ヘイトスピーチ6(我が国法律上の定義2)

現行法を見ると「差別的言動」の中身に言及できない上に、差別的言動に該当したらどうするのかを書いていない・・前文では「不当な差別的言動を許さない」と宣言する」のですが、「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」するだけのようです。
直接規制はこれまで書いてきたように、いきなりやるのは無理が有りそうなので、(当面?)「取り組み推進」となっていて何かを規制するという法律ではありません。
それでもこの法律が成立するとこの法で宣言された基本理念をもとに、行政が自信を持って行動できるようになったことは確かです。
すぐに川崎市では、公的施設利用拒否されるなど相応の効果が出ていますし、デモ行進場所も在日の多い地域を除外しての許可になったような報道でした。
https://mainichi.jp/articles/20160531/k00/00e/040/191000c

毎日新聞2016年5月31日 12時43分
在日コリアンを対象にヘイトスピーチを繰り返している団体に対し、川崎市は31日、団体が集会を予定している市管理の公園の使用を許可しないと通告したと発表した。ヘイトスピーチ対策法が今月24日に国会で成立したことなどを受けた措置。ヘイトスピーチを理由に会場の使用を許可しないのは全国初とみられる。

法律でうたっているのは、「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」するだけのことであって、なんらの取り組み努力もなしに、法成立後わずか1週間で使用不許可・・実力行使したのは表現の事前禁止?になるのか?行き過ぎの疑いが濃厚です。
この法律による規制ではなく、法成立の勢いを借りてやった印象です。
この評価意見はちょっと見たところ以下の
https://togetter.com/li/982640
高島章(弁護士) @BarlKarth 2016-06-02 13:52:58
に出ています。
言論の自由に敏感な筈のメデイア界や憲法学会が(支持基盤に利益であれば?)一切論評しない印象ですが、国民の空気に乗っている限り法理論抜きで何をしても良いかのような対応では憲法や法律学・・人権保障論は不要です。
行政機関が、言論発表の内容を事前審査して(事前検閲は原則として憲法違反)世論動向を読んで使用不許可できるのではおかしなことになります。
法は、このような強権規制を前提としない今後の教育目標にすぎないから、「差別的言動」自体の内容定義すらない条文で終わっている・・・のに、理念宣言法の成立による空気を利用して直ちに表現自体の直接規制が許されるとすれば「差別的」とは何かについてもっと議論を詰める必要があるでしょう。
法で容認されたのは「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」とあるように時間をかけて国民合意を形成するべき努力宣言ですから、逆からいえばまだ「ヘイトとは何かについて)国民合意ができていない宣言です。
このように現場で規制が先走り始めると今後の啓発目標に過ぎないから「定義が曖昧でも良い」とは言い切れません。
竹島を返せとか、特別在留者という「特別身分?」を廃止すべきかどうかの議論をする程度では、国内政治論であって、差別言動にならないように見えますが、これなどもその「会場参加者が突発的にヘイト発言する可能性が高いから」と、あらかじめ会場利用拒否.集会やデモ行進禁止できることになるのでしょうか?
あるいはヘイト発言が始まると即時に発言禁止・集会解散を命じる・・戦前特高警察が常時集会を監視していたような時代が来るのでしょうか?
戦前の特高警察の場合でも、発言しないうちはわからないので、集会自体を開催できて途中現実の発言があってからの制止でしたが、川崎の事例は発言すら始まっていない段階の会場利用自体を拒否ですから、いわゆる事前規制ですから戦前すらしていなかった過激規制です。
過激発言が過去にあった場合、今度も同じ発言する可能性があるとして、あらかじめその人の口を塞ぐ規制が許されるでしょうか?
要は憲法学の定説である事前規制に要する「明白かつ現在の危険」の法理をどのように担保するかの問題です。
実際の経験で「日頃に似合わず、あの人今日は静かだったね!と言う事が幾らもあります。
そもそも暴力行為等を標榜しない政治意見表明の集会にすぎない・・「ヘイトになるかもしれない」という程度の場合、それが「現在する危険」と言えるかの疑問があります。
デモ行進の場所を在日集落付近を避けるよう(在日の密集地帯付近を行進中に暴徒化リスクが高いので不測の事態が起きないように)にコース指導したと言われる県警の判断は合理的印象ですが、会場使用と危険性とは関係が遠すぎる印象です。
特定犯罪に直結するような集会・・例えば〇〇糾弾集会で副題で、糾弾し反対している政治家の家に押しかけるテーマのように具体的害悪提示のスローガンの集会を開くような場合にはその政治家近くの公園での集会は「明白かつ現在の危険」として不許可処分も合理的ですが、抽象的な在日批判集会の会場参加者が「〇〇を日本から叩き出せ!というような過激発言したとしても、参加者が自己満足しているだけで具体的危険性がありません。
取り組み推進過程で支持者を広げるための街頭活動など、その時の発言次第で微妙になりますが、紳士的活動の範囲内であれば、表現・政治運動の自由を制限するほどの問題ではないでしょう。
韓国の竹島不法占領批判集会や運動は、在日韓国人には嫌なことだから集会や運動をすべきではないとなっていくのかなどの批判がされていますが、条文を見るとこれらもそのついでに過激な(行き過ぎた「出て行け」などの)感情的批判をしなければ良いことで、韓国批判の集会を開くこと自体が制限される心配はないはずです。
従来の憲法論からいえば、その集会参加者の一人二人が、いきなり過激意見をぶった場合でもそれはその後の市場評価に委ねるべきであって、その程度の可能性を理由に事前検閲・・会館利用不許可あるいはデモ不許可になるのは行き過ぎです。
今回の騒動によって在日は焼け太りしたかのような批判があり、この法律制定に尽力した政治家が批判されていますが、内容を見ると穏健な内容です。
彼らの期待に応えるかのようにちょっとした韓国批判集会でもひらけないような過剰反応が現場自治体でもしも次々と起きる・(幸い日韓合意成立によって一定の沈静化に成功したので今後嫌韓運動の下火になっていくでしょうが)一方で韓国の反日攻撃がおさまらない場合には、不満が潜行するようになって大変なことになります。
4〜5日前にカズヤとかいう若い人のユーチューブ動画が、政治意見を述べているだけなのに、ヘイト発信しているという集中的攻撃によって、(一定件数の苦情があれば自動的に一旦削除する仕組み?)一方的発信削除されていた件で、機械的取り消しが誤りであったとしてネット再開された途端に僅か1日で50何万件とかの会員登録があったという説明がありました。
このような法律ができたのに便乗して、特定ブログ等に対して「ヘイトの拡散動画」という集中的攻撃をすると自動停止削除する仕組みを利用した攻撃らしいです。
上記の通り対韓国関係で政治意見が気に入らない相手にはヘイトとして攻撃できる副作用を早速生じさせているようですが、これが(日本不安定化を目指す勢力の工作によって)どこまで広がるかによって、社会分断化が進むリスクがあります。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC