政府と国民の違い(中国人との付き合い方)3

2月9日「政府と国民の違い(中国人との付き合い方)2」の続きに戻ります。
個人個人にはホモサピエンスとして千年万年の経験・DNAがある点が中国人や韓国人、日本人も同じでも、2月8日に書いたように民族の置かれた状況によって個人としても経験の質が違ってきます。
異民族支配が続いた国や専制君主制の歴史のある国では、国民と政府とは一種の対立・緊張関係でずっと来たので、政府権力とは別行動基準の別格の人格が長年にわたって形成されて来たことに気を付けねばなりません。
日本では会社その他組織では一体感が強いので法人と構成員総体との区別が分り難いので、法人擬制説が理解し易いのですが、日本以外の国では西洋も東洋も国家と国民は全く別の存在(法人実在説)という理解がし易いのでしょう。
我が国では、天皇を日本国と国民統合の両方の象徴と言われてみんな何となく納得しているのはこのせいです。
憲法
  昭和21・11・3・公布
  昭和22・5・3・施行
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

比喩的に言えば、中国政府にとっては自国支配地域内の人民は外国人・日本人より御し難いでしょうし、中国人民にとっても外国人である日本人よりは自国政府の方が怖いし遠い存在です。
(古代から圧政を受けた経験のない我が国では、上から下まで「お上が悪いようにする訳がない」と言う信頼感・同胞意識・政府と国民一体意識で成り立っているので、気がつき難い点です)
そもそも国民という言葉自体我が国特有の概念かも知れません。
中国ではご承知のように「人民」(中華人民共和国・朝鮮人民共和国)ですし、西洋諸国では国民以前に「市民」か否かが重要です。
日本国内の例で言えば、京の町は、支配者が入れ替わりに次々にやって来たので町衆は権力者と適当な距離を保ちつつ、したたかに生きて来た歴史があります。
今こそ戦後中国が我が国にしきりに言って来ていた「戦争をした政府と国民の責任は別」という意見は、彼らの国では当然の認識だったのだと噛み締め直して、中韓両国民と大人の関係としてつき合って行くべきかも知れないということです。
ただし中国の言う政府と国民分断作戦は、飽くまで自国の都合に良いときだけの主張であって、自分・中国政府の都合によっては昨夏の尖閣諸島問題で見れば分るようにいろんな民間や文化交流を中国からビザ発給をしないなどで、断って来たことでも明らかです。
中国の人民も日本人と同様に人類始まって以来の長い経験がある・・政府のお粗末な能力とは別であると書いてきましたが、現実の中国人が日本人をどのように思って生きているかは別問題です。
今のところ中国政府は言論統制が激しいだけではなく、日本人が如何に悪いかの宣伝に努めています。
いろんな記念館で日本が悪辣・暴虐・レイプなど悪逆非道の限りを尽くし、アワやという所で共産党の八路軍が救済に駆けつけるような事実無根の映画を一杯作っては、日本軍は如何に残虐であったかの虚偽教育を連日しています。
こう言う映画ばかり見せられて、しかも学校教育でもこればかり教えられて育っていれば、今の中国人の脳みそは日本人に対して何か報復しなければ気が済まないような気持ちになっている人が大半どころか99%でしょう。
ですから、国際紛争の解決としてはこう言う政治教育ばかりしている中国や韓国相手の場合、悪意に凝り固まっている面では政府と国民を一体視して行かなければ、ことを誤ります。
中韓の国民は、利にさといので都合によっては手のひらを返したような(見え透いた)行動に出ますが、表面上ニコニコしていてもその心底には日本に対するドス黒い感情/欲望があることを忘れてはなりません。
中国国民が目先の利にさといのは、政権が歴史上くるくると変わって来たことに対する処世術として身に付いたことでしょう。
中韓政府による対日虚偽悪質宣伝教育をやめてから、50〜60年間くらいは中韓の人間は心の奥底に反日感情を根深く持っているので、その効果が持続する間は国民も含めて信用出来ません。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC