎないから、「差別的言動」自体の内容定義すらない条文で終わっている・・・のに、理念宣言法の成立による空気を利用して直ちに表現自体の直接規制が許されるとすれば「差別的」とは何かについてもっと議論を詰める必要があるでしょう。
法で容認されたのは「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」とあるように時間をかけて国民合意を形成するべき努力宣言ですから、逆からいえばまだ「ヘイトとは何かについて)国民合意ができていない宣言です。
このように現場で規制が先走り始めると今後の啓発目標に過ぎないから「定義が曖昧でも良い」とは言い切れません。
竹島を返せとか、特別在留者という「特別身分?」を廃止すべきかどうかの議論をする程度では、国内政治論であって、差別言動にならないように見えますが、これなどもその「会場参加者が突発的にヘイト発言する可能性が高いから」と、あらかじめ会場利用拒否.集会やデモ行進禁止できることになるのでしょうか?
あるいはヘイト発言が始まると即時に発言禁止・集会解散を命じる・・戦前特高警察が常時集会を監視していたような時代が来るのでしょうか?
戦前の特高警察の場合でも、発言しないうちはわからないので、集会自体を開催できて途中現実の発言があってからの制止でしたが、川崎の事例は発言すら始まっていない段階の会場利用自体を拒否ですから、いわゆる事前規制ですから戦前すらしていなかった過激規制です。
過激発言が過去にあった場合、今度も同じ発言する可能性があるとして、あらかじめその人の口を塞ぐ規制が許されるでしょうか?
要は憲法学の定説である事前規制に要する「明白かつ現在の危険」の法理をどのように担保するかの問題です。
実際の経験で「日頃に似合わず、あの人今日は静かだったね!と言う事が幾らもあります。
そもそも暴力行為等を標榜しない政治意見表明の集会にすぎない・・「ヘイトになるかもしれない」という程度の場合、それが「現在する危険」と言えるかの疑問があります。
デモ行進の場所を在日集落付近を避けるよう(在日の密集地帯付近を行進中に暴徒化リスクが高いので不測の事態が起きないように)にコース指導したと言われる県警の判断は合理的印象ですが、会場使用と危険性とは関係が遠すぎる印象です。
特定犯罪に直結するような集会・・例えば〇〇糾弾集会で副題で、糾弾し反対している政治家の家に押しかけるテーマのように具体的害悪提示のスローガンの集会を開くような場合にはその政治家近くの公園での集会は「明白かつ現在の危険」として不許可処分も合理的ですが、抽象的な在日批判集会の会場参加者が「〇〇を日本から叩き出せ!というような過激発言したとしても、参加者が自己満足しているだけで具体的危険性がありません。
取り組み推進過程で支持者を広げるための街頭活動など、その時の発言次第で微妙になりますが、紳士的活動の範囲内であれば、表現・政治運動の自由を制限するほどの問題ではないでしょう。
韓国の竹島不法占領批判集会や運動は、在日韓国人には嫌なことだから集会や運動をすべきではないとなっていくのかなどの批判がされていますが、条文を見るとこれらもそのついでに過激な(行き過ぎた「出て行け」などの)感情的批判をしなければ良いことで、韓国批判の集会を開くこと自体が制限される心配はないはずです。
従来の憲法論からいえば、その集会参加者の一人二人が、いきなり過激意見をぶった場合でもそれはその後の市場評価に委ねるべきであって、その程度の可能性を理由に事前検閲・・会館利用不許可あるいはデモ不許可になるのは行き過ぎです。
今回の騒動によって在日は焼け太りしたかのような批判があり、この法律制定に尽力した政治家が批判されていますが、内容を見ると穏健な内容です。
彼らの期待に応えるかのようにちょっとした韓国批判集会でもひらけないような過剰反応が現場自治体でもしも次々と起きる・(幸い日韓合意成立によって一定の沈静化に成功したので今後嫌韓運動の下火になっていくでしょうが)一方で韓国の反日攻撃がおさまらない場合には、不満が潜行するようになって大変なことになります。
4〜5日前にカズヤとかいう若い人のユーチューブ動画が、政治意見を述べているだけなのに、ヘイト発信しているという集中的攻撃によって、(一定件数の苦情があれば自動的に一旦削除する仕組み?)一方的発信削除されていた件で、機械的取り消しが誤りであったとしてネット再開された途端に僅か1日で50何万件とかの会員登録があったという説明がありました。
このような法律ができたのに便乗して、特定ブログ等に対して「ヘイトの拡散動画」という集中的攻撃をすると自動停止削除する仕組みを利用した攻撃らしいです。
上記の通り対韓国関係で政治意見が気に入らない相手にはヘイトとして攻撃できる副作用を早速生じさせているようですが、これが(日本不安定化を目指す勢力の工作によって)どこまで広がるかによって、社会分断化が進むリスクがあります。

ヘイトスピーチ5(我が国法律上の定義)

現行法の紹介です。
法律名が長くて(ヘイト規制法など)簡略な名称化の難しい法律名です。
それだけにヘイト規制の難しさが反映されていると思われます。
そもそも「規制」という単語すらありません。
論争が決まっていないことから歯切れの悪い条文となっていますので、条文全部みないと、この法律で何が事実上規制されるようになったかがはっきりしないので、引用が多すぎる嫌いがありますが、大方の条文を紹介しておきます。
私の理解では、これまで書いてきたように、「差別的言動は良くない」ことを宣言した意味がその限度で大きな効果があり、(公的施設使用拒否の根拠法となる?→さらにはデモの許可基準にも発展する?)一方で道義心向上に取り組む教育必要性を宣言したような法律です。
ヘイト禁止を推進してきた革新系は長年道徳教育反対論ですが、結果的に少数民族(在日)保護のために特化した「道徳教育?」が必要として道徳教育を推進することになったようにみえます。
これまでの思想の自由市場論の例外として「地域からの排除目的の表現」は市場原理に委ねない分野とし、規制対象となる能登同様に教育現場でも「地域からの排除論に限定した道徳教育」を求めるようになったことは確かでしょう。

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=428AC1000000068

本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年6月3日法律第68号)
前文
我が国においては、近年、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、適法に居住するその出身者又はその子孫を、我が国の地域社会から排除することを煽せん 動する不当な差別的言動が行われ、その出身者又はその子孫が多大な苦痛を強いられるとともに、当該地域社会に深刻な亀裂を生じさせている。
もとより、このような不当な差別的言動はあってはならず、こうした事態をこのまま看過することは、国際社会において我が国の占める地位に照らしても、ふさわしいものではない。
ここに、このような不当な差別的言動は許されないことを宣言するとともに、更なる人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進すべく、この法律を制定する。
第一章 総則
第一条 この法律は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消が喫緊の課題であることに鑑み、その解消に向けた取組について、基本理念を定め、及び国等の責務を明らかにするとともに、基本的施策を定め、これを推進することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。
(基本理念)
第三条 国民は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消の必要性に対する理解を深めるとともに、本邦外出身者に対する不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない
(国及び地方公共団体の責務)
第四条 国は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関する施策を実施するとともに、地方公共団体が実施する本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関する施策を推進するために必要な助言その他の措置を講ずる責務を有する。
2 地方公共団体は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、当該地域の実情に応じた施策を講ずるよう努めるものとする。
第二章 基本的施策
(相談体制の整備)
第五条 略
(教育の充実等)
第六条 略
(啓発活動等)
第七条 略
一般に言われるヘイトスピーチ規制法の定義は人によって幅があるとしても、この法律では「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」の解消に向けた取り組み推進に関する法律です。
そして、差別的言動の対象を本邦外出身者に絞った上で、「不当な差別的言動」の定義を見ると「差別」自体の国民合意ががはっきりしないので差別「的」言動として逃げてしまい、地域排除等の目的から絞るものの、厳しい規制には無理があるので、解消に向けた人権啓発・教育に「取り組み推進」する程度となっています。
(1) 対象を「適法に居住する・・本邦外出身者」に対する差別的言動に限定し
(2)「差別的言動」とは
① 目的による絞り
「本邦外出身者に対する差別的「意識」を助長し又は誘発する「目的」に限定
② 方法・態様の絞り
a「公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は 本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、」
b 本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」

となっていて判り難い定義ですが、上記ab 間には「など、」となっているので前段を例示として(「などにより」)「排除することを扇動する不当な差別的言動」と一体的解釈することになるのでしょうか?
それともabで独立の要件なのか人によって解釈が違うかもしれません。
独立要件であれば、aだけでbの「扇動」しなくとも該当しますが、一体であれば、侮辱的言動等があっても扇動しなければ良いように読めます。
実際的にも、個人的争いでたまたま罵ったとしても、地域排除の扇動でなければ一般的な名誉毀損や脅迫等に該当するときの処理で足りるでしょう。
普通の喧嘩まで外国人に限って特別保護する必要がありません。
bは「差別的言動」の定義規定の中に「・・を扇動する不当な差別的言動」というのですから、「差別的言動」自体の意味解説がなく、その定義は国語的に決まっている?前提で・・・家柄、身長体重、性別、人種、学歴その他さまざまな差別的言動がある中で「地域社会から排除することを扇動する」(ような)「不当な差別的言動」に限定すると読むべきでしょうか?
以上のように読むと、かなり要件が絞られていて、在日系批判が網羅的にマイナス評価されている訳ではなさそうです。

正社員の定義2

このブログは学者の論文でないのでいつも書くように思いつきですが、正社員か否かの区別は職業柄私の慣れ親しんだ法的視点限定で・・分類すれば、期間の定めのある・更新予定のない雇用か否かの違いのようです。(12月1日にもちょっと書きました)
社会学的関心では、規格社会を前提にしてその社会にもっとも適した働き方をしている人を正社員といい、規格外で働く人を非正規労働者と定義していることになるのでしょうか?
希望の党の公約である正社員就労支援とは「一人でも多く規格人間にします」という規格社会のさらなる拡大を目指す主張になりそうです。
人間に正式の人と正式でない人がいないのと同様に、労働者にも正式の労働者と非正規の労働者(違法就労でない限り)いるハズがないのです。
「規格外」と思われる人を必要以上に差別するから、(このシリーズの最初に書きましたが、パートもバイトも違法労働ではありません)非正規という半端な概念が生まれるしそういう区分けが必要になってくるのでしょう。
政治が目指すべきは「規格外の烙印」を押されると生き難い社会を前提にして規格適合者・正社員適合人材を増やすのでは意味がないでしょう。
結婚していない、子供がいない人も生活が普通にできるし、子供がいたり、障害等で1日に数時間しか働けない人や労働能力が規格外の人間・多様な個性を持つ人材が多様な個性に合わせて多様な生き方のできる社会ではないでしょうか?
従来女性の成功者として出てくる有名人の多くはいわゆる男まさりの猛烈型中心で紹介される傾向があった・・・男性でさえはみ出てしまうことの多い厳格な男性の理想的労働規格に女性が適合できた稀な場合ですから、こういう成功例を煽っても仕方がないという苦言を10年ほど前に書いたことがありました。
最近少し傾向が変わって来た・烈女でない普通に生きている女性が、普通に働けている姿が紹介されるようになりつつあるのは良いことだと思います。
男女や体力、方向性の違いを前提にそれぞれの生き方を尊重する社会であるべきです。
ただし、子育て中は外で働けないのは当たり前だと思考停止すべきではなく、働けるような受け皿整備、保育所の充実や職場のIT化により現場系労働でも腕力不要化し、衛生環境・トイレや更衣室設置など・・向上により女性が働き易くするなどの企業努力も重要です。

素人の私が正規・非正規雇用とは何かの意見を書くばかりではなく、専門家の意見をみておきましょう。
http://www.huffingtonpost.jp/nissei-kisokenkyujyo/temporary-work_b_11190746.htmlには、非正規と正規の定義が出ています。

2016年07月27日 16時17分 JST | 更新 2017年07月27日 18時12分 JST
ニッセイ基礎研究所
非正規雇用労働者の実態を国際比較する際に重要なのが非正規雇用労働者を区分する定義であるものの、その定義は国によって異なっており、必ずしも収斂していない。
まず、日本の労働力調査では、非正規雇用労働者を「労働契約期間、以下、従業上の地位」と「勤め先での呼称、以下、雇用形態」により区分している。http://images.huffingtonpost.com/2016-07-26-1469508110-8404116-letter16071911_2.jpg

私が素人的発想・終身雇用的関係にあるのを正社員という考え方でこれまで書いてきたのは、上記のうち期間制限に着目した分類になりますが、週35時間以上かどうかの形式区別ではなく、(週30時間内労働でも・大学教授など週30時間も拘束されていないでしょう))雇用関係が終身的安定か否かで書いてきました。
労働時間で分けると期間が時間単位〜一日〜週単位〜1ヶ月以上を含まないかなど、基準次第で総数が違ってきます。
一般常識ではパートで働いている人が週35時間超えて働いても非正規就労と思っているでしょうから、水色のグラフは社会イメージに合っていないことがわかります。
また水色の基準区分けで済むならば、社会問題になりません。

責任政党とは?3(正社員の定義1)

人手不足で困っていて就職難で困っていない日本で、メデイアの支援を受ける小池氏がなぜ韓国の政策の受け売りをするのか不明です。
小池氏が都知事になってから都政の重要事項について公式会議の手順を踏んで行う方式を無視して密室で決める独断が目立ちますが、そうなるといわゆる14人のブレーンの影響力・彼らの思想根拠が重視されます。
たとえば、築地市場者での座長をしている小島氏の経歴によれば、元々原発反対と築地移転反対論者であったと報じられています。
内部留保課税に関しては、安東氏の言い訳・・・内部留保課税するといえば企業の配当や雇用が増えるからという韓国の経験を下敷きにした意見が出ていますので、彼の意見が参考にされたのでしょう。
日本のメデイアでは、4〜5十年前までには何かあるとテレビ新聞等で「欧米では・・・」と知ったかぶりで講釈する人が多かったのですが、今では韓国事情を紹介する人がメデイア界では幅を利かしているかのような実態が伝わってくる印象です。
11月25日に希望の党のその他の主張?公約の下位に来る具体化主張を紹介しましたが、26日から手元資金問題に流れて期間が空いてしまったのでもう一度再掲します。
特集:2017衆院選

「3本柱」のほかの柱は「議員定数・議員報酬の削減」「ポスト・アベノミクスの経済政策」「ダイバーシティー(多様性)社会の実現」など。柱のほかに「『希望への道』しるべ 12のゼロ」をスローガンに掲げ、隠蔽(いんぺい)ゼロ、受動喫煙ゼロ、花粉症ゼロ――などを打ち出した。」

というのですが、何となくメデイア受けしそうな流行語を羅列したような印象を受けるのは私だけでしょうか?
上記ダイバーシテイー社会の実現と正社員化応援(正社員を増やしていく政策)とどのように整合するのか全く不明です。
幼稚園児が「おまわりさんになりたい」などいうのは微笑ましいものですが、政党の公約でスローガンだけ掲げて何をどう実現するのか不明では政治になりません。
終身雇用意識全盛の戦後高度成長期でも現場労働者や、小規模商店で働く店員等は身分保障がありませんでした。
終身雇用社会といっても一定の社会状況で中心的雇用形態になっていた、あるいは理想的就職先と観念されていたに過ぎません。
現在〜将来にかけて終身雇用維持どころかこれを拡大させる必要性があるか?という基礎的議論が必要でしょう。
いわば人を商品のごとく働き盛りの男性を規格品とし、それ以外は男性を含めて女性全てを規格外商品・キズ物として必要以上に不利益に扱い、自立しづらい社会・・ギュウギュウ詰めの満員電車その他全て規格適合(48時間戦えますか!)の男性向けにつくられていた社会でした。
人の一生も一定の型が理想とされ、結婚して1人前といい、子供がいないと肩身が狭いなど何もかも画一基準社会でした。
規格にはまった人間以外はダメという社会では期待される能力がオールラウンド型が有利になりがちですが、規格外で良いとなれば、できない部分が多くても部分的に秀でた人が生きやすい社会になります。
ゆとり社会が始まると少しくらい規格外(ハンデイがあっても)でも働ける労働環境が整備され、いまでは女性が外で働くのが普通になり、子育て中でもやめなくてもいいし男女を問わずガン治療中の人でも職場復帰できるようになってきました。
宅配や訪問介護等が介護が充実していけば、子供のいない老後(単身のまま老いて)もそれほど気になりません。
通勤手段もエスカレーターなど整備され歩行弱者も気軽に外出できるようになっています。
非正規労働だけが問題ではなく正社員という「規格」外でも自立して生きていける社会にして行こうとする動きを肯定的に見ていく気持ちがあるか?でしょう。
労働者にとって意味があるのは、正社員・終身雇用(嫌なことがあってもやめられない)そのものに意味があるのではなく、生活の不安定・・病気や何かの事情では働けなくなる時の備えあるいは、きちんとした年金や保険制度加入の恩恵があるかどうか、失業すると再就職困難な社会を前提に終身雇用を理想として来たにすぎません。
「正社員」就労を支援するよりも、事情があって一旦仕事から遠ざかりその後再就職したい場合でもいろんな受け皿のある社会にした方が合理的です。
相応の生活できる見込みさえあれば、大企業の社長等に登り詰める自信がない限りサラリーマンよりは自営業者・脱サラ・独立を夢みる人が多いのと基礎は同じで人は自由を求めているのです。
働き方の違いに応じて年俸ではなく月給になり週休日給になってもいいのですが、それと保険や年金制度から切り離す必要がないということです。
正社員にこだわる意見は正社員?規格適合者とその他条件で働きたい人とで関連条件格差を前提にしています。
保険や年金あるいは日々の収入の確保・・起業・再就職のしやすい社会・・生活の安定をどうやって保障していくかに意味がある・・職を転々しても相応に生活できれば、終身縛られない方がいいと思う人が多いでしょう。
繁華街のように無数の商店があれば、お金さえあれば晩御飯を食べたりもの買ったりするのに困らない・・何もかも数ヶ月分も自宅に備蓄する必要がないし、老後生活も介護関連が充実すればあくまで子世帯と同居する必要がありません。
労働環境も受け皿や社会保障制度の問題であって、再就職環境が整っていて転職者にとって非合理な格差がなければ、終身雇用にこだわる必要がありません。
パート等に対する社会保障等の支援が充実して行けば、さらに正社員希望が減って行くのではないでしょうか?
社会が必要としているのは、正社員就職支援ではなく不定期就労したい(いろんな規格の)人の要望を受け容れながら、必要な待遇改善の問題であることがわかります。
転職した人の年金の継続を図るなど不便さの解消・・目の悪い人や足腰の弱い人の労働能力が健常者(規格人)とに比べて2割劣っていても、給与が2割低いだけの差が合理的であって、1〜2割劣っていると就職できないで無収入になるとか、保険制度に入れないなどの差がつくのは不合理です。
ここの価値としてはその通りですが、商品供給側の企業としては2割の欠陥商品では2割引でも売れません。
個々人を部品のように切り分けられれば、ある人が根気がなくて3時間もするとミスが出るとしたら3時間前に交替させればいいことです。
あるいはABCDの要素・・組み立ては得意だが色つけが下手とすればその工程を別人にやらせたらいいことで、この程度の(蒔絵の工程や浮世絵の版元〜刷り師、絵描きなど)分業は江戸時代からやっています。
これをもっと細分化すれば・耳の悪い人でも手作業に支障がない・絵は描けるなど・・良いことです。何もかも平均的オールラウンド型能力を要求する規格社会(教育制度ではオールラウンド型国立大学出身の支配的社会?)は窮屈すぎるほか、必要以上の偏見を生むようになります。

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