産業構造の変化2

11月22日まで民度レベルの重要性をテーマに書いていたのですが、いつの間にかアメリカの民度・ピープルから次期大統領の政策・・異民族思想や意見を参考に持ち込むのは良いが,それを「そのまま国内で通用させるべき」との主張は異民族支配を求めるのと同じだと言う意見に流れてしまいました。
油絵と日本画の違いですが,幕末に入って来た・西欧の遠近法その他の技法を参考にすることで日本画の発展を図るのと油絵そのまま真似する(と言うと叱られそうですが・・素人意見ですが,何となく洋画家に傑作が出ないのはこの傾向があるからです)のとは意味が違います。
(文化人のよって立つ基盤が西欧価値観ですから,その基礎評価が崩れないように当然もてはやしますが,国民は支持していない・・・なれ合いと言うか文化人の評価が高くとも実際の市場評価・・高額で売れているのは日本画中心です。)
音楽分野も同じで,ドコソコで世界的な◯◯賞を取ったと言われるとそのピアニストやバイオリニストが世界で通用するのは素晴らしいとは思うものの自分の好みか?と言うとなかなかピンと来ません。
やはり武満徹のように日本人の魂を揺さぶるような音楽の方に軍配を上げたくなります。
こんな偉い人でなくとも明治に入って来た洋楽を取り入れて早速文部省唱歌のように換骨奪胎したものの方が、日本人の心のにしみ込みます。
年取ったせいか町内会の新年会では,最後の歌唱指導?では唱歌の合唱中心です。
キリスト教やイスラム教の精神にも取るべきところがあれば・・クリスマスを楽しんだり教会結婚式をやったり?バカリではなく取り入れるべきでしょうが,そのままキリスト教徒になる必要があるかは別問題だと言えば良いでしょうか?
11月22日「民主主義の基礎10(産業構造の変化1)」の続きに戻ります。
新興国の台頭→普及品国内生産が無理になると頼れるのは,民度のみです。
世界に伍して行くべき民度としては,独自性が重要で世界の流行を追いかけているだけでは後尾につくしかありません。
新興国の台頭に日本はどのように対処すべきかと言うと,日本武士層の系譜を引く中間層・・その予備軍の庶民も武士の生き方に憧れていることを22日に書きました・・は,もともと内容が充実して中間層になって約千年も政権担当して来ただけのことがあって,新興国と対等な競争に入ってもすぐに地位喪失することはなく,自発的な工夫が出来る労働者や農民層がいくらでも控えています。
戦後アメリカ式大量生産方式導入論が幅を利かして農地の拡大運動が盛んでしたが,一反歩単位の農地を仮に3〜5反歩に統合しても(土地改良法・耕地整理に付いては連載したことがあります)アメリカやオーストラリアの広大な農地との競争力強化には何の関係もありません。
(1万分の1の規模差が1万分の10になっても同じ発想・やり方では競争出来る訳がありません)
そんなことよりも少量でもおいしい米や野菜,牛肉を作る方に精力を傾けた方が良いと気が付いたのが,個々の農民であってマスコミや農学者ではありません。
衣類も同じで,岡山で作る高品質ジーンズが世界を引きつけていますが,量産で勝負していたのでは意味がないコトを現場の人が知っているのです。
欧米の後追いばかり強調し「世界に遅れる」と煽る学者・マスコミは、少しは反省すべきでしょう。
このように日本中間層の足腰はなおしっかりしているので、(幕末に下級武士が活躍したのと同じです)新興国の汎用品生産面の逆襲にそれほど恐れる必要はありませんが,欧米では大変なことになって来ました。
リーダーについて行く社会・・欧米では,少数のエリートを養成して行く方式ですが,これでは,アップルのジョブス氏の例で分るように,エリート1人の御陰でアップルは巨額利益を上げましたが,その殆どの製造は中国の工場で作られています・・・アメリカ国内の製造業従事者に恩恵がなかったのです。
日本やイタリアのように中小企業で特殊なうまいものを作りあるいは数十人のメンバーの手作業で高級品を造り出している民族では,大儲けする人はいませんが,みんなが幸せです。
極上の和牛はあるいはコクのある野菜類は多分粗放農業・大規模組織では作れません。
こうした工夫出来る人が現場に一杯いる・・民度レベルの違いの結果,我が国では生活保護受給者への転落危険度が低いのでトランプ旋風ほどの事態になっていません。
日本でも低賃金・・外国人をドンドン入れて企業自体が安易に低賃金に頼るようになると結果的に脱落中間層が増えて来てアメリカみたいな民族分裂的事態になりかねません。
中国より安い次の新興国の人を入れて競争するようになると,現場の工夫努力のインセンチブが低下し、従業員個々人の工夫チャンス・・も阻まれてしまいます。
企業が社内での工夫努力を求めない・・企業内で現場従業員がああでもないこうでもないと試行錯誤しているとその時間分、目先の生産能率が下がります・・。
そんなことよりも従業員の「時間あたり作業量を多くさせた方が良い」と言う精神でせわしなく経営者が追い立てるだけになると,従業員が工夫努力する余裕がなくなり結果的に従業員の能力低下が進みます。
日本と欧米一般人能力差の原因は、実はこのように「末端は何も考える必要がない・・ただ支持どおり働けば良い」と言うエリートと思考停止を要求されるその他を区別する方式が千年単位で続いて来た差によるのかも知れません。
(個々人の工夫意識を麻痺させるようにしておけば,支配に対する不満が起き難いのは確かで支配に便利でしょう)以前詳しく紹介したので繰り返しになりますが,日本の小作人らしいものの発生は,古代荘園成立時に名望貴族に名義借りしたときと明治維新の地租改正時の2回だけ?ですが,農産品の工夫を続けて来ました。
(明治の地租改正と幕府の伝統的政策であった農地売買禁止令廃止によって,急速に地主小作制度が発達したもの・・維新政府の近代工場労働者層輩出政策によるものであることを、04/10/04「イギリスの囲い込みと我が国の自作農崩壊との相違・農村の窮乏化政策」08/26/09「土地売買の自由化1(永代売買禁止令廃止)」その他で紹介して来ました。)
・・漫画にあるような「長者ドンと小作人」と言う設定は江戸時代には実際には存在しなかった制度・・地主層の発生を幕府は厳しく禁止していましたのでありえないことをあたかも昔からあるかのように・・勝手に歴史改悪して創作しているだけです。
古代荘園への寄進も明治の金納・窮乏化による小作人化もいずれも便宜上地元有力者に名目を「仮託」したに(気持ち)過ぎません・・その後も先祖代々の自分の土地として大事に耕して来ました。
小作人とは言え自分の先祖代々の農地ですから,必死に地味を肥やす努力(これは数世代かかります→長期視野・・環境保全士意識が育つ社会)やとなりの人やとなりの部落より良いものを作りたい意欲満々で千年単位でやって来ました。
地主になったからと言って勝手に小作地の変更など出来ませんし、小作地を取り上げるなどは思いもよりません。
これが日本でエンクロージャーが起きなかった「法理」です。
自分の子孫に残す農地であるからこそ、日夜工夫に励む習慣が身に付いて来たし,陰日なたなく働く習慣になった原因です。

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