PKOと国際常識2(ハーグ陸戦条約)

停戦合意が有名無実化して行き、混乱が広がり略奪や虐殺が横行するようになると危険地帯になったことは明らかですが、だからといって、市民を放置して真っ先に「軍」が撤退するのでは国際的非難を受けかねません。
これがウイキペデイアで昨日紹介した国際批判を受けた実態でしょう。
中立を維持しながらも、住民保護には手を貸す・・略奪集団から保護してやること・・これが現在の国際世論というべきでしょう。
元々平和維持活動とは、対立する軍事勢力の領域の現状維持を図るためではなく、戦乱による住民被害防止が目的・・そのための再戦闘勃発阻止であったとすれば、目的の変質ではありません。
戦争に関する戦時条約も、戦争自体をなくせないとしても、軍人でない一般人の保護だけでも始めようとしたものです。
住民保護こそが戦争と平和に関する法の究極の目的・基礎です。
ウイキペデイアからの引用です。
「ハーグ陸戦条約(ハーグりくせんじょうやく)は、1899年にオランダ・ハーグで開かれた第1回万国平和会議において採択された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(英: Convention respecting the Laws and Customs of War on Land, 仏: Convention concernant les lois et coutumes de la guerre sur terre)」並びに同附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」のこと。1907年第2回万国平和会議で改定され今日に至る。ハーグ陸戦協定、ハーグ陸戦法規などとも言われる。
日本においては、1911年(明治44年)11月6日批准、1912年(明治45年)1月13日に陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約として公布された。
陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則
第25条:防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。
第26条:攻撃軍隊の指揮官は、強襲の場合を除いて、砲撃を始めるに先立ちその旨官憲に通告するため、施せるだけの一切の手段を尽くさなければならないものとする。 
第27条:攻囲及び砲撃を行うにあたっては、宗教、技芸、学術、慈善の用途に使用されている建物、歴史上の記念建造物、病院、傷病者の収容所は、同時に軍事目的に使用されていない限り、これに対しなるべく損害を与えない為の必要な一切の手段を取らなければならないものとする。攻囲された側は識別し易い徽章をもって建物または収容所を表示する義務を負う。前述の徽章は予めこれを攻囲者に通告すること。
第28条:都市、その他の地域は突撃によって奪取された場合といえども、略奪を禁止する。」
各種平和論も戦争になった場合の一般国民の受ける悲惨さを訴えてこそ成り立っています・・逆から極論すれば血の気が多くて喧嘩したい人は「サッカー場でヤクザ同士・・軍同士が殺し合いするなら」どうぞ勝手に!・・平和論が不要です。
昨日紹介したウイキペデイア記載の「国際世論批判」とは、上記平和論によって、まさに人権団体が非難したものでしょうが、その人権団体が一方で「PKO部隊に一人でも被害が出たらどうするのか」と言う矛盾した論陣を張っています。
あるいは日本の人権団体だけの主張かも知れません。
こう言う無茶・・「いい子ぶる」偽善のマスコミ論調に腹を立てている人が、マスコミを痛烈批判するトランプ氏支持に回った印象があります。
自己・個人の利益を犠牲にしても、より多くの人命を救うことが必要な場合があるのです。
軍や警察・消防士はそう言う役割に使命感を持って応募し、命の危険を顧みず民族の楯となって頑張ってくれるからこそ、国民から尊敬され・・英霊を民族の神として祀りその子孫を大事にするのです。
イザとなって危険な場所に行きたくない・・住民を救えないと言うのでは、軍人としての価値がない・・そう言う職に就いていたこと自体が民族に対する裏切りです。
2月24日に物事の定義や理念の必要性が変わって行くので、「19世紀型原理を唱えれば済む時代ではない」と言う意見を書いて来ましたが、PKO派遣の必要性も時代によって変わって来た・・これが国際常識です。
我が国では92年に決めたいわゆる派遣5原則が時代に合わなくなくなっているのに、これを振りかざして反対するのは、幕末に世界情勢を無視して鎖国の祖法を守れと言っていた攘夷思想や戦後の非武装平和論・護憲勢力と同じ構図です。
他方で、PKOの関与が広がり過ぎると、徐々に危険性が増す・・結果的に先進国による派遣が減って実働部隊をインドやアフリカ諸国に委ねている印象です。
これが先進文化人の偽善と言われる象徴です。
民進党はスーダン派遣隊の昨年夏の日報の提出を求めて、駆けつけ警護任務の危険性強調をしているようです。
戦闘単位が政府軍か否かの特定を求めて国会で民進党が延々と追及?している様子が時々ニュースに出ています
民進党はスーダンは5原則に抵触する状況になっているから、これをやめるように言いたいのでしょうが、昨日紹介したとおり紛争状態の国に割っ入って強制介入も出来るように国際社会の原理が変わっているのをどう考えるかの視点がありません。
以下は、民主党の国対委員長の意気込みです。
https://www.minshin.or.jp/article/109939
山井和則国対委員長は26日午前、定例記者会見を国会内で開いた。
「冒頭、国会対策の基本方針として・・・「南スーダンの駆けつけ警護については「71年間日本の自衛隊は銃撃戦をしたことがなく、任務として死傷した自衛隊員は一人もいない。12月からの駆けつけ警護によって自衛隊員が深刻なリスクにさらされる危険があり、日本の戦後を大きく変えてしまう事態になりうるかもしれない。私たちはPKO参加5原則が(激しい戦闘が行われている)南スーダンの状況では壊れていると認識している。そういうことも含めて議論をしていきたい」と述べ「申し上げた通り、問題点は厳しく追及し、良い法案は成立させる。徹底した追及の延長戦上に蓮舫代表が言う対案をしっかり提示し、国民の負託に応える国会対策をしていく」と意気込みを語った。」
住民保護こそが平和維持軍の本来の責務と認識されている現在の国際常識・・国連決議ですから、これを前提に我が国の時代遅れの5原則をどうするかの議論こそが重要です。
左翼系は何かと国連決議や勧告を重視して運動しているのに、PKOになると国連決議を何故無視するのか不思議です。
非武装平和論者にとっては、平和維持に軍はいらない・平和さえ唱えていれば解決すると言う立場でしょうか。
「国連が紛争地域の平和の維持を図る手段として」紛争解決の手段として軍の派遣が必要と言う国際合意が気に入らないのでしょう。
非武装平和論は世界でどこも採用していない空想論であり、これを前提に揚げ足取り的にゴネゴネと繰り返しの国会論議になっている・・言わば税金の無駄遣いです。
日本固有論理で「危険性がある」とか、相手が政府軍かそうでないかの区分で「派遣しない」と言う主張が国際的に通用すると思っているのでしょうか?

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC