12月14日総選挙と民意3

選挙で信を問わない政治・・「国民はバカだから選挙のときは誤摩化せば良い」のだと言うマスコミの基本姿勢に関する批判は「2院制と制限選挙論Published October 3, 2012」で引用しているように野田政権の増税決定の頃に連載しました。
実際、私の弁護士駆け出しころの革新政党・・オルグに来る人たちは、エリート意識が強く「庶民は無知蒙昧だから啓蒙する・指導してやる」と言う前衛思想で満ちあふれていました。
少しばかり分ったような応答をすると、「先生のように理解されている方は良いのですが・・」と反対論者を如何にも理解の悪いバカ使いするのが普通でした。
バカだと言われるのが恐くて、みんなもの分りよくなる便利な説得方法です。
裸の王様を裸と言えないようにして行くやり方と言うべきでしょうか?
繰り返し書いていますが、共謀罪法案反対論者が「近代刑法の精神に反する」と言う意味不明のブランド提示で相手の反論を封じて満足しているのもその一環です。
現在のありようならば国民が肌で知っていますが、「近代刑法の法理」違反と言われると目くらましにあったような感じで、反論する方にはためらいが生じる・・「近代刑法の法理」ってどう言うものですか?と聞き返す勇気のある人が少ないのです。
聞き返すと自分の無学が知れてしまうような感じで黙ってしまう・・のを狙ったものでしょう。
お勉強した自分たちだけが知っているブランドを提示すれば、専門に勉強したことのない者(私のような法律家の端くれでも一瞬「あれっ!何だったかな」と迷い、充分に理解していないことがバレるのが怖い気持ちがします)は黙ってしまう効果を狙ったものですが、これも・・「俺たちは偉いんだぞ!」と言う前衛思想のバリエーションです。
そもそも増税の可否は国民にもっとも利害のあることで高尚な学問がなくとも誰でも理解可能ですし、(イギリスの革命もアメリカの独立革命も税負担に端を発してることは歴史が証明しています)一国経済の浮沈に関わる大事ですから、今回の増税可否騒動は、選挙最大の争点になるべきでした。
野田政権では、マスコミ界全部と経済学者や官僚がこぞって選挙しないで実行してしまうべきだと言う変な論理だったことについて、私は今日コラム冒頭に記載のとおり違和感を持っていました。
今春の3%増税だけで大幅な経済失速が始まっているのですから、この上に追い討ち的増税実行すれば経済学者がどのようにひねくろうとも日本経済が大打撃を受けるのが誰の目(素人目)にも分っている・・その結果・政治効果で見れば安倍政権転覆に繋がるのは目に見えていました。
日本経済がどうなるかよりは、これを無理に実行させて安倍政権を潰そうとする自民党内の勢力が財務省や野党と連携して増税実行の大合唱をしていた疑いがあります。
この包囲網に対して、安倍総理が解散に打って出て、「増税反対に反対するならしてみろ」と勝負をかけたことによって、政界やマスコミは一斉に増税実行要求を翻して延期賛成論・・不戦敗方針に転じてしまい、「争点なき選挙」だと宣伝し始めたと言う印象でした。
争点がないと言う宣伝が、低投票誘導・・民主政治否定論・・マスコミに自殺行為だとして、ネット批判を浴びるようになると、アベノミクスの功罪について、増税後の今夏以降の景気失速を(増税実行の結果によることを抜きにして)アベノミクスの失敗が露呈したとそれとなく攻撃する論文を次々と掲載していました。
マスコミがすり替え宣伝をしていても、何が経済失速の原因になっていたかを賢こい国民が黙ってみています。
以前から書いていますが、ネット発達によってマスコミによる情報独占がなくなると、日本の場合国民レベルが高いので、マスコミ宣伝に誘導されにくい社会になっていることをマスコミ関係者は「まだ充分に」理解していないようです。
衆議院解散が決まると政治家やマスコミが態度をころっと変えたことから見れば、増税は国民の意思に反していることを彼らは知っていたと推定されます。
マスコミ総動員して増税必要性を洗脳しようとしても国民の意思を変えられなかったことを知っていながら、なお「争点がない」と欺瞞的報道をしていたのは、まだ報道次第で国民を誤摩化せると言う不思議な信念・・国民の理解度・レベルを十分理解していないからと思われます。
自分たちと国民の理解度・知能レベルには、隔絶的な差があると言うエリート意識・過信が基礎にあるからではないでしょうか。
実際には情報操作能力差があって国民はマスコミに反した意見を発表する場がなかった・・本当の意味での言論の自由がなかったに過ぎないことを、まだ押し通そうとしているのではないでしょうか?
専制国家では裸の王様を見ても、誰も裸だと言える国民がいなかったのと同じです。
古代アテネの民主主義と言っても、一握りの市民間だけでの民主主義だったのと同じで、現在社会で言論の自由と言ってもマスコミの気に入った意見しか発表されない自由でしかなかったのです。
朝日新聞等の投書欄でも朝日の誘導したい方向の意見しか採用されないと普通に言われています。
このことは池上彰氏の担当していたコラムで朝日新聞の慰安婦報道の謝罪不足を書いたら、掲載拒否された事件が起きたことからも証明されています。
池上氏のような高名な人の連載記事でさえ、意見があわないと掲載拒否していたのですから、名もない庶民の投書が没にされても誰も文句を言いませんし、ヤミの中です。
これの繰り返しの結果、朝日新聞に限らず大手マスコミの気に入った思想傾向の人しか投書さえしなくなりますし、一本釣りの論文などは言わずもがな・・一定方向の論文ばかり報道されます。
このようにマスコミによる情報操作が激しくなり、マスコミの言う民意と国民意見の違いが大きくなりますと、選挙で特定争点を明示してマトモに民意を問うとマスコミの言う国民の意見と大違いの結果が出る心配が生じます。
そこで総選挙では意図的な争点ぼかし、あるいはマスコミがでっち上げた?国民に関心のない別の争点造りが流行になって来て国民は選挙に行く気がしなくなる・・投票率低下を演出して来たのはないでしょうか?

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC