基本的人権と制約原理3

右翼系のネット発信者の多くが名誉毀損訴訟で負けているように見える原因は、政治評論家=プロ発信者なのに、事実と意見の区別がついていない人が多い結果かもしれません。
慰安婦騒動の植村記者の名誉毀損訴訟事件も多分(訴訟内容が不明なので推測です)同様でしょう。
取材報告?が慰安婦騒動の火付け役になったことは事実としても、前提となる記事が取材通りの記事だった場合、記者は取材相手が虚偽または間違ったことを述べたことをそのまま報道した場合、直ちに貴者が「捏造」したことにはなりません。
挺身隊と慰安婦募集の違い?裏付け調査を仮に怠ったとしても、それは過失責任の問題であって、(過失が酷すぎて捏造と同視できるほどひどい場合もあるでしょうが原則論では)記者が捏造したことにはなりません。
要は植村記者批判論を概観すると「捏造」というためにはどのような事実が必要かの「言語理解の詰め」が欠けているように見えます。
「捏造」というのは、あるいくつかの事実に対する評価意見であって「事実」そのものではありませんが、物事には定義がありますので、一般的定義を離れた「独自の定義づけ」であればそれは「捏造」と評価することも許されるでしょう。
定義を勝手に変える場合、その旨の注釈・「説明責任がある」という意見でjune 6, 2018,「慰安婦=性奴隷論の説明責任1(言葉のすり替え1)」以降018/06/09/「慰安婦=性奴隷論の説明責任4(独仏の売春制度)」まで連載していましたが、その後横にそれていますが、このテーマが関係してきます。
例えば、泥棒したり時間の約束を破っただけの人を「人殺し」と表現した場合、「俺は泥棒や時間を守らないは人殺しより悪いと思っているから」というだけでは言い訳にならない・・名誉毀損罪になります。
捏造という熟語も自分勝手な定義づけは許されません。
一般的定義に従って「捏造」というには事実調査が必須ですが、(事実調査をしないまま感情的に)「捏造」の断定主張を公然として蓋を開けてみると取材対象が貴者の報告通りの発言をしていたとすれば、名誉毀損になる可能性が高まります。
我々が「捏造と言って良いか」について事前相談を受ければ、「捏造」というためには記者が取材対象から聞いたことと違う事実を本社に報告した事実を抑える必要があると助言することになります。
裁判になれば、虚偽報告(真実性証明」の立証責任はこちらにあるし、「相手は取材時の録音を出す可能性があるので、それを出されると一発で負けるリスクがある」録音テープを入手しているのか?少なくとも取材対象にあたって確認したのか?等を聞くのが私の場合でいえば普通です。
こういう場合相談者の中には「捏造に決まってるじゃないか!とか「みんなが言っている」と言い張って難渋することがありますが、多くの場合言葉の定義のなりたちを説明すると納得してくれます。
何かでもめている相談者のうちかなりの事件では、相談者または相手方が、言葉の定義を独自解釈して自己正当化して揉めている事件がほとんどです。
定義とその当てはめが一致している場合、例えば「借りた金を返せない」というだけの場合にはどのような手続きが必要というだけのことで本当の意味の正義の争いにはなりません。
この金曜日夕方帰り際にあった相談でいえば、「保証で困っている」と消え入りそうな声で言って「生活保護を受けている」ともいうので「それなら保証など心配しなくて良い「破産すればいい」と説明すると、電話ではっきり聞き取れないが、「家を出なくてはならない」ので困ってるというので自宅なのかと聞くと、「借りているが出なければならない」「生活保護ならなぜ出るの?何の保証なの」と聞くとようやくアパートを借りるときの保証を息子にしてもらっていたが息子が怪我して保証できなくなったので「保証がないと貸せない」と言われている問題に行き着きました。
相談者は月末には家を出なければならないと切羽詰まって相談の電話をしてきたのですが、実はそこに双方当事者の(市担当者も含めて)言葉の誤解というかすり替えがあります。
新規に貸す場面ではなく、「更新拒絶できるか」かの局面なのに、「新規に貸す場合」の条件でお互いに張り合ってるのがすぐにわかりました。
新規に借りる場合には、どういう人に貸すかの基準設定は大家の自由ですが、一旦貸した人に対して満期に更新拒絶するには正当事由が必要です。
市の方で更新料も払ってくれる予定というので、それなら出る必要がないから連休明けに市役所担当者に事務所に電話して貰うように説明して終わりにしました。
「貸す」のは新規の場合であって満期継続の場合には「貸す」のではなく、「更新」するかどうかなのに「貸す」華道家のようないい加減な言葉遣いの結果、新規同様に貸主が自由に決められるかのような連想作用・誤解が生じていたのです。
生活保護の場合、支払いに心配がないので本来保証不要でしょうから、更新拒絶の正当事由がなさそうです。
このように何気ない言葉遣いの違いによっても、法律効果が大きく変わってきます。
ネット上の政治/経済評論家たちの多くは、(大手のような内部チェック機関がないので)プロとしてのチェックなしに素人レベルの感情的意見をそのまま断定的に発信していることが多い印象です。
ネット発達の結果フェイクニュースの問題が大きくなってきたのは、企業と違い発信前の内部チェック機関がないことにもよるでしょう。
企業のように個々人には、そういう内部機関が無いし一々弁護士相談しているとコスト的に合理的でないし機動力に欠けるでしょうから、(私自身弁護士ですが、自分の娯楽的に書いているこのコラムでは、プロとしてのチェックをしていません)気楽にネットチェックできるサービスが必要になっているように思われます。
素人の場合大した吟味なしに言いたいことをあんちょこに発信しても影響力が少ないのであまり問題にされないでしょうが、プロ発信になると影響力が大きい分に比例して慎重さが求められます。
朝日新聞の特徴は事実としての報道ではなく、ムード的誘導報道が多いことを(を理由に昭和61年から日経に切り替えたこと)書いてきましたが、数十年以上前から企業広告も大手の場合、個別商品の具体的効能宣伝ではなく企業イメージアップの抽象的広告が主流になっています。
この種イメージ報道に対して反応したならば、ムード的批判だけにすればいいのですが、誤った事実のような批判主張すれば、評論家の意見としては行き過ぎになるリスクが高まります。
NHKの台湾原住民訴訟では編集に対する不満を「事実に合わない報道」として損害賠償請求したようですが、逆に事実をどのように編集するかは、編集権(表現の自由)の次元であるとして負けたように思われますが(判決書を見ていないので推測です)右翼系は事実と意見の切り分けができていない印象です。

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