原発再稼働(専門家の限界)5

4月19日に書いたように実際に建築工事や医療行為を施行したときによりどころにした基準が間違っていた結果被害が生じても、その行為当時の科学基準に合致していれば後になってその基準が間違っていることが分っても基準策定者や行為者責任を問わないのが司法である・・司法は絶対的価値を探求するべき場ではなく法的基準探求の場でしかありません。
薬害エイズ訴訟は基準造りに過失がなかったかの事例ですが、全てそう言う基準で裁判しています。
似たような基準として、刑事司法制度は絶対的真実探求目的ではないという制度の意味を「07/05/03法曹一元 5(判検交流)(李下に冠を正さず)」で解説したことがあります。
絶対的正義探求の場であるならば、少数意見の方が正しいと言う判定もあり得ますが、司法権はそう言う役割ではありません。
原発再稼働可否に関する規制委員会の審査は、事故が起きる前の判断ですから、過去の一定時期ではなく現時点の判断とすれば、何が現在の支配意見にあたるかはその学会で決めることであって、現在進行中・・論争中の多様な意見の中から、司法が外部からこの人の意見(判定方法)が正しいと決める権利や能力はないでしょう。
現在の原発基準設置に関する安全度判断を仮に数値的に表現出来るとすれば、ABCDE~Xの論者によってA方法によれば90%安全、B方法によれば80%安全、C方法によれば70%安全〜D〜E〜F〜E〜Xと順次安全度が下がって行く場合、どの検査方法や論理構成が妥当かを関連学会の外野が判定出来ません。
(事故が起きた後の後講釈・・当時どの説が支配的であったかを認定するのは簡単ですが・・)
現在進行形の支配意見の集約は、関連学会や関連技術者で話し合って関連学会等の「総意」で決めて戴くしかないでしょう。
(上記パーセントは、比喩的に書いているだけであって東北大震災級の大津波となれば、実際には事例が少な過ぎて統計処理に馴染み難いので、パーセントで主張出来る責任のある人は滅多にいないでしょう)
原子力学会や地震学会、放射線関係者等の総意でABCD〜Xまでの多様な意見のうち、仮に60%の安全度があるとする意見を採用して判定することが学会で可能とした場合、この決定とは別に何%の安全度で稼働を許容するかを決めるのは誰でしょうか?
政治意思(国民総意)として、80%の安全度が必要と決まっていれば、上記決定の場合稼働できません。
どの程度の安全度で稼働を許容するかは、国民総意で決めることであって、専門家集団は何%のリスクがあるか、何%の安全度があるかの判定意見を言えるだけです。
司法は、事実を認定して法に当てはめる仕事ですが、100%安全でなければいけないとか90%の安全度は良いけれども80%の安全度では行けないとか50%の安全度でも良いとかを司法が決める分野ではありません。
この許容度は国民総意・・国会で決めるべきです。
この安全度リスク度がどのくらいかを決めるにはどこか集約するところが必要なので、自然発生的集団に委ねるのではなく、公権的権威を持たせるために、「規制委」というものが設けられたものと思われます。
ところで、規制委に関連学会全研究者の参加は物理的に不可能ですから、一定数に定員を絞るための人選に付いて一応問題にする余地があり得ます。
そこで、規制委の人選に付いては党派性のないように制度設計されている・・国会同意人事になっているので、与党権力者の多数意見で決められない・・国会全員?の総意が要件になっています。
国会多数決が民主国家では一応国民総意となっていることから比べると、より厳重な絞りがかかっているので「総意」性が高まっています。
ですから、仮に委員の傾向が推進派中心であろうとも抑制派中心であろうとも、国会の同意人事で選任された以上は国民総意による人選だったと見るべきでしょう。
与野党合意・・国民総意によって選任された規制委の基準造りに対して、人選が偏っていると異を唱える権限が司法にあるとは思えません。
(企業不祥事に際して企業が好きな人を検証委員として頼むのとは、性質が違います)

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