天災と国民性2

中国では大気や飲料水の汚染が極限となって来たので首都移転論が現実化しています。
元々中国大陸では首都を何十回と変えて来た地域ですから、首都を遠くチベットへ持って行こうと雲南へ持って行こうと特別気にしないでしょう。
あちらこちらの自然を破壊し尽くして中国領域内での移動では間に合わなくなると、日本に引っ越したいといって来ないかが心配の種です。
日本は原子力発電所を一杯作って、「放射能が危険だから来るな」と宣伝するしかないでしょうか?
ちなみに在日中国人(留学生や研修生等)は原発事故のときに逸早く大量に日本から脱出しましたので、日本人はすごく違和感を感じましたが、彼らは放射能に特に敏感な訳ではなく、元々から住んでいる土地に固執する習慣がない・・駄目な土地は棄てればいい習慣でしたから、これが郷土に執着する日本人との対応の違いになったのです。
日本人はどんな大事故があっても、いつまで経っても原発付近の「故郷にいつ帰れるのか・・」が大きなテーマのままですから、政治家は(もういい加減に諦めてくれとは言えず)大変です。
人が住めないような結果をもたらす環境破壊に対する怨嗟の声も大きくなり、無視出来ません。
中国人は環境が悪くなれば直ぐに逃げる習慣ですから、自然環境を大切にする習慣もなければ、自分の行為の結果であっても環境悪化すれば逃げれば良いという価値観ですから、中国の政治家は気楽なものです。
キリスト教徒の歴史、古くは出エジプト記に始まりユーラシア大陸ではフン族→ゲルマン民族の大移動に始まり、民族の丸ごと移動は絶え間なく行われていました。
アメリカでも、簡単に住んでいた土地を丸ごと棄ててしまう・・ゴーストタウンにする例がいくらでもあります。
スクラップ&ビルドと言えば企業風土としても合理的で気前の良いイメージですが、要は自然に逆らわないと言うか自然環境が悪くなれば、復興に努力してもどうにもならないので逃げ回る文化です。
こう言う文化風土の場合、自然が凶暴過ぎる分人間も自然や物を大切にする気風が育ちません。
日本では戦乱や災害に遭遇しても、関係者が寺宝などを命がけで守り抜いてきましたし古い建造物も手を加えては維持してきましたが、中国では歴代王朝が変わる都度廃棄して殆ど何も残っていません。
我が国では,甚大な被害にあっても100年に一回の大津波が来るというくらいですから津波が去ったあくる日から、(高台に移れと言われても100年先のことなら自分が生きているうちは関係がないので)元に戻って復興したくなる気持ちが分ります。
豊かな社会になって「はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」という啄木の歌は今では共鳴する人が減っています。
豊かになった現在では食うために已むなく働く苦しい人が減って、勤勉こそが生き甲斐という人が増えて来たので、資源がない・・あるいはせっかく作っても繰り返し到来する台風や地震等の災害で損なわれてしまうのは次から次へと仕事があって幸運です。
江戸時代には、火事ばかりでしょっ中新しい家にみんな住んでいられた・・大工の仕事が多かったのと同じです。
しょっ中作り直さねばならないのでは、大変と言えば大変ではあるけれども、再興する楽しみがあるし(何しろどんな甚大な被害受けても翌年には、草木が新芽を出す気候風土です)働くのが大好きな日本人向きで幸せなことです。
我が国の勤勉性は(過去から未来永劫毎日が天災であるアフガンのように手を付けられないほどの荒涼とした風景になってしまわない・・・やる気をなくしてしまわない程度の)ほどほどの天災がしょっ中来ることによって鍛えられ、培われて来ました。

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