PC・二重基準の限界(サウジ記者殺害?)

格差拡大・・トランプ氏の1国主義の主張・・それらは全て「国民レベルでは、優等生を演じ切れない」と言う悲鳴にも聞こえます。
米軍が、欧州戦線で解放軍というメデイアの宣伝にも関わらず、強姦魔になっていたことを18日に紹介しますが、綺麗事に国民がついていけない実態があります。
アメリカ自身も西欧から見ればたまたまキリスト教徒の出先というだけのことで、ロシア同様の西欧文化の周縁国ですから、西欧社会から一段下に見られて何かと馬鹿にされているのが、癪の種です・実態はその通り・・いざとなれば野蛮な本性を出してしまうのでしょう。
メルケル氏から見れば、同じドイツ出身のトランプ氏が秀才のメルケル氏から見れば、低レベル?の塊みたいな振る舞いをするのに我慢ならない様子を見せるのは、近親憎悪のようなところがあるからです。
平安末期の公卿社会からすれば、勃興してきた地方の粗野な武士団とは気が合わないが、利用できる限度で無視できないので、粗野な武士同士で争っていればいいという源平時代の摂関家のような気持ちが、20世紀以来の西欧の姿勢でしょう。
もしかしたらトランプ氏の無茶な要求は、アメリカの草の根の本音・・上海協力機構に参加すれば価値観や気持ちが一致するかもしれません。
実はアメリカは、本音に従って?上海協力機構にオブザーバー参加申請したところ、拒否されているらしいのです。
上海協力機構に関するウイキペデイア引用の続きです。

SCOはアメリカのオブザーバー加盟申請を拒否した他[2]、アフガニスタンのカルザイ政権が半ば「アメリカの傀儡」である事を理由に加盟申請を拒否したり、加盟国ウズベキスタンからの駐留米軍撤退を要求するなど、米国との対立路線を形成しつつある。過去のサミット(2007年のビシュケク・サミットを含む)では、たびたび間接的に「ワシントンへの反感」が示されている。

宿敵関係にあるインドとパキスタンまで肩を並べて入っているとなると、共通項はキリスト教徒は嫌・来るなという集まりでしょうか?
ところできれいごとと言うか西欧で理性に基づいて一歩一歩組み立てて来た国際政治上の約束事(ウエストファーリア条約以降の漸進的向上や各種国際通商条約)にロシアを含めた周辺ないし新興国指導者はごもっともと言うことで反対出来ないから条約参加してきました。
しかし、身近な生活では暴力的解決が普通・強盗も泥棒も蔓延している社会で西欧の掲げる高邁な人権思想にそのままついて行けない現実が先進国アメリカでさえトランプ旋風によって吹き出した印象です。
ここ数日国際問題になっているサウジ王家批判で有名なサウジ籍のジャーナリストがトルコで殺害された事件・・を見ると欧米の人道主義・自由主義の綺麗ごとと・ポリテカルコレクトネスの実態の矛盾が吹き出した印象でしょう。
トランプ政権に限らず欧米としては、サウジ支援を簡単に切れない側面があります。
中東の米国の影響力はサウジを通じて行なっているので、これを人道主義批判によって軍事援助を切るとサウジもロシアから軍事援助を受けるしかないので、中東はロシア勢力一色になってしまう実態があります。
これまでシリアの民主化弾圧、タイの軍事政権・ミャンマーのロヒンギャ問題など批判→制裁するとその都度ロシヤや中国の影響力が広がってきた歴史・・サウジの記者殺害問題は最後の大団円になりそうです。
左翼系人権運動家は、ロヒンギャやタイの軍事政権批判し、経済制裁や軍事援助停止を強調しますが、中露のもっとひどい人権侵害.公害・核兵器開発には何も言いません。
中国では政府活動家に対する頻発する長期間のゆくへ不明事件・・弾圧・・直近ではウイグル族に何百万に上る強制収用を非難すらしないし、「中国への投資や取引をやめろ」という要求を誰も言わない不思議さです。
左翼系文化人・人権活動家のメデイアを通じた激しい批判・民間企業に対する投資抑制運動は、中露を除く原則があるので結果的に人権や公害(CO2排出)、児童労働や劣悪な労働環境を問題にしない中露の世界勢力拡大・・経済進出の応援運動になっています。
トランプ氏の主張は、左翼系文化人・メデイアの作り上げてきた価値システム・PCの全面否定が特徴ですから、ここでトランプ氏としては、「他国の人道問題と政治は別」と開き直る可能性があります。
内政は内政であって、どのような政治が良いかはその国民が選ぶことであって、外国は批判するのは勝手としても(制裁等で)その国の政治に直接関与しない原則に戻るべきでしょう。
主権尊重という観念論ではなく、民族の経験してきた微妙な価値観によって文化が違ってきたように制度相違を尊重すべきということでしょう。

PC(political correctness)・・政治的正しさ2

緊急捜査時においてパトカーなどに例外法規があると言うことは、元々「より大きな被害抑止のためにはある程度まで普通なら許されない・違法な行為でも目をつぶりましょう」と言う意味ではないでしょうか?
社会全体から見た一種の正当防衛思想の現れです。
捜査に於ける例外規定は警官が現場での判断に迷わないように出来るだけ前もって個別に決めているに過ぎないとすれば、仮に決めていないことが起きた場合、本則に帰って個別判断すれば良いことであって、法制度の趣旨を類推しても形式的な少しの違法行為は何ら問題がないように思われます。
最近緊急事態法・・い割る揺る戒厳令制度の必要性が議論されていますが、イザ北朝鮮からのミサイル砲撃があったときに、地域ごとの公安委員会の指示がないと何も出来ないか?・・今のところどう言う例外があるのか知りませんが個別法令対応ではなく、根元から一旦停止する仕組みにしないと緊急事態には混乱するばかりです。
詳しく知りませんが一般通行を禁止する権限があるのかないのか?信号待ちしながら移動したり個々の法令をクリアしながらの移動や出撃では、どうにもならないでしょう。
戦車が一部被弾したときには、そのまま走るのが車両整備規則違反かどうかではなく、ジグザグでも走って敵機から逃げるしかないこともあるでしょう。
繰り返し書くように占領軍の当初目的は日本の抵抗権を封じるのが目的だった結果、憲法には交戦権も戦力保持も否定していたので、当然抵抗のための非常事態法などは不要・・予定されていません。
「自衛権さえ認めていない、他国に蹂躙されても逃げ回るしかない・その内捕まって・奴隷として拉致されても黙っているしかない」と言う仕組みであった以上・・憲法の本来は、集団自衛権を予定していないのも同じです。
独立後この理不尽な内容を国民が変えて・・自衛は出来るとなった以上、関連法規をそれに合わせることが憲法に反するとは思えません。
憲法解釈が変わって自衛のための戦力保持が許されるし、自衛隊や安保条約を憲法違反と言っていた社会党でさえ方針を変えたことは周知のとおりです。
そうであれば、基本解釈を変えながら個別の法規になると憲法に予定されていないから違反と言うのは矛盾しています。
国土防衛のために自衛隊が応戦するに必要な範囲で自衛隊が自由に動き回れる法令とセットでないとどうにもなりません。 
自衛権を認めても実際に出動が出来ないように、(神戸震災でも知事の出動要請があるまで、自衛隊が動けなかった点が、報道されていました)何かと野党が反対している状況です。
神戸震災でも分るように緊急事態把握能力は個人ではなくシステム化している自衛隊の方が早期に把握出来るほか内部伝達力にも優れています。
知事が自宅で飛び起きてタクシーや公用車あるいは(多くは瓦礫状態なので)徒歩で県庁舎に駆け込むまでは機能麻痺ですし、徒歩その他で折角駆け込んでも部下が集まっていないと何も分りません。
特に北朝鮮によるミサイル攻撃の場合で言えば10分前後で指示を出さないと間に合わない状態です。
自衛を認めながら、その一環をなす行為についてだけ憲法違反と言うのは首尾一貫しません。
むしろ何かと憲法違反を言い募る勢力は、自衛戦力を持てると言う国民一致の意見が本音では不満・・日本を敗戦時のママ・・奴隷国家のママにしておきたい勢力の蒸し返し運動・・残党ではないでしょうか?
社民党や民進党が憲法違反を言うのは、実は党公式見解に矛盾している・・あるいは「借りたお金を払わないとは言っていない」と言いながら実際にいつまでも払わないようなものです。
こう言う狡いやり方を国民が見ています・だから支持率が下がり続けているのです。
この辺は犯罪類型にない行為を類推処罰するのとは次元が違います。
欧米では簡単に戒厳令・非常事態宣言を布き(フランスではテロ以来今も続いていると思います)、テロリストどころかちょっとした犯罪でも現場で射殺しているのはこうした法適用の一分野でしょう。
http://mainichi.jp/articles/20161116/k00/00e/030/165000c
非常事態宣言を延長 大統領選終了まで
「オランド氏は、多くの人が集まる政治集会が増える大統領選が終わるまで延長することで治安対策に万全を図りたい考え。非常事態宣言の延長は5回目となる。仏内務省によると、非常事態宣言下で捜索令状なしでも可能な家宅捜索を4000件以上実施してきた。」
今年4月21日夕方のニュ−スではパリでまたテロがあったと出ていて、その場でいつも通りに?射殺しています。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/04/1-37.php
「4月20日、フランスのパリ中心部にあるシャンゼリゼ通りで発砲があり、警官1人が死亡、2人が負傷した。(2017年 ロイター/Christian Hartmann)
[パリ 20日 ロイター] – フランスのパリ中心部にあるシャンゼリゼ通りで20日夜、発砲があり、警官1人が死亡、2人が負傷した。銃撃犯は警察が射殺した。警察と内務省が明らかにした。
同国では23日に大統領選の第1回投票が行われる。」
日本で言えば、マスメデイアや人権派の言い分は、犯罪者の人権を言い過ぎていないかの疑問です。
日本社会混乱を目的にした反日目的で動いていないか?と言う疑いが、右翼から出ている所以です。
最近急速に問題になっているPC・・政治的正しさ強調の行き過ぎ批判です。
重箱の隅を突つくようにミスを理由に争えば無罪になってしまうのでは、(免れて恥なき徒?)犯罪者天国にならないかの心配です。
テロ摘発には人権原理を守っていたら滅多に検挙出来ない・・万に1つくらいしか検挙出来ないのではテロがはびこる一方です。
ボクシングで相手がプロテクターを着けているのに、一方が裸で素手と言うのでは平等な戦いにならないのと同じで、物事は同じルールで戦うようにしないとそれ自体が不正義です。
これが幕末新撰組が組織された原理です。
自衛隊は相手から射たれてから自衛するしかないのでは、今時現実的でないことを見れば分るでしょう。
スーダン派遣が危険過ぎるのは自衛隊は射たれてからしか反撃出来ない・・そんなことでは今時甚大な被害が出てしまうからです。
フィリッピン大統領が、犯罪者射殺を始めたので、人権団体は大ブ−イングですが、治安が良くなって、国民は大喝采です。
実際にきれいごとを言い過ぎる欧米諸国では、犯罪者を法手続無視で現場射殺しているのが普通です。

PC・・政治的正しさ

話題が違法収集証拠排除とその例外にそれましたが、人権擁護の細か過ぎる議論が犯罪者集団の悪用を許している面があります。
大分前に「近代法の法理」を守れとか「憲法を守れ」と言うスロ−ガンに関するテーマに関して書いたことがありますが、法律家であればもっとどう言う守るべき利益があってどう言う利益が侵害されるのかを具体的に主張すべきです。
プライバシーとか肖像権とか意味不明の新しい権利主張をされると、法律家でもそれとこれはどう言う関係があるの?と聞くことすら憚られる・・まして一般の人は、黙ってしまうしかない変な風潮があり、マスコミによる洪水的報道によって裸の王様的言論封じが成功しているように思われます。
最近では、ヘイトと言えば何でも黙らせることが出来るような風潮が問題になっています。
ニュース女子とかで沖縄基地反対闘争の実態を報道したところ、これがヘイトに当たると言ってマスコミが大騒ぎしてどこかの論説主幹か副主幹だったかを降格させた騒ぎです。
正確には内容が(このコラムは受け売り専門で事実調査出来る能力ががありませんから・・)分りませんが、実態調査したら日当払って募集しているとか韓国人が参加していると言うことがヘイトになると言うらしいですが、韓国人が参加していると言う実態報道が何故ヘイトなのかよく分りません。
いわゆる政治的正義・・PCそのものではないにしても、人権擁護を称する団体から根拠なく槍玉に挙げられるととんでもない組織とされてしまうメデイアの行き過ぎが目立ちます。
・・日本人に分りよい例では動物愛護・例えば欧米人による捕鯨反対運動や韓国の慰安婦騒動・・いわゆるリベラルが幅を利かし過ぎている不満が漸く世界中で表に出て来ました。
トランプ旋風や移民反対運動の激化もその一環ですし、要は本質無視の揚げ足取りの行き過ぎです。
築地移転問題で言えば、地下水汚染が心配だと煽るだけ煽っておいて今になって地下水を飲むわけじゃないので何の実害がない・・分が悪くなると「風評被害が心配だ」と矛先を変えていますが、風評を煽って来たのはメデイアではないでしょうか?
http://www.huffingtonpost.jp/yuko-fujisawa/political-correctness_b_8802070.htmlからの引用です。
「シーズン19のエピソード「Stunning and Brave」のテーマは、自身の出演したリアリティ番組をきっかけに性同一性障害だったことを告白し、女性に性転換をしたことが話題となった、元アメフト選手ケイトリン・ジェンナー。アメリカでは彼女のことを“Stunning and Brave”(魅力的で、勇敢だ)と評価するのがポリティカル・コレクトネス(PC)の観点から一般的だそうです。というのも彼女のことを悪く言うのは「ダサイ」ことで、許されるべきではないという空気感があるそう。
しかしエピソード内で、主人公の一人であるカイルが、「個人的に彼をそんなにすごいと思わない。」と悪気がなくて言ってしまった途端、PCを押し付ける校長やその他PCフラタニティ(サークルみたいな団体)に責められまくり、PCがやっかいなものになっていく・・・という展開で話は進んで行きます。さすが時事ネタや議論を呼ぶテーマを扱うサウス・パーク。PCは大事だけど、固執しすぎるがあまり、社会が窮屈になっていないか?という風刺をしたエピソードでした。」
この記事を書いた人はそれでもPCが必要と言う意見のようですが・・。
ところで西欧でテロがあると逃走されない限りその場で射殺する様子が普通・・原則のように見えるにも拘らず(犯人の自供によらずに)、直ぐに(数時間後には)アジトや関連先を急襲したりしている報道を見るとかなりの事前調査活動があったことを前提にしています。
マスメデイア報道の基本イメージは、テロを防げなかった政権のお粗末・批判する報道が一般的・・政権の無能・支持率低下をテーマにしています。
ベルギーテロ直後に多言語社会で公安情報が入り難いことが大報道されていました。
一方でプライバシー保護を大宣伝して犯罪を起こしていない・・起こしそうな人と言うだけでは事前情報収集させないようにキャンペインしておきながら、事件が起きると事前抑止出来なかった政権批判→政権弱体化に向けた一斉報道ですから、基準が無茶苦茶です。
メデイアの言うとおりにしていると政権崩壊〜社会混乱する一方ですから、テロ組織の助長・連携でもしているかのような行動です。
(メデイアは令状なし情報収集を極力批判する傾向がありますが、クルマ・電子機器その他先端機器が発達している現在では、19〜20世紀型社会構造に適合して来た令状主義は実務的に無理になっていることは、GPS捜査に関して紹介した最高裁判決自身が認めているところです。
時代遅れの型にはまった令状主義にこだわっていると、テロ組織の事前検挙や情報収集・事前抑止は多分不可能でしょう。
江戸時代には刀を抜いて切り掛かって来てからの自衛でも・・あるいは実行行為があってからの検挙で間に合っていましたが、今は銃乱射や爆弾テロなど起きてからでは護衛さえ多くすれば済むことではありません。
しかも被害が大きくなり過ぎます。
新しい時代に即した方法を開発すべき・・その工夫の1つががGPS装着でしょうが、テロリストは最先端手法で狙って来るのに・・裁判所が従来型手法にない捜査は認めないと撥ねていたのでは、社会の安全維持に無理が出て来ます。
そもそも司法と別の公安機関は犯罪実行前の怪しい者・組織に対する事前情報収集するのが制度目的ですから「令状なしでやってはいけない」という最高裁判断は(刑事手続に使わなければ良いと言うのかな?)矛盾です。 
今どき江戸時代のように木陰に隠れながら尾行するなど不可能です。
「壁に耳あり」と言う忍者のような仕事では間に合わない・・防犯カメラやウエブ上の送信記録の解析が重要ですが、令状請求して関係者立ち会いや事前通告などをやっていたら捜査になりません。
この辺の問題点は最高裁判決にも書いている・・令状なしの取り付けは違法と判断しながら、(令状さえあれば良いかと言うと)令状発布要件に当たらないのではないかと指摘している点・・令状請求があっても安易に認めるべきではないと言う意見まで書いていますので、地裁判事は滅多に認めないでしょう。
結局はプライバシー侵害リスクがある以上・事実上捜査手法として認めないことになります。
その上判旨によるとGPS利用に限らず・プライバシーに限らずいろんな権利の具体的侵害がなくとも、「侵害のリスク」あるだけでも立法的解決がない限り捜査を認めない」と言う法原理が確認されたことになります。
違法捜査の結果受けた侵害の有無程度に関係なく軽微であっても?(最判は、具体的侵害がなくとも憲法上の重大な侵害の可能性があると言うのですが)違法でさえあれば、違法収集証拠を採用しないというようです。
テロ組織がインフラ破壊・混乱を目指していながら、自分は正常に作動するインフラを利用してテロ現場に向かい、テロ実行後正常に動くインフラを利用して逃走計画を立てる身勝手なテロリスト論理・・とどこか似ていませんか?
テロ組織を追跡するときに警官は予め決められた方法でしか攻撃追跡できない・・例えばテロリストが信号やスピード規制無視で逃げているのに追いかける警官はスピード規制や信号を守らねばならない・・スピード違反で追いついて逮捕したから逮捕無効と言うような主張する権利があるのでしょうか?
実際には犯人追及時には、スピードや信号規制等道路規制が外れていますが、もしもそう言う例外法律がない分野が起きた場合の話です。
たとえば、表現の自由は大事ですが杓子定規に適用するとるとエログロ雑誌がはびこるように、物事には原則と例外があり(通行の自由と交通規制が両立し職業選択の自由と風俗業の立地規制が両立するように)境界を決めるのが法律であり、更に微妙な境界事例を決めるのが裁判所の約割りですが、何でも憲法問題に持っていき法の例外が許されないとすると(憲法改正が事実上不可能な我が国では)新規抜け穴を悪用する者がはびこります。

PC2・死刑廃止論と現場射殺横行

PC(政治的禁句)からパチンコ依存症に話題が飛びましたが、アメリカ庶民にとっては世界の指導者ぶって格好つけるのは疲れた・・自己レベルに応じて生きる方が気楽です。
肩肘の張る式典から家に帰って、くつろぎたくなるような気持ちも分ります。
普段着用のルールを作った方が庶民の身の丈にあっていて、みんな守り易くなるでしょう。
きれいごとに付き合い切れなくなった庶民の不満が、トランプ旋風の背景であり西欧の右翼台頭の原因だと言う意見もあります。
行き過ぎたPCに対する庶民のストレス発散をトランプ氏が権力を背景にやっているのが、大統領令濫発?の背景のように見えます。
アメリカの民度レベルにあったルールが仮りに50点前後とした場合、世界の指導者として振る舞うために80点の行儀作法で振る舞っていたとすれば、その間のギャップの大きさに庶民が疲れてしまいます。
アメリカの犯罪の多さは有名ですが、現場射殺も以下のとおりです。
日本では介護疲れや家庭内のもつれなども含めて、年間殺人事件は3〜400人ですが、アメリカでは警官に殺される人だけでhttp://blogos.com/article/183840記事の題名によると以下のとおり1000人(ただしデータ根拠不明)です。
2016年07月18日 11:21
「年間1000人が警官に殺される米国 「銃を持つ権利」と市民と警察の間の溝」
ところでアメリカの年間殺人事件数は何人でしょうか?
http://www.globalnote.jp/p-cotime/?dno=1200&c_code=840&post_no=1697.htmlによると以下のとおりです。
米国(United States) > 殺人発生率
単位 : 件/10万人 出典・参照:UNODC データ更新日:2016年8月3日
2013年 3、86
とあり、アメリカの人口はウイキペデイアによれば11年現在で約3億1千万ですから、3、86×3100=11966で年間約2万人殺されている計算です。
※日本の場合http://nenji-toukei.com/n/kiji/10042によると2012 (平24)383人です。
一人で銃乱射する人がいますので被害者の数より犯人の方が大幅に少ない筈ですが、検索に出ないので実数は不明ですが、アメリカの年間死刑執行数をウイキペデイアで見ると以下のとおりです。
「テキサス州では、全米のほかの州では死刑執行が減少傾向にあるため、2007年には全米で執行された42人のうち26人が同州であり全米の3分の2が執行されていた。」
全米で現場射殺が1000人で死刑執行が僅か42人と言うのですから、銃乱射事件など死刑になりそうな多くの事件は現場射殺で処理してしまう様子・・現場射殺の異常な数値に驚くべきです。
手厚い法的保護をいやがって?、実際には年間1000人も現場で射殺しているこの格差こそが実際の民度を表しています。
こう言う実態を前提にするとトランプ氏がフィリッピン大統領の射殺励行に賛意を示すのは国民意識・実態にあっています。
http://www.sankei.com/world/news/160803/wor1608030037-n1.html
就任から1カ月が過ぎたフィリピンのドゥテルテ大統領が、公約に掲げた「治安改善」をめぐり強権姿勢をあらわにしている。警察が400人を超える違法薬物の容疑者を現場で射殺。」
1ヶ月で400人ですから大変な数です・・1000人を越えたと言う報道を見た記憶です。
http://www.cnn.co.jp/world/35093161.html
(CNN) フィリピンのドゥテルテ大統領は3日、米国のドナルド・トランプ次期大統領がドゥテルテ氏が国内で進める強硬的な麻薬対策に触れ、正当な対応策として評価している考えを示したと述べた。」
※ただしトランプ側では公式にこの発言を記載していないそうです。
日本で死刑執行は年間10人前後しかなく、現場で警官が拳銃を発砲しただけで、大騒ぎですから、警察官に射殺される人は(浅間山荘事件などの特殊事件を除いて)40〜50年に一人もいないでしょう。
フィリッピンでもフランスでも現場でドシドシ射殺していれば死刑執行は少なくてすむ・・必要がないかも知れません。
事件ごとに、現場で射殺される映像などがニュースが流れますが、フランスその他先進国では年間現場射殺の統計を取っていないか、仮に内部でとっていても公表していないようですから実数は闇の中です。
統計さえ取らなければ、あるいは公表さえしなければゼロと言うインチキ?きれいごと社会のようです。
死刑廃止を宣言し現場射殺差を奨励しないまでも黙認していて、文化国家気取りでいる状態をフィリッピン大統領やトランプ氏が本音で公式に言い出した違いです。
ちなみにフィリッピンは死刑廃止国です。
http://www.bbc.com/japanese/36299631
「フィリピンの次期大統領に当選したロドリゴ・ドゥテルテ氏(71)は15日、市長を務めるダバオ市で記者会見し、死刑制度を復活させると公約した。さらに、治安維持部隊には逮捕に抵抗する容疑者などについて射殺目的の発砲を許可すると述べた。フィリピンは2006年に死刑を廃止している。」
文化人、日弁連はこの違いを無視して、死刑制度を維持している日本は遅れていると批判しています。
何回も書いて来ましたが、日本は欧米のような革命がなくとも古代から下々の気持を重視して来ましたので、革命がないから遅れているわけではないし、死刑廃止や選挙がいつ始まったかの形式で見ては間違います。
人権運動家の行動基準はPC(決まりきったきれいごと?)・・理念さえ唱えていれば良いとする・・実態無視の形式重視の基本体質が証明されています。
死刑廃止の論拠にえん罪のリスクがあると言いますが、以前書いたとおり(死刑事件の方が捜査も公判審理も慎重ですから懲役刑の方が逆に)懲役刑でもえん罪がありますし、罰金なら後で賠償されれば済みますが、懲役刑でも死刑相当事件の刑は超長期になるのが普通ですから、一生あるいは長期間入れられていると人生の取り返しがつかない点は死刑とほぼ同じです・・逆に死刑は滅多に執行されないのとちがって直ぐ執行される点の方が問題です。
全てミスのない制度はありませんが、仮に同じ人数が国家によって殺されるとした場合でも、現場で人種偏見等に基づいて殺されてしまうよりも、きちんと裁判した結果の方が、なんぼか公正でえん罪リスクが少ないでしょう。
現場射殺の場合仮に本当に有罪としても全部死刑になるような犯罪ではありません・・アメリカで騒動になる事件報道で分るように・・ちょっとした職務質問への対応が悪いと射殺されています・・射殺される事例を見ると射殺の基準が重大犯罪かどうかあるいは嫌疑充分かではなく、警察の正当防衛を基準にするために職務質問等に対する「対応の仕方」のようです。
まして日本では、再審申請中の場合死刑執行しないことに(法務省の運用)でなっている上に、請求棄却されても回数制限なく何回でも再請求出来る結果、死刑がイヤなら永久に引きのばせる仕組みで事実上死刑執行されない運用です。
(だから死刑囚は施行されないまま高齢化していて、獄中死が多くなっていきます)
えん罪リスクを言うならば、全面廃止しなくとも現場で逮捕されるなど実行者性が明らかである場合など優先的執行するような運用で済むことですし、執行されるのは殆ど本人が反省して死刑已むなし(早く死刑執行してくれと言う人?)と自ら思っている人中心となります。
下記の通り再審請求中だけはなく共犯者の公判中も死刑執行しないことになっているので、1昨年頃にオーム真理教事件で逃亡中の犯人が自首して来たのは、仲間の死刑執行を引き延ばす目的だったと噂されていました。
(自分は出頭しても末端役でたいした刑でないときに主犯の死刑執行を先送りするために順番に出て来る戦術も有効です)
刑事訴訟法
第四百七十五条  死刑の執行は、法務大臣の命令による。
○2  前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。
但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

PCの無理1(パチンコは許された賭博か?)

2月4日にPC(政治的正しさ・きれいごと)風潮の限界論を紹介しましたが、きれいごとで貫徹すると却って無法状態が広がります。
今カジノ法で反対論が報道されていますが、元々国民の射幸性を完全に禁遏できないことを前提に政府・自治体管理下である程度の息抜きを許すために競輪競馬や競艇等が公的管理のもとで認められて来たもの・・それ以外は刑法犯です。
売春防止法も売春自体の完全禁止が難しいので管理売春など違法性の高いものを禁止する方法です。
現在パチンコによるギャンブル依存症が社会問題になっていますが、敗戦直後には公営管理の必要がない・・ギャンブル性が低い・・(当時バラック程度の家で、手動式でしたし、当たったよと言ってキャラメルなど持って帰って来る程度が普通)あったとしてもそれほどの射幸性がないので個人的遊びの程度を出ないと言うことで刑事罰に当たるほどではないと判断したように思えます。
世上言われるように賭け麻雀等でもその場のラーメン代を負けた方が持つ程度・・あるいはちょっとした集会でくじやビンゴなどで当たった人に景品を贈呈するなど・・は理論的には賭博としても習慣性リスクが低く主催側も業としていないこともあって、処罰する程の違法性がないと言う範疇のものが一杯あります。
ここにはある程度のお目こぼしの必要性と言うか、緩みの必要意識もあったでしょう。
ところが、刑事処罰の対象にしていなかったパチンコが、社会問題になるほどのギャンブル依存症を招いていると言うことは、個人的なちょっとした遊びの枠を越えている・・まして年間何十兆円もの巨大な売り上げを誇る業として成立するようになると取り締まるべきレッキとした賭博行為の仲間入りをしていることになるのではないでしょうか?
管理売春処罰や賭博も胴元処罰が厳しいように、営利目的が入るか否かは重要な指標です。
およそ刑罰その他規制取締の必要性を考えると、賭博や麻薬・春画・サドマゾその他の趣味嗜好あるいは風説・新興宗教・法輪功?も、個々人の限定趣味に留まっていて社会害悪が少ない場合には刑事罰で取り締まる必要がないのですが、一般に広がり過ぎて社会害悪になってくると取締対象になって来るのが普通です。
道路に痰を吐き、ゴミを捨てる人が10万人に1人なら「困ったヤツだ」と思っている程度でいいでしょうが、100人に一人の率でこれを始めると何らかのキャンペインヤポイ棄て禁止条例などが必要になります。
このような規制の歴史を前提にするとパチンコ依存症がこれほど騒がれているのに、パチンコ依存症対策やパチンコ規制の検討が進まないのは異常です。
パチンコのギャンブル性が終戦直後より緩くなっているのかどうかで言うと、その頃土間に立ちっぱなしが普通・・ある程度やっている人の話では、腰が痛くなって続かないとか親指で弾くので、親指が痛くてね!すぐにやれなくなると言うのが昭和40年代頃までのその道の通の説明でした。
50年代始め頃にどこかの駅で列車待ちの時間に知人と付き合いで入ったときには、まだ立ったままでしたが、いつの間にか椅子を置くようになって、長時間でも続けられるようになった外、機械化によって親指の疲れがなくなった頃からは行っていませんが・・・・入り浸りになり易くなっているのが現状です。
その上、社会環境の変化が大きい・・昔許された政治家への寄付が今は政治資金規制法で次第に厳しくなって行くように、友人宅への訪問時に路上駐車が普通であったのが今ではコインパーキングに止めるのが普通になるなど・・社会の許容範囲が変わって来るのは当然です。
戦後直後には粗野な行動が普通だったのが今ではカゲを潜めています。
社会環境の変化とパチンコの業務性強化によって実質違法性が高まったパチンコをギャンブル性低下方向へ規制するか、取り締まる方向へ踏み出すべき時期が来ています。
尤も賭博性緩和のために景品買い取り業者をかませて3者回転方式で外見上パチンコ店自身は、客に直接お金を払わない仕組みにしていますが、こんな見え透いたダミーさえ介在させれば合法になるならば、ヤクザが胴元になっているいろんな賭博も第三者さえ介在させれば良いことになり、この世の中で組織的賭博罪事件はなくなります。
パチンコに限って公安員会・警察のお墨付き・・賭博罪で検挙されないのは変な仕組みです・・。
ソモソモ、国民のために取り締まるべきか否か区別の基準は射幸性の有無と依存症に陥る人が多いかどうか・・社会に与える害悪であって、換金の仕組みを公安委員会の指導?(癒着)とおりに複雑にしているかどうかではありません。
賭博罪の要件を見ておきましょう。
公安員会の許可があれば良いとは書いていません。
政治献金・政治家の圧力で公安委員会が許可しても賭博であれば賭博であり、それが賭博になるかどうかは裁判所が決めることです。
刑法
第二十三章 賭博及び富くじに関する罪
(賭博)
第百八十五条  賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。
(常習賭博及び賭博場開張等図利)
第百八十六条  常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。
2  賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
(富くじ発売等)
第百八十七条  富くじを発売した者は、二年以下の懲役又は百五十万円以下の罰金に処する。
2  富くじ発売の取次ぎをした者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
3  前二項に規定するもののほか、富くじを授受した者は、二十万円以下の罰金又は科料に処する。
賭博とは何かですが、
09/26/07「文語体から口語体へ(刑法)」のコラムで旧規定を紹介したことがありますが、旧規定を見れば明らかです。
第185条(旧規定)
 偶然の輸贏に関し財物を以て博戯又は賭事を為したる者は、50万円以下の罰金又は科料に処す.
但一時の娯楽に供する物を賭したる者は此限に在らす」
「偶然の輸贏に関し財物を以て」ナスものを言うのであって換金経路に第三者をかませれば「賭博」にならないものではありません。
パチンコ自体が賭博になれば、パチンコ業は賭場開帳図利罪になります。
国民の健全性維持のためには、換金システム複雑化よりは射幸性を煽ってギャンブル依存症に国民を誘引しているかどうかこそが重要です。
何故パチンコ業界だけが優遇されているのか不思議に思う人が多いので、結果的にパチンコ業界の不透明な巨額資金が政治家に裏で流れているのではないかと噂されるようになっています。
パチンコ等賭博関係を取り締まるべき公安関係政治家とパチンコ業界癒着の疑惑です。
http://www.mynewsjapan.com/reports/1758の13日現在の記事によると、
「平沢・菅原・下村・松島氏にパチンコ業界が資金供給、太田国交相には公益法人も献金 衆院東京9~16区」と言う題名が出ています。
平沢氏は警察官官僚出身政治家として知られています。
これだけ依存症が騒がれるようになった以上、イキナリ全面禁止出来ないとしても、コンピューター化の進んでいるパチンコ業界では、サラ金規制同様に一人当たり業界全体の利用金額(年間・月間・日限など)の上限規制などやる気になれば可能ですから、出来ることから規制して行くべきです。
そうすれば生活費・生活保護費を大半つぎ込むようなことも防げます。

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