留学目的と外資流入減1

グローバル化以降の方が、それ以前よりも(企業派遣で)海外体験する若者が多くなっている筈ですから、これらを含めて考える必要があります。
高齢化の進む日本では、各世代ごとに三割増程度づつ成熟にかける時間を間伸びさせていますから、今の高卒年齢の成熟度は私たち世代の中卒程度のイメージです。
高卒段階の20歳前後ではまだ少年の域にとどまり若者の域に達しておらず、彼らの留学率低下をあげつらっても意味がありません。
今では3〜40歳くらいまでを日本の将来を背負って行くベキ若者と措定して彼らの海外体験の増減が日本の将来どのように影響するかを論じるべきです。
中国の場合、May 3, 2014「日中の制裁合戦4(バブル崩壊1)」で紹介したように、大卒就職率の低下によって、国内就職活動に留学経験が有利に働かなくなって来た結果、留学熱が下火になりつつあるようです。
国内不景気と留学数増減が連動する理由は、日本と違って中国の経済発展は外資導入によるところが大ですので、就職条件の良いところ→概ね外資系企業に就職しようとすると留学経験が大きなウエートになっていることによります。
日系企業で言えば、現地人採用するにしても日本留学経験がある学生を優先的に採用したくなる心理・・これは欧米系企業も同じでしょうから、これを中国の留学者は利用しています。
日本企業がドンドン進出して規模拡大しているときは就職できるので、日本企業に人気が集まり、中国国内での日本語学習者が増えるし・・と言う関係で至極分りよい動きをする国民性です。
日本の場合、外資系に就職するのは二〜三流の人材と言う意識の国柄でしたので、欧米が憧れの的であった戦後直後でさえも、あるいは明治の開国時まで遡っても外資系に就職したくて英語を習ったり留学する人は誰もいなかったと言っても良いでしょう。
(そんな統計はないでしょうが実感を書いています)
幕末のカラユキさんや唐人お吉が今でも記憶に新しい・・繰り返し演じられるように、日本人にとって外国人に仕えるなどということは遊女でさえも、押し付けあい・・誰も希望しなかったことが分ります。
古代の遣唐使以来現在までの欧米留学熱は留学して先進地域の国民として仲間入りしたいとか、外資に就職するためではなく、先進知識を獲得して国内に持ち帰りこれを国内に普及させて日本国をより発展させたいという熱意がその基礎にあったことが間違いありません。
幕末長州出身の村田蔵六・大村益次郎は幕府の昌平黌教授職を棄てて、長州の寒村の医師になって戻って来ていますし、新井白石時代の雨森芳洲なども地元・対馬にいたままでした。
各地を旅行すれば分りますが、殆どの地域で郷土をレベルアップするために郷土で頑張った偉人の顕彰碑や展示品等を見ることが出来ます。
明治以降列島一体化が進んでからは、能力のある人が中央に出っぱなしで地元に戻らなくなったことが地方の疲弊に繋がるようになったのです。
最近でもフランスやイタリアの料理等いろんな分野でトップクラスになると、そこでの名声に安住せずに日本に帰って来て、国内レベル向上に努力するのが普通です。
古代遣唐使時代を振り返っても、そこで相応のトップレベルに上り詰めても格段に社会格差のある日本へ命がけでみんな帰って来ています。
折角唐で一定の尊敬を受けるようになっていても、(空海は唐でトップの阿闍梨位だったか?の灌頂を受けています)その地位をかなぐり捨てて格段に社会格差のある日本へ命がけでみんな帰って来ています。
阿倍仲麻呂は帰国を試みますが、難破して遂に帰国を諦めたことで有名ですが、日本人は古代から愛郷精神が強く自分の栄達を目的とするための留学ではありません。
(語学留学・・遣唐使が漢語を学んで来ても国内で良い就職が来た訳ではありません)
阿倍仲麻呂の故事は「天の原フリサケミレバ春日なる三笠の山にイデシ月かも!」と詠んでいるので、私のような庶民レベルにまで名を知られている訳ですが、この前提として、当時の唐・長安では満月になれば、今と違って公害もなく月が煌煌と照らしていたのでしょう。
いま左遷されたサラリーマンが望郷の念にかられて、阿倍仲麻呂の真似をして北京で月を見ようとしてもPM2・5の結果、おぼろにも見えないのではないでしょうか?
やはり時代にあわせて、別の風物を詠むしかないでしょう。

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