シチズンからシビリアンへ1

日本では千年単位で武士は一族を守るためにあると思って来た民族ですから,軍や警察が悪くて国民に罪がないと言う欧米価値観による戦犯論・・使い分けには国民の多くは納得していません。
軍人はみんな国民のために戦ったと多くの国民は心から信じています。
特攻隊員も硫黄島で死力を尽くした兵士もみんな,背後のニッポン民族・同胞の破滅を1分1秒でも遅くするために頑張ったのであり、権力者が国民をいためるために頑張ったものではありません。
菅総理が,現職総理でありながら自衛隊を「暴力装置」と言う言葉を使って物議をかもしましたが,日本と西洋の歴史の違いを知らない暴論です。
あるいは沖縄戦をねじ曲げて日本軍人が沖縄人を無理に殺したかのように宣伝しているのは、南京虐殺同様に欧米型価値観を無理に植え付けようとするデマでしょう。
市民だけではなく,シビリアンと言う用語が近世になって何故重視されるようになったかに深入りしましたが,これは欧米では市民とピープルが何故厳然と別れた来たかの関心からです。
ギリシャローマの昔から市民だけが都市が攻められたときに軍人として戦いに参加して戦う権利と義務を有していたのは異民族の地に進出した先進部族の商人が橋頭堡として砦を構えた名残です。
この場合城外の原住民は夜襲して来る恐れのある仮想敵そのものであり,砦内に駐留している市民は皆武器を取って戦う義務と言うより生存がかかっている以上は戦う必要があったのです。
ジャングルで野営しているときに野獣の攻撃を防ぐために夜中じゅう焚き火の火を絶やさずに交代で見張りをしているような状態を大規模にしたイメージです。
今と違い商人と言っても戦闘力を兼ね備えたツワモノが出掛けて行く関係です。
現地駐在規模が大きくなって,都市国家と言えるほど安定すると分業的になるでしょうが,当初は少人数ですからマルチ人間から始まります。
市内居住の商人の世話をする原住民出身の各種サーバントが住み込みで働くようになっても、彼らは元々先進地域から出張して来た商人から見ればよそ者ですから、戦いに参加する権利も義務もなかったことになります。
当然のことながら城外の民衆・原住民は夜襲をかける方の同族ですから,救援に駆けつける義務も権利もありません。
この発祥の歴史が「市民」と市民以外(原住民)をはっきりと分ける原理であり、城内居住の「市民」は一丸となって外敵と戦うべき権利義務になったものと思われます。
地中海地域に商船隊を利用して点々と飛び地的に発達した都市国家と違い,ガリア〜ゲルマニア地域を発祥とする原住民は牧畜と農業主体民族であり,しかも陸路の場合,商人は隊商を組んで移動してもわずかな商品・人数しか移動出来ませんから,現地に排他的拠点を構えるのは不可能に近い・・どちらかと言うと現地人の助けを得て水を貰い食糧を得て交易しながら移動する遠慮ガチな存在ですから、排他的基地を構築するなどは考えられません。
地中海沿岸とは違って陸路経由の西洋の都市は、先進地域から先進製品・物売りに来た異民族の排他的居留地・砦から始まったものではなく,日本同様の自然発生的なものだったでしょう。
元々同族の集まりですから,都市・城を外から攻めて来る城外の原住民・異民族はいませんから市民が城外の民から自衛する必要性がありませんので武器を取って戦うことを想定していません。
西洋内の戦いは,敵対領主同士の領地獲得戦争が中心ですから、西世では砦・シャトーの多くが市街地から離れて市民と関係なく孤立して建っている所以です。
長年戦争は領主の個人事業で(スペインの王様は何回も破産しています)領民には関係がなかった(ナポレオン戦争で初めて民族意識が生まれたのです)し,領主同士の結婚でスペインの王様がオーストリアやネーデルランドの相続するような日本では想像もつかないような関係の基礎です。
大陸の原住民が,キリスト教受入れによって一定の資産(商人が始まりすから資産は絶対要件です)を有していてローマ文化を勉強したら市民にしてやると言われて第三身分に昇格して行くのですが,ソモソモ同じ民族の周辺農民が市の立つ町を襲うイメージがない・・市民になったからと言って郊外の農民と戦う必要性がありませんし、領主が勝手にやっている戦争に参加する必要性もありませんでした。
戦費調達の協力に反対する・利害対立・戦争反対の立場です。
イギリスであれ,フランスであれ,軍事費調達のための増税反対が革命に発展していることから見ても、ギリシャ・ローマの「市民」とは成り立ちの違いが分ります。

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