PCの無理1(パチンコは許された賭博か?)

2月4日にPC(政治的正しさ・きれいごと)風潮の限界論を紹介しましたが、きれいごとで貫徹すると却って無法状態が広がります。
今カジノ法で反対論が報道されていますが、元々国民の射幸性を完全に禁遏できないことを前提に政府・自治体管理下である程度の息抜きを許すために競輪競馬や競艇等が公的管理のもとで認められて来たもの・・それ以外は刑法犯です。
売春防止法も売春自体の完全禁止が難しいので管理売春など違法性の高いものを禁止する方法です。
現在パチンコによるギャンブル依存症が社会問題になっていますが、敗戦直後には公営管理の必要がない・・ギャンブル性が低い・・(当時バラック程度の家で、手動式でしたし、当たったよと言ってキャラメルなど持って帰って来る程度が普通)あったとしてもそれほどの射幸性がないので個人的遊びの程度を出ないと言うことで刑事罰に当たるほどではないと判断したように思えます。
世上言われるように賭け麻雀等でもその場のラーメン代を負けた方が持つ程度・・あるいはちょっとした集会でくじやビンゴなどで当たった人に景品を贈呈するなど・・は理論的には賭博としても習慣性リスクが低く主催側も業としていないこともあって、処罰する程の違法性がないと言う範疇のものが一杯あります。
ここにはある程度のお目こぼしの必要性と言うか、緩みの必要意識もあったでしょう。
ところが、刑事処罰の対象にしていなかったパチンコが、社会問題になるほどのギャンブル依存症を招いていると言うことは、個人的なちょっとした遊びの枠を越えている・・まして年間何十兆円もの巨大な売り上げを誇る業として成立するようになると取り締まるべきレッキとした賭博行為の仲間入りをしていることになるのではないでしょうか?
管理売春処罰や賭博も胴元処罰が厳しいように、営利目的が入るか否かは重要な指標です。
およそ刑罰その他規制取締の必要性を考えると、賭博や麻薬・春画・サドマゾその他の趣味嗜好あるいは風説・新興宗教・法輪功?も、個々人の限定趣味に留まっていて社会害悪が少ない場合には刑事罰で取り締まる必要がないのですが、一般に広がり過ぎて社会害悪になってくると取締対象になって来るのが普通です。
道路に痰を吐き、ゴミを捨てる人が10万人に1人なら「困ったヤツだ」と思っている程度でいいでしょうが、100人に一人の率でこれを始めると何らかのキャンペインヤポイ棄て禁止条例などが必要になります。
このような規制の歴史を前提にするとパチンコ依存症がこれほど騒がれているのに、パチンコ依存症対策やパチンコ規制の検討が進まないのは異常です。
パチンコのギャンブル性が終戦直後より緩くなっているのかどうかで言うと、その頃土間に立ちっぱなしが普通・・ある程度やっている人の話では、腰が痛くなって続かないとか親指で弾くので、親指が痛くてね!すぐにやれなくなると言うのが昭和40年代頃までのその道の通の説明でした。
50年代始め頃にどこかの駅で列車待ちの時間に知人と付き合いで入ったときには、まだ立ったままでしたが、いつの間にか椅子を置くようになって、長時間でも続けられるようになった外、機械化によって親指の疲れがなくなった頃からは行っていませんが・・・・入り浸りになり易くなっているのが現状です。
その上、社会環境の変化が大きい・・昔許された政治家への寄付が今は政治資金規制法で次第に厳しくなって行くように、友人宅への訪問時に路上駐車が普通であったのが今ではコインパーキングに止めるのが普通になるなど・・社会の許容範囲が変わって来るのは当然です。
戦後直後には粗野な行動が普通だったのが今ではカゲを潜めています。
社会環境の変化とパチンコの業務性強化によって実質違法性が高まったパチンコをギャンブル性低下方向へ規制するか、取り締まる方向へ踏み出すべき時期が来ています。
尤も賭博性緩和のために景品買い取り業者をかませて3者回転方式で外見上パチンコ店自身は、客に直接お金を払わない仕組みにしていますが、こんな見え透いたダミーさえ介在させれば合法になるならば、ヤクザが胴元になっているいろんな賭博も第三者さえ介在させれば良いことになり、この世の中で組織的賭博罪事件はなくなります。
パチンコに限って公安員会・警察のお墨付き・・賭博罪で検挙されないのは変な仕組みです・・。
ソモソモ、国民のために取り締まるべきか否か区別の基準は射幸性の有無と依存症に陥る人が多いかどうか・・社会に与える害悪であって、換金の仕組みを公安委員会の指導?(癒着)とおりに複雑にしているかどうかではありません。
賭博罪の要件を見ておきましょう。
公安員会の許可があれば良いとは書いていません。
政治献金・政治家の圧力で公安委員会が許可しても賭博であれば賭博であり、それが賭博になるかどうかは裁判所が決めることです。
刑法
第二十三章 賭博及び富くじに関する罪
(賭博)
第百八十五条  賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。
(常習賭博及び賭博場開張等図利)
第百八十六条  常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。
2  賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
(富くじ発売等)
第百八十七条  富くじを発売した者は、二年以下の懲役又は百五十万円以下の罰金に処する。
2  富くじ発売の取次ぎをした者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
3  前二項に規定するもののほか、富くじを授受した者は、二十万円以下の罰金又は科料に処する。
賭博とは何かですが、
09/26/07「文語体から口語体へ(刑法)」のコラムで旧規定を紹介したことがありますが、旧規定を見れば明らかです。
第185条(旧規定)
 偶然の輸贏に関し財物を以て博戯又は賭事を為したる者は、50万円以下の罰金又は科料に処す.
但一時の娯楽に供する物を賭したる者は此限に在らす」
「偶然の輸贏に関し財物を以て」ナスものを言うのであって換金経路に第三者をかませれば「賭博」にならないものではありません。
パチンコ自体が賭博になれば、パチンコ業は賭場開帳図利罪になります。
国民の健全性維持のためには、換金システム複雑化よりは射幸性を煽ってギャンブル依存症に国民を誘引しているかどうかこそが重要です。
何故パチンコ業界だけが優遇されているのか不思議に思う人が多いので、結果的にパチンコ業界の不透明な巨額資金が政治家に裏で流れているのではないかと噂されるようになっています。
パチンコ等賭博関係を取り締まるべき公安関係政治家とパチンコ業界癒着の疑惑です。
http://www.mynewsjapan.com/reports/1758の13日現在の記事によると、
「平沢・菅原・下村・松島氏にパチンコ業界が資金供給、太田国交相には公益法人も献金 衆院東京9~16区」と言う題名が出ています。
平沢氏は警察官官僚出身政治家として知られています。
これだけ依存症が騒がれるようになった以上、イキナリ全面禁止出来ないとしても、コンピューター化の進んでいるパチンコ業界では、サラ金規制同様に一人当たり業界全体の利用金額(年間・月間・日限など)の上限規制などやる気になれば可能ですから、出来ることから規制して行くべきです。
そうすれば生活費・生活保護費を大半つぎ込むようなことも防げます。

民族の正義→外国人の政治活動2

日本人が外国の思想や商慣習等を紹介して民族意識の変革を試みるのは、国家発展に必要なことであり当然許された行為ですが、民族の共通価値観を外国人が自国主張に従わせるために、他国の国論を変えて行こうとしてそのクニで政治運動をするのは邪道でしょう。
まして日中韓で厳しく対立している南京虐殺や安婦問題等で中韓の主張を後押しするためのデモを日本でするのは論外です。
在日中国人が反日デモ行動した事実は、彼らが更新許可申請したとき、あるいは再入国許可申請したときには日本政府は国際ルールである相互主義も勘案して、(中国は政府基本方針に反する政治活動の自由を自国民にすら認めていないし、ましてや日本人に認めていません)裁量権の範囲内として毅然とした態度を示すべきでしょう。
中国人のデモ参加者は在留許可更新拒否を恐れて?ほぼ全員がマスク等で顔を覆って・・デモを始めると横断幕をぐるっとデモ隊の周囲に掲げて参加者の顔が道路から見えないように終始覆って参加していました。
彼らは日本人が気に入らないことを自覚してやっている・・嫌がらせのためにデモしていたのでしょうか。
相手に悪感情を抱いていても相手に知られないようにするのが普通・だから陰口で本音が漏れるのですが、韓国や中国は日本に嫌われるため明からさまな行動をする変なクニです。
昨日紹介した憲法学者の論文の内「入国の自由」に対する主権国家論については、トランプ氏の入国禁止令の根拠にもなっている点は、2月4日に紹介しました。
アメリカの入国禁止令に関する訴訟関係(・・請求側の主張自体が全く報道されないこともあって)の報道が散発的でよく分らないままでしたが、日々実態が明らかになって来ています。
2月11日日経朝刊報道によると、高裁の決定?では差し止めの可否に関する判断だけであって大統領令が違憲か否かがテーマになっていないような解説です。
入国禁止によってどう言う被害が出ているか・緊急差し止めが必要かどうかの攻防であったと言うのですが、企業がどれだけ困っているか・・政治効果の是非そのものを司法が最終決定出来るのでは三権分立の原理に反している可能性があります。
トランプ氏の「司法が政治的過ぎる」との批判が、三権分立の原理を無視した行き過ぎで非常識と言うのがマスコミの大きな報道姿勢ですが、現在の司法審査が政治が決めるべき分野を審査しているとすれば、トランプ氏主張の方が合理的印象をうけます。
ただ、昨日紹介したマクリーン判決の応用として入国禁止判断裁量権が行政府にあるとしても、判断材料となった政治活動をしたか否かの事実認定は司法審査の対象ですから、この法理を当てはめるとトランプ政権が緊急に入国禁止しなければならないと判断した前提事実・・その前提たるテロ発生リスクがあるとする判断資料の有無等の事実認定は司法審査の対象です。
我が国でも司法が政治に口出し過ぎていると言う批判がありますので、原発稼働停止に関する大津地裁の仮処分に関連して16年11月12日の「司法権の限界16・謙抑性4(民主主義の基礎1)まで書いていたところですが・・具体的審査次第・・立証責任に即してどうだったのかの検証・・私なりの解釈に入りかけて横道にそれていますので、近日中にこの続きとして割り込ませる予定です。
ただし、日本の場合大統領令のような制度がなく、行政権が法を変えられないので法の適用の有効性がテーマですからこの種議論が妥当しますが、アメリカの場合後から出来た大統領令が既存法に優先するとした場合、憲法に外国人の入国自由を書いていないとすれば、既存法の解釈で入国禁止の必要性を審査出来ない筈です。
報道による限り一般的な裁量の違法適法の判断を争っているように見えるので、もしかしたらアメリカ合衆国憲法に外国人にも入国の自由権みたいな規定があって例外的に国防上その他の自由があるときだけ制限出来ると言う憲法上の権利があるのかも知れません。
あるいは大統領令が法と同等の効力がある(ウイキペデイア解説なので正確性が不明)としても、一種の戒厳令みたいな緊急事態に備えてそう言う権能が認められているだけとすれば、緊急性がなければ無効と言う解釈もあり得ます。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaokanozomu/20170210-00067544/トランプの研究(6):控訴裁判所での大統領令を巡る訴訟でトランプ大統領敗北、トランプ政権に大きな打撃
によると高裁の仕組みなど詳しく紹介されています。
また口頭弁論のやり取りの要約?の外「判決全文」として紹介されていますが、憲法のどの条項に反するか、大統領令の法的値位置づけなど法律家として関心のある点が漏れていますから「全文」ではないように見えます。
ただし、大統領令は仮に憲法で禁止している宗教差別に当たるかどうか、その有無認定のために・7カ国出身者のテロ行為が過去にあったのかなどがテーマになったとすれば、審査対象にした(政治判断分野ではない)合理性がありそうです。
憲法による外国人の入国権があるのか、緊急事態外には大統領令の効力がないのか等はっきりしないままですが、緊急性があれば憲法で許される範囲あるいは緊急事態がないと入国制限が出来ないことになりますので、その前提で念のため現在(報道による限り)行なわれているらしい訴訟の争点・・裁量の許される範囲の議論を書いておきます。
新たな入国基準策定までの臨時処置として6ヶ月間入国禁止すると言う大統領令の有効性判断には、7カ国の人に対して従来どおりの入国基準による入国を禁止しないとテロ発生リスクが高い・・差し迫った危険があると言う・・ある程度の証明が必要になります。
このリスク発生率が低いと禁止による損害とのバランス次第で行政権に認められた裁量を逸脱していることになります。
大きな被害防止のためにより小さな被害発生を我慢する・・ワクチン接種や崖崩れの危険があるときの規制など)のが物事の原則(比例の原則)です。
大きな被害発生の可能性が高い場合に、警察が緊急通行止めをするのは(迂回しなければならない損害があっても)合理的ですし、裁量の逸脱となりませんが、何ら危険もないのに(警察のスケート大会などに利用したいために?)何かしたいために通行止めにしたとすれば、裁量権の乱用です。
公的目的であっても、必要性の程度に応じて通行止めが裁量の乱用かどうかが決って来ます。
今回は入国禁止するほどの必要性があったかどうかです。
指紋押捺を求める程度の厳重化程度だとこれによる弊害は少ないでしょうから弊害よりはそれによる実効性がどう代わるのかが論点でしょうが、特定国人全面入国禁止→宗教差別・弊害がすぐに分るので、余程リスク発生率の高さを証明しない限り、禁止令維持は苦しくなります。
上記のように順に争点整理・・分析して行くと、政府側に直ちに入国禁止しなければならないような緊急性・リスクの証明力が薄い場合には、緊急事態実行による損害の大きさが重要になって来る・・「悪影響の大きさに比べて・」そんなことまでする必要があるの?と言う意味で入国禁止の影響の大きさが重要な争点になって来たことになります。
本来の争点は危険発生可能性だったのですが、これの証明度が低いために禁止による兵弊害がどのくらいあるかが次の争点になって来たとすれば、政治問題を司法が論じていることにはなりません。
そうとすれば、政治的過ぎと言うトランプ氏の批判は、逆に司法権への介入批判となるのでしょう。
日本では政府に不利な判決が出ても、司法の判断を尊重すると繰り返すのは判決内容の分析によって意味が違って来るリスクがあるので、政治家は発言に慎重です。
南京事件に関する中国人デモに戻します。
日本人の場合でも南京事件に関する認識がホテルオーナーと違うならば、自分も相応の表現活動すれば良いことで、大勢で押し掛けて相手を黙らせるような示威運動をするのは表現の自由に反するルール違反ですし、まして中国人が自国政府主張を通すためによその国に来て政治運動するのは礼儀にも反しています。
留学生や研修生等が留学先の政治に反対して政治運動するのは、他社へ研修目的で派遣された社員が研修見習い先の企業運営に反対運動するようなものです。
間違っていると思うならばそんな研修を受けるために来なければ良いことです。
日本批判するためのデモをするような人を、政府補助金で留学させているとすれば、おかしなものです。
大分前に書きましたが、北京五輪時に長野で、反チベットデモのため中国人が5000人規模でバスで集まって傍若無人に振る舞った報道を見て驚きましたが、今回はユーチューブの映像を見るとさすがに日本で嫌中韓意識が高まっている中ですので、遠慮ガチと言うかコソコソとした伏し目がちのデモでした。
中国政府の強制で、断り切れない立場の人だけが集められたのでしょうが、可哀相な雰囲気でした。
ただし、可哀相とばかり言ってられない・・やってしまったことに対しては相応のマイナス報酬・・在留許可更新不許可や再入国拒否などの影響を受けるべきでしょう。
そうしないとドンドン反日デモ・反日運動するために中国政府の意を受けて入国して来る外国人が日本ではびこってしまいます。
正義の行なわれているクニかどうかに戻ります。
フィリッピンのドウテルテ大統領就任後「犯罪者を容赦なく射殺しろ」と言う政治実行で国際人権運動家を刺激していましたが,犯罪者がゴロゴロいる社会では、犯罪者の人権と被害者とどちらが大切かと言う限界状況で判断すべきです。
一種の社会的正当防衛状況では、人権保障手続きでは間に合わないから、「話し合いより実力行使あるのみ」と言うのも一理あります。
殺されても後で裁判してやるから安心しろと言われても困るので、自己防衛しかなくなります・・これがアメリカで銃規制出来ない理由です。
大分前に死刑廃止のクニでは、現場射殺が多いと書いたことがあります。

民族の正義=共同体意識→外国人の政治活動1

権力と言うのは目に見える範囲で威令が行き届けば良いのではない・・大統領の目に見えるところや大通りだけでなく,中くらいの通りや路地裏まで行き渡らないと安定権力とは言えません。
法・権力の信頼喪失は、即ち共同体帰属意識の喪失へ繋がり・・自己中心主義・・見つからなければ悪いことをしても良い気風・強い者勝ちになり・社会が混乱して行きます。
正義とは何か?と言えば、長年の民族経験で積み重ねて来た共同体維持ルールですから,正義の乱れる社会で共同体が良くなる筈がありません。
犯罪の多い社会・正義が乱れているアメリカは共同体意識が乱れているか、未成立・不十分社会と言うべきです。
日本のように共同体意識の堅固な社会では物理的権力空白時と言うべき敗戦直後でも治安が殆ど乱れませんでしたし、3、11大震災でも世界が驚いたように犯罪より助け合う方に向かいます。
敗戦直後の権力空白時にも、負けてしまったので助け合って挽回するしかないと言うのが普通の意識で、違法行為を働いたのが、共同体意識の薄い朝鮮人中心だったことがこれを示しています。
民族の窮迫時に朝鮮人が共同体敵視の行為を働いたトラウマが、未だに日本人に残っている・・これコソを朝鮮人が歴史教訓にすべきことです。
韓国人に対する日本人のトラウマと同様に、中国人もおかしな人たちです。
現在南京事件に対する日本側の反論書物をアパホテルにおいていることを中国政府が問題視したことが切っ掛けで?例によって中国政府主導らしい、在日中国人によるアパホテルに対する威嚇デモが企画された報道が出ています。
横断幕などを見るとさすがに南京事件を理由にする対日攻撃はありませんでしたが、南京事件否定の書籍をホテルにおいていることが(思想統制している中国ではあるまいし)自由な日本で何故行けないのか?
ソモソモ日本に来てまで反対運動される筋合いがない・・日本人としては不愉快に思う人の方が多いからでしょうから、表向きの横断幕を見ると「中日友好」「日本が好き」と言うようなのが目立ちました。
中日友好のために南京虐殺事件を批判的に紹介するアパホテルに対する業務妨害的デモを企画するのか不明です・・「中日友好」のためには中国政府が大々的宣伝している「南京大虐殺」の主張をそのまま認めるべきと言う一方的立場をデモの実施で示そうとしているように見えます。
中国は、自分は言論規制や各種規制で自由な経済政治行動を許さないままで、相手国には民主主義・自由主義国だから、何でも許されると言う論理で押し通す自分勝手な自由主義(ダンピング輸出など)を謳歌しています。
これをトランプ氏が激しく批判しているのです。
相互主義が国際ルールの基本ですが、黙っているといくらでも図々しく圧して来る国相手には、譲っても仕方ない・・国際ルールを厳しく適用すべきだと思う人が増えているのではないでしょうか?
反日の意図が見え透ぎ過ぎていて、日本人に不快感を与えるのが明らかなデモを中国や韓国の人が日本に来てワザワザやる感覚が日本人には理解不能です。
1昨年ころには終戦記念日には韓国人が来て靖国神社周辺で天皇陛下の顔写真か似顔絵だったかに竹槍を突き刺した形のデモ行進をしていましたが、彼らは日本人・社会に何を訴えてたくて来ているのか不思議な印象を持ちました。
マスコミが彼らを応援するために?報道するのを楽しみにしているかも知れませんが、デモって元々自己主張支持者を増やすためのアッピールとすれば日本人の反感を広げるためのデモって意味不明です。
昨年靖国神社に爆発物を仕掛けていた韓国人が再入国しようとして検挙されましたが、爆発させれば日本国民の支持が広がると思っていたとは思えません。
日本の支持を広げる目的ではなく、本国向けパフォーマンスと見るべきでしょう。
そう言う目で見ればここ10年前後が激しくなっていた外国人のデモは了解可能です。
シバキ隊と言う名称の慰安婦問題応援団のようなマスコミ別働隊デモをマスコミが報道していましたが、ソモソモ日本で何のためにデモしているのか不明のために誰も支持しない結果、最近は自然消滅状態です。
最近では沖縄に転進?していることが知られるようになりましたが、長距離進出するコスト・・彼らの出動資金をどこが出していたのかがニュース女子などで話題になって来て東京新聞などは・・社説でその種報道を否定するなど火消しに必死の様子です。
在日外国人も多様な意見があっても良いですが、中国政府主張に反する日本人の個人主張を圧迫するために政治運動するのは入管法の精神に反するものです。
いわゆるマクリーン判決をウイキペデイアで見ると如何にも政治活動の自由が保障されたかのような紹介ですが、(虚偽紹介と批判されない程度のすれすれ?と言う感じです)少し長くなりますが、判決要旨を最高裁自体のデータを引用してありのまま紹介しておきます。
外国人の政治活動の自由と在留許可更新に際しての裁量の範囲に関する最高裁判例要旨は以下のとおりです。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=53255
昭和50(行ツ)120 事件名 在留期間更新不許可処分取消
裁判年月日 昭和53年10月4日法廷名  最高裁判所大法廷
一 外国人は、憲法上、わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されていない。
二 出入国管理令二一条三項に基づく在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断は「法務大臣の裁量に任されているものであり、上陸拒否事由又は退去強制事由に準ずる事由に該当しない限り更新を不許可にすることが許されないものではない。
三 裁判所は、出入国管理令二一条三項に基づく法務大臣の在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断についてそれが違法となるかどうかを審査するにあたつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができる。
四 政治活動の自由に関する憲法の保障は、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても及ぶ。
五 外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、在留の許否を決する国の裁量を拘束するまでの保障すなわち、在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情として斟酌されないことまでの保障を含むものではない。
六 上告人の本件活動は、外国人の在留期間中の政治活動として直ちに憲法の保障が及ばないものであるとはいえないが、そのなかにわが国の出入国管理政策に対する非難行動あるいはわが国の基本的な外交政策を非難し日米間の友好関係に影響を及ぼすおそれがないとはいえないものが含まれており、法務大臣が右活動を斟酌して在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないと判断したとしても、裁量権の範囲を超え又はその濫用があつたものということはできない。 」
要約すると政治活動の自由はあるが、在留更新では法務大臣に裁量権があり、政治活動をしたかどうかを裁量事実に含めても構わないと言うことです。
裁量前提事実の事実誤認の有無は司法審査の対象になるものの、外交の基本政策に対する非難行為を裁量の対象に含めることが許されると書いています。
ウイキペデイアに引用されている文献紹介を引用しておきましょう。
「この判示を導き出したのは、在留更新の許否に関する法務大臣の裁量権は広範であり、司法審査の範囲は限定される。その論拠となったのは、国際慣習法上、外国人の入国の自由は保障されず、日本国憲法もその立場をとっている。
^ 参政権的機能を果たす政治活動の自由については、国民の場合と異なる特別の制約が許されると解する(通説・判例 芦部信喜『憲法学Ⅱ』[1994]151-153頁、本判決の立場)。」

事後審査社会→訴訟と保険の発達2

入国審査その他行政の仕事は(ちょっとした届けで市役所に行ったら受け付けてくれないレベル)いい加減で良い・・不満な人は弁護士に頼んで裁判すればいいと言うのでは困ります。
現在の国際競争で言えば、製品不良率の多少・・歩留まり率こそが商品価値の差です。
発火事故のあったサムスン製スマホで言えば、「発火したら取り替えます」では誰も買わないでしょう。
アメリカ製造業衰退の基礎原因は相手国の不公正障壁によるのではなく、「後で司法救済を受ければ良い」と言う政治が象徴しているように良いものを努力して作る習慣がない・・「粗雑・粗悪品」で何が悪い・・クレームがあれば後で治せば良いと言う価値観・習慣によると見るべきです。
アメリカのベルトコンンベアー方式の発明は緻密作業に適応出来ない・民度レベルの開き直りであったことを書いて来ました。
この延長で、ドンドンと作業分化・簡略化が進み結果的に、未熟練工でも役に立つ・・新興国への工場移転に繋がったことも書いてきました。
これの道徳的裏付け・正義論が・・不良品前提の事後審査制度であり、この両輪が今のアメリカ経済斜陽化に繋がっていることを、Jan 22, 2017「新興国台頭と日本の進むべき道2」以来書いて来ました。
日本でも外車輸入が伸びているのにアメリカ車だけ負けている事実が国際競争力低下を物語っています。
大統領令が無茶苦茶でも兎も角出れば有効(ここではトランプ大統領令が無茶苦茶というのではなく一般の大統領令を書いています。)・・被害を受けた国民が後で裁判して救済を受けるしかない事後審査制度では、強い者勝ちの社会になります。
アメリカで警官による射殺事件が多いのは、犯罪者に射たれるのを待っていて、うたれたら相手を殺人犯で検挙してくれるのでは間に合わない・法の支配など待っていられない・・「早い者勝ち」の論理・・正義感があるからです。
アメリカ流の粗雑社会とセットの事後審査主義のあり方を世界が支持しているかと言えば、製品市場でアメリカ製品が負け続けている結果を見れば世界は粗悪品→事後審査よりは、事前に安全な検査したものを求めていることが分ります。
政府・大統領令が間違っていれば裁判すれば良いと言われても、戦時中に日系人は違法に?強制収用されても実際に裁判出来ませんでしたし、今回の入国禁止令でも対象になる7カ国出身米国人自身が抗議の動きすら(怖くて)出来ていません。
化粧品その他での被害者が1000人いても実際に裁判出来る人は滅多にいない・・この救済のために懲罰的損害賠償制度が発達しましたが、資力のない人が泣き寝入りするしかない現実を無視出来ません。
2月4日に移民概念の紹介でアメリカ法律事務所の移民制度の説明を紹介しましたが、その説明文には「移民手続に精通した弁護士に依頼しましょう」と言う案内が一杯出て来ます。
そうすれば「入国審査でのトラブルにすぐに対応します」と言う案内です。
と言うことは、弁護士次第で釈放されたり、されなかったりする社会・・日本では補助金その他いろんな申請するのに弁護士がついて行かなくとも、とおるべきものは通る・・間違いないのが前提です。
役所の窓口でダメだったものが弁護士を頼んでも、役所滅多にないミスがあったときだけですから、100に1も助からない・・99・9%の有罪率と同じ・・お上を信用している社会です。
アメリカでは弁護士を頼んでおけば、100のうち99助かる・・逆から言えば弁護士なしにうっかり空港にも行けない恐るべき社会です。
国民にとっては被害がしょっちゅうあって,その後に裁判出来るよりもお上にしっかりしてもらって、被害のない・少ない・・弁護士に頼む必要が少ない社会が良いのが日本人の意識・・正義感です。
日本では、訴えられるべき役所や企業の方が弁護士をつけて欲しいと言う逆の現象が起きています。
クレームを付けられている役所や企業の方が、正しいことをしている自信があるからです。
損害保険に弁護士保険が普及したのもこの延長で、業界として保険会社側だけ弁護士がつくよりは、被害者側にも弁護士がついた方が無茶言われないメリットがあります。
・・弁護士同士だと訴訟前の示談成立率が高くなるので、訴訟事件が減って却って保険会社の顧問弁護士に払うコストが低くなるメリットがある上に弁護士付き保険として割り増し保険料を取れるプラスがあります。
日本ではお上に対する不信感が低い上に役所や企業から説明されても理解し切れない人も、弁護士の論理的説明に納得する人が多いことにもよります。
ただ一定のモノ分りの悪い人、保険で弁護士料が出る・・お金の負担がないことから、「負けても良いから裁判してくれ」と言うモラルハザードもあって、これが最近弁護士にとって苦痛になっているようです(保険関係の弁護士の話)。
「お金が保険から出るから・・」と言われても、負けるに決まっている無茶な主張をしたくないので困るのです。
いくら保険が完備していても、強盗や殺人被害がない方が良い・・服部君事件でも分るように子供の訪問でも強盗と間違って銃で撃つような・不安に怯えて暮らしている・ピリピリした社会が理想ではありません。
自衛のために銃を所持なければならないとすれば、アメリカは法治国家ではあるが、法が行き渡らない・治安の悪いクニではないでしょうか?
道徳教育としては、何をしても後で捕まらなければ良い・・裁判で有罪にさえならなければ良いと言うことになりませんか?
裁判になっても腕利きの弁護士を頼めるかどうかによって結果も変わって来る社会って日本人からすれば不思議です。
賄賂や、コネで結果が変わるのとどう違うのか・・実質賭博行為でも公営競馬などなら犯罪ではないと言うのに似ています。
自助努力次第と言えば聞こえが良いですが、裁判する資力のない人には法が(あまねく)行き渡らない法治国家と言う表現は言語矛盾です。
日本は昔から厳しい法がなくとも、むやみに争わず自発的に道路や畑を綺麗にし,犯罪の少ない社会です。
アメリカの法治主義とは、法に頼るよりは各自が銃をもって自衛しろと言うことにつながります。
「法の支配」は権力から人民を守るためにあると言われて来ましたが、国民を守るための法秩序が実は頼りにならないとすれば,法制定権力・・政府への信頼が失われ・・ひいては共同体自体への信頼も失い・常時自分で銃を持っているしかなくなる・役所へ行くのに弁護士同行しないと不安な社会です。
どこの世界でも治安維持こそが権力維持の基礎と言われる所以で,治安を維持出来ない権力は国民の信を受けていないことと同義です。
屈強な護衛を連れて歩けば,目の見える範囲・・数十〜数百メートル四方に威令が行き届くでしょうが,見えないところであかんべエをされている人と,護衛が多くいらないし威張らないが,見えないところでも尊敬されている人ではどちらの方が威令が遠く,多くに届いているかの違いです。
この意味ではトランプ氏は何事もみんな自分でやらないと気が済まない・・一見華々しいですが,逆から見ると間接的に多くを動かす能力が不足している・・まだ組織化されていないだけか?ように見えます。
アメリカに限らず政府の仕事は多種多様・複雑ですから、目に見えないところで実直に働く人に支えられないと政治が回って行かなくなります。

事後審査社会→訴訟と保険の発達1

大統領令と民主主義のテーマに戻りますと、逮捕・拘束などの人権条項も仮に法で決められているルール無視で(日系人収容のように)大統領令だけで拘束出来るとすれば,法を作るべき議会の存在意義がありません。
罪刑法定主義など近代法の歴史は、法が国王(権力)からの人権侵害の防波堤・・人権を守るために出来たと習って来た(真実は支配の道具ですが・・)歴史から見てもおかしな制度です。
さすがに今回の入国申請者拘束には、直ぐに司法救済を求める人がいたらしく,米国時間2月3日に執行停止を命じる?決定が出て、日本時間2月5日付報道では、これが全国的執行停止効があると書いていましたので、個別審査妥当性ではなく命令そのものに対する違憲判断だったことになるのかな?
大統領が率先して法または憲法に違反行為をしていると言う司法判断となりますから、従来型価値観によれば政権のメンツ丸つぶれです。
これまで書いているように既存ルール破棄のための政権だと開き直れば別ですが・・・。
権力意思を遠くに及ぼすために法制度がある側面(これが本質でしょう)から見れば、権力中枢が法制度を自ら無視をしていることになると、国民は何に従って良いか分らなくなる・・社会が混乱して権力そのものの基礎が瓦解します。
これを防ぐために諸葛孔明は「泣いて馬謖を切」ったのです。
権力者は自らの権力貫徹手段である「法」を守らなくても良いと言うアナウンスを流すと自己矛盾に陥ります。
現在世界中が固唾をのんで見守らざるを得ないのは、世界覇者アメリカの最高権力者になったトランプ氏の構想する新たな世界秩序が不明であることによります。
クーデタや革命政権が権力掌握すると一刻も早く新秩序を宣言し、混乱を沈静化させるのに必死になる所以です。
革命政権の場合、日常的民事刑事手続きを除き一時的に革命の本質に関わる事項について司法機能の全面的ストップをかけるのが普通です。
トランプ政権は合法的政権獲得している関係で、既存ルールに従うしかないのが事態をややこしくしています。
そこで直ちに政権は異議申し立てすると報道されていましたが、2月6日の報道では控訴審で異議申し立てが通らなかったので、地裁の差し止め決定がそのままになったと報道されていましたが、7日の報道によると差し止めの取り消しが認めらなかっただけで本案の口頭弁論が開かれるようです。
どちらが負けても最高裁に訴えるでしょうから、最終的には最高裁の判断次第になります。
こうなると現在4対4の最高裁判事構成を覆すことになる欠員1名の判事任命がどうなるかが大きな争点になって来ます。
アメリカは日本と違い政治任命ですから、判事の政党色がはっきりしています。
だからこそオバマ政権時代には、共和党多数の議会承認を得られず約1年間も欠員のママだったのです。
トランプ政権としては議会多数派になっているので政権寄り判事任命に自信があるのでしょう。
これが出来上がると議会は共和党多数ですし、司法とのねじれも解消されることになります。
訴訟の帰趨は措くとしても、このシリーズの関心は大統領が議会の同意なしに大統領令に署名さえすれば、違憲判断が出るまで法に優先して有効になる・・これが日系人だけ強制収容出来た法原理です・・人権保障としては非常に怖いシステムであることの関心です。
大統領令が議会より優位の法を作れる・・次々と大統領令を出すと法制定の議会はいらない・・憲法違反まで主張しないと救済されないのでは,先進国の証しは三権分立制度が確立していることであると学校教育は噓を教えて来たのではないか?となりませんか。
現状を見ると司法権と大統領府との2権分立でしかありません。
その司法権も政党色で選ばれるのですから、日本とは大違いです。
大統領令の濫発で為政者が(自制心なく)法制度無視行為をドンドンやって、その都度司法権による差し止めが繰り返されるようになると、・そのうち国中で法を無視する行動が頻発するようになるのではないでしょうか?
ただし、元々革命は既存法の延長では出来ませんので、トランプ政権の政策が既存秩序に対する挑戦・一種の「革命」とすれば既存法に矛盾する政策を打ち出すのは当然のことですので、既存秩序に反することを非難論拠にするのは間違っています。
従来型革命は数週間の暴動等を経て短期間でぶちこわすものですが、今回は選挙を経ているので革命に見え難いだけ・新しい形式の革命?だったことに後でなるのかも知れません。
革命だったのか無茶苦茶だったのかは昨日書いたように時間をかけて分ることです。
このシリーズではトランプ政策の是非ではなく、戦時中の共産党親和政策や日系人強制収容や戦後の米中和解や戦後のスーパー301条などを軸にアメリカの民主主義・自由主義の主張は自国のヘゲモニー維持を主目的にした表向きの宣伝だけだったのはないかの関心で書いていますので元に戻ります。
司法の救済があっても,政府が率先して法(長年共同体意識を培って来た合意・人類が長年掛けて積み上げて来た歴史遺産)を無視してドンドン違法行為をしてこれを自慢しているようでは,個別救済の司法救済では間にあいません。
大災害が起きると既存のセーフテイーネットでは間に合わないのと同じで、司法救済制度も政府は滅多に違法行為をしない前提で成り立っているものです。
日本で違憲判断が出ると政府はこれを尊重してすぐに法改正しますが,トランプ大統領に限らず自分の意見に合わないと「受入れない」と宣言するのがアメリカのやり方です。
クリントン氏がオバマの移民に関する大統領令を違憲とする「最高裁判決を受入れがたい」と宣言していたことを2月3日に紹介しました。
・・我が国でも左翼系は自分の意に沿うと画期的判決と言い、主張が通らないと反動判決と批判しているのと同じです。
要するに相手の意見を受入れる許容性がない民度・社会・・元々違う意見を認め包み込んで行く能力がない民度では、民主主義の実践は無理です。
事後審査に戻しますと、刑事制度は犯罪を摘発して処罰することが直接の目的ですが,処罰することで犯罪が起きないようにすることが本来の目的です。
報復心だけを基準にすると刑罰重視を時代遅れだと非難し、被告人の人権ばかり・服役内容も快適なホテルみたいな方向へ進み過ぎます。
刑事政策は、本来の目的は治安維持ですが、これの協力を得るために被害者の報復心も利用していると言うべきです。
犯罪がいくら発生しても良い・・後で検挙するから・・と言うのでは,治安維持を目的とする刑事政策に反しています。
泥棒や無法者が町を闊歩する自由があって,一般人が被害にあえば訴えれば良いですよ・・と言うのでは国民は安心して生活出来ません。
大統領や役人が率先して実質違法行為をしていても、不満なら裁判すれば良い・・裁判制度が完備しているから間違っていれば違憲判断してくれるよ!これが法治国家だと言うのでしょうか?
裁判出来ないよりもマシですが・・。
日本の刑事裁判では99、何%の有罪率であることが有名ですが、文化人が「これでは裁判の意味がない」と嘆くのが普通ですが本当にそうでしょうか?
大分前に(小泉改革だったか?)我が国も、事前審査をやめてアメリカのように事後審査の社会になるべきだと言う論調が風靡して、その方向に舵を切り始めましたが民族意識・・常識と合わないらしく、あまり定着しているように見えません。
粗悪品でも何でも作って市場に出して「中毒事故が起きたら損害賠償して治せば良い」と言うのでは、国民が困ります。
犯罪検挙も確かな証拠もなくても、先ずは検挙して勝敗は裁判所が決めてくれたら良いと言う運用も同じ発想です。
これでは裁判の無罪率が上がるわけですが、大雑把な捜査ですぐに裁判される(・・その代わり原則として保釈を認めて長期勾留を防ぐ運用ですが・・)のでは国民は叶いません。
戦後は何でもアメリカ迎合・100%受入れている韓国では、最近も検察が証拠もないのにデモの勢いに圧されてサムスン副会長の逮捕請求して裁判所にはねられました。
数年前には、ソウル産經新聞支局長に対する名誉毀損罪の起訴でも分りますが、(仮に身柄拘束されなくとも)あとで裁判で無罪になってもその間の言論萎縮効果・・被告人にされた方の精神苦痛は絶大です。

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