マスコミの情報操作1(羊頭狗肉)

ここで、Dec 19, 2014「国際運動の功罪3」前後で連載していたマスコミの信用性に戻します。
投票直後の報道を見ると、争点がないので投票しても仕方がないかのように煽っていたことに触れないで、投票率が下がったと強調している一方で、(与党圧勝と言っても)自民党の絶対的得票数が何万人減ったと大きな見出しの記事があります。
投票率減=投票総数が減れば得票絶対数が減るのは当たり前ですから、得票率で比べるべきものを得票数で書いているのです。
投票率を下げれば、組織票の占める比率の大きい公明・共産党の得票率が伸びるのは当然予想出来ますし、そのとおりの結果になりました。
見出しだけではなく、内容を見ると議席をある程度増やしている民主党の方が大きく得票総数を減らしているのに、それは記事の中の小さなデータ的記載でしかありません。
週刊誌の名誉毀損記事に関する裁判を見ると、見出しが過激だが内容を見ると客観的な記事になっているので、普通の読者が読めば合理的理解可能であると言うような評価がされていることがあります。
言わば過激な表現で読者を引きつけても内容さえ表題と矛盾したことを書いていれば良いと言わんばかりですから、これが大手マスコミのインチキっぽい報道を誘発して来たのかも知れません。
判例は表現の自由との兼ね合いもあって、慰藉料を払うほどの違法性がない・・刑事処罰するほどの違法性がないと言うだけであって、好ましい報道の仕方であるとお墨付きを与えたのではありません。
NHKも台湾現住民が日本統治に対する好意の念で取材に応じたのに、放送の方は如何に日本統治が酷かったかのテーマにされてしまっていたことが政治問題になったものですが、「画像編集の裁量性や取材者に対する損害賠償義務があるか否か」しか裁判のテーマにならなかったと思われます。
取材対対象者が番組内容に口出しする権利がないと言うことで(・・放送内容はフィクションがあっても放送者の自由?)NHK勝訴に終わったらしいですが、(その内判例時報等に乗るでしょうが・・まだ判決書きを見ていません)国民の正当な疑問は国営?のNHKが何のために巨額予算を使って、台湾統治が酷かったと言う報道番組を作る必要があるかだったのです。
そもそも、政治問題を裁判で決着しようとするのは筋違いです。
この辺は在特会の朝鮮人学校・(公園不法使用)問題では、ヘイトスピーチが強調されたマスコミ報道とは違い、裁判ではヘイトスピーチか否かについては直接問題にされなかったと言われているのも同様です。
日弁連の政治運動に対する高裁判決も白紙のお墨付きを得たのではなく、高度な自治権を有していることを勘案して違法とまでは言えないと言う判断であったと思われます。
刑事罰や損害賠償さえ命じられなければ、道で痰を吐いても良いし、出会った知人に挨拶しなくても良い国民レベルでないのと同じで、大手マスコミには求められる品格がある筈です。
国民レベルが高いので、姑息な宣伝・やり方でも、国民が騙されないから違法ではないと満足していいのはなく、国民の品格意識として「こんなことばかりしていて良いの!」と言う時代が来ているのですが、マスコミは市場選別を受けない限り好き勝手をやっていいいのでしょうか?
国民レベルを問題にしなくとも、名誉毀損・・違法性・刑事罰を求める判断とは違い「誇大広告・・羊頭狗肉・・内容と包装紙や宣伝とが違うじゃないか」と言う商道徳の観点から見ても、問題性が明らかではないでしょうか?
マスコミ報道を商品供給者としてチェックする視点・・・商人道・適正業務違反と言う視点からの裁判がなかったから、マスコミ報道に対する裁判が甘い結果になっているだけではないでしょうか?
吉田調書虚偽報道や慰安婦騒動を見ても分るように、民族全体が被害を受けていて個々人の被害がはっきりしない場合、個々人が被害者として訴訟が出来なかっただけで、個々人の総和としての民族の損害は計り知れません。
誇大広告その他被害者が社会全体=広範になって個々人の被害としては薄まっている場合、個々人が自分の被害だけしか賠償を求められない仕組みでは、コスト的に訴訟出来ないので、市場淘汰に任せると言って放置出来ません。
一般商品の場合にはレッセフェール・市場万能主義とは言いながらも薬品・食品・車・飛行機、原発その他あらゆる製品分野では製造過程の品質確保の規制を厳重にしている外、製造後リコールその他広告販売方法等に関しても不正競争防止法や独禁法・クラスアクション・懲罰的賠償等が発達しています。
マスコミ報道についても「商品供給」者としてみれば、一旦報道されてしまうと取り返しのつかない効果が発生してしまうものですから、何らかの現在法的規制があっても良い・・必要な分野ですが、思想表現関係は言論の自由との兼ね合いが難しいことを理由に手つかず・時代の進展に適合出来てない状態になっているに過ぎません。
言わば、近代法で確立された・思想表現の自由・言論の自由を悪用・濫用している状態です。
文化人の好きな「近代法の法理を守れ」と言う主張自体が、この面でも現在的修正を迫られているのに対応が遅れている実態を無視した意見であることが分ります。
自由主義経済・市場主義が、思想表現の自由と表裏一体で発達して来たことを思えば、商品供給や広告に関して事前事後の規制が許されるようになっているのに、マスメデイアの商品供給である思想表現についてだけ、(個人意見は商品供給にはならないでしょうが)何をしても自由・・名誉毀損や業務妨害でさえなければ放任と言うのでは片手落ちです。
マスコミは事実報道することに重要な使命があるのであって、一定方向に向けて情報操作して良い社会合意があるのではなく、規制が追いついていないに過ぎません。

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