STAP細胞事件2と日大アメフト事件2(危機管理2)

私の理解によれば研究成果が内部で評価されるだけで、外部批判にさらされ難い・・「社会によって批判され難い」場合にモラルが低下するという区分けが可能です。
製造現場でのデータ捏造による革新技術開発発表は、それを利用する工程ですぐにバレるので、再現できない発表は起こりえません。
STAP細胞問題は、実用化が待望されていた分野であったからこそ話題性があったし、その分その成果を利用してみようとする追試が盛んに行われたので、再現不可能性の疑問が早期に巻き起こったのでしょう。
小保方氏は、誰も相手にしない学位論文同様に、「ネイチャーの書類審査さえ通れば良い」的気分で捏造データによる発表をしてしまったものと思われます。
大学の研究部門発表では、実用性に乏しい分発覚しにくい・・言論自由市場論のまやかし同様で、学問の自由にアグラをかいて、外部批判どころか学内からの批判さえ事実上受け付けないシステムに問題があるように見えます。
早稲田大学が小保方氏の学位論文を非公開にしていた訳ではないとしても、理系論文の場合、よその大学の若造の学位論文がインチキかどうかなど、他大学のプロは誰も手間暇かけて検証したいうほどの価値がないのが普通です。
たまたま同方向の研究者で「もがいている」テーマの発表がでれば、興味を持って研究・追試対象にするでしょうが、そうでなければ本当に価値ある新発表であればそのうち誰かが利用して世に出るだろう・そのとき参考にすればいいと言う程度で放っておくのが普通の動きでしょう。
たまたま同方向で実験を繰り返しているような場合には、発表した実験が自分と違った方法、あるは混ぜる資料が一つ違った工夫というような場合には、その資料だけ入れ替えて再現実験できるので簡単ですが、そうでない無関係な研究者が追試しようとすると新規に実験装置全部用意するしかないのでは膨大なコストがかかります。
そんなことが本当にできるかな?と科学常識で疑問に思っても、おいそれとは追試実験出来ない・再実験するには巨大な装置コストがかかる仕組み・採点教官でさえ合理的チェック・批判するには「そっくり同じ装置や資料をゼロから用意して同じ実験をしてみないとわからない」ので、その実験が発表通り行われた前提でしか採点できないのでしょう。
(「ABCD試料を合成してXになった」と言う場合、目の前で混ぜている試料が本当にABCDの試料かどうかまでチェックするには容器にAと印字されているだけで信用せずに中身を実際に確認する必要・・実験材料からして自分で集めて見ないとわからない・・200時間の実験成果であれば自分も200時間同じようにやるしかない(・・プロは要点を見れば出来の良し悪しがわかるとしてもデータが前後矛盾なく差し替えられている場合、捏造か改変されているかどうかまでは分からないでしょう)→そんな時間がないので事実上合理的チェック不可能な状態と思われます。
昨日出た会議でも、役所のアンケート結果の集計を見せられてそれを議論するのですが、そのアンケート集計が正確かどうかを議論する暇がない・正確性を前提にした議論しかありません。
こういう前提をつき崩したのは働き方改革法案の前提になっている集計がおかしいという批判でしたが、こういう批判ができるのは審議会の偉い人ではなく、集計に関与している現場の人しかありません。
4〜5日前に公共施設利用者のアンケート集計結果を紹介しましたが、回答者の属性不明のママ議論することになります。
民俗調査・・東南アジアや太平洋諸島などに出かけるフィールドワークの学問発表・古老の話の採録発表も、いくつか事実があるだけで重要部分が作文かどうかは(客観資料との比較の他に)採点者が現地に行くなどして古老に聞いて歩いて確認しないと本当のことは分からないはずです。
サンゴ礁のやらせが発覚したのは、地元漁協の憤慨があってこそバレたものですが、大して手間のかからないことでも多くの場合裏付けまで取らないしそんな暇もなく報道をそのまま受け入れるしかないのが普通だから起きるのです。
NHKによる台湾の現地住民に対する「人間動物園」だったかの報道では、テレビカメラまで入っての「客観性ありそうな」報道でしたが、台湾原住民が別のことに感動し涙を流しているのに違う方に演出していたことが、問題になったようですが、訴訟としては映像をどのように利用しようと編集権の範囲で文句言えないという判決だったようです。
慰安婦報道の元になった吉田調書も結果的に「フィクションで何が悪い」となったようですし、
指導教官や審査委員ではない部外者の場合、本気でチェックしようとすれば装置や材料の準備まで全て新規に揃えて同じ実験をするしかない・・理系研究は装置産業化している点で事実上の参入障壁・非公開性があり、ひいてはデータ捏造の誘惑が高まります。
この現実をどうすべきか(やりようがないと匙を投げ、放置するのではなく)こそが、大学や研究機関に求められている「自浄期待」と思われます。
まずは、不正に対する厳罰のルール化が必須です。
バレたら研究者生命を失うとなれば、安易な不正に手を染める人は激減するでしょう。
この点で内部の懲戒処分制度の厳格運用姿勢は重要です。
最近大騒動になっていた日大アメフト部のルール違反に対する社会の批判の視線もそこにあります。
井上コーチはまだ30歳のようですが、あるいは20歳そこそこの選手でも選手に出るからには、選手としてやっていいことと悪いことの区別はつくはず・・公式試合に出す以上はルールを理解していない選手はいないのが原則でしょう。
ましてコーチともなれば業界からの追放処分を誰も重すぎるとは思わないでしょう・重すぎるという批判意見を見たことがありません。
人権擁護の一方的報道の雄である毎日新聞でも、以下のように客観的に報道するのみで処分を(「市民感覚があ〜と批判せずに)肯定するかのような報道姿勢です。
https://mainichi.jp/articles/20180530/ddm/005/070/126000c

日本大アメリカンフットボール部選手の悪質なタックルをめぐる問題で、関東学生連盟が関係者の処分を決めた。日大の内田正人前監督と井上奨(つとむ)元コーチは除名とした。
除名は懲罰規定で最も重く、大学アメフット界からの永久追放にあたる。学生に限らず、スポーツ界での除名処分は極めて異例だ。
・・・・・こうして内田氏を頂点とするピラミッド型のゆがんだ支配構造が構築されていった。学連の処分は、この構造こそが問題を引き起こした本質だと断罪したに等しい。

組織維持の根幹に関わるルール違反があれば、国家の場合、刑事処罰・・国外追放から死刑、〜刑務所への隔離等があるように、組織有る限り、組織維持のために除名→業務停止〜戒告等の順に厳しい処分を行うのが原則です。
これがきっちりできないとその業界・組織がジリ貧になります。
アメフト業界(関東学連)による上記処分は日大の組織挙げての違反行為を看過できないとしたものですが、日大としてはこの処分を受けても(元凶と言われる内田氏の大学支配が強すぎて)誰も「首に鈴をつけられない」状態らしく大学の対応をどうするかの腰が定まらないママでした。
早稲田大学が、身内教授らへの波及を恐れて小保方氏の不正を認定しながら学位剥奪をしなかったのと似ています。
我々弁護士会でも、懲戒制度の適切な運用こそが、弁護士自治・弁護士の信用維持を実効性あらしめる核心的位置にあると言われる所以です。
懲戒請求された弁護士が可哀想という人権論・同情を基本に運用していたのでは、社会の信用を維持できません。
まず第一に非違行為の事実があるかどうかは人権を守るために厳格に認定する必要がありますが、非違事実があった場合にそこに至った情状を総合して弁護士のあるべき姿に対する社会の信頼がどの水準かを知り、また「あるべきか」の価値判断で決めるべきで、知り合いか、可哀想かどうかを判断要素にしたのでは国民の信頼が揺らいでしまいます。

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