小西参議院議員に見る民進党の体質

たまたま「失言」のキーワードで小西議員が出てきたのでついでにどんな人かと、ウイキペデイア紹介記事に入ったら、この連載に関係のありそうな紹介が出ていたので続けて引用しているだけで、彼個人を全く知らないし応援するためにも否定する目的で書いているわけでも何の関係もありません。
現在野党の体質がもろにでいているので紹介しているだけです。
小西議員の続きです。

参議院予算委員会における安倍首相への質疑
2013年3月29日、参議院予算委員会において安倍晋三首相に対し、日本国憲法の中で最も大切な条文を挙げるよう切り出し、「包括的な人権保障、包括的な人権規定と言われる条文は何条ですか」と質問した[7]。これに答えられなかった安倍から「クイズのような質問は生産的ではない」「そういう子供っぽいことはやめて」などと反論したが[8]、小西は「私は知っています。今総理が答えられなかったことは、大学で憲法学を学ぶ学生が1学期でみんな知っていることですよ」「憲法13条が分からないというのは、これは驚愕の事実ですよ、総理。あきれます」と呆れながら答弁した[8]。
また自由民主党が発表している憲法改正草案について「目的、内容で憲法十三条を公益及び公の秩序と変えるのか」と質問し、参考人質疑における参考人の説明の中で名前の出た芦部信喜に関し、安倍に「今述べられました芦部信喜さんという憲法学者、ご存知ですか」と尋ねた。安倍の「私は存じ上げておりません」という答弁に対し、「では、高橋和之さん、あるいは佐藤幸治さんという憲法学者はご存知ですか」と重ねて質問したが、安倍は「申し訳ありません、私は余り、憲法学の権威ではございませんので、学生であったこともございませんので、存じ上げておりません」と答弁した[8][9]。安倍の答弁に対し、「憲法学を勉強もされない方が憲法改正を唱えるというのは私には信じられないことなんですけれども。今私が聞いた3人は、憲法を学ぶ学生だったら誰でも知っている日本の戦後の憲法の通説的な学者です」と述べ、安倍の「認識不足」を批判した[8]

小西氏は、総理が憲法学者の名前を知らないことで鬼の首でも取ったようなつもりで自慢トクトクの様子ですが、総理はすべての分野で政治決断すべきことが期待されているのであって医学、薬学、年金制度、都市計画、地震や原子力、経済学(金融論その他さらに分野が分かれますが、国家財政政策を決めるのにノーベル賞学者の名前も知らないで経済政策しているのかという議論のおかしさがわかるでしょう)その他全ての分野で専門学者の名前を知らないと政治をできないものではありません。
国会でこういう質問しかできない・党の質問枠利用の質問者として党から選任された以上は、党の承認を得ている・・野党政治家レベルの低さに驚くばかりです。
こんな稚拙で無駄な質問に答えられない(回答するに値しないから相手にされていないだけですが)、と言っては総理をバカにしているのですが、貴重な時間を空費しているのを棚に上げて審議時間が少ないと批判し、これをマスコミが囃し立てるのですから不思議?メデイア界も同類レベルなのでしょうか。
戦前の天皇機関説事件は学問論争を政治家が国会に持ち出したものですが、学問批判する以上は、学問的論争すべきですが、批判する方が機関説の「機関」を機関銃や機関車に例えて天皇陛下を機関車と同じように扱って良いのか!という感情論で批判している程度のレベルだったことを紹介しました。
現憲法の解釈論ならばABCの意見のどれを採用するかなど一定の事前調査が必要ですが、(その場合でもそれぞれの分野の審議会等で決めていくべきことで、政治家は結論を採用する決断するだけであり、審議会等の議論の逐一を知っている必要がありません)どのように改正した方が良いかは政治家が諸般の事情を総合して決断して国会に発議するかを決める分野であって過去の憲法学者の名前を知っているかどうかに関係がありません。
ここで21日冒頭に書いたように平成に入ってからは戦後昭和末頃まで主流であった保守政治家の政治持論に関する主張批判から、平成に入る頃から揚げ足取り的な失言批判が主流になってきた点を紹介しておきましょう。
要は政治意見自体に問題がないが、「政治家がそんなことを言って良いの」か!式の批判です。
政治意見の優劣は選挙で勝負すべきことですから、戦後から昭和50年代にかけて・政治家が政治主張をしたらいけないことを前提にした「失言妄言」と称して辞職を要求する野党の運動とこれを国会外で大々的に政府批判報道して世論をけしかけるメデイアのあり方も不思議でした。
(戦前の天皇機関説事件の展開同様です)
1億国民のほんの一部・数百人から数千人のデモを労組などが動員すれば「国民大多数の意見を無視するな!」という大合唱(といってもメデイア界だけのことですが・・)になるのが不思議でしたが、中曽根総理時代だったかな?サイレントマジョリテイー論が広がりました。
昭和の終わり頃から上記メデイアの虚構あおりを「本当の世論は」バカにするようになったので、(選挙の都度旧社会党が消滅に向かうようになり、メデイアの言うように社会党や野党の主張は国民大多数の支持など受けていないことが証明されていました)弱者目線と称して庶民感情に訴える方向へ方向転換したように見えます。
最近はやりの弱者ビジネス・一種の炎上商法の走りです。

2017-05-10
政治家の失言でなぜいきなり辞任なのか?失言の本質を見ると大して問題ない発言もあると思う
政治家の失言について、最近話題になることが多かったが、一連の政治家の失言の報道や世論の反応を見ていると、本質的な部分を指摘している人が全然いないよね。と思えてくる。
数日前にこの政治家の失言や問題発言をめぐる議論をある番組でしていたのだが、そこでの議論の中心は、一連の政治家の失言は発言の本質を見ると何ら問題のものだったという意見も多かった。表現の仕方とか、言葉の選び方に問題があったとしても本質はちゃんと突いていて、辞任する必要なんかないというのが西村博之氏だったのです。
例えば、今村復興大臣が発した「東北でよかった」という言葉は、揶揄されたり、批判されたりもしたが、西村氏によれば、発言の真意を読み解くと筋が通ったことしか言っていなかったと評している。彼によると、「東北でよかった」という発言は、首都で地震が起きなかったがために、震災が起きた地への支援などがスムーズにできたりちゃんとメリットがあったのだから、発言の真意自体は問題ないとしている。そして、学芸員に対する政治家の暴言と捉えられた件についても、橋下徹氏は言い方がマズイところはあったが、橋下氏自身も学芸員の考え方に関しては問題と考えているところがあるらしく、学芸員に対する暴言の真意自体は理解できるとしていた。
・・・・有益な内容を含んだ発言をした政治家をやめさせるようなことは、デメリットの方が大きいと思うのです。私は学芸員の事情はよく分からないけど、学芸員の現状が本当に何かしら問題ならば、そこを指摘する人間は必要じゃないですか?だから、発言の仕方を気をつけてもらえればよくて、それ以上のことは必要ないと思うのです。山本大臣だっけ?あの人は辞めてはいないみたいだけど。でも、今村復興大臣は辞めてしまいましたね。
実は有能な人だったのに、その政治家を失言を理由に辞任させて、後任がさらに評判が悪い人だったみたいなケースもあるわけですから、辞任を要求するときには、せめて後任候補を挙げて、この人なら前任者よりもまともだと、有能だと言える根拠を添えるべきだと思います。そこまでやらないと辞任させることが必ずしも良い結果を生むとは限らないのです。
とりあえず辞めさせて、辞めてから良い人間を探そうとすると失敗する確率が上がります。

以上のような意見が続きますが、引用が長くなりすぎるので関心のある方は上記に入って直接お読み下さい。
以上によれば実態は「揚げ足取り」が多いと言う指摘が出始めました。
野党やメデイアはまさに辞任ドミノ・政治が劣化する・国民の不利益を企図していて、より良い政治を目的にしない野党や、メデイアの言論現状が浮き彫りです。

原理論と時代不適合1(民進党綱領)

誰の目から見ても、従来の延長ではなく産業界を含めて各種構造改革・リストラクチャリングが必須になってきたバブル崩壊後、政府が何かしようとすれば先ずは反対・けちを付ける方法ばかり精出して、1日でも10日でも決定の先延ばしが目的かのような議事妨害や主張態度が国民支持を失っていったのは当然です。
当時最大野党であったバブル頃からの社会党の流れに関する3月5日現在のウイキペデイアの1部です。

土井ブームの盛り上がりと凋落
土井社会党は土井の個人人気と女性候補(「マドンナ」と呼ばれた)を積極的擁立など女性層を中心とする選挙戦術を展開し、消費税導入やリクルート事件、農業政策に対する不満を吸収した「激サイティング!社会党」のキャッチコピーを掲げ、1989年の第15回参議院選挙では46議席を獲得。自民党は36議席しか獲得できず、連合の会と共に、自民党を非改選を含めても過半数割れに追い込み、改選議席で自民党を上回った。土井の個人的人気による選挙結果のため、土井ブームと呼ばれた。
1990年に発生した湾岸危機で政治課題となった自衛隊の派遣では、日本社会党は憲法9条堅持の立場から、「自衛隊海外派遣に反対」を主張し、民社党・公明党との関係は冷え込んだ。
これと並行して民社党・公明党との協調を重視する連合など労組幹部などとの摩擦も強まり、土井執行部の求心力は急速に低下した。1991年の統一地方選挙で社会党は敗北、土井は責任を取って委員長を退いた。
1993年の第40回総選挙で社会党は新党ブームに埋没し、改選前の136議席から70議席と議席をほぼ半減させた。
特に都市部では、東京都で11議席から1議席に激減するなど、土井ブームで得た議席を失い、55年体制以来最低の議席数となった。長年の宿敵であった自民党が大敗した選挙であるにも関わらず、社会党は却ってその存在感を失うこととなり、後のことを考えれば皮肉にもこれが社会党にとっての”終わりの始まり”であったとも言える。
・・・その後の1995年の第17回参議院選挙では16議席しか獲得できず、2年前の衆議院選挙に続く大敗北に終わった。
新党構想は結局、鳩山由紀夫・邦夫兄弟や菅直人らが中心となり同年衆議院解散直前結成された民主党として現実のものとなった。
社民党は一旦、民主党への丸ごと参加を決定したが、鳩山由紀夫の「排除の論理」に反発して、すぐに撤回。現職の幹事長であった佐藤観樹を含め約半数の党所属国会議員が「個々人の決断」のもと社民党を去り、民主党結成に参加した。幹部候補生と目された前北海道知事横路孝弘も民主党を選んだ。
一方、村山ら約半数の議員は社民党に残留し、土井たか子を党首に復帰させ、第41回総選挙に臨んだ。支持労組の大半は民主党支持に転じたが、地方組織のかなりの部分は社民党に残った。村山内閣時の路線転換に批判的な議員や党員の一部は、離党して1996年3月、新社会党を結成した。結果的に民主党、社民党、新社会党の3つに分裂したことになる。

上記土井ブーム以降の経過を見ると鳩山民主党の大勝から凋落〜民進党への改称〜希望の党と立憲民主党への3分裂「排除の論理」などそっくり同じコースを辿っていることがわかります。
バブル期には政策など不要で浮かれていたので消費税反対の「やるっきゃない」というアッピールだけで、社会党が急浮上したもののバブル崩壊後斬新な知恵が必要になってくると自社既存政党の対応力不足で、ともに支持率を落としていきますが、実務に足場を持ち融通性のある自民党以上に学校で勉強した知識に頼る硬直的社会党がついて行けなくなったことが浮き彫りになります。
自民党は時間をかけて新時代対応力をつけていったのですが、革新系は硬直的近代法理・平和論にこだわる結果、総本山社民党は以来恒常的に2議席前後になってしまいました。
国民の数%は教条主義の貫徹に郷愁を持つ人がいるということでしょう。
上記の通り民主党はもともと選挙対策として社会党を脱出した人が多くを占めているので、民主党〜民進党は内部に左右対立を抱えているのが難点でした。
これを解消するために保守の小池新党へ合流するにあたり排除の論理を宣言したのは合理的でしたがその結果、保守政党にまぎれこもうとした左派(教条主義)の猛反発を受けたことになります。
バブル崩壊後野党の主役になった民主党〜民進党系野党の主張は日本をどの方向へ導きたいかの方向性が見えない・元社会党のようになってきた・・新たな政策を少しでも遅滞させる・・変化に適応をさせないことが自己目的になってきた印象でどうにもならなくなったのを打開するために細野氏ら右派が分裂したのですが・・。
そもそも野党の綱領や公約は何でしょうか?
民主党時代には左右両派の寄り合いでしたので当綱領さえ作れないと言われていました。
自民党綱領解説からの抜粋です。
https://www.jimin.jp/aboutus/pdf/kouryou.pdf

平成22年(2010年)綱領
(2) 綱領は政党の命
この綱領で民主党とどこが違うのか、との質問が出ます。我が党と民主党との最大の違いは、綱領があるかないかです。
民主党には、昔の社会党綱領の下で議員をやっていた人が、閣僚席に現在数人座っています。
この方々は、社会主義を捨てて、民主党に参加したのでしょうか。また、我が党の中で、ポストに就けない、権力闘争に敗れたからといって出ていった人も多い。市民の目先の生活が大切で、国より個人だという市民運動家の方もいる。民主党は、綱領がないというよりも、こうした人たちの混合政党であるから、政策を判断する共通の理念を統一できない。
その結果として、当面の選挙対策的場当たり政策がまかり通るのが残念な現実です。共産党は共産主義で統一をされている。社民党の性格は変わってきたけれども、最終的には社会主義的なものへ移っていくことが書かれています。ところが、民主党には綱領がありません。選挙が不利だから離党する、大臣になりたいから他党にいくなどいう政治家が集まる政党では、綱領が持てないのは当然です。綱領を共有するから同志が集まり、党があるのです。政治理念ではなく、当面の損得で離散集合をする政治家は、必ずや後世の批判を受けるでしょう。政治家である前に、節義ある人間として、我々もまた心すべき点です。

民進党に改称された頃に「党の方針も決められない政党」と言う批判に答えるためにようやく綱領できたようですが、以下の通り肝心の国防その他の基本方針が全くなく、あたり触りのない綱領になっています。
https://www.minshin.or.jp/about-dp/principles

民進党綱領  2016年03月27日
我が党は、「自由」「共生」「未来への責任」を結党の理念とする。
私たちは、「公正・公平・透明なルールのもと、多様な価値観や生き方、人権が尊重される自由な社会」「誰もが排除されることなく共に支え、支えられる共生社会」「未来を生きる次世代への責任を果たす社会」を実現する。
(私たちの立場)
我が党は、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ。
未来・次世代への責任を果たし、既得権や癒着の構造と闘う、国民とともに進む改革政党である。


民進党の綱領を見ると自由、共生社会など当たり前と言うか幼稚園児の作文のよう暗喩目しか書いていません。
国家存立にかかわる防衛の基本方針も決められない。
内政では分配中心で肝心の分配資金をどうやって稼ぐか・・・生活水準向上の原資をどうするかの国民最大関心事に対する主張がありません。
・・決まりきったことしか書けない点が今まで批判されてきた寄合所帯の弱さを表しています

 

総選挙と民度2(民進党支持率低下1)

いわゆる森友・加計問題に限らずこの数年の民進党の国会活動は、陸自レポート問題その他揚げ足取り的追求ばかりで、その先、政策にどう結びつけようとしているのか見えない・・国民は飽き飽きしている状態が、支持率低下にあらわれているとみるべきでしょう。
国会審議の中心テーマとしてこういう揚げ足取り国会戦術を選択をすること自体に党代表/執行部の責任が一定程度あるとしても、民進党自体の政策立案・政治能力・姿勢が問われているのですから、「代表・看板さえすげ変えればいい」という安直な姿勢では党再生は無理でしょう。
この点は希望の党への全面合流という名目での看板書き替え戦略が選挙で通用せずに失敗に終わったこととも共通しています。
希望への合流といえば希望の党に吸収合併されるかのような響きですが、希望の党には現役議員がいるとしてもそのほとんど全部が民進党から離党し早めに移籍した議員が中心ですし、立ち上げて数日しかないのですからまともな事務局体制もないので事務部門を含めて実質的には民進党が希望の党を飲み込んでしまうものの「代表だけを小池氏に据え置く」だけのカラクリ・・看板付け替えの一種です。
解散前民進党支持率に戻しますと、前原代表執行部成立後幹事長に内定していた「日本死ね」で知られる山尾志桜里氏の不倫騒動は「山尾志桜里」で出るウィキペデイアの記事によれば以下の通りです。

「2017年民進党代表選挙にて代表に就任した前原の下、一時は幹事長に内定し本人も受諾したが、起用は取りやめとなった[15]。その一因として、党内からの経験不足との批判に加えて、2017年9月7日発売の週刊文春が弁護士の倉持麟太郎との交際疑惑を報道したことが影響したとされる[16][15][17][18][16][19]。幹事長には大島敦が就任し執行部入りは見送られた[20]。また、山尾は疑惑を否定した[21]。過去に自民党の宮崎謙介が不倫騒動を引き起こした際にテレビ番組で批判していたことも顰蹙を買う要因に繋がった(宮崎は後に議員辞職)。
一方で、「党や支援者に迷惑をかけることになると判断した」等と述べて同日、離党届を大島に提出した[22]。民進党はこの離党届けを翌8日に受理した[23]。」

船出したばかりの民進党前原執行部にとって山尾氏の離党騒動のダメージは計り知れないものがありました。
これを受けた後の世論調査は以下の通りです。
http://www.sankei.com/politics/news/170918/plt1709180014-n2.html

2017.9.18 11:36更新
産経・FNN合同世論調査】
自民党を除く政党支持率は、民進党が6・4%で0・5%下落した。以下、共産党4・5%、公明党3・6%、日本維新の会2・6%と続いた

この状態で9月中旬頃には、安倍総理による臨時国会冒頭・28日解散が急浮上して民進党は大慌てになりました。
前回(平成26年11月解散で出てくるウィキペデイアによると「民主党は元職や元参議院議員を当選させ73議席を獲得し、党勢を若干回復させた。」とあります)民進党当選者が73名でその後日本維新との合併を経て・・維新系の一部は大阪維新の会に移るなどしていたので、衆議院定数465名中民進党議員は今年始め頃には約80名あまりの記憶ではっきりしませんが、(泥舟から逃げて予定されている小池新党結成創立に関わろうとする離党者が続々出ていたので、どの時点を抑えるかで数字も変わりますが)とすれば、わずか6〜7%の支持では、大幅減が避けられない情勢でした。
慌てたのは来年の総選挙を前提に新党立候補者を決めてから新党を立ち上げて内部組織や全国組織の準備して国政に打って出ようとしていた小池氏も同じです。
10月27日日経新聞長朝刊4p「小池劇場の議員心理」には以下の通り記載されています。
記事では曖昧に支持率1桁台(2〜3%も9%台もある幅の広い書き方です)と書いていますが、その前数ヶ月ほど繰り返された世論調査では上記の通り7%以下で沈んでいたので、これを精一杯膨らませた新聞の書き方です。

「・・泥舟から降りて救命ボートに乗りたいーこれに民進党議員が飛びつかない選択肢はなかった。報道各社の世論調査で民進党の支持率が1桁台。惨敗した7月都議選に続き『このままではジリ貧』との悲鳴が上がったが・・・小池氏の登場で期待に変わった」「選挙を前に離党した前議員が続出。・・相次ぐ離党者を受けて民進党前原誠司代表は9月28日の両院議員総会で希望への合流方針を1任を取り付ける形で決定。1時間足らずの会合で理念や政策はほとんど議論されず前原氏が『全員が立候補できるよう全力を尽くす』と述べると拍手で了承した」
「だがほどなくしてその方針が小池氏によってほごにされる。・・リベラル系らを念頭に『排除する』と明言」・・・「不思議にも議員からの反発の声は限定的だった」・・「自分は排除されるのだろうか」と「多くの議員はみづからの処遇を心配するのが精一杯」・・・『立憲民主を立ち上げた枝野氏でさえ相当悩んでいた』と枝野氏に近い議員もこう明かす」

いわゆる満場一致採択でしたが、理念の違う保守系の支持で成立している小池新党への合流に対する疑念は一切出なかった様子です。
わずか7%前後の支持率では465人の衆議院定数のうち民進党系議員が80人前後も占めていること自体が国民意思を反映していません。
「安保法制反対・・大多数の国民意思を無視するな!」と主張する張本人・運動体の主力政党が国民の6〜7%しか支持されていないのですから、いわばギャグみたいな主張です。
しかも小選挙区では理論的には最多得票でない限り当選できないのですから、7〜8%の支持率では壊滅的でしょうから、十数人あるかないかの党幹部等の大物(前回選挙では菅元総理や海江田党代表が小選挙区で落選しているくらいです)以外にはせいぜい比例代表でしか生き残れない見込みでした。
比例代表が仮に支持率をそのまま反映してもタカが知れています。
ウィキペデイアによれば、26年の第47回選挙での民主党の当選者数と内容は以下の通りです。

小選挙区
g      得票数       得票率      議席   議席率    合計議席  議席率
民主党  11,916,849.274        22.51%        38     12.88%
比例区
民主党  9,775,991        18.33%            35     19.44%          73    15.37%

上記の通り個人要因を除いた比例・・党の支持率約18%の得票率で議席35ですから、6〜7%の支持で選挙に臨めば比例当選者が3分の1前後になります。
上記日経新聞の記事では民進党の看板を希望の党に付け替えることによって一人でも多くの議員が生き残る方法を模索していた状態が炙りだされています。
あとで「排除」されそうになってから立憲民主党を立ち上げたグループも、小池氏に「排除」さえされなければ合流するつもりであったことが上記記事の経過で明らかです。
今になって合流を提案した前原代表を難詰するのは(全員が「渡りに船」とばかり諸手を挙げて賛成していたのに)自分勝手です。
前原氏が小池氏の真意を読み違えた(騙された)というより民進党全員が、臨時に雇われマダム・小池氏を看板にして選挙時だけ支持率を上げてから「希望の党を乗っ取ればいい」と安易に考えて、その場合世論がどう反応するかを読み違えた点では同罪です。
立憲民主を結成したグループは「節を曲げなかった人の集まり」というイメージ戦略に成功していますが、実態は希望の党への入党を拒否されそうになって慌てて立ち上げたと見るのが実態でしょう。
立憲民主党のことは別に論じるとして「民進党が希望の党へ合流」という名目での看板付け替え戦略の左翼系のメリットは以下の通り推測されました。
左翼系政党全体で見れば、人気のある小池新党に合流して同党の公認とすれば、小池氏支持層である保守系あるいは浮動票が大きく取り込めるので当選率が上がるメリットがありました。
大量落選の予想に怯えていた(上記引用の通り前回選挙では18%の支持でも元総理や現職の党代表まで落選しました)大多数の民進党議員は、・・小池新党の政治理念の吟味をあえてせずに・うやむやにして恥も外聞もなく満場一致でこれを歓迎した背景でした。

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