シビリアンの相対性1(アメリカの反軍思想)

フランス革命に戻ります。
フランスが植民地戦争で負けた意趣返しにアメリカの独立を応援したからと言って市場参入がうまく行くとは限りません・・要はフランスの市場競争力の有無です。
産業の基礎が弱いといくら強制的にこじ開けたり、大陸封鎖令のように経済封鎖しても長期的には効果がないことが分ります。
武力や政治力は一過性に過ぎません。
トランプ氏の強引な政策も長い目で見れば一過性に過ぎませんが,業界は一過性だからと言って4〜5年間も逆境に甘んじるわけに行きません。
先ずは現政権と摩擦を起こしたくない・・迎合するしかないので,昨日のニュースではフォードもメキシコメキシコ新工場撤回に追い込まれていますが,長期的にはアメリカ製造業の競争力にかかります。
フランスがアメリカの独立応援によって市場参入の将来性が開かれたとしても目先の財政危機には役立ちません・・財政危機サナカの新たな戦費負担によって,目先の財政危機が却って高まってしまったのです。
財政危機打開に向けての協議が不調に終わり,その責任のなすり付けあい・・1種の弱い者イジメに向かったのが王制打倒だったように見えます。
昨日ロシア革命についてちょっと触れましたが,本来農奴・工員など弱者向け改革に努力していた帝政に対して大貴族が反対して進まなかったのですが,革命になると逆に王家の方が潰されたのと似ています。
今のアメリカの不満はお家芸である自由主義・グローバリズムによって世界中の門戸開放して来たものの、そのメリットを資本家・・金融資本ばかりが得ていることに対する不満です。
製造能力の基礎が弱っていることに対する不満ですから、誰か威勢の良いことさえ言えば解決できることではありません。
政治的意味としては製造業を強くするための政策努力目標を宣言していることは間違いがない・・長期的目標設定したと言う程度でしょう。
ウイキペデイアの産業革命の記事からの引用です。
「イギリス産業革命は1760年代に始まるとされるが、七年戦争が終結し、アメリカ、インドにおけるイギリスのフランスに対する優位が決定づけられたのは1763年のパリ条約の時である。植民地自体は以前から存在していたので、1763年の時点でイギリスが市場・原料供給地を得た、というよりも、フランスが産業革命の先陣を切るために必要な市場・原料供給地を失ったというべきであろう。いずれにせよ、イギリスはライバルであるフランスに先んじて産業革命を開始し、フランスに限らず一体化しつつあった地球上の全ての国々に対して有利な位置を占めることとなった。言い換えるならば、七年戦争の勝利によって、イギリスは近代世界システムにおける覇権国家の地位を決定づけたのである[1]。」
革命とシビリアンの関係に戻りますと,増税の強制→軍事力背景ですから,アメリカでは独立直後には,軍に対する嫌忌感から常備軍を置かないシステムを採用していると言われています。
http://blogs.yahoo.co.jp/takizawa_shinichiro/61987964.htmlの記載で真偽不明ですが,一応引用しておきます・・真偽を知りたい方は連合規約の原典に当たって下さい。
「連合規約、正式には、連合および永遠の連合規約、アメリカ独立戦争における13植民地の連合の名称を「アメリカ合衆国(United States of America)」と定め、13邦を統括する連合会議の設置を定めた。
アメリカ最初の連邦憲法とも呼ばれている。
この連合規約では、常設の陸軍あるいは常設の海軍を平時に持つことを禁止している。」
以下はhttps://ja.wikisource.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Complex01/%E9%80%A3%E5%90%88%E8%A6%8F%E7%B4%84からの連合規約の引用です
第6条
前略・・・
いかなる邦も、連合会議に結集する合衆国が当該邦の防衛もしくはその貿易のために必要と見なす数以外の軍艦を、平時において保持してはならない。また連合会議に結集する合衆国の判断において、当該邦の防衛に必要な要塞を守備するために不可欠と見なされる数以外の軍隊を、平時において保持してはならない。ただし、すべての邦は、常によく統制され訓練された民兵を、十分に武装し装備して保持すべきであり、政府所有の倉庫に適切な量の野砲、テント、武器、弾薬、および野営用具を準備して、緊急事態に備えなければならない。」
どこのクニも防衛に必要と言う解釈で軍を常備しているのですから,この規約だけから常備軍禁止規約だったとする解釈は文言的に無理があるので,2回の革命経験のあるイギリス系移民にとっては,独立戦争を独立革命と言うように3度目の正直・・軍に対する嫌忌感が強烈でその背景を持った議論の末に出来た条文なので、出来上がった成立経緯を重視した意見でしょう。 
飛躍しますが,日本国憲法の非武装原理もここに淵源があるかも知れません。
いずれにせよ、上記条文のように,装備品を用意しておくだけで必要な都度軍(志願兵?)を招集する仕組みだったらしいので、南北戦争当時もホンの少ししか軍がなかった・・だからこそ日本で想像する政府軍〜反政府軍との大きな差がなく,南北軍が拮抗していた原因だったかも知れません。
でも南軍には大砲がないじゃないかの疑問があるでしょうが,各地に兵器倉庫が分散していれば,南軍支配下にも兵器庫があってそれを南軍が利用したとすれば納得がいきます。
日本で考えると古代の平将門〜藤原純友の乱でも,西南の役でも政府軍と反乱軍とでは,圧倒的兵力差が基本ですから変な感じを受ける原因です。
今のアメリカの強大な軍事力からは想像もつきませんが,建国当時は常備軍不要の思想の憲法になっていたと言うのです。
アメリカでは・・軍の存在そのもが人権抑圧組織として如何に嫌われていたかが分ります。
当時は軍と言っても,一般人が銃を持つ程度ですから,イザ戦争が始まってからの準備でも何とかなるものでした。
18世紀末から19世紀に入ると戦艦や兵器が近代化して来たので,今では数十年単位の兵器開発準備や訓練が必要です。
中国がソ連崩壊後ウクライナから中古の航空母艦を購入して、これを元に作っているのですが,大変な時間(ソ連崩壊後でも既に20年以上です)を要して昨年あたりに漸く進水したばかり・・1〜2週間前に漸く台湾をぐるっと回る示威航海しましたが,これから実際の発着訓練が始まるのを見ても分るでしょう。
そこで常備軍・・職業兵士が必須になって来ます。
近代法の原理と言ってもこの一事だけを持っても,大きな変容を受けていることが分ります。
アメリカ徴兵制の歴史はウイキペデイアよると以下のとおりです。
アメリカの徴兵法の歴史
独立戦争 – 先住民との戦争終結までの徴兵政策
1861年 – 1865年、南北戦争時の徴兵実施。アメリカ合衆国と合衆国からの脱退を宣言したアメリカ連合国は、南北戦争遂行のために徴兵制を実施したが、合衆国軍も連合国軍も兵士の大部分は志願兵だった。
先住民との戦争終結後 – 第二次世界大戦終結までのアメリカの徴兵制策
1916年2月、徴兵制に合憲判決。
1917年5月、1917年の選抜徴兵法の制定。
西欧に戻りますと,王権の強制力は元々軍によっていますが,その正統性の基礎にキリスト教・聖職者がいて実際に異教徒審問などで猛威を振るったので,市民にとっては軍と聖職者を一体的抑圧者として意識してきました。
王制やキリスト教の圧迫に抵抗する市民・・ローマ風の戦うべき階層として市民自らを意識したときに「シビリアン」と言う別の名称が生まれて来たように見えます。
以上のように,西洋では軍と聖職者に抵抗するものとして中世中頃から,徐々にシビリアン概念が育まれたものですが,新大陸アメリカは新教徒が中心になって建国したものですから,既にカトリックによる宗教強制がなくなっていて,軍だけが恐れるべき対象でしたから、軍だけを市民が規制すべき対象になって来たのです。
我が国には,米軍占領を通じてシビリアンコントロール思想がはいって来たので、シビリアンコントロールと言えば軍に対する文民による抑制しかイメージ出来ないのはこの差によります。
タイやエジプトその他で軍事政権が生まれると、すぐに制裁をしたがるアメリカの短絡的発想の基礎がここにあります。
アメリカによる日本軍国主義批判(日本人分断政策)に対する疑問から、16年12月29日以来軍国主義とは何か?その根底にあるシビリアン論に関心を持ってこのリーズを書いて来ました。
シビリアンコントロ−ルがないと戦争になり易いと言う信仰は本当か・・シビリアン・・市民の内包である商人・産業資本家こそが近代の大規模戦争の原動力になって来たのではないか?
重商主義以来絶対王政との二人三脚(フランス)その後の多くの民族国家による政府と一体化させて国際市場を求める・・シビリアン自体が帝国主義戦争の原動力になって来たことを書いて来ました。
歴史の一コマでしかない,「シビリアン概念」を田舎者が?有り難がって時間軸や場所の特性を越えた普遍的な価値と誤解しているのではないかと言う意見です。

シチズンからシビリアンへ2

元ローマ帝国版図を除く中世の西洋では,戦争は領主の個人事業で(スペインの王様フィリペ2世は2回も破産しています)領民には関係がなかった(ナポレオン戦争で初めて民族意識が生まれたものです)し,領主同士の結婚でスペインの王様がオーストリアやネーデルランドを相続するような日本では想像もつかないような関係の基礎です。
ヨーロッパ大陸の原住民が,族長がローマに参考して現地参向して承認して貰う・本領安堵・・支配下に組み入れられて行くのと平行してその配下豪族も日本で言えば[将軍家お目見え」になるような関係が起きます。
一般市民も資産家の場合,キリスト教の受入れによってローマ文化を勉強したら市民にしてやると言われて第三身分に昇格して行くのですが,ソモソモ同じ民族の周辺農民が市の立つ町を襲うイメージがない・・市民になったからと言って郊外の農民と戦う必要性がありませんし、領主が勝手にやっている戦争に参加する必要性もありませんでした。
ちなみにイタリアでは知られている名家はメデイチ家のように商人の成功者が基本ですが,西洋諸国の領主は日本の領主同様農業・牧畜支配が基本です。
このため貴族化してパリに詰めている夫に変わって(元々結婚は領地目当てが中心だったと言われるように奥方固有の領地が多かったこともあります)奥方は領地を巡回して領地支配に精出していたと言われます。
日本でも義経を助けた金売り吉次のような商人は古代からいましたが,社会的力持つのは室町〜安土桃山を経て江戸時代に豪商の力で港湾,新田開発や土木工事をするようになってからです。
西洋でも商人・第三身分が力を持って来るのは、先ずは海岸沿い・ドイツのように大河川沿いに商業の発達もありましたが,水運中心に商業が発展した西欧中心に中世も大分下がってからのことです
商人が資産を有するようになると信長の矢銭のように戦費調達の協力金(課税)要求が起きて来る・・戦争によって利益を得る商人の外には税を払いたい人はいませんので・関係のない戦争反対の立場ですから、これがうまく行かないスペインでは王様一人が(勝手に?)破産していたし、これが一環しています。
このコストを市民に負担してもらおうとなると,(王権神授説では)無理・矛盾が生じます。
イギリスであれ,フランスであれ,軍事費調達のための増税反対が革命に発展していることから見ても、(軍護衛のもとで未開地進出するのが原則の)ギリシャ・ローマの「市民」とは成り立ちの違いが分ります。
自分の住んでいる都市・進出拠点を異民族からを守るための戦争ではなく、王様が勝手に遠くへ出掛けて行って損をしたのに、何故その費用負担させられるかの根本問題があるからです。
王家が勝手に戦争していた以上は,スペイン王家のように増税出来ずに破産するパターンが本来ですが,これを避けて増税に踏み切るパターンになると、これに対する抵抗が始まり・・真っ先にイギリスでの革命になって行ったと理解すべきです。
後で[資金出して」とお願いするようになると,戦争する前に資金を出す市民の同意が得た方が無理がない・・これが現在のシビリアンコントロールの経済原理と思われます。
あらかじめ同意を得るには,商人に旨味があった方が同意を得易いのでこれが[産軍複合体」の先がけ・・)革命を経てイギリスが世界最初に海外に市場・植民地を求める重商主義政策になったのはこの原理によります。
スペイン王家は自分の商売のために?海外植民地を得て金銀を得て・・士族の商法で勝手に消費してしまい破産しました。
西欧ではイギリスが(1628年権利の請願に始まる)真っ先に革命が起きたのは、真っ先に国外戦争で勝ち進んだ→そのための戦費が拡大したことによります。
学校で習うところでは,最初は海賊行為をしていただけなので収支トントンだった可能性がありますが,1588年にスペインの無敵艦隊を破り世界史のプレーヤーとして(その後は海賊ばかりとは行きません)登場します。
それまでは,スペインとフランス(日本のイメ−ジでは国と国との争いと誤解しますが,婚姻で領地が動くので婚姻の絡んだ王家同士の王位継承争い)の覇権争いが中心でした。
その後イギリスに本来関係のないフランス王家とハップスブルク家の大陸における覇権争い・・今のドイツを主戦場とする30年戦争に参加し,(アメリカが世界の警察官をやめたいと言うのと同じで覇権を争うと金がかかります)ここで戦費を無駄遣いします。
西欧全体ではアメリカがベトナム戦争を30年もやったようなもので(イギリスは最後に参加しただけですが)西欧中が疲弊します・・この反省を元に世界史上初の国際条約・・ウエストファーリア条約(これについてはキリスト教国の取り決めに過ぎない限界・・異教徒が遵守出来るかのテーマで大分後のコラムで書く予定です)が成立します。
権利請願を無視していたところにスコットランドの反乱が起き,議会を無視した以上・・充分な戦費調達出来なかった王は鎮圧来ずに賠償金支払を余儀なくされ,その支払のために議会に頼むしかなくなるなど悪循環で結局革命になって行くのですが,こうした増税要求に対する抵抗が、清教徒革命の始まりです。
教科書では,清教徒革命、30年に及ぶ宗教戦争と言い,宗教争いに焦点を当てていますが,増税対象者には・新興商人・資産家に(どこのクニでも)清教徒が多かったと言うだけのことです。
信長は堺の商人に矢銭を要求しています。
フランス王家はカトリック支持でしたが、ドイツ30年戦争ではカトリック支持のハップスブルグ家に対抗するために新教徒を応援していますし、今のシリア情勢・・スンニ派やシーア派の外にクルド族、アメリカ・ロシアの思惑,トルコやイラン,サウジの思惑が入り乱れるのと同様に主義主張とは別に入り組んだわけの分らない戦争だったので、30年も続いてしまった・・長引くとイギリスや北欧諸国まで参戦して来て,いよいよ混乱してしまったのです。
ちなみにイギリスは新教徒が多いのに,カトリック側に参加したことも新教徒の不満を買いました。
イギリスは30年戦争では損するばかりで、結果的に革命になったので今度は商人の同意を得られるように智恵がついて?革命後は産軍複合体で行動します。
これがいわゆる東インド会社に代表される(世界一の海軍力の援護を受けた)重商主義政策です。
ちなみに東インド会社はオランダとの競争を中心に逐次発展を経ていますが,ウイキペデイアによれば,「1671年から1681年にかけて支払われた配当金は、利回りで合計240%になり、1691年までの10年間での配当利回りは合計で450%となった。」と言う大成功ですから以後いくら戦争しても勝ち進む限り革命騒動は起きません。
革命を経て?商人の賛同がいることを国王も分って来た・商人が国策の前面に出る→士族の商法の時代が終わったので、スペインは世界競争から脱落して行きます。
その後の英仏第二次百年戦争では、イギリスが勝ち進むと同時に市場獲得の利益を伴っていたので税を負担してもおつりが来る・・イギリスでは市民(資産家)の反対がありませんでした。
同じ重商主義国でありながら,負けの込んだフランスで(市民に利益があったルイ大陽王の頃とは違い16世のときには軍費負担不満で)革命が起きたのは必然です。
ちなみに英仏の第二次百年戦争でフランスが敗退したのは,イギリス東インド会社は,単純株式投資方式を開発して経営自由化が進んでいた・・これが産業革命を誘発して産業資本家の育成に進んでいたのに対し,フランスはスペインの士族の商法の改良版?王家関与の古い形態・・開発独裁形式・・新製品が生まれ難い限界・今でもフランスは国家関与の強い社会ですが・・この行き詰まりにあります。
戦争が商売になると言う時代が終わった・・欧州で反戦思想が生まれて来たのは、戦争しても疲弊するばかりで何のメリットもなかった第一次世界大戦以降のことです。
ウイキペデイアからの引用です。
「不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は、第一次世界大戦後に締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段として、締約国相互での戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した条約。パリ不戦条約とも」
ところがナチス台頭によって,第二次世界大戦になりましたが西洋全体ではやはり損しただけで終わったので,西欧は遂にEU結成(究極の不戦条約)に結びついて行きます。
アメリカは,対日戦開始で不況脱出し,しかも世界の覇者に躍り出て良い思いをしたので戦争意欲が衰えず,戦後戦争ばかりして来ましたがイラク侵攻以降泥沼化するばかりで産軍複合体にとって経済結果が面白くないのでイヤになって来た・・,平和主義かどうかではなく,要は経済結果によるのです。
第2次世界大戦時のアメリカのように,新興国は既存秩序破壊に旨味があるので戦争の利益はなお存在します・・これが中露の戦争期待感です。
新興国が生まれて来る限り戦争がなくらないのかも知れません。

シチズンからシビリアンへ1

日本では千年単位で武士は一族を守るためにあると思って来た民族ですから,軍や警察が悪くて国民に罪がないと言う欧米価値観による戦犯論・・使い分けには国民の多くは納得していません。
軍人はみんな国民のために戦ったと多くの国民は心から信じています。
特攻隊員も硫黄島で死力を尽くした兵士もみんな,背後のニッポン民族・同胞の破滅を1分1秒でも遅くするために頑張ったのであり、権力者が国民をいためるために頑張ったものではありません。
菅総理が,現職総理でありながら自衛隊を「暴力装置」と言う言葉を使って物議をかもしましたが,日本と西洋の歴史の違いを知らない暴論です。
あるいは沖縄戦をねじ曲げて日本軍人が沖縄人を無理に殺したかのように宣伝しているのは、南京虐殺同様に欧米型価値観を無理に植え付けようとするデマでしょう。
市民だけではなく,シビリアンと言う用語が近世になって何故重視されるようになったかに深入りしましたが,これは欧米では市民とピープルが何故厳然と別れた来たかの関心からです。
ギリシャローマの昔から市民だけが都市が攻められたときに軍人として戦いに参加して戦う権利と義務を有していたのは異民族の地に進出した先進部族の商人が橋頭堡として砦を構えた名残です。
この場合城外の原住民は夜襲して来る恐れのある仮想敵そのものであり,砦内に駐留している市民は皆武器を取って戦う義務と言うより生存がかかっている以上は戦う必要があったのです。
ジャングルで野営しているときに野獣の攻撃を防ぐために夜中じゅう焚き火の火を絶やさずに交代で見張りをしているような状態を大規模にしたイメージです。
今と違い商人と言っても戦闘力を兼ね備えたツワモノが出掛けて行く関係です。
現地駐在規模が大きくなって,都市国家と言えるほど安定すると分業的になるでしょうが,当初は少人数ですからマルチ人間から始まります。
市内居住の商人の世話をする原住民出身の各種サーバントが住み込みで働くようになっても、彼らは元々先進地域から出張して来た商人から見ればよそ者ですから、戦いに参加する権利も義務もなかったことになります。
当然のことながら城外の民衆・原住民は夜襲をかける方の同族ですから,救援に駆けつける義務も権利もありません。
この発祥の歴史が「市民」と市民以外(原住民)をはっきりと分ける原理であり、城内居住の「市民」は一丸となって外敵と戦うべき権利義務になったものと思われます。
地中海地域に商船隊を利用して点々と飛び地的に発達した都市国家と違い,ガリア〜ゲルマニア地域を発祥とする原住民は牧畜と農業主体民族であり,しかも陸路の場合,商人は隊商を組んで移動してもわずかな商品・人数しか移動出来ませんから,現地に排他的拠点を構えるのは不可能に近い・・どちらかと言うと現地人の助けを得て水を貰い食糧を得て交易しながら移動する遠慮ガチな存在ですから、排他的基地を構築するなどは考えられません。
地中海沿岸とは違って陸路経由の西洋の都市は、先進地域から先進製品・物売りに来た異民族の排他的居留地・砦から始まったものではなく,日本同様の自然発生的なものだったでしょう。
元々同族の集まりですから,都市・城を外から攻めて来る城外の原住民・異民族はいませんから市民が城外の民から自衛する必要性がありませんので武器を取って戦うことを想定していません。
西洋内の戦いは,敵対領主同士の領地獲得戦争が中心ですから、西世では砦・シャトーの多くが市街地から離れて市民と関係なく孤立して建っている所以です。
長年戦争は領主の個人事業で(スペインの王様は何回も破産しています)領民には関係がなかった(ナポレオン戦争で初めて民族意識が生まれたのです)し,領主同士の結婚でスペインの王様がオーストリアやネーデルランドの相続するような日本では想像もつかないような関係の基礎です。
大陸の原住民が,キリスト教受入れによって一定の資産(商人が始まりすから資産は絶対要件です)を有していてローマ文化を勉強したら市民にしてやると言われて第三身分に昇格して行くのですが,ソモソモ同じ民族の周辺農民が市の立つ町を襲うイメージがない・・市民になったからと言って郊外の農民と戦う必要性がありませんし、領主が勝手にやっている戦争に参加する必要性もありませんでした。
戦費調達の協力に反対する・利害対立・戦争反対の立場です。
イギリスであれ,フランスであれ,軍事費調達のための増税反対が革命に発展していることから見ても、ギリシャ・ローマの「市民」とは成り立ちの違いが分ります。

軍・警察とシビリアンの緊張関係2

クリスマスから話題が少しズレましたので,12月23日の続きに戻ります。
日本の軍・武士と家の子郎党の関係に戻しますと,落城・負け戦であったとは言え、みんなのために腹を切った元城主や奮戦した勇士を「戦犯」としてあしざまに言うのでは、バチが当たると言う意識の社会です。
アメリカによる日本支配に際しての「軍と国民」の離間政策はこれまで書いて来たように中世以来の歴史を持つ欧米での市民と民衆の分離意識からすれば,普通のことで民族分断を図る特別な悪意でやったものではないのかも知れません。
日本は欧米とは歴史はマ逆であるコトの理解不足が占領政策の基本的ミスであったことになります。
欧米的価値観(ナチスと国民の責任を切り分けるのと同様に)で日本でも軍部の暴走と言う切り分けると共に警察と国民との対立関係の強調・・特高警察が如何に酷かったかの大宣伝教育をしてきました。
アメリカが景気対策と人種差別政策の貫徹のために日本を戦争に引きずり込んだ真実の隠蔽工作をかねて,・・マスコミと教育界さえ支配すれば何でも出来る・・無知蒙昧な欧米民衆・ピープルレベルを前提にする政策でした。
この理解で,極東軍事裁判をやってしまった・・ロケット打ち上げ時の小さな角度失敗が宇宙に行けば大きな誤差になるように、今になると日米に大きなトゲを残してしまいました。
この誤りを少しでも早くアメリカが認めた方が双方にとって有効ですが(繰り返し書いているように日本人は韓国のように相手が謝ったからと言って調子に乗ることはありません),これを潔しとしない欧米発の(日本から見ればイチャモンに見える)中韓を手先に使った戦犯合祀非難問題です。
「軍部の暴走」と言う教育宣伝に私たち世代はどっぷり染まって育ちましたが,アメリカが日本を如何にして戦争に引きずり込もうかと狙っている状況下で・・何かとイチャモンつけては日本包囲網を狭めている状況下で,日本は粘り強く平和解決を求めながらも平行して国防体制を整えて行くのは政治の常道です。
国家の危機が迫れば,国防関係論客の影響力(幕末の海国兵談など)が高まり,政府も実務家を予め要所に配置して備えて行くしかない・・軍関係者の発言力が高まるのは幕末でも今のどこのクニでも同じです。
地震が頻発すれば,地震学者の発言が重視されるし、円相場が上下すればその道の発言力が高まります。
アメリカが日本に軍事圧力をかけ過ぎたから軍部の発言力が高まった・テロが頻発すれば独仏でも治安維持の成否が政権支持率に直結する→治安安定が政権の重要テーマになりひいては治安関係者の発言力が高まり予算も増えるのと原理が同じで現在と何ら変わりません。
日本がアメリカに軍事挑発したことはありません・挑発されていただけです。
アメリカのアメリカインデイアンに対する仕打ち見れば、アメリカの本性がすぐに分ります。
現在中国の違法な挑戦があると平和的に解決のために話し合いを進めたり,国際世論による中国暴発防止のための根回しをしながら、イザというときのためにアメリカの防衛協力を求め(この見返りとして日本もアメリカ軍に相応の協力が必要になります→集団自衛権問題)たり,人頼みだけなく,自分でもパトロールを増やすしかないから、海上保安庁や防衛予算が大幅増になってしまうし,国民の防衛意識も高まります。
軍部が力を持つから戦争になるクニもあるでしょうが,逆は真ならず・・と思われます。
江戸時代に武士の戦力よりは「文」が重視されたのは「四辺波穏やか」であったことによりますし,戦後貧弱な防衛費で間に合っていたのは強大な米軍のカサの下にあったからです。
このように周囲の変数関係を無視して「軍靴の音が聞こえる」と言っても始まりません。
中国の軍事挑戦にアメリカも危機感を持ったのか?次期大統領トランプ氏は軍を退役して10年経過していない人物を国防大臣に指名しました。
シビリアンコントロールのルール上、議会の特別承認がいるようです。
軍が支配権力の道具であって市民と対立して来た歴史を持つ欧米価値観では,相手国に対する非難も軍とあるいは権力と人民を分断するのが有力な手段になります。
今でもロシアや中国批判はいつも国民から遊離しているとか国民を抑圧していると言うスタイルです。
欧米手法をそのまま信じて戦争責任・・慰安婦でも南京虐殺でも何でも軍の責任にすれば良い(自分に関係がない)からと、中韓の主張に便乗して分断を煽る文化人の間違いがその内明らかになる時期が来ます。
警察官も庶民を守る味方であって権力の手先と言うのは、左翼文化人が日本の歴史に無知で?あるいは目の前で行なわれているおまわりさんの仕事を見ないで、西欧の概念を持ち込んで空想して主張しているだけです。
お猿が出たとか鹿がいる,蛇がいる,食いつき亀がいる,大分前にサーカスのトラが逃げたと言ってお巡りさんが探している様子が報道されていましたが,トラでは警察手帳を見せても驚かないので,困ったでしょう。
おまわりさんの道案内は日常業務ですし,夫婦喧嘩の仲裁をさせられたり、何かと忙しいのが日本の警察であって,みんなのヨロズ困りごと相談・・解決に協力する仕事です。
犯罪者を取り締まるのもこの一貫で、要は町中で困った害虫・与太者も退治してくれる頼もしい役割です。
ストーカー被害その他新たな被害パターンが起きると先ずは警察へ相談に行くのが普通の行動です。
困ったら弁護士に行くべきであって市民抑圧装置と教えられていた警察に何故相談に行くのか?と不思議に思うほど学校教育以外の知識の源泉がなくて世間がよく分ってない若い頃には,学校教育そのまま刷り込まれていましたが,大人になって世間を良く知るようになると真逆の関係と分って来ました。
万分の1の確率でおまわりさんも(誰でも)間違うことがある・弁護士は滅多にない間違いを正すのに必要な役割であって,おまわりさんは原則として有り難い存在と言う常識が身に付いて来ました。
母親の健康管理や教育方法が意識が間違っている場合もあるので,子供の定期健康診断や学校など外部チェックも必要ですが,母親を子供の敵だと教育する必要はありません。
おまわりさんを邪魔扱いしたいのは町のダニだけであって,おまわりさんが来たら普通の人がこそこそと逃げ回るのでしょうか?
防犯カメラに反対するグル−プも市民を守るおまわりさんが邪魔になる一群でしょうか?
マイナンバー法反対論者は政府に自分の行動が知られるのがイヤだと言うのですが,別に悪いことをしていない限り,何故そんなに騒ぐのでしょうか?
プライバシー侵害を許すな!と言いますが,政府も警察も犯罪の嫌疑のあるときだけ綿密に防犯カメラなどチェックするだけであって,何にも事件のないときには自動的に消えて行くだけで誰も見ません。
事件の前後に居あわせた人は自分から進んで「あのときは◯◯していたら、こう言う音がして振り向いたら・・」と言う体験談を話すのが普通で,プライバシーだから言いたくないと言う人は滅多にいません。
その人の体験説明が合っているかどうかを防犯カメラでチェックしたら確かにその人が振り向いた様子が写っていることが確認されることもあります。
と言うことは事件前後の犯人の動きを見るために防犯カメラを警察がじっくり見たからと言って犯罪に関係のない人が腹を立てる人は滅多にいないと言うことです。
プライバシーを楯に反対する勢力は、実態に合わない被害意識を創作していることになります。
国民の意識が低いから自分たちエリートが教育してやる必要があると言う立場が基本でしょうか?
おまわりさんは本当は怖い存在・・権力の手先だ・・如何に怖いものかを学校でしっかり教えられて来たとおりに、自分たちエリートは国民に教えねばならないと言う使命感に燃えているように見えます。
我々若い頃には戦前教育を受けた人が殆どでしたから、昔の人は政府に騙されている・・昔の人は仕方がないと思い込まされて育ちましたが,戦後教育を受けた人が中心になった今になると,「学校であれだけ習ったのに身に付かないのは成績の悪い子だったに違いない・・やはりもっと教え込まねば・・」と言うエリーと意識そのままで運動している人が多いように見えます。

PeopleとCitizen5(市民の資格1)

西洋中世でのキリスト教の広がりとその反動としてのシチズン→シビリアンの成長に戻します。
ローマ崩壊後ガリア・ゲルマニアの地を支配したフランク族その他支配者が,支配地域が広がると武力だけではない合理的運営が必要になり,何らかのルールが必要・ルール強制の権威根拠を(日本のように各地習俗を汲み上げる面倒なことをせずに)先進地域のルールブックであったキリストの教えに求めたものと思われます。
1神教は支配者にとっては民意を一々聞き取る必要もないし構成諸部族の意見を無視出来る・・単純明快で支配者にとって便利です。
まして巨大なローマ帝国で普及していたとなれば権威も充分ですから、これと言った説明や納得を得る手間がいらない・・「こんなことも知らないのか!」とバカにすれば済みます。
韓国人は初対面で先ず学歴自慢をして相手を黙らせてしまうのが常道です。
我が国で言えば,内容妥当性議論の逃避・我が国でこれを適用すればどうなるかと言う具体的議論をすることなく留学経験をひけらかして,「欧米では・・」と言えば勝負がつくように思っている社会です。
そしてこの先進文化・ルールに精通している聖職者が支配的地位(第一部会)を占め・次にキリスト教文化をある程度体得している教養人が(野蛮人・バーバリズムから昇格して)「市民」第三部会員として優遇されます。
そしてこのルールを守らせるための強制力・軍事力となって軍事力も一体化します。
軍事力正当化の完成です。
我が国のイメージでは何故シビリアンの敵が「聖職者と軍」であったか分り難いですが,こうした支配体制構築の歴史によります。
中国文明はオリエント・メソポタミア文化の導入で始まったと言う私の仮説については、(すべてこのコラムは私の独断・偏見に基づいています)を、09/01/05中国の独自性とは?1(ペルシャの影響1)以下で連載し、その他、12/14/05「漢民族の広がり?4・東西移動から南北移動へ2」その他あちこちに書いています。
中国でも何かと周囲の民族を蛮族(南蛮・北狄・西戎・東夷)と言いたがり,(今では国名にまで恥ずかしげもなく中華と使うほど)違いにこだわるのは、何段階も隔絶した先進文化導入(自民族で足下から自然発生・段階的発達した文化でない)の歴史があると見れば符節が合います。
こう言う社会では被支配者との間で超越的分化格差があるので,専制支配が可能になります。
これが欧米のピープルとシチズンの分化の始まりであり,中国の士大夫層とその他の始まりです。
日本で漢民族伝来の漢字を読み書き出来る階層が長年エリート層を形成して来たのと同じですが、日本の場合直ぐに万葉仮名を工夫し庶民まで和歌に親しみ,さらにはひらがなを発明し・漢字仮名交じり文になって庶民に普及した・・漢字は文字として利用しただけで,思考内容は日本民族独自性の維持でした。
西欧では民族別思考温存ではなく文字文化も導入されたアルファベットそのままで、しかもルネッサンスが来るまでラテン語だけしか文字化(・事実上どの程度自民族言語が文字化され利用されていたか不明)されませんでした。
朝鮮半島では,15世紀年中頃からハングルがあったらしいのですが・文書は飽くまで漢文のままで、日本統治になって漸く公式認知された?のと比較すれば独自文化発達の違いが分ります。
どこでもいつでも最初の支配確立は武力によりますが,その次の支配はルールによらない裸の武力だけでは大変です・支配道具としてキリスト教が採用された以上は,被支配者にとっては軍とキリスト教が一体化したものに見えたでしょう。
最初は,未開人ではあるが教養を得た者だけを「市民」として特別扱いされ三部会員に昇格して現住民のエリートは満足していたのですが,その内硬直したキリスト教支配が鬱陶しくなると,軍と聖職者に対する抵抗勢力としてシビリアンが生まれて来たことになります。
カール大帝に関するウイキペデイアの記事からです。
「カール大帝(742年4月2日 – 814年1月28日)は、800年には西ローマ皇帝(フランク・ローマ皇帝、在位:800年 – 814年)を号したが、東ローマ帝国はカールのローマ皇帝位を承認せず、僭称とみなした。
古典ローマ、キリスト教、ゲルマン文化の融合を体現し、中世以降のキリスト教ヨーロッパの王国の太祖として扱われており、「ヨーロッパの父」とも呼ばれる[3]。カール大帝の死後843年にフランク王国は分裂し、のちに神聖ローマ帝国・フランス王国・ベネルクス・アルプスからイタリアの国々が誕生した。」
西ローマ帝国継承者を勝手に号したこと・・古代ローマの輝かしい歴史・文化を理想として仰ぎ見ていたことが分ります。
そうなれば自然に思想・道徳その他善悪の基準導入になります。
その前からそう言う意識が定着していたからコソ「われこそが継承者である」との主張が出て来たことになります。
ところで、西洋中世と聞けば,今の英独仏伊などの前身の王国がそのころからあってその下位に各地領主・後の貴族や騎士がいた社会であったかのように何となく想像してしまいますが,上記によると現在のいろんな国の前身である王国が出来たのは,カール大帝死後・843年以降であったことが分ります。
平安時代が、延暦13年(794年)から始まって、 816年 空海が高野山に道場(金剛峯寺)を開いています。
フランク王国分裂後仮に数十年〜5〜60年間の動乱を経た結果いろんなクニの分立が始まったとすれば,899年 に菅原道真が右大臣になっていますし、905年 紀貫之らが仮名序・真名序で書いた『古今和歌集』を撰進したころです。
フランス王国の例で見れば以下のとおりです。
「フランス王国(フランスおうこく、フランス語: Royaume de France)は、現在のフランス共和国にかつて存在し、その前身となった王国。起源はフランク王国にまで遡るが、一般には987年の西フランク王国におけるカロリング朝断絶とカペー朝成立後を「フランス王国」と呼んでいる。1789年のフランス革命まで800年間・・」
「カロリング朝が断絶したあと、987年に西フランク王ロベール1世(ロベール家)の孫にあたるパリ伯ユーグ・カペーがフランス王に選ばれ、カペー朝(987年 – 1328年)が成立した。成立当初は権力基盤が非常に弱くパリ周辺のイル=ド=フランスを押さえるのみであったが・・」
フランス王国と言っても当初今のパリ周辺しか支配していなかったのです。
987年と言えば,日本では藤原兼家が986年に摂政に就いていて、995(長徳1)年には藤原道長が内覧の宣旨を受けています。
文化面では1001(長保3)年:清少納言の『枕草子』が完成し、1011年には紫式部の『源氏物語』が完成しています。
日本では遣隋使,遣唐使を派遣しましたが、明治の和魂洋才政策同様で合理的文化導入だけが目的で、国民のあるべきルール・生き方ではニッポン民族独自スタイルを貫徹していました。
我が国では専制支配(異論を許さない点では1神教支配と同じ)を前提とする科挙制や律令制・・区分田が国情に合わず根付かなかった経緯については、01/10/06「律令制の崩壊2(桓武天皇時代)」前後のコラムで連載しました。
24日にクリスマスの起源に関心を持って,書いているうちに話題がズレましたが,クリスマスを祝う風習は元々のキリストの宗教行事ではなく,いつのころかミトラとか言う別の宗教行事・あるいは習俗を取り入れたことに始まると言われます。
(そんな宗教があったかどうかすらはっきりしないのは、異教徒の習俗だったのを,沽券に関わるので何とかキリスト教に関係付けようとするからではないでしょうか?
これまで書いているように,キリスト教はガリア・ゲルマニアの習俗から発展したものではありません。
骨の髄までしみ込んだキリスト教意識・・キリスト教徒になり切れない者を異教徒として迫害に加担して来た歴史が邪魔をしていて、西洋では素直にゲルマニア・ケルト族の習俗だと認めるわけに行かないのでしょう。
田舎出身の人が東京生まれと虚偽経歴で生きて来た場合,生まれ故郷で覚えたことを「イヤ東京でも子供の頃にはこう言う習慣があった」と言い張っているようなものです。
儒教どっぷり度で日本に優っていることが自慢の韓国に至っては、(いわゆる韓国起源論の一種ですが・・)孔子が朝鮮半島出身と言い張っているのと50歩100歩ではないでしょうか?
外来のキリスト教を取り入れる前の現地民族・・本来自分たちの祖先の習俗そそのまま認めるとこれまで自分たちの宗教であると有り難がって来たメッキが剥げるのが怖いのではないでしょうか?
お祭りの原型がみるからに北欧向きですから,雪も滅多に降らないローマ時代からの習俗にこじつけるのは無理っぽい印象です・ただし地中海世界の習俗が北に行って今のように変化したと言う見方も出来ますのでいろんな意見があり得ます。
日本の神社仏閣は庶民が楽しむ行事中心・・今では観光名所・・いつも人集めの中心ですが,キリスト教と言うより西洋諸国でも,中世修道院に代表される陰気くさい教えの強制ばかりではなく,庶民が楽しめる要素が必要だったのです。
キリスト教の影響が,クリスマスを祝う以外になくなるとすれば,それはそれで信教「から」の自由の完成で目出たいことです。
今年は幸い3連休の中日ですし,信教の自由ではなく「信教からの自由」を満喫するつもりで仏教徒であり神社の信者でもある我が家では、信教とは関係なくクリスマスを今年も楽しみました。

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