産業構造の変化3と民度1

小作人ではなくむしろ地元で大きな屋敷を構える地位のある人の話ですが,数日前に相談に来た人の例を紹介します。
数十年前にオヤがある事業者の保証していてその企業が倒産したために先祖代々の家屋敷が競売になり,已むなく長女の夫に落札して貰い屋敷を守ってもらったことがあります・・この親自体が私の依頼者で私がその整理に関与した件です・・。
平成の初め頃にその人が亡くなっていて、その長男が別件で数日前に相談に来たのですが,その人が相談のついでに現況を話すのを聞いていると(自分は長男なので)長女から「あなたは家を守る義務がある」と言われて今でも(両親が亡くなって)無人になっている実家に月に1〜2回帰って、庭の手入れをしたり、(日本は草むしりだけでも大変な手間です)土蔵の壁が壊れたと言っては補修したり長屋門が壊れたといえば何百万も掛けて治していると言う話でした。
今でも名義は長女の夫のママらしいですが,長女の夫も頼まれて買ってやっただけで本当は自分のものではない・・ということで家に勝手に入らない・一種の名義貸ししている意識らしいです。
子世代に変わったと言っても相談者は現に都会地に住む元校長先生(もう70になっているという話です)ですが、故郷・千葉県の「奥地」では今でもこう言う意識で生きています。
明治になって始まった小作地主関係も似たようなもので,オヤが買ったときの経緯・・暗黙の合意を知らない次世代が法律相談すると・西欧の所有権の「絶対性」しか知らない法律家は,登記を見て自分の物だから「売ろうと小作人を追い出そうと勝手じゃないの」となって・小作人無視の売買等の紛争が頻発し始めます。
税金を払えないと相談されて私が助けてやろうと言って買い取った後に「自分の名義になったから他人に売ろうと追い出そうと自由だ」と言うのでは,救済してやったことになりません・・。
実際の正義に反することから,政府も保護せざるを得なくなって小作人や借地人保護立法が制定されて来たのであって、(土地を買った人は借地人をそのまま引き継ぐのが法の原則です)元々の道義に反したことをしなければそう言う法律は不要です。
言わばシャイロックのように「胸の肉1ポンド寄越せ」と言うのと同じで,タマタマ正義に反した主張を臆面もなくする人が時々出て来る社会になったから,これを防ぐために小作人や借地人保護法が必要になったにすぎません・・何回も書きますが,人権擁護の憲法や法律制度が出来た社会が進んだ社会ではありません・・・道義を守らない人の多い社会とい言うことで逆です。
和牛や果物その他のトッピンが生まれたのは,農協(はアメリカ方式の後追いで協同→大規模仕入れ・大規模出荷、その他大規模化追及ばかりした)の指導によるのではなく自営農民が仕事の合間に工夫して来たことによります。
研究部門は別に作るから製造現場・下層労働者の工夫はいらない・・現場は何も考えずラインの仕事をロボットのようにしていれば良いと言うのが階層分化を基本とする欧米式ですが,この方式では小作人より羊の方が良いとなれば,簡単に小作人を追い出して羊に入れ変えたり、移民の方が人件費が安いとなれば,移民に入れ替えて行く・・今後は移民どころかロボットで良い社会になります。
日本でも欧米の真似をして後追いをすることが進歩的と言う学校教育に従った農協がその代表ですが,この種考え方は大方失敗しています。
アメリカの大規模粗放生産が良いとなれば,狭い農地の大規模化を図り真似をする・・何でも後追いしているのでは・・ダイブ前に書きましたが、日本の場合最大の関東平野でも河岸段丘平野ですから,ましてその他小規模平野では水平面の必要な水田の大規模化は限界があります。
その他全ての分野で小規模・細やかな対応こそが日本人の特性であり,末端の人まで生き甲斐を生み出す原動力ですから、これを活かして世界に打って出る工夫しかないのです。
野球の王選手の一本足打法のように何かに大成功した人はその個性を活かしていることが多いのですから,人真似では2〜3流にしかなりません。
粗放・大規模農業やベルトコンベアー式大量画一生産方式は、アメリカの大地と流入人材=未熟練労働者に頼る社会にマッチした製法に過ぎません。
狭い国土と細かな変化のある気候風土に対応して一人一人の工夫努力が生きる日本社会が,個々の工夫努力を度外視した粗放大量生産を真似しても意味がないどころか、その生産方式に最も適した国を先頭にした序列の最後尾に付くしかありません。
日本のように民度の高いクニが民度の低いクニの真似をしても意味がありません。
中国の改革解放以来低賃金競争が世界で始まったのですが,海外工場移転をして国内の生産方式まで低賃金対応をして来ませんでした。
この国内構造変化中の国内生産力が落ちますが,この間に必要な資金を海外進出工場で稼ぎ出しながら・・この間の海外債権増加及び所得収支黒字は巨大なモノがあります・・凌いで来たのは大正解と言うべきでしょう。
企業・デパートで言えば本店改造中の売上減を支店網の売上で補填していたようなものです。
海外展開で儲けが出ていれば,海外の儲けで本店や国内工場のコンセプトを新しい時代に合うように変えて行くことが可能ですが、これを本店や国内工場の赤字補填に使っているとその先の展望がありません。
国全体で言えば,海外の儲けを本国人の高額賃金の穴埋めに充てているとその内海外からの送金が減って行き・なくなると大変なことになります。
サウジや資源国は原油代金等で実力以上に高額賃金(または無税でインフラ整備)を払って来たので、資源優位性が縮小し始めると大変です。
アメリカもこれまでの成功体験・極上の有利な条件がオセロゲームのように全部裏返しになりつつあることが重要です。
大量・画一・粗放生産=従来比喩的にいえば、10点の能力以上しか生産に従事出来ないときにベルトコンベエアー方式導入によって5〜6点の人も働けるようになる・・この結果、職人と言えない程度の未熟連労働者の大量投入が可能になりました。
加えて豊富な資源・五大湖周辺に大規模な石炭、鉄鋼資源があったし、その後石油の時代が来るとテキサス等には大規模な油田が開発されましたので国内で効率よく大規模工場が立地出来たことがアメリカの強みでした。
ところが、生産方式の機械化がさらに進むとアメリカが勃興した当時には比喩的に言えば,5点以上の能力が必要・・これに対応出来たのがいわゆる先進国だけだったのが,更に機械化が進んだ結果、もっと低レベルの比喩的に言えば2〜3点の未熟練者でも生産に参加出来るようになった・・労働力供給上の優位性が新興国に移ってしまったのです。
資源大国の地位も運輸能力・コストの向上によって,資源に直結した工場立地の必要性が低下した・・戦後遠隔地のサウジ(原油ではその他中東・北アフリカやロシア、ベネズエラ等に拡大する一方)やオーストラリア(石炭鉄鉱石・食糧)に広がっていますし,アメリカのダントツの優位性縮小傾向が明らかです。
人口・・労働力数的にも中国の解放前には,ソ連を除けば先進国ではダントツの一位でした。
(私が中学生の頃(1955年過ぎ)に初めて習った社会科の知識・記憶ではアメリカが1億8000万前後で日本を除く西欧諸国の大国・・英国5000万あまり、仏4300万前後でした)

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