あいちトリエンナーレ不自由展に関する専門家意見と民意乖離5(表現の自由市場論14と世論軽視論の矛盾6)

自己顕示欲もあるが批判されるのが怖いというのが普通なのでしょうが、芸術家は業として自己「主張」する以上は、そのくらいは甘受すべきです。
自己実現と称して言いたいこと・表現したいことをそのまま表現すれば被害を受ける・・不愉快におもう相手も同じ権利を持つ国民ですので、今後付き合いたくないというのもその人の自由です。
道路を歩く自由があっても信号を守る必要があるように、人を突き飛ばして歩く自由はありません。
今回の争点は政治主張を公費で行う点に問題があるかどうかであって、政治主張に公的補助すべきでないとなれば、展示品が芸術作品かどうかの基準不要です。
営利目的利用禁止の場合、芸術作品であっても販売会のような展示方法は許されないのと同じです。
特定政治主張に補助できないとなれば、営利目的禁止ルールに違反して売っているか否かの判断は、売っている絵画が芸術品かどうかの議論不要なのと同様に、今回の展示は芸術品かどうかではなく、政治主張を色濃く含むかどうかの判断だけです。
例えば講演会で講演者の著書を入り口で頒布しても販売が主目的でない場合営利目的利用とみなさないのと同じで、講演内容や絵画作品の内容がジェンダー克服を訴えるものであっても、政治活動を主目的にしていない限り内容による規制は抑制的運用が基本です。
政治活動に国公費補助すべきでないという世論があったとしても、政治色があれば即否定すべきではなく、「これは幾ら何でもひどい程度」かどうかは次の実務的判定作業になります。
多くの人が政治主張のための展示と受け止めるかの判断は民主国家においては、民意で決めるべきで、芸術組織の優先的判断権があるはずがないでしょう。
私立の展示場でいくら政治主張作品を展示しようと売りさばこうと自由な社会で、「公的補助で広告し、制作費補助しないことが検閲機能を果たしかねない」という懸念からいきなり憲法論を持ち出して不自由論の結論に至るのは論理の飛躍ではないでしょうか?
市場出品で採算が取れれば、公費で宣伝をする必要がないのですから、表現の自由の思想学会主流の自由市場競争に委ねる意味では、市場評価されていない事実こそ重要です。
コミュテイセンター等の公的集会室その他利用は、営利目的利用禁止が普通ですが、この規制が産業活動の規制にあたるという批判を聞いたことがありません。
展示即売会等に公費補助するのは、施設設置目的に反すること明らかで、それで足ります。
国民が、政治主張に国費を注ぐことに賛成しているかどうかさえ議論し決めれば良いことでしょう。
国政選挙の候補者には一定の範囲で国費での政見放送を認めていますが、このことはそれ以外を除く趣旨と解すべきでしょう。
無制限に認めれば、政治家が我も我もと資金集めパーテイなどに公共施設利用申し込み始めれば収拾がつかなくるのは、目に見えています。
政治主張に公費補助すべきでないという意見が、国民多数ではないでしょうか?

ウイキぺデイア引用続きです。

展示に対する世論の反応[編集]
週刊文春が8月3日~5日に行った「平和の少女像」の展示に関するアンケート調査(期間、対象者810人)では、「賛成」は16.2%、「反対」は74.9%という結果であった[99]。産経新聞がFNNと合同で実施した世論調査でも、「平和の少女像」などの作品が展示されるべきアートであるかについて、「思わない」が64.0%、「思う」が23.9%との結果が出た[100]。

これが普通の声なき声・・結果でしょう。
専門家がしきりに憲法論、表現の自由を守れ論を展開し報道もその紹介ばかりが続いていましたが、今引用中のウイキペデイアでも以下引用していきますが、市民の声がでないどころか、正面からの否定論は産経と河村市長だけで他は批判論を少しあげていますが、内容的には実質擁護論であって運営手順がまずかったという方法論にすぎません。
ウイキペデイアで見る限り声ある声は、擁護論中心・・どんな主張するのも個人勝手としても公費補助までする必要あるのか?「いい加減にしたら!という気持ちが報道で全く紹介されない状態でも世論調査すれば上記結果が出たようです。
専門家の意見や声高い人の意見は、肝心の「公費補助のあり方」に対する意見がなく関係ない憲法論や歴史修正主義者とか、表現の自由、芸術性は専門家の判断に委ねるべきだ、「素人が、役所、政治家が口出すべきことでない黙ってろ」式の意見ばかりです。
芸術であればなんでも許されるものではなく、芸術であれ思想であれ法秩序違反があれば、その違法性を議論すべきものです。
政治活動の自由も、国法秩序を破る権利はありません。
政治活動や思想、芸術発表だけで処罰されないというだけであり、その発表のために公道や他人の家を利用するには、相応の許可を得ないで行うと、住居侵入罪や道路交通法違反等の処罰をうけます。
それが芸術活動や思想発表のためであったかの理由を問いません。
今回の争点は公的施設利用許諾条件違反かどうか、愛知県には東京都のように政治利用禁止ルールがなかったとすれば、愛知県の政治姿勢に問題があったのであり実行委員会に問題があったのではありません。
ルールがあるのに県知事が違法許可したのかが重要です。

14年政変→大隈重信下野

14年政変による大隈重信の下野と政権内復帰・・下野=反乱図式がなくなった流れの事例に戻ります。
大隈重信に関するウイキペデイアの記述からです。

立憲改進党の設立[編集]
野に下った大隈は、辞職した河野、小野梓、尾崎行雄、犬養毅、矢野文雄らと協力し、10年後の国会開設に備え、明治15年(1882年)3月には立憲改進党を結成、その党首となった。また10月21日には、小野梓や高田早苗らと「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を謳って東京専門学校(現・早稲田大学)を、北門義塾があった東京郊外(当時)の早稲田に開設した[57]。しかし党首としての大隈は、演説をすることもなく、意見を新聞等で公表することもしなかった[58]。明治17年(1884年)の立憲改進党の解党問題の際に河野敏鎌らとともに改進党を一旦離党している[59]。明治20年(1887年)、伯爵に叙され、12月には正三位にのぼっている[60]
明治20年(1887年)8月、条約改正交渉で行き詰まった井上馨外務大臣は辞意を示し、後任として大隈を推薦した[61]。伊藤は大隈と接触し、外務大臣に復帰するかどうか交渉したが、大隈が外務省員を大隈の要望に沿うよう要求したため、交渉はなかなか進まなかった[59]。明治21年(1888年)2月より大隈は外務大臣に就任した[62]。このとき、外相秘書官に抜擢したのが加藤高明である[62]。 また河野、佐野を枢密顧問官として復帰させ、前島密を逓信次官、北畠治房を東京控訴院検事長に就任させている[6

明治14年「国会開設の詔」に関するウイキペデイア引用です。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原文(原文では句読点がないため、適宜、句読点を挿入している)

朕祖宗二千五百有餘年ノ鴻緖ヲ嗣キ、中古紐ヲ解クノ乾綱ヲ振張シ、大政ノ統一ヲ總攬シ、又夙ニ立憲ノ政體ヲ建テ、後世子孫繼クヘキノ業ヲ爲サンコトヲ期ス。嚮ニ明治八年ニ、元老院ヲ設ケ、十一年ニ、府縣會ヲ開カシム。此レ皆漸次基ヲ創メ、序ニ循テ步ヲ進ムルノ道ニ由ルニ非サルハ莫シ。爾有衆、亦朕カ心ヲ諒トセン。
顧ミルニ、立國ノ體國各宜キヲ殊ニス。非常ノ事業實ニ輕擧ニ便ナラス。我祖我宗、照臨シテ上ニ在リ、遺烈ヲ揚ケ、洪模ヲ弘メ、古今ヲ變通シ、斷シテ之ヲ行フ、責朕カ躬ニ在リ。將ニ明治二十三年ヲ期シ、議員ヲ召シ、國會ヲ開キ、以テ朕カ初志ヲ成サントス。今在廷臣僚ニ命シ、假スニ時日ヲ以テシ、經畫ノ責ニ當ラシム。其組織權限ニ至テハ、朕親ラ衷ヲ栽シ、時ニ及テ公布スル所アラントス。
朕惟フニ、人心進ムニ偏シテ、時會速ナルヲ競フ。浮言相動カシ、竟ニ大計ヲ遺ル。是レ宜シク今ニ及テ、謨訓ヲ明徴シ、以テ朝野臣民ニ公示スヘシ。若シ仍ホ故サラニ躁急ヲ爭ヒ、事變ヲ煽シ、國安ヲ害スル者アラハ、處スルニ國典ヲ以テスヘシ。特ニ茲ニ言明シ爾有衆ニ諭ス。
奉勅   太政大臣三條實美
明治十四年十月十二日

以上のように地方議会を先に開設して地方から議論の経験を積んでいくなど着実に国会開設の準備が進むにつれて不満があれば言論活動で・という動きが加速していき、実力行動が影を潜めていきます。
こういう面では板垣による自由民権運動の啓蒙的役割が大きかったと思われますし、「有司専制」を排し、庶民に政治参加経験させれば民度が上がるという板垣らの主張を政府を取り入れて板垣の言うようないきなり国会経験でなく地方議会を設立してそこで議論経験から人材を育てるという着実な運用をしてきたことが上記「国会開設の詔」の

「嚮ニ明治八年ニ、元老院ヲ設ケ、十一年ニ、府縣會ヲ開カシム。此レ皆漸次基ヲ創メ、序ニ循テ步ヲ進ムルノ道ニ由ルニ非サルハ莫シ。爾有衆、亦朕カ心ヲ諒トセン。」

によって分かります。
昭和の頃には地元政治経験・現場を経て・市町村〜県会→国会→派閥領袖に成長後国家基本を論じるパターンができていました。
現在の菅官房長官も地方議会出身ですし自民党元幹事長の野中努氏もそうでした。
企業で言えば若手の頃には営業現場や地方(今では海外子会社も含む)経験を積ませその実務経験をもとに本社企画部等に抜擢されて最後は社長になるパターンが多く見られるのと同じです。
地方議会もない社会でいきなり国会だけ作っても空理空論の激突しかないので明治政府は発足直後から廃藩置県に始まり地方制度創設、村〜郡単位の地元民の意思決定経験〜日常決定参加から始めて行ったようです。
こうして着実に国民に政治経験を積ませた上で、明治23年に帝国議会開設になるのですが、自由民権運動は国会開設にこぎつけたことで国民啓蒙的運動としては目的を達したので本来の使命は終わったことになります。
コストカッターとしてのゴーン氏はリストラ成功で役割が終わったことになるのと同じです。
住宅公団が戦後住宅不足対応の役割を終えたのに、都市整備公団という名に変えて生き残ろうとしているものの、都市整備?この数十年何をしているのか不明・・を批判したことがあります。
日本も民選議員が必要という西洋の聞きかじりを吹聴する程度でも明治維新当時はそれでも新知識だったでしょうが、大久保らが数十年も行ってきた啓蒙運動の成果でそういう制度がある程度のことは誰でも知るようになり、具体的にどう運用するかの実用段階に入ると草分けを自慢しても時代遅れになります。
実務運用・「罵り合いではなく対話が必要」という書物の受け売りではなく、自分が対話力があるかは別です。
政治家と評論家とでは能力の方向が違います。

家計債務膨張3(韓国15)

韓国で不動産バブルが繰り返された実績を5月4日紹介の第一生命https://diamond.jp/articles/-/190478?page=5
のグラフ引用の続きで見ていきます。

ソウルの不動産価格

足下のインフレ率は低水準で推移しており、中銀は今後も緩和的な政策スタンスを維持する方針を掲げる一方で、先行きの政策決定の判断材料に、同国の景気と物価に加えて家計債務の動向、主要国の貿易政策及び金融政策、新興国の金融・経済動向などを挙げるなど、家計債務の動きに敏感になっている。
足下の景気が力強さを欠く展開となっているにも拘らず、利上げに踏み切らざるを得ない状況は、中銀も別の意味で『板ばさみ』状態に見舞われていると言えるだろう。

上記不動産価格のグラフを見ると、アジア通貨危機以降01年から02年にかけて約20%の急騰〜05年にかけて20%急落し、05年から7年にかけて約25%弱の急騰を演じ、07年のピークから09年にかけてまた約25%以上も下がり10年に5%ほど盛り返したもののまた低下に転じ、以後低迷したままでしたが15年から上昇に転じ現在も上がり続けていることがわかります。
これが実態経済に連動していれば健全ですが、実態経済不調を隠すために不景気が来る都度不動産価格の上昇を誘導している・・・庶民から資金吸い上げをしているとすれば庶民は貧しくなるばかりでその咎めが蓄積していきます。
韓国国際収支のデータを見ておきましょう。
世界ネタ帳からです。
https://ecodb.net/exec/trans_image.php?type=WEO&d=BCA&c1=KR

上記によると第一回不動産急騰期の01〜02年は、国際収支黒字がゼロ%近辺に落ち込んだ時期です。次の05年〜07年にかけての不動産急騰期は同時期の国際収支低下始まりと連動しています。
16年からの不動産持ち直し・・・18年からの急騰も、16年からの国際収支低下開始および19年1〜3月期のマイナス成長と連動しています。
マイナス成長になっているのに、19年1月の第一生命論文で「足下のソウルの不動産価格が前年比で二桁%の高い伸びとなる」というのですから異常事態です。
この連動関係を見ると日本のバブルと違い、資金が潤沢すぎてバブルになっているのではなく、苦しいときの逆張り・・庶民の資金吸い上げに頼っている状態が窺えます。
政府はマイナス成長を緩和するために「必死になってエンジンをふかしている」・・・資金不足分を国民から吸い上げるのに躍起と見るべきでしょう。
国民の方は乾いた雑巾を絞るように絞られるだけ絞られて借金を増やしてGDP成長に協力してきたが、それでも実体経済の落ち込みを補えなくなって、ついにマイナス成長に落ち込んだとすればたいへんです。
日本は戦時中、軍事用の鉄不足のためにお寺の鐘まで供出していたことが知られていますが、韓国では国民からの搾り取りが限界に来たと言うことでしょう。

家計債務膨張2(韓国14)

企業の場合には、自己資本率と負債率の違いは金利と配当率の関係による代替性があるので、低金利下では年7〜8%(日本ではもっと低いですが)の利益配当を求められる新株発行よりは、ゼロ金利近辺の社債発行による資金手当の方が合理的ですが、家計は消費単位であって配当圧力がないのでそういう関係がないでしょう。
家計債務で考えられるのは、金利低下による毎月の支払額の減少とインフレによる名目収入増→負債の実質減価・期待でしょうか?
ケインズ理論によって財政資金投入にあるいは、民間需要拡大による需要創出・・不景気脱出を図るるようになると、世界中で財政赤字→家計債務膨張リスクが膨らみます。
アメリカが家計債務を証券化して世界にばらまいたので世界的リスクが現実化したのが、リーマンショックでしょう。
その後、アメリカでもEUでも膨らんだ債務破裂を防ぐために・・低金利政策をゼロ金利近傍・・限界まで進めましたが、低金利になっても元金を繰り上げ償還→債務縮減する方に行きませんでした。
業績低迷企業に対する補助金の多くが、企業活性化に資するよりはゾンビ企業の延命資金になることが多いのと同じでしょう。
比喩的に言えば、従来3000万までしか借りられなかった階層が、3500万まで借りても毎月の支払額が同じで返せるので・・より一層の債務元金膨張が進んだ方が多かったということでしょうか?
銀行にとっては企業向け融資が減った穴埋めに個人向け融資が増えて好都合でしょうが、利幅が減る一方の矛盾で苦しんでいます。
資本市場の発達で金融の社会的使命が終わった以上は、速やかに存在感を減らしていくべきでしょう。
金融緩和策がゼロ金利に張り付いて限界にきたので、今度はインフレ期待→元金の減価を目指す政策・・物価が2倍になれば負担感レベルでは借金が半分になったのと同じ・・一種の徳政令が国際的に採用されましたが、流石にこれは借金せずに真面目に働いている人が損をするので、国民支持が得られずうまくいきません。
黒田日銀だけの失敗ではなく、仮に制御したインフレが可能(制御できるのはインフレと言わないでしょう?)であっても、インフレ拒否感は世界的傾向でしょう。
いわば真面目に資産形成に励む方が良い・・・ベネズエラのように何万倍の物価になれば、金融資産の差(過去努力した人としない人の差)は雲散霧消・・全員が食うや食わずになります・・こういう社会を期待する人・・ヤケになっている人の方が少ないということであって慶賀すべきです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41052900Y9A200C1000000/

ベネズエラ、1月のインフレ率が268万%に
2019/2/8 6:24
【モンテビデオ=外山尚之】南米ベネズエラの国会は7日、1月の物価上昇率が年率268万8670%だったと発表した。与野党が激しく対立する中、政情混乱が経済にも波及し、ハイパーインフレーションが加速する状況となっている。
月間の物価上昇率は191%だった。前月から約50ポイント上昇しており、物価上昇のペースが加速している。国際通貨基金(IMF)は年内にインフレ率が年率1000万%に達すると予測しているが、現状のままではさらに上回る可能性が高い。

だいぶ前から書いていますが、物流の発達した現在、一国だけ商品価格が上がることはありえない・・あるとすれば「世界の物流網から切断された時だけ」・すなわち政府の制御したインフレはありえないのです。
世界経済から切断されるかどうかは、デフォルトするかどうかの経済実態によるのであって、一国政府が自由に決められません。
韓国や中国が、ウオンや人民元の暴落=輸入品決済資金が回らなくなるのを恐れる所以です。
昨日見た第一生命のグラフによれば、韓国の場合GDPに対する家計債務比率が(この間に日本同様に消費者破産があり、そのほかに多数回の徳政令実施があって債務チャラになっているにも拘らず)一直線で増えすぎている点が異常なのか?金融政策とおりに国民が踊る・・がうまくいっているかの評価の違いです。
中国も企業負債率の急上昇が国際関心になっていますが、両国ともに政府の誘導する通りに人民が資金吸い上げに協力している・・借金してでもGDPアップに協力してきた経済です。
昨日見た第一生命のグラフでは韓国の家計債務比率が90%あまりですが、他の報道ではすでに100%を超えているというグラフが出ています。
中国の統計が信用できないと言われますが、韓国の場合数字自体の誤魔化しではなく、統計分類・・チョンセなどの返還債務を家計債務に入れていないとか、個人事業債務が入っていないなどをプラスしていくと現状で約200%以上という意見もあります。
ちなみに日本では、個人事業債務も家計債務(法人化しているかの基準?)になっていますので、家計債務といっても統計方法によって大きな違いが出てきます。
まして韓国では自営業者が人口の25%というのですから、このグループをどのように分類するかによって実体経済の現状把握が大きく違ってきます。
自営業でも他人を一定数以上(たとえば5人以上)常時雇用する自営と家族労働に頼る(時々アルバイト使う程度)自営では負債の経済的意味(事業用の負債は一種の投資ですから巨額です)がまるで違ってきます。
30代でリストラされてすぐに飲食店やチェーン店など開業する一般的な韓国自営業の場合、負債の性質は家計負債に限りなく近いでしょう。
中韓ではどうやって国民から資金吸い上げに成功しているかですが、株式〜不動産バブルその他国主導の一種の仕手相場に国民を巻き込むパターンのようです。
日本人は堅実を重んじる国民性・投機相場に乗りにくいので、平成バブル期も業者間転売→消費者が買い始めた初期段階で大方終わったのですが、末端消費者まで参加させて毎回徳政令や破産で救済→救済しきれない分は自殺増や国外売春輸出で切り捨てられている韓国人民との違いでしょう。
中韓共に国民?人民が弱すぎるのです。

ロシアから中国の脅威へ(中ソ対立)

日本にとってロシアが最大の脅威であった構図が変わったのは、日露戦争後の日本の台頭〜日本が第一次世界大戦後米国の人種差別批判を始めたこと・その他中国での利権争いその他総合的対立激化によって、対日オレンジ計画開始〜アメリカ国内での反日・排日気運の たかまりに乗じコミンテルンの日米離間工作にルーズベルトがまんまとハマって日本攻撃を目ざしたために守るべき相手が米国に臨時的に変わっていたにすぎません。
クリミヤ戦争で敗退後のロシアにとって残された出口としては東方・・草刈場である満州〜中国方面しかなかったのですが、そこに頑張っていた日本が目先の邪魔でしたし、当時の列強では最も孤立させやすい敵でした。
コミンテルンの浸透標的が中国内部呼応・共産党勢力の育成と目先の覇者である日本弱体化をはかるには、日米離間が最有効・・優先テーマだったでしょう。
日本敗戦後再び日米共に主たる敵がソ連に戻って「国防」といえば、北方から攻めてくるソ連が対象で三沢基地をバックにした北海道防衛中心でした。
ソ連崩壊後、この20年あまりロシアは領土拡張どころではなくなったはずなので、(とは言え、ロシアはこの後で紹介しますが、今なお対GDP比で見ると分不相応な軍事費をかけて軍事強国を維持しています・・)この隙をついて今度は中国の対日挑戦が始まりました。
中国は独立以来国内権力確立〜国内生産力近代化に忙しく日本侵略どころではなかった上にようやくある程度落ち着いたところで中ソ対立が始まったので、応援してもらっていたソ連からの脅威に悩まされていました。
当時モンゴル国境から北京までわずか60キロしかないので、ソ連得意の戦車隊が約1〜2時間で北京を蹂躙されるとメデイアでは報道していました。
中ソ対立についてはhttp://www.y-history.net/appendix/wh1603-048.htmlによれば以下の通りです。
「同じ社会主義(マルクス=レーニン主義)を掲げて共産国家建設を目指していたソ連と中国は中ソ友好同盟相互援助条約(1950年締結、1979年消滅)で結ばれた同盟国であったが、1950年代後半から革命観の違い、戦略論の違い、国際政治上の意見の対立などが目立ち始めた。きっかけは1956年のソ連のスターリン批判であり、平和共存路線をとるようになったことであった。中国共産党の毛沢東はスターリン路線の継承する立場からフルシチョフらソ連共産党の転身を修正主義であるとし、また平和共存路線は帝国主義への屈服であるとして受け入れないと姿勢をとった。」
「はじめは理論的な面での論争が主であったが、1958年の中国軍の金門・馬祖島砲撃事件や59年のチベット反乱と中印国境紛争など緊張が高まる中、1960年代からは公然とした非難を互いにぶつけあう対立となった。ソ連は59年、核兵器開発への協力を中止、さらに中ソ技術協定を破棄し技術者の引揚げを通告、対立は決定的となった。
 毛沢東は独自の社会主義建設を目指して「大躍進」運動を開始し、第2次五カ年計画ではソ連の援助なしの工業化をめざした。また1962年のキューバ危機を回避した米ソ両国が、63年に部分的核実験停止条約に合意すると、それに反発して自前の核兵器開発を始め、64年に中国の核実験を成功させた。同年のフルシチョフ失脚後も対立は続き、65年ごろから本格化した文化大革命でも毛沢東はソ連を修正主義として激しく非難した。」
「文化大革命の国内闘争が激しくなり、ソ連の社会主義も硬直した指導部の下で経済の停滞を招き、70年代には米中が接近するという状況となった。76年には毛沢東が死去し、情勢は変化の兆しが見え始めた。79年2月には中越戦争が起き、ソ連はベトナムを支援、再び関係は悪化した。しかし、中国の華国鋒指導部はベトナムから撤退を余儀なくされて指導力を低下させた。同年、50年に締結された中ソ友好同盟相互援助条約も期限切れになり、延長されずに廃棄された。あらたな中ソ関係の模索が始まったが、同年12月、ソ連のアフガニスタン侵攻が起きると、中国はソ連の覇権主義を非難して、翌年のモスクワ=オリンピックをボイコットした。」
これがキッシンジャー訪問による米中和解でソ連の圧力が縮小〜ソ連崩壊ですから、中ソ対立の勝者は米国を味方につけたスターリン主義に固執する中国であったことになります。
ソ連を継承したロシアは今でも軍事力は大きいものの中国にとってはさしたる脅威に感じなくなっている・・中国は文字通り後顧の憂いをなくして安心して南進膨張出来る好機となった上に、中国の改革解放以来国力が飛躍的に大きくなった結果、中国が自信をつけて米国の抑えが効かなくなって来ました。
今回の一連の北朝鮮に対するトランプ氏の脅しが全く効き目がないことを見れば、中ロは実験段階どころか実用化されたもっと大量の核兵器・運搬手段を保っているのですから、今後アメリカの脅しに対してなんの恐れも抱かないでしょう。
強制力を背景にした脅しには、自己の道義に反した要求貫徹のための違法な脅しと定着している国際ルールを守らせるための脅しの二種類があります。
法治国家による裁判を経た執行力の確保と暴力団の実力行使の違いです。
アメリカがイラク侵攻を初めとして違法な実力行使をし過ぎたから・・という道義的分析も可能ですが・・欧米秩序である法の支配が色あせて島田っと見えますし、結果として合法違法を問わずにパックスアメリカーナの強制能力が縮小に向かっていることが明らかです。
核兵器保有国同士では相手の行為が違法であろうとなかろうと互いに手を出せない関係ですから、アメリカが南シナ海で自由航行作戦と言って軍艦を航行させても中国は手を出せない・その代わり今度は中国がアメリカ近海でデモンストレーションをしてもアメリカも手を出せない・お互い嫌がらせ自由の関係になって行きます。
そのうち近海どころか、お互いが相手領海内〜国内に自国軍を無断侵入させ〜上陸させて兵が暴れても、相手国は手出しできなくなる・・無法状態が始まるのでしょうか?
お互い無法状態では困るので一応のルール・・外交官だけは治外法権という節度を設けていますが・・。
個人間で言えば、リヴァイアサンの時代から徐々に強制的な法がなくともお互いを尊重して道を譲りあうようなルールが定着して来たのです。
ライオンその他動物界でも自分の方が相手よりも何割か強いとしても、むやみに闘争していると勝った方の受傷が致命傷ではないまでも、(一部の怪我でもそのウチに化膿するし、骨折でも)走力が落ちて餌を追いかけられないと結果的にすぐ飢え死にしてしまいます。
こういう知恵の結果むやみな争いが起きないように文字のない動物界でも、お互い道を譲り餌の取り合いや水場で狩をしないなどのルールが自然発生的?に生まれています。
北朝鮮が望んでいる核保有国になった場合には、この初歩的・動物界的ルールさえ成立しない状態に戻るのでしょうか?
過去のルールに何でも反対する・日本に北朝鮮の軍人が不法上陸してこれを逮捕すると釈放しないと核兵器をぶち込むと威嚇する・・釈放すると白昼公然と日本人技術者を拉致して北朝鮮に連れて行く・・市場相場の10倍の代金を要求する・・文句を言うならば核爆弾をお見舞いするという脅迫が横行するようになると・・リバイアサンの時代に戻ります。
アメリカは、これを言い立てて・・無秩序状態化阻止のために制裁が必要と主張しているのですが、本当にそうなるかどうかはわかりません。
どうしょうもないライオンもいるでしょうが、それでも全てのライオンに爪や牙を持たせているのが自然界です。
爪や牙があるからといって、ライオン同士でしょっちゅう喧嘩してはいません。
北朝鮮は、今は誰も認めてくれないのでヤケになっているが、核保有国になって一人前扱いしてくれれば自信が出て普通の国になるのでしょうか?
世界中が核兵器保有国になったらどうなるかの実験をしてみるしかないのかもしれません。
バカな人がたまにいて刀を振り回し銃乱射する程度ならば、周囲の被害も局地的でその人個人が自滅するだけでしたが、相手の横暴があまりひどい場合、怒った国が受けて立つ・・間違って核兵器の応酬になれば、全人類がほぼ滅びます。
原発問題で放射能の半減期縮小の研究が進んでいることを紹介したように、核兵器無力化あるいは防御システム化が進む可能性があるでしょうが、ここ30〜40年程度では核兵器から身を守れる人は全体から見れば微々たるものでしょう。
ノアの洪水のような人類の試練が来るのでしょうか?

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