政党支持率と内閣支持率(安倍内閣の改憲を許さないとは?)

いまの内閣を信用してもすぐに変わっていくが(日本では平均数年です)自民党の体質は簡単に変わらないから「この内閣の提案は信用できるが母体の政党が信用できないので、反対」という方が意味が通るキャンペインですが、憲法改正や政策に反対するチラシなどでは、逆に「安倍内閣だから〇〇反対」という運動が目立ちました。
選挙で勝敗(信任)が決まった直後に、国会周辺に数万前後を動員して「自民党の提案に反対しているのは国民大多数の意見」というのは無理があるので「自民党支持と内閣支持は違う」国民は内閣を支持した訳ではない・・というすり替えイメージ流布に努めている印象でした。
このような選挙結果無視の運動が正しいとすれば、議院内閣制を否定し大統領制に憲法を改正するしかありません。
何がなんでも憲法を守れという護憲勢力としては矛盾した主張です。
民意無視の専制国家モデルでは、「人民は敵ではないが、支配者は敵」と分離する発想は合理的ですが、日本のようにボトムアップ型・同胞社会では人民と支配者の分離工作は無理があります。
政治の世界でも同じで「与党に文句ないが与党の選んだ内閣は敵」という運動には意味不明の印象を受ける人の方が多いでしょう。
これがぴったりだと思うのは、専制支配を理想とする精神構造の人たちのグループだけはないでしょうか?
本質は反対のための反対なのでいうことがなくなったのではないか?というイメージです。
これに呼応するかのように大手メデイアは「安倍一強」に問題があるかのように、自民党内の風通しが悪くなり自由な議論ができなくなっているなどのムード宣伝が続きました。
最近では政高党低という熟語を宣伝して、内閣が自民党から如何に遊離しているか党内不満が鬱積しているかのようなイメージ作りに励んでいます。
内閣を支持していないが地元与党政治家を支持しているから結果的に与党に投票しているという人もいるでしょうし、逆に自分の選挙区の与党立候補者の人物はもう一つと思っているが、内閣を支持しているので与党候補が落ちて内閣が弱体化すると政策実現能力が下がるので、仕方なく与党候補に投票している・・内閣の人気にブラ下がって立候補当選している政治家もいます。
このどちらが多いかを表すのは内閣支持率と与党支持率の較差でしょう。
昨日紹介した世論調査を見ると、どこの調査でも内閣支持率が自民党支持率よりも高いのですから、地元自民党立候補者への信任より内閣への信任の結果・・仕方なしに地元自民党候補に投票している人の方が多いことを表しています。
こういう状態で自民党は好きだが内閣のやることには反対・・これが国民大多数の声というキャンペインは無理があることが明らかです。
立憲民主に対する総選挙後の支持率の変化を見ると、国民の多くが原理論というか?観念論で反対ばかりする政党を必要としていないことは明らです。
昨夏の衆院解散に対して「大義のない解散」という声・・解散批判論がメデイアを中心に大きかったですが、選挙があれば、少なくとも一定の高齢者がこの機会に引退することで政治家の世代交代が進むことと、民意の反映が進むメリットがあることが明らです。
メデイアの応援頼りで実際に国民支持のない民進党が選挙という国民審判の本番を前に外見をそのまま持ちこたえられずに解体するしかなかったこと・・希望の党や立憲民主党ができたことで、メデイアによる実態不明の世論調査ではなく、メデイアの煽る森友問題などを国民が本音でどう見ているかの審判が下されるようになったことは、大きなメリットでしょう。
メデイアはしきりに解散がいかにもよくないかのようなイメージづくりをしていましたが、要は「森かけばかりが国会の仕事ではないという)民意を証明されるのが怖かったからでないか?という結果に終わりました。

PCの無理1(パチンコは許された賭博か?)

2月4日にPC(政治的正しさ・きれいごと)風潮の限界論を紹介しましたが、きれいごとで貫徹すると却って無法状態が広がります。
今カジノ法で反対論が報道されていますが、元々国民の射幸性を完全に禁遏できないことを前提に政府・自治体管理下である程度の息抜きを許すために競輪競馬や競艇等が公的管理のもとで認められて来たもの・・それ以外は刑法犯です。
売春防止法も売春自体の完全禁止が難しいので管理売春など違法性の高いものを禁止する方法です。
現在パチンコによるギャンブル依存症が社会問題になっていますが、敗戦直後には公営管理の必要がない・・ギャンブル性が低い・・(当時バラック程度の家で、手動式でしたし、当たったよと言ってキャラメルなど持って帰って来る程度が普通)あったとしてもそれほどの射幸性がないので個人的遊びの程度を出ないと言うことで刑事罰に当たるほどではないと判断したように思えます。
世上言われるように賭け麻雀等でもその場のラーメン代を負けた方が持つ程度・・あるいはちょっとした集会でくじやビンゴなどで当たった人に景品を贈呈するなど・・は理論的には賭博としても習慣性リスクが低く主催側も業としていないこともあって、処罰する程の違法性がないと言う範疇のものが一杯あります。
ここにはある程度のお目こぼしの必要性と言うか、緩みの必要意識もあったでしょう。
ところが、刑事処罰の対象にしていなかったパチンコが、社会問題になるほどのギャンブル依存症を招いていると言うことは、個人的なちょっとした遊びの枠を越えている・・まして年間何十兆円もの巨大な売り上げを誇る業として成立するようになると取り締まるべきレッキとした賭博行為の仲間入りをしていることになるのではないでしょうか?
管理売春処罰や賭博も胴元処罰が厳しいように、営利目的が入るか否かは重要な指標です。
およそ刑罰その他規制取締の必要性を考えると、賭博や麻薬・春画・サドマゾその他の趣味嗜好あるいは風説・新興宗教・法輪功?も、個々人の限定趣味に留まっていて社会害悪が少ない場合には刑事罰で取り締まる必要がないのですが、一般に広がり過ぎて社会害悪になってくると取締対象になって来るのが普通です。
道路に痰を吐き、ゴミを捨てる人が10万人に1人なら「困ったヤツだ」と思っている程度でいいでしょうが、100人に一人の率でこれを始めると何らかのキャンペインヤポイ棄て禁止条例などが必要になります。
このような規制の歴史を前提にするとパチンコ依存症がこれほど騒がれているのに、パチンコ依存症対策やパチンコ規制の検討が進まないのは異常です。
パチンコのギャンブル性が終戦直後より緩くなっているのかどうかで言うと、その頃土間に立ちっぱなしが普通・・ある程度やっている人の話では、腰が痛くなって続かないとか親指で弾くので、親指が痛くてね!すぐにやれなくなると言うのが昭和40年代頃までのその道の通の説明でした。
50年代始め頃にどこかの駅で列車待ちの時間に知人と付き合いで入ったときには、まだ立ったままでしたが、いつの間にか椅子を置くようになって、長時間でも続けられるようになった外、機械化によって親指の疲れがなくなった頃からは行っていませんが・・・・入り浸りになり易くなっているのが現状です。
その上、社会環境の変化が大きい・・昔許された政治家への寄付が今は政治資金規制法で次第に厳しくなって行くように、友人宅への訪問時に路上駐車が普通であったのが今ではコインパーキングに止めるのが普通になるなど・・社会の許容範囲が変わって来るのは当然です。
戦後直後には粗野な行動が普通だったのが今ではカゲを潜めています。
社会環境の変化とパチンコの業務性強化によって実質違法性が高まったパチンコをギャンブル性低下方向へ規制するか、取り締まる方向へ踏み出すべき時期が来ています。
尤も賭博性緩和のために景品買い取り業者をかませて3者回転方式で外見上パチンコ店自身は、客に直接お金を払わない仕組みにしていますが、こんな見え透いたダミーさえ介在させれば合法になるならば、ヤクザが胴元になっているいろんな賭博も第三者さえ介在させれば良いことになり、この世の中で組織的賭博罪事件はなくなります。
パチンコに限って公安員会・警察のお墨付き・・賭博罪で検挙されないのは変な仕組みです・・。
ソモソモ、国民のために取り締まるべきか否か区別の基準は射幸性の有無と依存症に陥る人が多いかどうか・・社会に与える害悪であって、換金の仕組みを公安委員会の指導?(癒着)とおりに複雑にしているかどうかではありません。
賭博罪の要件を見ておきましょう。
公安員会の許可があれば良いとは書いていません。
政治献金・政治家の圧力で公安委員会が許可しても賭博であれば賭博であり、それが賭博になるかどうかは裁判所が決めることです。
刑法
第二十三章 賭博及び富くじに関する罪
(賭博)
第百八十五条  賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。
(常習賭博及び賭博場開張等図利)
第百八十六条  常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。
2  賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
(富くじ発売等)
第百八十七条  富くじを発売した者は、二年以下の懲役又は百五十万円以下の罰金に処する。
2  富くじ発売の取次ぎをした者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
3  前二項に規定するもののほか、富くじを授受した者は、二十万円以下の罰金又は科料に処する。
賭博とは何かですが、
09/26/07「文語体から口語体へ(刑法)」のコラムで旧規定を紹介したことがありますが、旧規定を見れば明らかです。
第185条(旧規定)
 偶然の輸贏に関し財物を以て博戯又は賭事を為したる者は、50万円以下の罰金又は科料に処す.
但一時の娯楽に供する物を賭したる者は此限に在らす」
「偶然の輸贏に関し財物を以て」ナスものを言うのであって換金経路に第三者をかませれば「賭博」にならないものではありません。
パチンコ自体が賭博になれば、パチンコ業は賭場開帳図利罪になります。
国民の健全性維持のためには、換金システム複雑化よりは射幸性を煽ってギャンブル依存症に国民を誘引しているかどうかこそが重要です。
何故パチンコ業界だけが優遇されているのか不思議に思う人が多いので、結果的にパチンコ業界の不透明な巨額資金が政治家に裏で流れているのではないかと噂されるようになっています。
パチンコ等賭博関係を取り締まるべき公安関係政治家とパチンコ業界癒着の疑惑です。
http://www.mynewsjapan.com/reports/1758の13日現在の記事によると、
「平沢・菅原・下村・松島氏にパチンコ業界が資金供給、太田国交相には公益法人も献金 衆院東京9~16区」と言う題名が出ています。
平沢氏は警察官官僚出身政治家として知られています。
これだけ依存症が騒がれるようになった以上、イキナリ全面禁止出来ないとしても、コンピューター化の進んでいるパチンコ業界では、サラ金規制同様に一人当たり業界全体の利用金額(年間・月間・日限など)の上限規制などやる気になれば可能ですから、出来ることから規制して行くべきです。
そうすれば生活費・生活保護費を大半つぎ込むようなことも防げます。

原発被害基準5(操業停止が許される場合)

建築基準・・クルマや食品基準等の過大規制があっても、(作れない訳ではないが、コストアップで国際競争に不利な基準)その業界が技術的適応可能な範囲の厳しい基準ですが、努力次第で何とかなります。
チャーチルかイーデン回想録かはっきりしませんが、英米がどんなに理不尽な要求を突きつけて日本人に意地悪しても、日本が反抗せずに努力して最後にはクリアーして来る不思議な国民性だと書いているそうですし、最近ではイタリア料理に修行に行った日本職人が散々にやがらせされても日本人が頑張り抜いたので、結局日本人がいないとイタリア料理が成り立たないとさえ言われるようになっているようです。
日本国内にも先議産業復興を妨害するのが目的かのような意地悪なマスコミが勢力を張っているのですが、(アメリカによる平和憲法強制・・武装解除を利用して日本は軍事費負担を免れて来たし、飛行機製造禁止されると新幹線を作るように)正面から反抗せずに黙って努力する国民ですから、結果的に世界一の低燃費・無公害システムが出来上がってしまいました。
(アメリカで日本車が席巻中なのは、日本車閉め出し目的で規制を厳しくした結果日本車だけがクリア−してしまったことによります)
産業発展の芽が出るたびに危険だと大騒ぎしては一々イチャモンつけて来たグループの功績と言えば言えますが、彼らはただ戦後日本の復興妨害・遅らせるために?アメリカが占領政策継続のために残しておいた反日運動を継承して来たのが思わぬ結果になったようです。
イジメッ子・嫌がらせをしていた結果苛められる方がグレないでまじめに対応して来たから、却って良い方へ(飛行機製造禁止が新幹線技術になったようにあらゆる分野で)日本人の智恵で変身してきました。
安全基準を厳しくする場合、企業に努力するチャンスを与えることにもなるので社会発展の原動力となることもありますが、特定業界に対して業務停止までを命じるようになると,適応努力を許さない・・その産業の存続を許さない国家意思になりますから、違反の連続性や国民一般に対する巨大な権利侵害の緊迫性が要請される・予兆の反復性などの要件が必須です。
原発は何回も安全基準に違反していてこれまで注意や勧告を受けたりしていたのでしょうか?
過去の基準で事故が起きたとしても今回は新たな基準が策定されたばかりでまだ違反していないでしょう。
何の違反もなくとも(世論のムード?を民意に敏感な?裁判所が嗅ぎ取って)今後違反しそうだと言うだけで、違反もないのに予め停止を命じることが許されるのでしょうか?
それとも過去の基準で事故が起きたから、今回の基準そのものが信用出来ないと言う連続性を言うのでしょうか?
これらの批判に耐えられるように、もしも事故が発生したら被害が大き過ぎるから1回も違反がなくとも(何となく怖いと言うムードだけで)停止を命じられると言う世論造り・・伏線が用意されていたように見えます。
違反ががなくとも危険だから許さないとなれば、「日本中の原発を許さない」と同義になってしまい、司法権の行使ではなく政治運動そのものであって、裁判官が司法の名をかりて政治運動をやっていると言う批判になりますがので、そんな乱暴な決定理由にはなっていないと思いますが、「新規制基準自体に対する国民不安を代弁したものだ」と言わんばかりのマスコミ応援もありますので、一応「回復不能な被害」とは何か」・もしかしたらマスコミが国民不安を煽るためにでっち上げたのではないかの関心でこの4〜5日書いています。
マスコミの袋だたきにあって何も言えない単一業界の泣き寝入りで成り立っていた過大規制の習慣が,原発事故を過大に言い立てる応援団となり、今回の仮処分命令正当化の伏線として、「ひとたび事故が起きると大変なことになる」と言う科学根拠のない大合唱の下地になっていた印象です。
具体論に入って行きますと、放射能もれ・汚染・被曝に対する被害想定基準は、大事故発生によって被告席に立ってしまい「そんな過大な基準はおかしい・・」と言う反論さえ許されない状態をマスコミアが作ってしまいました。
何も言えない電力業界の弱みに付け込んで、元々原発反対勢力であった民主党政権が原発産業の息の根を止めるため過大な放射能被害想定基準作成ではなかったかの疑問があります。
民主党政権の設定基準の合理性について・・基準設定が科学的合理性を越えて過大過ぎたのではないか・・と言う視点で、原発事故直後に広島等の原爆被害者に関する戦後70年近くも長年月掛けたデータ等を検討しながら、放射能被害って本当はどうなのか?の疑問で「放射能の危険性2(管理区域)March 28, 2011前後のシリーズで書きました。
当時も今も原発の安全性自体には私も疑問を抱いていて、そのような批判・疑問を繰り返し書いていましたが、それと東電が弱った弱みに付け込んで過大な被害や危険性を強調するのが正しいかは別問題です。
マスコミや人権派は如何にも被害者に寄り添い、手厚い救済を主張するようでいて、活躍の場を作るために?被害の定義拡大が必要・・(マッチポンプ?)→風評被害拡大で実質被害拡大に励んでいる感じです。
私は元々党派性が弱いので,客観的に正しいことを知りたいだけです。
その立場で原発事故当時に広島原爆被害が本当はどういうものだったのかが気になって、約70年に及ぶ追跡調査結果を紹介したのですが、要は被害感情を感情的に強調するばかりで客観的資料からは大した被害が出ていないと言うか、客観的被害資料が一切ないことが分りました。
「放射能、放射能と騒ぐけど大したことないじゃないか」と言うと非国民扱いされてマスコミに干されてしまうので、マスコミに出たい人は反論出来ない状態が続いている印象(私の偏った誤解かも知れませんが・・。)を受けてしまいました。

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