個人責任プラス集団責任へ2

犯罪者や嫌われ行為をする人が他民族で1%しかいないのに対して、ある民族が数%多くいた場合、その比率の高さが目立ってしまいます。
悪いことをしていない人も一緒くたに非難するのは間違い・・一緒に非難されるのは可哀相ですが、犯罪行為をしている人だけを非難すべきだと言えば、解決出来る話ではありません。
ヘイトスピーチと言う新語を利用すれば何となく有り難い印象ですが、集団や民族全体評価(どの組織に所属しているか、どこの出身かなど)が重要であることは、今も昔も変わりがありません。
犯罪率や不義理をする率の高い集団では、これを許容する周辺人・民族風土・・犯罪〜不快行為(汚い)予備軍が周辺に一杯いる印象になっています。
目の前でみんなが駐車違反しないで有料パーキングに止める習慣があると日常一緒にいる人も駐車違反しなくなります。
周辺で多くの人が無料ダウンロードしていると自分だけお金を払うのがバカらしくなって来るでしょう。
もちろんむやみに道路でゴミを棄てる人と一緒にいると自分も棄てることに罪悪感が薄くなるでしょうし、(当初中国人に貸すと汚くて困ると言われていたのも今はあまり言われませんが・・その一例です)日頃からきちんとした人と一緒にいると自分だけゴミを散らかすのが恥ずかしくなります。
このようにある集団から検挙される人の比率が高いとその仲間も運悪く?検挙こそされなかったものの似たような考えや行動をしていると推定される傾向があります。
20年ほど前までは、交通切符を切られた違反者が「みんながやってるのに・・」と自分だけが運が悪かったと言う言い訳が多かったのは、まさに似たもの同士で生活していることを表します。
一家に嫌われ者が一人いれば、その家族全体がその村に居辛くなくなる・・親兄弟の肩身が狭くなる原理の基礎です。
犯人以外には、何の責任もないと言うのが法律家や知識人の意見ですし、法的責任はそのとおりですが、法的責任と政治・道義責任は違います。
息子が同じ村の人を何人も殺傷した場合、「息子は成人しているので親兄弟には関係がありません」と言って知らん顔をして、殺された人の家に従来どおりに遊びに行ける人がいるでしょうか?
法律家や知識人の主張は、人間の道義心=社会での人間関係のあり方からかけ離れた架空の意見を述べていることになります。
問題点は、道義的責任の有無・どうやって道義責任を果たすべきかなのに、法律家や文化人は法的責任がないから「謝ってもらうのを期待したり、謝らないことを非難するのは間違い」と言う変なすり替えをしていることになります。
「いや、そんなことを気にする人は時代遅れの馬鹿なんだ」と言うならば、自分の息子や娘が近所で事件を起こしたとき「関係がない」と平然としていられるかと言うことです。
たぶん(自分の身内にはそんな人はいないから・・)と強気で発言しているのでしょうが・・実際と乖離した空理空論の典型です。
こう言う文化人?が、マスコミで偉そうに発言して国民がそのまま行動していたのでは国家が滅びますが、国民は裸の王様の寓話同様で、実際に誰も信用していないから国が成り立っているのです。
6月18日以来書いているように反日に特化している在日朝鮮人は実は少ないのではないかと思いますが、これを公然と運動させて(背後で応援して)いる周辺在日の神経・・その道義的責任論に結びつくのが、一般社会心理です。
・・民族教育と反日教育と同じではないでしょうが、民族教育を強調する朝鮮人学校があちこちで成り立っているのは、資金援助だけではなくそこに通わせる・思想共鳴している在日父兄が多いことを示しています。
海外日本人学校もありますが、日本人の場合、数年〜4〜5年の海外の駐在期間が終わって日本へ帰ったときの必要性から(帰国後日本の教育課程に合うように)やっていることですが、在日子弟は帰国する予定もない点が違います。
勿論海外の日本人学校では、日本で日常着ていない民族衣装で通学させるような(バカな)ことはしません。
生活習慣が汚いからと言って刑事処罰はありませんが、道義責任を果たさないグループがあれば、道義的非難を受ける・・おつきあいお断り(汚い集団にアパートを貸すのをお断りなど自衛・・その人の家には遊びに行かない)となるのが次の流れです。
生活習慣が汚いからと言って刑事処罰はありませんが、道義責任を果たさないグループがあれば、道義的非難を受ける・・おつきあいお断り(汚い集団にアパートを貸すのをお断りなど自衛・・その人の家には遊びに行かない)となるのが次の流れです。
個人的に綺麗な人もいるとしても、その人が綺麗どうか、貸してみないと分りませんので、中国人お断りとなるのが普通です。
この結果時間の経過で、今は中国人も日本では、(郷に入りては郷に従えと言う気持ちになって)綺麗に生活するようになって来たようです。
汚い人だけ批判すれば良いのだと遠慮しているよりは、集団的な対応をした方が全体への教育効果が出る事例です。
汚い人だけ批判すれば良いのだと遠慮していると、「借りるときだけ誤摩化せば良い」という輩が増えますが、集団的な対応をした方が全体への」育効果が出る事例です。
工場製品、農産品その他も同じで個別検査によって摘発した分だけ輸入停止や処分する方式では「検査さえ誤摩化せば良い」「通関さえ通れば良い」と言う抜け穴探しに走るようになりますが、1つでもあれば同一商品全部のキャンセルが出来るとか同一業界の信用がなくなる等の集団処理の方が合理的です。
何かがあると、一般中国製品信用批判が広がって全体の信用をなくす方が、不正行為等の抑止にとって大きな効果があります。
最近の事例で言えば、日本マクドナルドの中国工場の非衛生さが大問題になると、全面的に仕入れ先を東南アジア工場に変更するしかなかったように、別の中国工場は綺麗だとって言っても消費者が納得しないことが証明されています。

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