原理論と時代不適合1(民進党綱領)

誰の目から見ても、従来の延長ではなく産業界を含めて各種構造改革・リストラクチャリングが必須になってきたバブル崩壊後、政府が何かしようとすれば先ずは反対・けちを付ける方法ばかり精出して、1日でも10日でも決定の先延ばしが目的かのような議事妨害や主張態度が国民支持を失っていったのは当然です。
当時最大野党であったバブル頃からの社会党の流れに関する3月5日現在のウイキペデイアの1部です。

土井ブームの盛り上がりと凋落
土井社会党は土井の個人人気と女性候補(「マドンナ」と呼ばれた)を積極的擁立など女性層を中心とする選挙戦術を展開し、消費税導入やリクルート事件、農業政策に対する不満を吸収した「激サイティング!社会党」のキャッチコピーを掲げ、1989年の第15回参議院選挙では46議席を獲得。自民党は36議席しか獲得できず、連合の会と共に、自民党を非改選を含めても過半数割れに追い込み、改選議席で自民党を上回った。土井の個人的人気による選挙結果のため、土井ブームと呼ばれた。
1990年に発生した湾岸危機で政治課題となった自衛隊の派遣では、日本社会党は憲法9条堅持の立場から、「自衛隊海外派遣に反対」を主張し、民社党・公明党との関係は冷え込んだ。
これと並行して民社党・公明党との協調を重視する連合など労組幹部などとの摩擦も強まり、土井執行部の求心力は急速に低下した。1991年の統一地方選挙で社会党は敗北、土井は責任を取って委員長を退いた。
1993年の第40回総選挙で社会党は新党ブームに埋没し、改選前の136議席から70議席と議席をほぼ半減させた。
特に都市部では、東京都で11議席から1議席に激減するなど、土井ブームで得た議席を失い、55年体制以来最低の議席数となった。長年の宿敵であった自民党が大敗した選挙であるにも関わらず、社会党は却ってその存在感を失うこととなり、後のことを考えれば皮肉にもこれが社会党にとっての”終わりの始まり”であったとも言える。
・・・その後の1995年の第17回参議院選挙では16議席しか獲得できず、2年前の衆議院選挙に続く大敗北に終わった。
新党構想は結局、鳩山由紀夫・邦夫兄弟や菅直人らが中心となり同年衆議院解散直前結成された民主党として現実のものとなった。
社民党は一旦、民主党への丸ごと参加を決定したが、鳩山由紀夫の「排除の論理」に反発して、すぐに撤回。現職の幹事長であった佐藤観樹を含め約半数の党所属国会議員が「個々人の決断」のもと社民党を去り、民主党結成に参加した。幹部候補生と目された前北海道知事横路孝弘も民主党を選んだ。
一方、村山ら約半数の議員は社民党に残留し、土井たか子を党首に復帰させ、第41回総選挙に臨んだ。支持労組の大半は民主党支持に転じたが、地方組織のかなりの部分は社民党に残った。村山内閣時の路線転換に批判的な議員や党員の一部は、離党して1996年3月、新社会党を結成した。結果的に民主党、社民党、新社会党の3つに分裂したことになる。

上記土井ブーム以降の経過を見ると鳩山民主党の大勝から凋落〜民進党への改称〜希望の党と立憲民主党への3分裂「排除の論理」などそっくり同じコースを辿っていることがわかります。
バブル期には政策など不要で浮かれていたので消費税反対の「やるっきゃない」というアッピールだけで、社会党が急浮上したもののバブル崩壊後斬新な知恵が必要になってくると自社既存政党の対応力不足で、ともに支持率を落としていきますが、実務に足場を持ち融通性のある自民党以上に学校で勉強した知識に頼る硬直的社会党がついて行けなくなったことが浮き彫りになります。
自民党は時間をかけて新時代対応力をつけていったのですが、革新系は硬直的近代法理・平和論にこだわる結果、総本山社民党は以来恒常的に2議席前後になってしまいました。
国民の数%は教条主義の貫徹に郷愁を持つ人がいるということでしょう。
上記の通り民主党はもともと選挙対策として社会党を脱出した人が多くを占めているので、民主党〜民進党は内部に左右対立を抱えているのが難点でした。
これを解消するために保守の小池新党へ合流するにあたり排除の論理を宣言したのは合理的でしたがその結果、保守政党にまぎれこもうとした左派(教条主義)の猛反発を受けたことになります。
バブル崩壊後野党の主役になった民主党〜民進党系野党の主張は日本をどの方向へ導きたいかの方向性が見えない・元社会党のようになってきた・・新たな政策を少しでも遅滞させる・・変化に適応をさせないことが自己目的になってきた印象でどうにもならなくなったのを打開するために細野氏ら右派が分裂したのですが・・。
そもそも野党の綱領や公約は何でしょうか?
民主党時代には左右両派の寄り合いでしたので当綱領さえ作れないと言われていました。
自民党綱領解説からの抜粋です。
https://www.jimin.jp/aboutus/pdf/kouryou.pdf

平成22年(2010年)綱領
(2) 綱領は政党の命
この綱領で民主党とどこが違うのか、との質問が出ます。我が党と民主党との最大の違いは、綱領があるかないかです。
民主党には、昔の社会党綱領の下で議員をやっていた人が、閣僚席に現在数人座っています。
この方々は、社会主義を捨てて、民主党に参加したのでしょうか。また、我が党の中で、ポストに就けない、権力闘争に敗れたからといって出ていった人も多い。市民の目先の生活が大切で、国より個人だという市民運動家の方もいる。民主党は、綱領がないというよりも、こうした人たちの混合政党であるから、政策を判断する共通の理念を統一できない。
その結果として、当面の選挙対策的場当たり政策がまかり通るのが残念な現実です。共産党は共産主義で統一をされている。社民党の性格は変わってきたけれども、最終的には社会主義的なものへ移っていくことが書かれています。ところが、民主党には綱領がありません。選挙が不利だから離党する、大臣になりたいから他党にいくなどいう政治家が集まる政党では、綱領が持てないのは当然です。綱領を共有するから同志が集まり、党があるのです。政治理念ではなく、当面の損得で離散集合をする政治家は、必ずや後世の批判を受けるでしょう。政治家である前に、節義ある人間として、我々もまた心すべき点です。

民進党に改称された頃に「党の方針も決められない政党」と言う批判に答えるためにようやく綱領できたようですが、以下の通り肝心の国防その他の基本方針が全くなく、あたり触りのない綱領になっています。
https://www.minshin.or.jp/about-dp/principles

民進党綱領  2016年03月27日
我が党は、「自由」「共生」「未来への責任」を結党の理念とする。
私たちは、「公正・公平・透明なルールのもと、多様な価値観や生き方、人権が尊重される自由な社会」「誰もが排除されることなく共に支え、支えられる共生社会」「未来を生きる次世代への責任を果たす社会」を実現する。
(私たちの立場)
我が党は、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ。
未来・次世代への責任を果たし、既得権や癒着の構造と闘う、国民とともに進む改革政党である。


民進党の綱領を見ると自由、共生社会など当たり前と言うか幼稚園児の作文のよう暗喩目しか書いていません。
国家存立にかかわる防衛の基本方針も決められない。
内政では分配中心で肝心の分配資金をどうやって稼ぐか・・・生活水準向上の原資をどうするかの国民最大関心事に対する主張がありません。
・・決まりきったことしか書けない点が今まで批判されてきた寄合所帯の弱さを表しています

 

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