大晦日(千葉県の災害2)

農業施設に限らず住宅が被災した場合の建て替え・・再建築〜大改造するかの点で迷うのも同様です。
過疎地に限らず中高年齢者がマイホームを取得したり大改装する場合、これで最後までその家に住めるかな?というライフサイクル前提で行うことが多いものです。
この結果80代になって家が少し古くなっても次世代同居でない限り時代即応の大規模改修する気がしないのが普通です。
ということで高齢者はマンション買い替えも改造もしないし、家が古くなる一方になりますが、7〜80代で被災した場合、都会人でももう一度建て替えたい人はいないでしょう。
個人事業でない大企業の場合個人のライフプランと関係ないでしょうが、個人事業主体の第一次産業系と農漁村等で営むサービス業の場合、生身の人間のライフステージに応じたライフスタイルと密接に関連します。
まして・・親の代から家に住む人が被災した場合、都会に出た子供らが戻ってくる可能性もないのに、新築や改修をためらうのは当然です。
東北大震災では日弁連の災害支援活動過程で二重ローンが問題になって立法化された記憶ですが、ローン途中の被災だけでなく既存債務のない人でも、高齢者中心事業の場合新規投資気分になれないようです。
停電も、水害もなかった千葉市内に住んでいて報道だけ見ていると「停電が続いて生活が大変」と言うばかりだったので、停電が収まってよかったねと言う程度の感想中心でしたが、県内で生業を営む人たちにとっては大変な事態がそのまま続いている年末を実感しました。
(ただし、職業柄農村部の人とも交流があるので電気が通じてもビニールハウス等の復旧に汗を流している抽象的な声が少しずつ耳に入っていましたが・皆さん遠慮がちにいうので深刻な事態という印象が薄かったのです)
サラリーマンや勤め人は勤務先が潰れても再就職先があれば、新規職場で慣れるまでの不利益程度ですが、勤人比率が低い農山漁村・たとえば自営の60代半ば夫婦の場合・・自宅修理や泥の掃き出しだけでなく、東北大震災のように生活手段の農地が海水に浸かったり、水産加工場や漁民相手の飲食店が流されたりすると緊急融資を受けても、元気に働けるうちに返せるかの不安に直面します。
近代産業・全国展開のいくつかの工場の一つが被災しても、その工場さえ復旧すればまた全国へ製品を送り出せます。
第一次産業系地域では大規模自然災害を受けると地域全体が壊滅的になるので、自分だけ美容院や飲食店等の商店を再建しても客がいません。
政府の緊急融資や制度保障による融資基準額引き上げや激甚災害の政府補助金は基本的に地方団体のインフラ復旧コストの補助金であって個人に資金提供する制度ではありません。
もともと国家の各種産業補助でも、(太陽光発電補助の場合など)特定事業をした場合その支出の一部補助・太陽光発電の業者に対する支払いの一部を代わって支払うものであって、注文者に直接現金を交付する制度でないのが原則です。
健康保険で言えば、診療費の7割給付ですが7割くれるのでなく7割を医療機関に代わって払う形の保険給付制度です。
個人に直接資金が入る仕組みは生活保護費や失業保険等限定的です。
激甚災害には、例外的に心身障害に対する見舞金があるようですが、ほんの僅かでしょう。
激甚災害被害者救済では法令変更で一時金をいくら引きあげても再建資金を全額賄うの無理があるので共助と自助努力の組み合わせ・・災害保険制度の発達を期待する方が合理的でしょうか?
実際東北大震災以降、地震保険加入者が増えたようですが、今回のような水害や停電等による被害・農地冠水、崖崩れ等・ドロの埋まった農地被害はカバーしないのでしょうか?
千葉県の農家の実情は、死亡事故等世間を騒がす被害がほとんどないものの、長期的にはボデイーに効くような被害に合うと、運が悪いで済ますには気の毒な実情です。
60代の彼らはまだ元気で働き続けたい・・残された人生がある・・農家の人がいきなり都会に出て働く仕事もないし、今後どうして良いかわからない絶望感をどうすべきかでしょう。
災害にはどう対処すれば良いか、新たな災害・温暖化によって?台風が従来よりも北上しやすくなってきた以上は、これまであまり台風のこなかった関東以北地域でも今後に備えて新たな準備が必要になった印象です。
備えあれば憂いなしと言いますが、千葉県の場合、これまでまとも台風被害を受けた経験がなかったので備えが無かったことは確かです。
備えの必要性といえば今年1年の私個人の近況報告もしておきましょう。
この一年元気に働いてきましたが、この1年を振り返ると、春先に突然歯が痛み往生しましたが、歯医者さんに行くと数年前にちょっとした虫歯に詰めていたものが外れて痛み始めたと分かりすぐに治って安堵しました。
夏にはある会議が終わって立ち上がると足腰が急に痛くなって廊下に出てから少し歩くのすら大変になり驚きました。
これは会議室の冷房が効きすぎたので足を冷やしすぎたのか?とわかったので、その後真夏というのに冷房のあるところに出かけるにはレグウオーマーして出かけているうちに秋になって冷房がなくなったので元に戻りました。
その後今のところ元気にしていますが、備えているつもりでも高齢化すると思いがけないことが、しかもいきなり起きます。
私自身や、私を取り巻く千葉県全体でもいろんなことがありましたが、個人限定すれば今の所大過なく1年を過ごせたという安堵感が先に立ちます。
ただし、今年の千葉県の台風被害に対する備え不足同様に・ミスはあとで問題になるものですから、今のところ過去の大過が表面化していないだけかもしれません。
今年最後のコラムになりましたが、個々人でもめでたい年だった人や苦難の1年だった人もいるでしょうが、全て過去の備えの結果ですので被害を受けなかった人も気を引き締めて来年も頑張りましょう。
来年は少しでも多くの人にとってめでたい1年になりますよう祈念して今年のコラムを終わりにします。
みなさま良い年をお迎えできますように!

大晦日

今年もいよいよ大晦日・大団円と言えるかどうかは人によって違うでしょうが、ともかく全員にとって今年最後の日になりました。
年の終わりと元旦にかけていつもの俗論を忘れて、「来し方行く末」を思う期間となります。
自身が高齢化したからでしょうか、若い頃には来年は良いことがあるように!とか、がんばる系・・飛躍を願う気持ちが普通でしたが、いつの間にか是日々好日的な関心になってきたようです。
年末にして思うことは「無事1年が終わったか!」という感慨中心になってきました。
幸不幸いろんなこともあったのですが、終わってみるとこの程度で済んで良かった的な自己満足・「まあ無事だったことになるか!と総括したくなる自分に驚いています。
こういうオメデタイタイプはうつ病にはかかりにくいのかもしれません。
今年はどういう年であったのかに思いを致すと、多くの人から「母親または父親がなくなったことによる年始の挨拶を失礼します」というお知らせが目につきました。
私の知り合い・前後10年前後の誤差のある世代では多くの方の父母が・・享年90代半ばを中心にする訃報でした。
ついこの間まで享年80代半ばの訃報が多かったのに比べると、ホンの短期間に約10歳前後も寿命が延びている感じです。
統計上の寿命の伸びは微々たるものですが、80代まで元気に生きている周りの目につく人(この街の町内会会長は87歳前後ですが、しっかりこなしています)の健康寿命の伸び(早くから亡くなった人や入院中の人は目につきませんので)と乳幼児期に難病等でなくなる人の寿命の伸びとは、一致していないからではないでしょうか?
人生の終わりや高齢化したのちの問題等については、すでに後期高齢者になってる自分も年齢的にその入り口に立っているのですが、独居高齢者(誰もがいつかは伴侶に先立たれるので)の生き方や人生の終わり・就活に向けた諸問題を見ると、いまだに「人ごと」のような気持ちで相談に乗り、こうしたら良いのではないかなどの、意見・自分に関係のない遠いことのような意識で考えているのが不思議です。
まだ15年以上も先のことだという無意識の気持ちがあるからでしょうか?
自分が後期高齢者になって見ると、(今でも信号が変わりそうになると走ってみたり、電車が来そうになると階段を駆け足で上がったり)後期高齢者という名称が始まった頃の75歳に比べてずっと元気で日常の生活は何も変わらず、ただ弁護士会(東京3会および神奈川千葉埼玉の共同)健保から後期高齢者だけ入る老人健保に切り替わっただけの違いです。
(歩くのが遅くなり疲れるまでの時間が早くなり回復力が落ちるなど、全ての分野で徐々に衰えているのは明らかですがその程度のことで・・)
長年親しんだ弁護士会保険とのお別れで、自分は元気なつもりで弁護士業にしがみついていても法制度上は容赦なく引退勧告・切り捨てられたような気持ちです。
この保険証を出すと誰もが世捨て人というか「もはや現役ではない人」という瞬時の判定ができる仕組みです。
千葉市美術館では年会費で入っていたのと自分が会員ではない東博や歴博などの特別展では、会員になっている娘が持ってくるおまけの入場券で一緒に行くので気が付きませんでしたが、ある日東博では企画展以外の参観は無料になっていると知って驚きました。
70歳を超えたあたりから世の中では世捨て人扱いになっていた・・されていたのに、ようやく気がついた次第です。
医療面でこの一年で見ると、足首あたりが痒くなったのでつけぐすりをもらいにいった程度です。
そろそろ歯科医に行って歯垢を取ってもらう必要があると思いながらも1日伸ばしで今年は行かないで終わりました。
60歳の還暦で周りの人たちに還暦の祝いを企画していただいた時には、「もう今はそんな時代ではないのでないか?」と内心恥ずかしく思ったものでしたが、その後16年の間に社会意識がすっかり変わってしまい、70歳になった時には、誰も気が付かない時代になっていました。
今では60歳でお祝いをするかどうかを迷う人などいなくなったように思います。
最近でもさすがに87〜8歳を過ぎるとお年寄りの印象になりますので、年金支給開始年齢の繰り下げ論・・お金の問題ばかりかまびすしいですが、年齢に関する意識が急速に変化している現状を踏まえると先ずは後期高齢者の名称を実態に合わせて85歳からにした方が良いように思います。
約1週間前の日経新聞だったかネット上だったか記憶がはっきりしませんが、75〜80歳頃まで元気なうちは働きたい人が多いという意識調査が出ていた記憶ですが、今どき75歳以上は病気ばかりしているイメージの保険制度で高齢者意識を煽るのは古すぎませんか?
ましてや「65歳以上の高齢化率何%」としょっちゅう報道しているメデイアの姿勢を「ばかか?」と思っている人が多いのではないでしょうか?
75歳くらいまでは、原則として(体調の悪い人は別として)社会的義務の負担者に加えるべきでしょうし、元気な人は80歳でも社会貢献すべきですし年齢だけでそのチャンスを奪うべきではありません。
その前提として70歳以上?一定年齢以上の人を公的施設で無料化するのをやめるか、無料化する年齢を引き上げるべきではないでしょうか?
お金の問題を描いているのではなく、社会意識変化の必要性を書いています。
もともと個々人の能力には赤ちゃんの時からばらつきがあるものですが、これが5歳〜10歳〜20歳〜30歳〜50歳〜60歳〜70歳と長年の積み重ねで差が開く一方になるのが一般的考えでしょう。
給与で言えば、働き始めの20台ではほとんど差がなくとも60台になるとゴーンさんのように巨額を稼ぐ人と、日雇い人夫等では若い時よりも日当が下がる人との差が大きく開いていきます。
大卒スタート時に同じ企業に就職できた場合(初任給は同じ)でも、70台になるとその間にどこまで出世したかあるいは途中独立して成功したか失敗したかなどの結果で、億単位の資産保有者差・・まだ大手企業の社外取締役で稼いでいる人と月収15万円前後の年金生活との格差が広がります。
我々弁護士や裁判官でもスタート時・司法修習終了時は横1線に並んでいた筈ですが、最高裁判事になったり、大学教授になったり日弁連で活躍する人と食うや食わずの弁護士・懲戒処分を受ける人まで格差が広がっていきます。
話題が変な方向にずれてしまいましたが、まだ庭掃除などの仕事が残っているのでこの辺で大晦日のコラムを一旦終わりにして、正月のコラム終了後に気が向けばこの続きを書きます。
話題が途中で変わってしまう気まぐれコラムですが、1年間ご愛読ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

大晦日

今年も無事?1年が終わる日が来ました。
日本全体では色々な変化変化があり天災もありましたが、景気が良くて大方の国民には明るい良い1年だったのではないでしょうか?
日常生活に直接関係がありませんが、見方によれば天皇陛下が生前退位する仕組みが決まった(恒久的制度ではなく特例法でしかありませんが・・)年として歴史に残る大きな出来ごとでしょう。
これが実質的意味の憲法改正にあたるかどうかの関心で昨日書き始めたところですが、このテーマは正月明けに再開します。
なにしろ「上皇」などの名称自体、源平合戦の頃に頻繁に出てきた程度で、その後実際には多くいても長年上皇・天皇家自体が政治の舞台から遠ざかっていたので、ほとんどの人が普段目にしたことのない制度です。
上皇さまのお住まいになる御所の名称をどうするのかなど興味が尽きません。
正式名称は古代からの伝統に従い仙洞御所となるらしいですが、仙という語感自体から、世俗から離れて余生を送るイメージでそれ自体問題がありません。
ところが、源平合戦の頃には、仙洞御所を「〇〇院」と称して「院の御所」として権勢を振るったことがあり、「院宣」を想起すると(今は何の効力もない時代ですが)何となく生臭くなってきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E6%B4%9E%E5%BE%A1%E6%89%80

仙洞御所には家政機関としての院庁が置かれたほか、白河上皇の時には近衛として北面武士のちに西面武士が設置された。

こうして実力を蓄えていったことが原因のようですが、政治形式的には(私の個人意見ですが・・)勢力のあるうちに引退することにより非公式な立場を利用して自由な政治力を発揮する必要があったことによると思っています。
今でも実力者が表舞台から引退することによって、公式会議に出なくてよくなることから、その分内容のある実質的会合に時間をかけられるメリットが言われます。
(出世したばかりの時には、晩餐会や高名な人との会合などに出られるのが嬉しいでしょうが、一定の経験を積むとそんな公式会合・多くは実のない手順をこなすだけの会議に時間をかけていられません)
東大からノーベル賞が出ないのは、各種の審議会等の出席が多すぎるからだと数十年前から言われています。
他方で政治力発揮の経済的裏付けのために行ったのが院周辺で率先して行った荘園確保政策でした。
政府そのものである天皇家自身が律令制を破壊する荘園を持てませんので、藤原氏の勢力拡大を指をくわえて見ているしかなかったのですが、外戚の桎梏から外れた白河院に始まって〜鳥羽上皇周辺・・八条院や待賢門院〜美福門院などが非公式地位を利用しての荘園獲得に精出していたのですのですから、余計朝廷の権威と公的収入が落ちていきます。
摂関政治がなぜ定着したかといえば、人脈的に言えば、夭逝が普通であったことが重要です。
幼児期に親が死ぬことが多いので父子相伝=家の制度が成立できなかったことから、(道長自身父兼家から、道隆、道兼兄2人からの承継です)一族内で適齢期にある多くの者から後継者を決める仕組み・・キングメーカーが必須であったところ、(道長の場合詮子の発言力→ 娘の彰子)親子関係が最重視されこれを利用したのが蘇我氏〜藤原氏の外戚利用→これの制度的利用が摂関政治でした。
白河帝の時に藤原氏が外戚でなくなった途端にキングメー カーの地位が実の父(白河天皇)に移り、彼が早期に引退して次の天皇指名権を握ったことで院政が始まったのです。
上皇の威力は天皇家・朝廷に権力があってのことであって、武士の時代になってからの上皇を誰も記憶がないほどになっているのは、上皇というだけで権力を持てるわけではないことを表しています。
政治的事件になったのは後水尾天皇の幕府に対する不満「面当て的」な突然の譲位くらいで、抗議の意思表示しかできない状態ですから権力行使どころではありません。
天皇の生前退位についてメデイアでは故実を引いて上皇になると二重権力の心配があるという意見が時折出ますが、背景が変わっているので意味のない心配です。
私個人での1年を振り返ると、若いころのように昨年できなかったことを今年やり遂げたいという抱負もなく縮小過程に入っているので、そろそろ「大過なく1年を過ごせたよろこび」程度の感慨です。
若い頃には「この1年これといって達成できたものがなかった」という反省?中心でしたが、高齢化によって達成感は卒業しているので、健康面の関心が増えてきます。
世の中がどんどん変化していくのを見ると期待が持てて楽しいものですが、(世を捨てた?)自分がこれについていけるかの心配をしなくて良いのが高齢者の特典でしょうか?
この1年自覚が乏しいですが、他から見れば私もトシ相応に見えているでしょうが、自分としては特に衰えた気持ちがしないので・自覚的には文字通り無事な1年だったことだけが喜ばしい1年でした。
来年もこれと言った大きなことがない平安を祈念しつつ、今年のコラムの最後とします。
皆様にも良きお年を!

大晦日(緩和医療の期待)

今年も最後の日になりました。
この1年を振り返ると私個人で言えば,これと言った変化のなかった穏やかな良い?1年であったように思えます。
武者小路のカボチャの絵などに「日日是好日」などと書いた軽い?作品が私が結婚した頃かそのちょっと前に出回っていましたが,マサにそんな1年だったことになります。
武者小路の「友情」その他作品を学生時代に読んでいたので、大正時代に活躍した昔の人と思っていたのに,イキナリこの種のものが大量に出回ってまだ現役で活躍しているのを知って驚いたことがあります。
私の場合若い頃も今も活躍したことがないのでまだ生きても誰も驚かないでしょうが,毎日鏡を見ていると自分が年をとったのに気が付かないだけで,他人から見ればレッキとした高齢者・・高齢化が進んでいる筈です。
「知らぬは本人ばかり・・」と言うわけです。
健康面で言えば,8〜9月ころに親知らずに虫歯が見つかり,抜歯したのが最大のイベントですが,抜歯と言われてちょっとたじろいで,その予定日は抜歯予定時間後の事件打ち合わせなど仕事を一切入れずに臨んだのですが,やって見ると数分程度で簡単に終わりすぐに事務所に戻れました。
その後ちょうど事務所に来ている司法修習生も2回試験前にリスク回避のために前もって,親知らずの抜歯をする・・難しそうなので大学病院で抜歯手術と言うので、奇妙な巡り合わせに驚きました。
その後に事務所に出て来たのを見ると顎の辺りが腫れていて、マスクをしていました。
若い人の親知らず抜歯は相応の理由があるので,難しいのが多いらしく,私のように高齢化して偶然虫歯になったのとは違うようです。
秋から冬が来て春から夏に咲いていた庭の草花の植え替えを毎年していますが,元気なハナは充分に土を抱えていますが、花が十分くたびれてから引き抜くと根が殆どなくなっているのに驚くことがあります。
いろんな病気をするにも、高齢化してからだと生木を裂くような苦痛がない・・枯れ木が折れるように痛みも少なく,便利な面があるのではないでしょうか?
8〜90歳の高齢者が足を引きずって歩いても,若いトキのびっこに比べれば、精神的にも苦痛が少ないでしょう。
「ここまで来れば,いつ死んでも良い」と普段言っていながらも,どうせ病気になるならば少しでも高齢化してからにしたい・・先延ばししたい気持ちの根源には痛みが小さくなる期待があるからかも知れません。
いつ死んでも良いと豪語しながらも,お腹が痛くてもいつ死んでも良いならば,放っておけば良い筈ですが,やはり一刻もはやく悼みが収まって欲しいものです。
矛盾すると言えば言えますが,考えてみると痛いとか吐き気など苦しいのがイヤなだけで,死ぬのがイヤだと言うのではないのかも知れません。
世にピンピンコロリ願望が言われますが,要はいつ死んでも良いが,痛い思いや苦しみ・長患いで周囲に迷惑を掛けたくない人が多いからではないでしょうか?
私の母は100歳になったころにがんが見つかりましたが,手術しましょうと言う人はいませんでしたし医師も勧めませんでした。
100歳まで行けばこれが普通ですが,80歳前後になれば「十分生きたし・・」という人の方が多いのですが、いろんな病気が見つかると廻りがまだ「放っておきましょう」とは言ってくれないのが普通です。
運が悪いと何回も手術されたり,または副作用で吐き気に悩まされ・・病気によっては寝たきりになるリスクがあります。
これが怖いのでピンピンコロリ信仰?がはやるのですが,信仰がはやると言うことは,逆から見れば,解決すべきテーマが示唆されていることになります。
心臓病や脳内出血などで救急車で運ばれるから,半端に半身不随などになって困る・・脳梗塞・脳内出血などでは場所によっては治癒後に認知症や精神疾患になっている人も見かけます。
放っといてくれたら数時間後に気が付かないうちに死亡出来たのに・・と言うわけです。
心臓発作などでは苦しむのは数分だけでその後は意識不明ですから,一定年齢になればこのチャンスに死んでしまった方が良かったと言う人の方が多いかも知れません。
臓器移植の同意事前意思表示同様に,一定年令以上の場合事前意思表示・・救急車を夜ばいでくれと言う意思表示が広がるかも知れません。
放っといてくれと言う人の治療をしない・・本当に必要な人だけの治療や介護になり,高齢者の医療費や介護需要も減って行き,世の中のためになるでしょう。
リハビリで以前と似たレベルの生活出来るかどうかが前もって分らないので,怖くて「救急車を呼ばない方が良い」と言う人が増えるのでしょう。
出産前の胎児の異常検査のように事前検診で合理的選別出来ていれば、救急車を呼んだ方が良いか分って便利です・・そう言う時代が来るかも知れません。
10日ほど前に年末で隠退する弁護士と食事をしたときに,彼は「自分に何かあったときに救急車を呼ばないでくれ」と家族に言ってあると言っていました。
これは安楽死選択のように,医師が生死を決める選択ではなく,家族に対する意思表示ですからそんなに厳格でなくとも良いように思います。
ただし、「どのような救急の場合」と前もって決めておくのが難しいし,家族も迷うでしょうから、今のところ家族迷惑な自分勝手な宣言かも知れません。
と言うことで私の場合にはそこまで思い切ったコトはしていません。
根拠がありませんが,私の場合,まだそう言うことはずうっと先のような感じを受けているからです。
ガンその他内臓疾患の場合心臓発作などと違ってすぐには死ねないので、放っておかれるのも困るのかな・・。
この場合の心配は痛みと日常生活レベルダウンですから,これを緩和さえしてくれれば放っておかれて死亡まで1〜2年かかっても10年かかっても困りません。
痛みも不便もなければ誰でもいつかは死ぬ「その内死ぬらしいな!」と言うだけですから,ガン発見前とあまり変わりません。
緩和医療(痛みだけではなく生活クオリテイー低下防止の研究さえ進めば、一定年齢以上の人にとっては、ガンが見つかっても手術しないで・・あるいは抗がん剤投与・放射線治療などやめて「痛み止めさえくれたら良いんだ放っておいてくれ」と言う人が増えるでしょう。
虫歯でも痛みさえなければ放っておいていいのです。
その他の病気も同じです。
冒頭に紹介した抜歯が全く痛くなかったのは、麻酔ヤ抜歯技術進歩の御陰・・一種の緩和医療の賜物です。
高齢者になれば難聴・老眼・膝の痛み,肩の痛みその他全て不治の病でしょうから、不治の病でこそ,治してくれなくても良いから,不便や痛みの緩和医療・社会ではバリアーフリー化の進展を祈る次第です。
リニアーが普及すれば京都まであっという間につくので旅行するにも,あまり疲れないで済みます。
今年の1年は御陰さまで、大病もせずに無病息災?で過ごせたと感謝して今年最後のコラムとします。
1年間お読み頂いた方,たまに読んで下さった方・・私に何の関係もない方も含めて皆様にとって来年は良い1年でありますように!

大晦日(時間の早さ1)

今年も今日で終わりになりました。
一年の最後・・大晦日になると、正月に掛けていつもの意見を書くのを休憩して行く年、来る年に思いを巡らせます。
この一年を振り返ってみると、今更ながら、トキの立つのが早いのに驚かされます。
高齢化して来ると何故早く時間が過ぎるように感じるのか?
1つの考え方としては、ある仕事の処理能力が落ちると時間が足りなくなるからではないか?と言えます。
年をとると歩くのが遅くなるのは誰でも経験することですが、これを代表例として全ての分野で血の巡りが遅くなる・・情報処理能力が仮に3割低下すると時間が3割足りなくなります。
体力等が3割落ちると同じ距離を歩いても、仕事をしても、疲れが3割早く出ます。
2つ目には、情報収集能力・・蓄積量の違いが大きいように思われます。
私だけの経験かどうかも知りませんが、私の経験では、書類を見ても道路を歩いても焦点を当てて見ている部分しか、(原因は老眼眼鏡が一カ所しか焦点が合わないように出来ていることが原因かも知れませんが・・)視野に入って来なくなったような印象を受けています。
書類を見ていてここに日付があるべきだと思ってみた箇所にないと、大きな書面中どこに書いてあるのか探すのに時間がかかりますが、若手の場合あっという間に探し出します。
高齢化すると焦点を当てたところしか見えていないのに対して,若い人は画面的に全部目に入っている感じです。
道路を歩いていると、向こうから私より高齢者が来ると、私に気付くのが遅く逆に若い人に対して私の方が気づくのが遅くなっています。
どう言うことかと言うと、歩きながら前方見ているし50〜100メートル先も見えているのですが焦点を当てた人しか見ていないので、相手がちょっと道路の端を歩いて来ると人の形程度しか目に入らなくなっているからです。
毎日事務所にヤクルトを持って来て、しょっ中挨拶を交わしている高齢の女性と道路で行き違ったこがあります。
彼女が立ち止まっているときに出会えば、毎回普通に挨拶を交わしていますが、タマタマ向こうから自転車をこいでやって来るのに出会ったことがあります。
私とスレスレに行き違ったのですが、彼女は進行方向を必死に見つめていて数十センチしか離れていないで行き違う私の顔に全く気が付かないでとおり過ぎて行きました。
歩行スピード程度だとスピードが遅いのである程度視野を広げてハバ広く情報収集できるが、スピードが早くなるに合わせて、少しでも遠くを見るために視野が狭くなっているのです。
歩いていれば、数メートル先の情報を得てから対応でも間に合うので、遠くを見る必要がありませんが、スピードに比例してより早く遠くの情報把握する必要がでます。
若い人は数百メートル先を見ていながら近くも同時に見えるのに対して高齢化して来ると自転車程度のスピードに合わせて僅か約10メートル先に焦点を当てると1〜2メートル先にいる人(姿は見えるが顔かたちまで把握出来なくなる)も見えなくなると言う実験をしたような気がしました。
本を読んでいても目で追っている部分しか目に入らないのと同様で、道路を1km歩いても映画を見ても同じ時間に得ている情報量は若い人・・若いときに比べてもの凄く少なくなっているようです。
一定の時間で情報を得る量が少なくなれば、時間が短く感じるのは理の当然と言うか、印象だけではなく実際に正しいことです。
睡眠時間中には、何らの情報も得ていない・・寝入ってから、熟睡後目覚めるまで一瞬に感じるのはこの間に得る情報がゼロなので、情報量と時間の関係は一貫しています。
新幹線や飛行機で移動するとこの間の3〜500kmの空間移動に比例した情報量が入らない・・(500km通過する間の膨大な情報)景色も目にいらないし、2時間のフライトや新幹線移動時間では、(例えばこの間に本を読んでいると)結局2時間で読める本の情報しか入らない・・2時間しか経過していないことになります。
早送りのテープで2時間分を10分で聞くと10分間で受容出来る能力に対応した情報しか入らないでしょう。
このように、情報受容や処理量に時間の早さが関係しているとすれば、今年1年が早く感じるのは、その分能力が落ちていることの自覚になります。
能力が年々落ちるのは有り難くないですが、自覚しないよりはマシでしょう・・と自分を励ましながら今年終わりのコラムとします。
皆様よいオトシをお迎えされますように・・、また来年もよろしくお願いします。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC