原発再稼働の是非と原子力政策1

現在政治家が優柔不断で決断力がなくて誤摩化しているのか、重要なので機が熟すのをじっくり見定めているのかの違いは、経済政策のように瞬時に決めて行くべき緊急性があるかどうかによります。
原発の新設をどうするかは国家意思が決まらないうちは手を着けなければ良いことですが、福島原発事故当時稼働中の原発をどうするかは緊急の課題です。
そこでもっとも津波に弱いと思われていた御前崎・浜岡原発は即時停止方向に決めた他は通常どおり運転し、その間新たな規制基準を作成して、定時点検による休止後新たな基準で再開の是非を決めると言う方式がとられています。
ところで、新設とは違い既存施設を再稼働するかどうかは、燃料棒の違いによっては実はそれほど緊急に国論を決めなければならないことではありません。
MOX燃料棒の場合には、再稼働しないで、今の施設のままで放置しておいて(廃炉すると決めても冷却しないで放置すると燃料棒がすぐに危険になる・・冷却不要・・危険でなくなるまでには何年もかかるようですし・・)、その間に津波で冠水・電源喪失すれば、稼働中と似たような被害が起きる点は同じです。
電源喪失の危険性・・大地震の確率はよく分らないとしても、稼働中ではない使用済み燃料棒も電源喪失して冷却し続けられなくなると大変なことになる危険性は同じです・・。
このために福島原発事故の場合、大騒ぎして全国から高所(高層ビル)放水用の消防車を動員したりして高所に保管中の燃料プールへの注水作業に必死になっていたことを想起すれば良いでしょう。
(ニュースでは東京都の石原都知事の発言だけでしたが、千葉市の最新式消防車も出動した・・その費用を請求中と震災後大分経った頃に聞いたことがあります)
燃料棒の違いによっては冷却する必要がないらしいのですが、その違い・・どこの原発ではどう言う燃料棒を使っているのかが報道だけではよく分りません。
MOX燃料棒使用原発の場合、「再稼働しなくとも、プールで冷やし続ける必要のある使用済み燃料棒の危険と再稼働したトキの危険性との違いが何か」と言う点にあるように思われます。
新設するかどうかの議論は、何の危険もないところに危険物を設置するのですから危険性が「あるかないか」ですから、大きな違いがあります。
(「50歩100歩」と言う言葉がありますが「ゼロと5〜10」の倍率は50歩100歩の比ではありません)
だからこそ、新設して行くどうかの基本方針を決めるには、国民意思が揺れ続けているのですが、その前に既存設備をどうするかの議論が決まった(この間にいろんな議論が煮詰まって来るでしょうからその)後に、じっくり決めれば良いことかも知れません。
この辺は歴史の長い我が国の優れたところで、慌てふためいてさしたる議論もしないで、直ぐに原発ゼロを決めてしまうドイツ等とは民族レベルが違います。
革新系文化人はドイツの英断を賞讃する傾向がありますが、自分自身じっくり考える能力がないから乱暴な決定を英断として賞讃する意見になるのでしょうか。
福島原発事故当時を思い出してみると、ドイツは事故直後慌てふためいて東京の大使館を閉鎖して大阪へ移転していました。
私は当時ドイツ銀行に対する投資信託もどきの遺産相続の関係で解約手続中でドイツ大使館にドイツの裁判制度関係の照会をしようとしたら、東京の大使館が閉鎖されてみんな大阪に逃げている・・窓口が大阪になっているのに、驚いたことがあります。
日本中が大地震に遭遇して大変な心労の最中に、このようなことしたら日本人がどう受け取るかの配慮が全くないのです。
国家を代表して来ている以上は、東京都民が移転しても国家代表として踏みとどまるくらいの気概が必要ですが、率先して東京を引き払って,日本を貶める急先鋒(韓国以上の露骨な動きに日本人は驚きました)をやってしまいました。
メルケル氏は震災後約4年経過後日本初訪問しても被災地へ足を運ぼうともせずに、岡田氏と慰安婦問題を話し合って日本批判したと報道されています。
何ら下準備もなしに鳩山総理が、イキナリ大幅なCO2削減を国際公約したり沖縄の基地移設問題で根拠・下準備なしに「最低でも県外へ」と主張していたのですが実際には、何も実現出来なかったことがあります。
この無責任発言が未だに我が国にとって沖縄基地移転問題解決にとって大きな負の遺産としてのしかかっているのは周知のとおりです。

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