プライバシー保護論2

マイナンバー制度その他反対論は、プライバシー保護を主張する人権論者としての反対である以上は、漏洩された被害者のプライバシー問題・・具体的にどう言う被害があってどう言う救済をすべきかを正面から論じるべきであって、業者が困るかどうかの問題ではありません。
4月1日に書いたように具体的被害をイメージし難いために、「◯◯に使われたらどうする」式の不安を煽るのですが、それでは議論が先に行かないと自覚しているのかも知れませんが、いつの間にか実際の関心はベネッセ等情報漏洩企業が如何に困っているかを強調し、公的機関から漏洩すると公的機関の信用に関わる点に議論を移して行く傾向です。
最近のプライバシー論は、プライバシー被害を受けた人の保護の観点からの反対と言うよりは、業者の自衛・公的機関の信用保持のためでもあるかのように「大変なことになるよ」とか、「そんなことが許されるのか?」と業者批判のための議論が中核になっている印象です。
「そんなことが許されるのか」とマスコミに問いつめられると「許されます」「そのくらい大したことがないでしょう』と開きなおり出来ないのが、業者や公的機関の弱いところです。
目的が個人プライバシー保護よりは企業や組織・・新しい分野の生成発展を攻める材料にしているような印象を持つのは私だけでしょうか?
上記は私の印象であって、プロの世界ではもっと緻密な議論をしているのかも知れません・念のため・・。
具体的プライバシー被害を言わずに、「◯◯したら企業が困るだろう」式の論法は、ヤクザがよく使う、恐喝手段の流用っぽい印象です。
新たな技術に対しては、総評華やかなりしころ「昔軍隊今総評」と言う言葉がはやりましたが、これをもじると「昔公害、今プライバシー」・・最近プライバシーと言う攻め口で何でも反対する傾向があることに話題がそれてしまいました。
労働者だからと言って発展することには何でも反対したいとは限らない・・要は何でも反対の超保守傾向の人かどうかの括りしかない時代で、それ以外はテーマごとに是是非で考える人が多いのではないでしょうか?
日本では、労働者階級は何世代も労働者と決まっているのではなく、息子がエリートサラリーマンになったり、エリートの息子が非正規労働者になったり入れ替わりの激しい社会です。
身分社会だったと言われている(これも西洋歴史の日本歴史への図式的当てはめでしかなく、実際には違っていたと書いてきました)江戸時代でも、勝海舟のようにドンドン出世して行きます。
平安時代には、地下人であった武士階層が次第に力を蓄えて天下人になって行き、武家政権成立後も守護大名から戦国大名に入れ替わり、戦乱が治まると下級武士が内部で徐々に力を持つようになるなど、いつも入れ替わりの激しい社会でした。
こう言う社会では階層による固定観念によるのではなく、誰もが社会の主人公と言う意識(乞食も新聞を読んでいて日本社会を憂うる社会)ですから、日本にとってより良い社会にしたいと公平に考えています。
自分の階層利益のために、日本社会を犠牲にして良いと考える人は滅多にいません。
労組問題から話題がずれましたが、上記のように出身階層によって意見が図式的に違うテーマが少くなっているのが普通ですから、戦後長く続いて来た各派代表的審議会の人員構成も修正して行く必要があると思われます。
(防犯カメラ反対・・労組なら犯罪摘発しなくてもよいと言う意見に馴染まないでしょうし、労働者だけがプライバシーに敏感とは言えないでしょう・・ですから、労働者かどうかの区分けで議論する必要がないのです。)
リスクがあるならば、マイナンバー法をやめればいいだろうと言う点では政党(支持者)によって意見が違うでしょうが、既に法が成立している以上、リスクを最小限にして実施して行こうと言う国家意思が決まったことになります。
その実施に向けた準備会合で「そもそも施行に反対だ」と議論をボイコットするのでは、法治国家の市民としての態度ではありません。
すべての場面で組織をバックにした意見ではなく、その人の人格に根ざしたきめ細かな議論が必要な時代がきています。

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