封建制度と民族一体感(公平性訓練)

綱吉の憐れみの令(1つではなく何次にもわたっていることも以前紹介しました)あるいは定信以来細かくなって行った規制は,封建制度下ですから、主に狭い江戸市中を対象にしたものに過ぎないから、気候風土・生活習慣の違いがあり得ないので,細かく決めることが可能になった側面があります。
今の感覚ですとついうっかりしますが,幕府の命令は(外様大名は言うに及ばず)徳川家内でも譜代大名領内でさえ治外法権・・独自政策施行でしたから(会津家家訓のように別に定めます),徳川将軍家直轄領内限定・・主として江戸市中が対象だったことになります。
吉宗の質素倹約政治を無視して尾張の宗春が逆張り政治を出来た法的基礎です。
(徳川家800万石と言ってもそれは全体の話であって,実は家臣・譜代大名や大身の旗本(合計約300万石)などにドンドン分け与えて(例えば忠臣蔵の敵役・吉良上野介家は吉良に領地を持って)いたので、直接支配地はホンの少し・・江戸町奉行の政治ばかりが物語に出て来る原因・・少なかったのです)
綱吉の生類憐みの令が地域限定命令だったとは言え,江戸市中に住む人からみれば、(犬の飼い方で意見が合わないくらいでは他所に逃げられない・あるいは発禁処分されると田舎に行っても商売にならないので)綱吉や定信の無茶な「・・令の発布が全て」ですから,「法と道理の関係」がどうなっているかが気になったので、これをきっかけに法令と道理に関する関心が庶民にまで高まり研究が進んだのでしょう。
ただし、訴訟の決着例は(鎌倉幕府同様にどう言う場合に泥棒したと言えるか、猥褻の基準など)全国共通性がありますので,封建制度・・各領国で刑法やその他ルールが別だとは言うものの吉宗の始めた判例集編纂の成果(御定書)は各大名家で参考にして運用していた・・各大名家でプロが育ちます)ので、事実上日本列島全体の法意識の一体化が進んでいました。
この辺は10/03/06「公事方御定書の刑罰8(追放刑はどうなったか)」その他「御定書」のシリ−ズ、あるいは別のテーマでもその中で御定書の名称で紹介していますのでお読み下さい。
日本は権力で強制しなくとも自然に良いことは参考にする・・一体化して行く能力の高い高度な社会ですが、これはイキナリ出来上がったものではありません。
古代からの多神教社会なので何をするにも違った意見があることを前提とし、意見擦り合わせ必須社会でした。
ホンの数10km先・一山越えれば違った習俗のある社会があることを、子供でも分るような環境で縄文の昔からやって来ました。
今で言えば同業種でさえも企業ごとに必要なスキルや企業文化が違う・だから転職が難しい面があります。
違った点を認めながら,共通性のある部分の進んだ面は互いに尊重し参考にする社会(平安時代に田舎の受領階級も都ではやる物語などのへの憧れが強かったこと・・更級日記に描写が出て来るように思いますがはっきり思い出せません)・・外から見ると集団行動力が強く個性がないように見えますが,実は皆違う・・武士は細部まで他者と違う装いで出陣し,家の建て方1つ見ても中国や西洋の画一性とは違うことから明らかです。
個性と集団行動するべきときの暗黙知の働かせ方は違うことをここでは書いています。
この結果言語表現だけはなく「気配」を感じる能力が磨かれて来た・・この能力の欠けた人をKYと表現する流行語が直ぐ生まれて来る社会です。
今で言う暗黙知のチームプレーが出来る神秘的能力を持つ民族となった基礎環境です。
数千年単位で磨き抜かれた暗黙知を無視して、尾張の徳川宗春のように・・今で言えば自治権が憲法で保障されている・知事だから何でもやれると言う行動は民族的暗黙合意に反します。
非理法権天の法理については,10年ほど前に紹介しましたが,ウイキペデイアの(一般的解釈を)記事から引用しておきます。
「非理法権天は、中世日本の法観念としばしば対比される。この時代において基本的に最重視されたのが「道理」であり、「法」は道理を体現したもの、すなわち道理=法と一体の者として認識されていた。権力者は当然、道理=法に拘束されるべき対象であり、道理=法は権力者が任意に制定しうるものではなかったのである。こうした中世期の法観念が逆転し、権力者が優越する近世法観念の発生したことを「非理法権天」概念は如実に表している。」
中世の法意識を知る手がかりとして24日紹介した「御成敗式目」貞永元年8月10日(1232年8月27日:『吾妻鏡』)に関するウイキペデイアの解説・・これが一般的理解でしょう・・を引用しておきます。
「鎌倉幕府成立時には成文法が存在しておらず、表向き律令法・公家法には拠らず、武士の成立以来の武士の実践道徳を「道理」として道理・先例に基づく裁判をしてきたとされる。もっとも、鎌倉幕府初期の政所や問注所を運営していたのは、京都出身の明法道や公家法に通じた中級貴族出身者であったために、鎌倉幕府が蓄積してきた法慣習が律令法・公家法と全く無関係に成立していた訳ではなかった。」
「幕府成立から半世紀近くたったことで、膨大な先例・法慣習が形成され、煩雑化してきた点も挙げられる。」
「武家を対象とした明確な法令がなかった。そこで、源頼朝以来の御家人に関わる慣習や明文化されていなかった取り決めを基に、土地などの財産や守護・地頭などの職務権限を明文化した。「泰時消息文」によれば、公家法は漢文で記されており難解であるので、武士に分かりやすい文体の法律を作ったとある。」
「鎌倉幕府制定の法と言っても、それが直ちに御家人に有利になるという訳ではなく、訴訟当事者が誰であっても公正に機能するものとした。それにより、非御家人である荘園領主側である公家や寺社にも御成敗式目による訴訟が受け入れられてその一部が公家法などにも取り入れられた。 鎌倉幕府滅亡後においても法令としては有効であった。足利尊氏も御成敗式目の規定遵守を命令しており、室町幕府において発布された法令、戦国時代に戦国大名が制定した 分国法も、御成敗式目を改廃するものではなく、追加法令という位置づけであった。」
上記を読んで面白いところは,上からの押しつけではなく・・ボトムアップ社会・・武家台頭後に実際に起きている先例を斟酌して作っているほか,制定が幕府権力によるのに幕府関係者に有利ではなく,内容が公平であったこと・・現在日本人がどこのクニへ行っても公正な行動をする気質を表しています。
欧米が作るルールやデファクトスタンダード(マスコミ支配を含めて)では,欧米有利にされる・・結果不公平に対する世界的不満・・グローバリズム反対論もこの不満が基礎になっているのですが,中国がヘゲモニーを握ってもイスラムが握っても強い方は何をしても良いという発想では、結果は変わりません。
世界標準を作っている米英で反対ののろしが上がったのが逆説的ですが,EUやアメリカ内部では割を食っている不満から起きたのですから支配層に入って良い思いをしたいと言う意識が原動力になっている点は同じです。
・公平な判断・行動をするように数千年単位で訓練を受けている日本が世界のヘゲモニーを握ればそう言う不満がなくなります。
徐々に公平な日本・日本人に対する期待が世界で高まりつつあると思うのは,私だけでしょうか?
TPPも日本がいなければアメリカはやりたい放題で良いコト尽くめですが,ブレーキ役として弱小国が日本の参加を望んだ・・その結果アメリカが推進する旨味がなくなったが推進して来たオバマが「やめた」とは言えない・・そこで政権が変わるの機会にトランプ氏の反対論を出したと言う構図です。
専制支配・一神教の社会では強い者の意見かどうかだけが行動基準となり,どんな非道なことでも迷わずやってのける・・人の道に反するかどうかの判断もいりません。
中国の歴史で頻繁に出て来る残忍な処刑方法を日本人は恐れ驚きますが,命令さえあればこういうことを迷わずに出来る・・そんな酷いことまでして良いのかと言う疑問(「非理法権天の法理」も権力者がどこまでやっていいかの疑問から生まれたものです)すら起きないのが専制社会です。
中韓は自分たちの行動基準を前提に「日本が強かったときに中国や韓国で無茶をやった筈」と言う想像で日本批判をしているのが中韓のでっち上げ批判が盛んになっている原因です。
韓国のようにアメリカ+中国の日本叩きの意向があれば、鬼に金棒・・噓でも何でも主張する・・アメリがはしごを外すと中国の顔色だけ窺っていてよいか分らず思考停止になります。
日本人が公正な気質を磨かれたのは,「八百万の神・多神教社会の日本では,誰が何と言おうとも相互の納得・・道理に合うことが前提ですからボトムアップ・公正な判断が必要だったから・・公正な基準に反しないように気をつける・・古代から訓練を受けているからではないでしょうか?

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC