暴力団お断り1(暴排条例と村八分)1

個人責任の空理空論をそのまま信用して、親戚縁者あるいは出身民族あるいは同業界がいくら悪いことしても自分の名前が表に出なければ何の責任もないとシラを切れるのでしょうか?
一定組織の犯罪率・非道義的行為が多いと、参加・行動しない(手引きをした証拠がない)までも、内心応援・・同調している人、あるいは似たような価値観で行動しているが多いからではないかと見る人が増えて行きます。
民族団体の政治活動があった場合、誰が実際に応援・支持しているか分らない・証明出来ないのが普通ですから、法的対応出来ない分に比例してフラストレーションがたまり、敵対集団にとってはその集団全員を敵視したくなるのが普通の心理であって、特定集団や民族非難をすることを禁止したり道義非難するのは実態にあっていません。
同一業界内で産地名の偽装が多いと、同業界全部の信用がなくなるのが普通です。
商品の場合消費者は黙って買わなければ良い(個人的不買)すれば良いことですが、国内集団の場合何らかのおつきあいお断りの意思表示をするしか対抗手段がありません。
政府は犯罪でない限り法的対応出来ないし、商品と違って個人的不買で対抗も出来ないし、フラストレーションがたまる仕組みです。
反日慰安婦騒動では、その運動に韓国観光業界が、加担しているか支持しているかを別として、日本人の韓国旅行や韓国への投資が激減しました。
これが大方の常識的国民意識であって、非難されるような行為ではありません。
ある人がある集団的行為に具体的に関与しているかどうかにかかわらず、民族や集団行為の効果・・プラスマイナスも間接的に集団構成員が受けるべき状態が世界的に存在しています。
反日活動は刑事犯罪そのものではないですが、ある人が反日活動に関与している証拠がなくとも反日活動している集団に属している場合、属していること自体によって、何らかの社会的効果を受けるようにすべきだと言う傾向が広がっていることの事例として暴力団組織の例を書いて行きます。
勿論在日自体が犯罪集団と言う訳ではないので、犯罪集団である暴力団組織に対する締め付けとは次元が違うと言う批判があるでしょうが、ここでは、集団と個人のテーマとして、個別に事件関与しなくとも集団構成員であることだけで、社会的締め付けが個人の不買程度ではなく許される突破口が開かれている事例として紹介します。
暴力団では集団の威力を利用していながら、犯罪行為があっても組織幹部は裁判になれば関与した証拠がないと言うことで責任を免れて野放しになっていることに対する社会不満がたまってきました。
ある人が犯罪に関係している証拠がないとしても、犯罪行為等によって結果的に収益を得ている集団を許さないと言う流れ(個人責任法理の変容)が生まれていることを以下、暴力団排除条例を例として紹介して行きます。
6月29日現在のウイキペデイアによると、
「2004年6月に、広島県と広島市が条例で公営住宅の入居資格について「本人とその同居親族が暴力団対策法に規定する暴力団員でないこと」と規定した。暴力団排除が規定された条例はこれが初めてである。
また東京都豊島区で、不動産の取引において暴力団を排除することを規定した生活安全条例が制定され、2009年1月に施行された。」
上記ウイキペデイアによると「暴力団排除条例」を制定している都道府県は47都道府県・・すなわち全国に及んでいます。
いわゆる「個人責任主義」を良いことにして「法網をくぐる輩がうまい思いをしているのを許さない」と言う動きで、これに対する人権グループとのせめぎ合いが始まっています。
「悪いことをした証拠がないのに差別するのは、人権侵害ではないか」と言う意見もあるでしょうが、証拠がないのではなく現在の証拠法則では証明出来ないのを悪用しているだけの可能性が高いと言う意識の高まりによります。
証拠法則を緩めるか、証拠がないことを前提に結果的に収益帰属者を締め付けるのを許すかの政策選択の問題です。
一般個人事件に付いては、人権重視のために従来どおり厳格な証拠法則によってきっちり認定して行く必要があるでしょうから、証拠法則全般を緩めて一般的にいい加減に犯罪を認定して行くようにするのは危険です。
組織や集団事件に関しては、共謀罪法の制定その他で共謀関係の認定をし易くして行く必要がある(この辺は共謀罪のシリーズで書いてきました)外に、それでも関係者が知らぬ存ぜぬで口を割らないときには、無理に刑事処罰をしないで、別途収益の帰属主体に対しては相応の民事的締め付け・税務的徴収方法を考案する・・あるいはそう言う集団にはビルを貸さない、銀行取引しないと言う方法を考案するのは合理的です。
このような智恵が広がって来たのが、暴力団排除条例と言えます。
「個人責任の原理」と言うドグマにとらわれている・文化人の影響力の大きい国家レベルではなかなか思いつかないことですが、「条例」と言う形で全国に広がったのは言わば現実に即した庶民の智恵の結集と言えるでしょうか?
国家レベルでも、ドグマ的に無理な法案は「議員提案」と言う形式が良く利用されますがその一態様です。
古代に律令制のままでは、うまく行かない分野では令外の官が生まれて来たのと似ています。
上記条例を見ますと、暴力団とは特定取引に限らず多種多様な取引をしないように要請しています。
条例自体は基本的に業者に対する努力目標程度ですから大したことがないようですが、実は銀行・宅建業者その他かなりの業種(業界標準書式)でこの定型文言を印刷した契約書を利用していることが、後で大きな威力を発揮するようになって行きます。

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