ヘイトスピーチ16(我が国の憲法論議3)

ウイキペデイア引用の続きです。

麗澤大学教授の八木秀次(法学)は、左派メディアが保守運動や保守政治家に対し、
「ヘイト団体」との関係をこじつけ「悪」のレッテル貼りをする行為は「欺瞞」であるとし、「ヘイト団体」の行為は日本人の美徳に反しており許すべきではないが、一方それを「正義面で保守批判に利用」し、「イカサマ」であると批判している[42]。
矢幡洋(臨床心理士)は、
ヘイトデモを行っている団体と、それに対抗して暴言を吐いている団体同士の感情的な対立について、「集団同士のこういった対立は、互いに自分は正しく相手は百パーセント悪いと思うようになり、攻撃性を強めることに力を注ぐ傾向にある。どちらも自己批判を伴う『悩む』という力を失う。世界には真っ白と真っ黒しかなく、自分たちは正しいと非現実的なとらえ方をしてしまう。
自己批判や自己吟味を回避できるため、非常に楽なのだが、現実が見えなくなってしまい危険だ。このスパイラルに入ると、なかなか和解の道は見つけられなくなる。
話し合う余地のある相手と見ていないから、さらに攻撃して絶滅させるべき相手でしかないという見方になる。自分たちの主張もするが、自己批判も同時にできる心理的強さをもった人がリーダーシップを取るのが唯一期待できる解決への道だ。
現実をちゃんと見られる現実主義者が団体の中でかじを取ってくれれば変わってくるのではないか」と分析した[151]。
2015年6月6日、兵庫県宝塚市に元朝日新聞記者の植村隆が招かれ、植村による講演が行われた。
講演会の告知チラシにはいわゆる従軍慰安婦の「強制連行」を否定する風潮が今日のヘイトスピーチを生み出しているといった主張が記されていた。
会場で植村の講演内容を聞いた宝塚市議の大河内茂太は
「植村氏の主張は『強制連行された慰安婦』の存在に疑問を抱くことは一切許されないというものに思えた」
と語った。
主催団体が求めるヘイトスピーチの法規制のとらえ方についても
「人種・民族差別に対する批判というよりも、むしろ、形を変えた〝反日闘争〟とすら言える」
と、違和を感じたという[257]。

道徳律を強制するために法制定によって強引な解決を目指すと、これが相互不信を助長し傷を深くするリスクを感じないのか?
保守派を刺激することに快感を覚えている国内人権グループやこれの過激化を求める応援団の政治能力に危惧を覚えます。

言論禁止政策は争いが内向化し却って過激化していくので、双方に救いがない・日本社会にとって不幸なことになるように思えますが・・「絆が自慢の日本社会」を亀裂社会化することを喜びとする政治勢力もあるのでしょう。
日本国内の相互不信激化、日本社会をどんなに困った状態にしてしまおうと、何を画策しようとも「自己実現」することは褒められこそすれ、「憲法上批判されない」という憲法学者の考えそうなことです。
後進国等でテロ等に発展するのは、不満があると妥協する高度な能力がないからですが、このような紛争形態を日本に持ち込みたい勢力もいるのでしょう。
双方合理的話し合いのテーブルにつくようにお膳立てするのが政治の役割であって、これを規制によって怒りを潜行させるのは政策的には愚の骨頂です。
上記引用の矢幡洋(臨床心理士)の見解

「・・世界には真っ白と真っ黒しかなく、自分たちは正しいと非現実的なとらえ方をしてしまう。自己批判や自己吟味を回避できるため、非常に楽なのだが、現実が見えなくなってしまい危険だ。このスパイラルに入ると、なかなか和解の道は見つけられなくなる。話し合う余地のある相手と見ていないから、さらに攻撃して絶滅させるべき相手でしかないという見方になる。」

上記意見は示唆に富むように思われますが・・・。
ヘイトスピーチ禁止で反韓言論を表面上撃退できても、それがどんな効果があるか?
個々人で言えば、近所でおかしな人がいれば相手にしませんが、一定限度を超えれば警察や精神病院に通報するのが普通です。
これをヘイトという方が言葉の濫用です。
韓国が反日感情をいくら煽っていても(個々の在日がなにか悪いことをしている訳はないので)在日に反韓感情をぶつけるのは相手が違いますが、相手が違うと非難する・・単純に言い切るだけで「ことが治まる」ものではありません。
成人の息子が近所の人を殺傷した場合、親には法的責任がないと澄ましていられないのと同様に、その違いや共通項についてきっちりした吟味が必要でしょう。
ヘイトスピーチ規取り組み法(通称)が成立しましたが、反日を煽る中韓の政策が修正されないまま反中韓感情表明だけ規制される(反中韓感情表明は自由だが関係のない在日批判は弱い者イジメだというのは確かに正論ですが、感情というのは理性だけで割りきれないから感情というのです)と反中韓感情が却って強く潜行していくだけで、本らいの解決にはなりません。
例えば精神病者や不良が大事件を起こすとその保護者もその地域にいたたまれなくなってどこかへ、転居する例が多いですが、それを人権侵害と言っても言わなくとも、結果は同じです。
自分の子供が隣人の子供に殺された場合、加害者の親に責任がないと言って隣にそのまま住み続けられる人がいるか?ということです。
大阪の池田中学だったかの大量殺傷事件の保護者・家族がどうなったか知りませんが、開き直るよりはどこへ転居するのが普通です。
宇宙や地球論では、理論では未解明部分が多すぎることを書いている途中ですが、親の責任をいうのは感情論というものの、将来的に理論的根拠があることがわかってくる可能性もあります。
庶民の根強い感情論は、実は今説明できないだけで後になると合理的根拠が分かることが多いので、感情論を無視すべきではありません。
実際革新系文化人.人道主義者自身の慰安婦騒動を例にとれば、彼らは慰安婦を性奴隷だったとした上で、我々の親世代の行為について孫世代の責任追及をしているのですが、パク大統領の言によれば、「千年間でもゆるせない→子々孫々まで責任をとるべき」という変な理屈です。
同じ「文化人」が、対中韓の日本民族の責任論になると先祖の責任を子々孫々まで負担すべきといい、中韓の日本攻撃(現在の日本人の行為が対象ではないので、事件に関与していないが、同一民族構成員ということによる攻撃に他なりません)に対する日本の対中韓民族に対する反感表明になると、民族間の争いと個人は別だとなるのですから、御都合主義(どこの国のための意見か?)の主張というしかありません。
自国や自分の民族のためになろうがなるまいが(自民族が他民族の支配下に入る方が良いと思えば)言いたいことを言える人が「自己実現]」していて「ご立派」となるのでしょうか?
そのような思考背景には、国家と人民の「二項対立」を推し進めた占領施策の影響下にまだ染まっているのではないかという疑い?を私は持っています。

ヘイトスピーチ15(我が国の憲法論議2)

昨日引用論文は司法書士連合会の機関紙?寄稿論文(普通は寄稿を頼まれてから執筆するものでしょう)だったのに、論文が完成し校正も終わった段階で引用データ削除を求められたが折り合いがつかず(これこそ執筆者にとっては学問自由の領域です)に、掲載拒否されたので、これを大学機関紙?での発表に切り替えたというのですから、このやり取りの方が驚きです。
弁護士会同様に司法書士会もまずはいろんな意見を聞いてから会員が会の方向性を決めるのではなく、会員に情報サービスする前に幹部間で一定方向の結論が決まっていてその方向への結論に資する論文を求めて、これを会員に周知する傾向が強まっているのでしょうか?
上記論者のいうとおり、特定思想立場で意見表明するかは組織の自由ですが、もともと特定政治立場に共鳴して参加している訳ではない弁護士会や司法書士会は・価値中立・どういう意見があるかを会員に広報した上で会員の意向によって行動指針を決めるべきではないでしょうか?
ヘイトに関する学会の意見状況の紹介を続けます。
http://maeda-akira.blogspot.com/2012/11/blog-post_8.html

前田朗Blog『統一評論』563号(2012年9月)
Thursday, November 08, 2012
差別表現の自由はあるか(4)
今回は、そうした理論状況の特徴を見るのに有益と思われる二つの文献を検討することにしたい。
一つは市川正人『表現の自由の法理』(日本評論社、二〇〇三年)であり、もう一つは内野正幸『表現・教育・宗教と人権』(弘文堂、二〇一〇年)である。

表現の自由に関してはこれ以外にも多くの重要な研究業績が存在するが、ここでは旧内野説から新内野説への転換を見て行くことが主たる関心事であり、そのためには上記二冊を見ることで足りると考えられる。
表現の自由に関する研究の第一人者である奥平康弘にも『表現の自由を求めて』(岩波書店、一九九九年)などの重要著作があるが、ヘイト・クライム処罰は主題とされていない。
二 市川説による到達点
市川はまず、「アメリカにおける差別的表現の規制」について、①アメリカ合州国最高裁のR.A.V.判決を検討し、②次に批判的人種理論の挑戦によって始まった差別的表現禁止をめぐる論争を検討する。そのうえで、市川は、③日本における差別表現規制をめぐる論争、すなわち旧内野説とそれへの批判を整理して、差別表現規制法の可否を論じ、人権擁護法案について検討を加えている。
① R.A.V.判決とその評価
「「差別的表現禁止法を人種などに関するけんか言葉の禁止として正当化する手法は、これまでの判例の流れからして最も自然な手法であるが、本判決はこの手法を否定したのである。また、本判決は、差別的表現の禁止を、少数者の人権擁護のためのやむにやまれざる政府目的を達成するために必要不可欠な規制と構成する手法をも否定した。/本判決が差別的表現禁止法に対してこのような厳しい姿勢をとったのは、差別的表現禁止法に対し、特定の争点につき非寛容の思想ないし偏見をもつ側にのみ負担を課す(見解差別的効果を有する)ものであるとの否定的な評価を加えているからであろう。・・」
市川の評価の前提、そしてアメリカ最高裁判例の前提には「思想の自由市場」の論理があることがよくわかる。あくまでも「思想」であり、「表現」であるという位置づけである。この思考と、表現の自由の優越的地位とがセットになることによって、ほとんど無制約の表現の自由論が構築されることになる。
② 批判的人種理論の挑戦
市川は、次に批判的人種理論の挑戦について検討している。批判的人種理論とは、一九八〇年代末頃からアメリカに登場した理論であり、この文脈では、差別表現禁止を唱える見解として位置づけられる。

日本のヘイトスピーチ・表現の自由の優越的地位と関連法理に関するウイキペデイアの記事からです。

韓国籍在日朝鮮人で政治活動家の李信恵は、自身のTwitterに「路上が国会に繋がった。ヘイトスピーチ対策法は、路上に立ってたみんなが作った法律だと思う。嬉しくて、涙が止まらない。」などと書き込み、ヘイトスピーチのデモに対する抗議行動など、差別反対の運動が法案整備につながったと評価した。
弁護士の堀内恭彦は、「外国人に対する差別的言動は許されないが日本人に対する差別的言動については問題にしないというおかしな法律である」と評している。また、このような理念法が成立すれば、その後の個別具体的な法律が作りやすくなるため、今後、必ず禁止や罰則が付き「ヘイトスピーチ審議会」に特定の人種、利害関係者を入れ込むという法律制定の動きが出てくると危惧している。
さらに、法律の成立過程を見る限り、自民党を初めとした多くの国会議員に「表現の自由」が侵害されることへの危機意識が感じられないと主張している[7]。
憲法学者の八木秀次は、具体的にどのような行為がヘイトスピーチに当たるのか不明確であり、自治体や教育現場が法律を拡大解釈し過激化する恐れがあると懸念を示している。
例えば、外国人参政権が無いのも、朝鮮人学校に補助金を出さないのも、戦時中の朝鮮人強制連行が歴史的事実として誤りだと主張するのも、在日韓国・朝鮮人に対する「侮辱」「差別」だと訴えられる可能性も否定できないとしている。
そのため、政府は「どこまでが不当な差別的言動で、どこまでが許される表現なのか」を示す具体的なガイドラインを作るべきであると述べている[8]。

ヘイト問題は、まだ途上的議論(の筈)ですから、自己流に纏めずに煩を厭わずいろんな意見を羅列的ですが引用しておきます。
ウイキペデイアの7月19日の記事からです。

岩田温(政治学)は「民族、宗教、性別、性的指向等によって区別されたある集団に属する全ての成員を同一視し、スティグマを押しつけ、偏見に基いた差別的な発言をすること」と定義している[148]。
九州大学准教授の施光恒(政治学)は「ヘイトスピーチ」という英語(カタカナ語)を使うのでなく、「何が不当なのか」という問題の本質に目を向けるためにも、日本語で正確に表現したほうがいいと主張している。[149]。
青山学院大学特任教授の猪木武徳(経済学)は、

「ヘイトスピーチは「人種、宗教、性などに関する「少数派」への差別的言説一般を指すと大ざっぱに理解されている」
とし、デモのような大勢の「匿名性は公的なメディアで発言する者への悪意ある批判を誘発する」が、逆に、
「少数の暴力的な集団が多数の普通の社会生活を送る人々を脅す例もある」
ため、
「国家による言論統制」や「感情の問題に感情的に対抗し、単純な極論だけが大手を振ること」だけは避けな

ければならないとしている[150]。

ヘイトスピーチ11(我が国ヘイトの現状1)

日本には公民権運動がなかったのはその通りかもしれませんが、米国判例の軌跡を省略して(集団誹謗規制の強調が却って公民権運動のマイナスになるという利益衡量があって、表現の自由の原則を守るようになった歴史を省略できるかの観点が必須でしょう。
日本では米英のような人種差別による不公平な法の運用・・同じ刑事法でも現場射殺や検挙でも黒人(日本の場合朝鮮人)に厳しく運用するような習慣がない(日本の場合朝鮮人の場合にはお目こぼしにする逆の運用です)から、そのような心配がないという在日の安心感が基礎にあるのでしょうか。
双方向適用になっても日本人は弱い者に優しいから、自分たちには法の厳しい適用はないだろうという安心感・・。
思えば韓国の言いたい放題やりたい放題の精神的根底には、日本は米英のような厳しい仕返しをしない・・失敗したら取り返しがつかないのではなくいつも許してくれるという「日本に対する甘えがある」と言われてきました。
朝鮮人の過激な行動が「集団に対する誹謗は名誉毀損にならない」という一方的論理で頰っかむりされてきた日本の場合、朝鮮人が同じバスに乗ったり日本人と同席するのを禁止するなど公式差別が一切なかったし、(アメリカの場合国民でありながら差別したのですが)帰化しない在日=外国人でありながらも参政権を除いて日本人とそっくり同じ待遇・公教育を受ける権利などがはじめっから保障されてきた違いがあります。
昨日紹介した論文は、アメリカには公民権運動あってその保護のための表現の自由の強調であったが、日本にはそういう歴史がない(から表現の自由をそれほど強調する必要がない?)と主張したいような印象の論文です。
日本には公民権運動がなかったのはその通りかもしれませんが、日本の場合「朝鮮人は同じバスに乗るな」「入場禁止禁止」などの差別もありませんでした。
その他公式差別が一切なかったし、よく知られているように朴正煕大統領は日本の士官学校出身の将校で日本兵を指揮していました。
アメリカの場合外国籍ではなくれっきとした米国国民でありながら「黒人」というだけで法律上も差別していたのですが、日本の場合帰化しないしたがらない・・在日=外国人でありながらも、参政権を除いて日本人とそっくり同じ待遇・公教育を受ける権利などがはじめっから保障されてきました。
朝鮮人の場合には、逆に自分たちから民族教育のためと言って、独自に朝鮮人学校を設立したり、民族学級を作るなど公平な公教育を拒んできたものです。(将軍様の肖像を掲げて愛国歌を歌ったり変な民族教育をするためにその時間分、一般的な数学や国語などの教育時間がへります)
また米国の公民権運動は、純粋に国内の人種差別撤廃運動であり(国内分裂騒動を策す)外国の支援を受けるものではないのに対して、朝鮮人問題はいつも韓国、北朝鮮との外交問題に絡んで特殊な政治問題化してきたものです。
朝鮮人学校は、北朝鮮の支援を受けて政治色濃く始まったものであり、現在も密接な関係があることを、7月27日以降紹介した論文では以下の通り書いています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds/96/0/96_109/_pdf/-char/ja

韓ハン東トン賢
朝鮮学校とは,在日朝鮮人が,在日朝鮮人の子どもたちに対する自主的な民族教育を行っている全日制の学校である。
日本の学制に合わせて6 ・ 3 ・ 3 ・ 4 制で,小学校にあたる初級部54,中学校にあたる中級部33,高等学校にあたる高級部10の112計98(このほかに幼稚園が38。また初中や中高,初中高といったかたちで併設されていることが多いので,学校数としては63校),および大学にあたる大学校1 校(以上,2012年4 月現在)が,朝鮮民主主義人民共和国を支持する在日朝鮮人の民族団体,在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の管轄のもと,所在地の都道府県から学校法人ごとに「各種学校」の認可を得て,日本各地で運営されている

今回のヘイト問題過熱の始まりも韓国政府や在日による慰安婦問題の執拗な国際的宣伝活動が国際的に拡大するようになった(これに対する日本国内の反発・バックラッシュ?)がきっかけであることは周知の通りです。
戦後日本の朝鮮人問題は、在日や文化人が?人権問題を絡めることによる政治利用しているように見える点が不純な印象です。
台湾その他の外国人が今や日本にいっぱいいますが、朝鮮人のように特別在住資格を持たないその他外国人が、人権侵害を訴えていません。
彼らの主張によれば、半島出身者は差別されて不満いっぱいのはずなのに、戦後全員が帰れるのに帰らなかったり、戦技不法入国して住み着いた人が多いのは、朝鮮人の本音というか、実際の居心地の良さががどちらにあるのかを事実が証明しているのではないでしょうか。
在日外国人の中でもっとも恵まれている朝鮮人がより有利な特権を求める政治運動(だからこれだけ不満なはずの日本を出て行ってもすぐに戻ってくるのですが・・)では、その他日本在住諸民族が応援する気にならないでしょう。
日本の場合国内人種差別問題というよりは、在日が(北と南のそれぞれ支持する)本国の動向に連動する在日政治運動の側面を無視してはならないでしょう。
何かと言うと「ドイツの反省を見ならえ」と言いますが、日本はドイツのように朝鮮人を収容所にいれたりホロコーストした歴史もありません。
ドイツのユダヤ人迫害と同視させるための遠大な謀略の元に、海外で慰安婦騒動を起こしたのでしょうか・・・。
何かというと「ドイツの反省を見習え!」というスローガンが出てくるのは、このような戦略意図を表しているように推測されます。
ちなみに挺対協やのりこえねっと代表で知られる辛淑玉氏は、今やドイツの反省を学ぶためかな?移住したようです。
18年7月29日現在のウイキペデイアの紹介記事です。

辛 淑玉(しん すご、日本名:新山 節子(にいやま せつこ)、신숙옥、Shin Su-gok、女性、1959年1月16日 – )は、在日朝鮮人3世の人材育成コンサルタント。[1]、フリーライター、政治活動家。のりこえねっと共同代表[2]、TRAI(Trans-pacific Research and Action Institute for the hisabetu-nikkei)東京代表。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人[3]。2017年12月1日、ハインリッヒ・ハイネ大学デュッセルドルフ日本研究所にて客員研究員。2018年からドイツに移住
ウィキペディイア記載経歴を見ると
「高校は東京都立第一商業高等学校に入学し、在学中は新宿の焼肉料理店「名月館」などでアルバイトをしながら、代々木ゼミナールと代々木学院に通ったという」
ドイツ移住に関する記事は以上の紹介程度でその原因詳細不明ですが、「在特会」側であれ、「在日」側であれ過激すぎる言動は、昨日(しばき隊が居場所をなくしている印象を)書いたように日本社会では双方ともに受け入れられなくなったからではないでしょうか?
ドイツ移住に関するウイキペデイア記事は以上の紹介程度でその原因詳細不明ですが、「在特会」側であれ、「在日」側であれ過激すぎる言動は、昨日(しばき隊が居場所をなくしている印象を)書いたように日本社会では双方ともに受け入れられなくなったからではないでしょうか?
日本研究の客員研究員という肩書き自体、意味不明に受け取る人が多いのではないでしょうか。
日本研究のためにいきなりドイツへ行く意味と「客員」という待遇自体の不可思議さです。
客員は一般的に無報酬という意味に使われていますが・・。

ヘイトスピーチ6(我が国法律上の定義2)

現行法を見ると「差別的言動」の中身に言及できない上に、差別的言動に該当したらどうするのかを書いていない・・前文では「不当な差別的言動を許さない」と宣言する」のですが、「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」するだけのようです。
直接規制はこれまで書いてきたように、いきなりやるのは無理が有りそうなので、(当面?)「取り組み推進」となっていて何かを規制するという法律ではありません。
それでもこの法律が成立するとこの法で宣言された基本理念をもとに、行政が自信を持って行動できるようになったことは確かです。
すぐに川崎市では、公的施設利用拒否されるなど相応の効果が出ていますし、デモ行進場所も在日の多い地域を除外しての許可になったような報道でした。
https://mainichi.jp/articles/20160531/k00/00e/040/191000c

毎日新聞2016年5月31日 12時43分
在日コリアンを対象にヘイトスピーチを繰り返している団体に対し、川崎市は31日、団体が集会を予定している市管理の公園の使用を許可しないと通告したと発表した。ヘイトスピーチ対策法が今月24日に国会で成立したことなどを受けた措置。ヘイトスピーチを理由に会場の使用を許可しないのは全国初とみられる。

法律でうたっているのは、「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」するだけのことであって、なんらの取り組み努力もなしに、法成立後わずか1週間で使用不許可・・実力行使したのは表現の事前禁止?になるのか?行き過ぎの疑いが濃厚です。
この法律による規制ではなく、法成立の勢いを借りてやった印象です。
この評価意見はちょっと見たところ以下の
https://togetter.com/li/982640
高島章(弁護士) @BarlKarth 2016-06-02 13:52:58
に出ています。
言論の自由に敏感な筈のメデイア界や憲法学会が(支持基盤に利益であれば?)一切論評しない印象ですが、国民の空気に乗っている限り法理論抜きで何をしても良いかのような対応では憲法や法律学・・人権保障論は不要です。
行政機関が、言論発表の内容を事前審査して(事前検閲は原則として憲法違反)世論動向を読んで使用不許可できるのではおかしなことになります。
法は、このような強権規制を前提としない今後の教育目標にすぎないから、「差別的言動」自体の内容定義すらない条文で終わっている・・・のに、理念宣言法の成立による空気を利用して直ちに表現自体の直接規制が許されるとすれば「差別的」とは何かについてもっと議論を詰める必要があるでしょう。
法で容認されたのは「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」とあるように時間をかけて国民合意を形成するべき努力宣言ですから、逆からいえばまだ「ヘイトとは何かについて)国民合意ができていない宣言です。
このように現場で規制が先走り始めると今後の啓発目標に過ぎないから「定義が曖昧でも良い」とは言い切れません。
竹島を返せとか、特別在留者という「特別身分?」を廃止すべきかどうかの議論をする程度では、国内政治論であって、差別言動にならないように見えますが、これなどもその「会場参加者が突発的にヘイト発言する可能性が高いから」と、あらかじめ会場利用拒否.集会やデモ行進禁止できることになるのでしょうか?
あるいはヘイト発言が始まると即時に発言禁止・集会解散を命じる・・戦前特高警察が常時集会を監視していたような時代が来るのでしょうか?
戦前の特高警察の場合でも、発言しないうちはわからないので、集会自体を開催できて途中現実の発言があってからの制止でしたが、川崎の事例は発言すら始まっていない段階の会場利用自体を拒否ですから、いわゆる事前規制ですから戦前すらしていなかった過激規制です。
過激発言が過去にあった場合、今度も同じ発言する可能性があるとして、あらかじめその人の口を塞ぐ規制が許されるでしょうか?
要は憲法学の定説である事前規制に要する「明白かつ現在の危険」の法理をどのように担保するかの問題です。
実際の経験で「日頃に似合わず、あの人今日は静かだったね!と言う事が幾らもあります。
そもそも暴力行為等を標榜しない政治意見表明の集会にすぎない・・「ヘイトになるかもしれない」という程度の場合、それが「現在する危険」と言えるかの疑問があります。
デモ行進の場所を在日集落付近を避けるよう(在日の密集地帯付近を行進中に暴徒化リスクが高いので不測の事態が起きないように)にコース指導したと言われる県警の判断は合理的印象ですが、会場使用と危険性とは関係が遠すぎる印象です。
特定犯罪に直結するような集会・・例えば〇〇糾弾集会で副題で、糾弾し反対している政治家の家に押しかけるテーマのように具体的害悪提示のスローガンの集会を開くような場合にはその政治家近くの公園での集会は「明白かつ現在の危険」として不許可処分も合理的ですが、抽象的な在日批判集会の会場参加者が「〇〇を日本から叩き出せ!というような過激発言したとしても、参加者が自己満足しているだけで具体的危険性がありません。
取り組み推進過程で支持者を広げるための街頭活動など、その時の発言次第で微妙になりますが、紳士的活動の範囲内であれば、表現・政治運動の自由を制限するほどの問題ではないでしょう。
韓国の竹島不法占領批判集会や運動は、在日韓国人には嫌なことだから集会や運動をすべきではないとなっていくのかなどの批判がされていますが、条文を見るとこれらもそのついでに過激な(行き過ぎた「出て行け」などの)感情的批判をしなければ良いことで、韓国批判の集会を開くこと自体が制限される心配はないはずです。
従来の憲法論からいえば、その集会参加者の一人二人が、いきなり過激意見をぶった場合でもそれはその後の市場評価に委ねるべきであって、その程度の可能性を理由に事前検閲・・会館利用不許可あるいはデモ不許可になるのは行き過ぎです。
今回の騒動によって在日は焼け太りしたかのような批判があり、この法律制定に尽力した政治家が批判されていますが、内容を見ると穏健な内容です。
彼らの期待に応えるかのようにちょっとした韓国批判集会でもひらけないような過剰反応が現場自治体でもしも次々と起きる・(幸い日韓合意成立によって一定の沈静化に成功したので今後嫌韓運動の下火になっていくでしょうが)一方で韓国の反日攻撃がおさまらない場合には、不満が潜行するようになって大変なことになります。
4〜5日前にカズヤとかいう若い人のユーチューブ動画が、政治意見を述べているだけなのに、ヘイト発信しているという集中的攻撃によって、(一定件数の苦情があれば自動的に一旦削除する仕組み?)一方的発信削除されていた件で、機械的取り消しが誤りであったとしてネット再開された途端に僅か1日で50何万件とかの会員登録があったという説明がありました。
このような法律ができたのに便乗して、特定ブログ等に対して「ヘイトの拡散動画」という集中的攻撃をすると自動停止削除する仕組みを利用した攻撃らしいです。
上記の通り対韓国関係で政治意見が気に入らない相手にはヘイトとして攻撃できる副作用を早速生じさせているようですが、これが(日本不安定化を目指す勢力の工作によって)どこまで広がるかによって、社会分断化が進むリスクがあります。

ヘイトスピーチ5(我が国法律上の定義)

現行法の紹介です。
法律名が長くて(ヘイト規制法など)簡略な名称化の難しい法律名です。
それだけにヘイト規制の難しさが反映されていると思われます。
そもそも「規制」という単語すらありません。
論争が決まっていないことから歯切れの悪い条文となっていますので、条文全部みないと、この法律で何が事実上規制されるようになったかがはっきりしないので、引用が多すぎる嫌いがありますが、大方の条文を紹介しておきます。
私の理解では、これまで書いてきたように、「差別的言動は良くない」ことを宣言した意味がその限度で大きな効果があり、(公的施設使用拒否の根拠法となる?→さらにはデモの許可基準にも発展する?)一方で道義心向上に取り組む教育必要性を宣言したような法律です。
ヘイト禁止を推進してきた革新系は長年道徳教育反対論ですが、結果的に少数民族(在日)保護のために特化した「道徳教育?」が必要として道徳教育を推進することになったようにみえます。
これまでの思想の自由市場論の例外として「地域からの排除目的の表現」は市場原理に委ねない分野とし、規制対象となる能登同様に教育現場でも「地域からの排除論に限定した道徳教育」を求めるようになったことは確かでしょう。

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=428AC1000000068

本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年6月3日法律第68号)
前文
我が国においては、近年、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、適法に居住するその出身者又はその子孫を、我が国の地域社会から排除することを煽せん 動する不当な差別的言動が行われ、その出身者又はその子孫が多大な苦痛を強いられるとともに、当該地域社会に深刻な亀裂を生じさせている。
もとより、このような不当な差別的言動はあってはならず、こうした事態をこのまま看過することは、国際社会において我が国の占める地位に照らしても、ふさわしいものではない。
ここに、このような不当な差別的言動は許されないことを宣言するとともに、更なる人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進すべく、この法律を制定する。
第一章 総則
第一条 この法律は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消が喫緊の課題であることに鑑み、その解消に向けた取組について、基本理念を定め、及び国等の責務を明らかにするとともに、基本的施策を定め、これを推進することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。
(基本理念)
第三条 国民は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消の必要性に対する理解を深めるとともに、本邦外出身者に対する不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない
(国及び地方公共団体の責務)
第四条 国は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関する施策を実施するとともに、地方公共団体が実施する本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関する施策を推進するために必要な助言その他の措置を講ずる責務を有する。
2 地方公共団体は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、当該地域の実情に応じた施策を講ずるよう努めるものとする。
第二章 基本的施策
(相談体制の整備)
第五条 略
(教育の充実等)
第六条 略
(啓発活動等)
第七条 略
一般に言われるヘイトスピーチ規制法の定義は人によって幅があるとしても、この法律では「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」の解消に向けた取り組み推進に関する法律です。
そして、差別的言動の対象を本邦外出身者に絞った上で、「不当な差別的言動」の定義を見ると「差別」自体の国民合意ががはっきりしないので差別「的」言動として逃げてしまい、地域排除等の目的から絞るものの、厳しい規制には無理があるので、解消に向けた人権啓発・教育に「取り組み推進」する程度となっています。
(1) 対象を「適法に居住する・・本邦外出身者」に対する差別的言動に限定し
(2)「差別的言動」とは
① 目的による絞り
「本邦外出身者に対する差別的「意識」を助長し又は誘発する「目的」に限定
② 方法・態様の絞り
a「公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は 本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、」
b 本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」

となっていて判り難い定義ですが、上記ab 間には「など、」となっているので前段を例示として(「などにより」)「排除することを扇動する不当な差別的言動」と一体的解釈することになるのでしょうか?
それともabで独立の要件なのか人によって解釈が違うかもしれません。
独立要件であれば、aだけでbの「扇動」しなくとも該当しますが、一体であれば、侮辱的言動等があっても扇動しなければ良いように読めます。
実際的にも、個人的争いでたまたま罵ったとしても、地域排除の扇動でなければ一般的な名誉毀損や脅迫等に該当するときの処理で足りるでしょう。
普通の喧嘩まで外国人に限って特別保護する必要がありません。
bは「差別的言動」の定義規定の中に「・・を扇動する不当な差別的言動」というのですから、「差別的言動」自体の意味解説がなく、その定義は国語的に決まっている?前提で・・・家柄、身長体重、性別、人種、学歴その他さまざまな差別的言動がある中で「地域社会から排除することを扇動する」(ような)「不当な差別的言動」に限定すると読むべきでしょうか?
以上のように読むと、かなり要件が絞られていて、在日系批判が網羅的にマイナス評価されている訳ではなさそうです。

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