事前準備6(用地取得)

ムラ全体の移転用地取得となれば土地取得資金は大きそうですが、過疎地の山林などはバブル期でも一町歩百万円単位で普通は買えましたし、(過疎地ではない千葉近郊の普通の農村地帯の農地でも最近一反歩数十万円以上も言えば買い手がつかない状態ですから、過疎地の山奥あるいは過疎になってしまった山里の荒れた農地などを何十町歩買ってもそれほどの額にならない筈です。
倒産したゴルフ場やリゾート開発地も一杯ありますので、長期的スパーンで用地取得して行けばそうした土地を購入出来るなどいくらでも安く手に入れるチャンスがあります。
原野商法で破綻している那須高原などの別荘用地(図上の区画に過ぎないものもあれば、実際に道路まで造ってる用地もあります)など、何十年単位でゆっくり入手計画すれば、ただみたいに大規模に安く土地は手に入れられます。
各地の大規模リゾート・・たとえば簡保で設立したグリーンピアは、広大な敷地と立派な建物付きですが、ただみたいな値段で処分していましたが、これなども先行取得しておけば巨大な建物付きですから、イザとなれば避難施設としてそのまま・・何十年単位で放置しておけば維持コストもかからず、イザとなれば少し手入れが必要としても短期間で住めるように出来ます。
こうした大暴落している巨大開発用地の取得費に使って行くと、市場価格の乱高下に対してのアンカー役にもなって大暴落を防ぐ軟着陸手段としての意義も併せ持つメリットがあります。
現在のパニック的避難に比べて移動もバラバラでなくバスなどで計画的に一緒に行動出来るし、予定した資材を秩序だって用いるので、今回の応急対応に比べてかなり安く出来る上に個々人の希望に合わせて別荘建築して行けば、内容的にも満足度が高い筈です。。
別荘用建物建築まで進んでいない場合でも予め各戸の希望を聞いたオプション付き仮設住宅の場合、事前擦り合わせがあれば各人も避難生活によるマイナスが少ないし、今の緊急的資材調達に比べてかなり安く出来る筈です。
平和時に事前説明会があって、各家庭の希望を聞いてオプション付きで計画し・・例えば居住用住宅では一戸当たり一定額までは公的資金を出して、それ以上は自己資金をプラスして好きな家を建てる・・役場・医療その他事業所関係を仮設施設をまとめて中心部に造り、そこに入居させて内装費の何%または一定額まで補助するなどすれば、民の需要に応じたものが出来ます。
こうしたやり方は長期的擦り合わせが必要でもあり、また時間が充分にあって可能ですので、(一旦決めても時代の進展に応じた変化があるので・・介護事業所やコンビニなどは昔はなかったでしょう)数年ごとに見直し作業が必要ですが、貰った資金の一部はこうした事務経費に充てるべきです。
事前擦り合わせなしに混乱下でしゃにむに安物の規格品を造るよりは、結局は無駄がなくて安く済むし、これまで書いて来た運用益を考えてもせいぜい貰っていた交付金の何十分〜何百分の一で足りる筈です。
政府発表では、避難世帯は約7万人らしいのでもしも事前に別荘を建てる人が一人もいない場合でも避難用住宅はその6〜7割の人向けで足りるでしょう。
(この機会に東京や大阪の娘や息子の家に移る・・高齢者が細々とやっていた自営の食堂や理髪店をこの際やめるなどの変化があります)
仮設住戸と言っても現在のような画一的な形式ではなく、予めの擦り合わせをしておけば、単身用、2人用、3人用、4人用・・あるいは男女の違いや高齢者足腰の弱っている人その他の違いに応じて、多様な家を準備出来きめ細かに対応出来ます。
高齢者については、単身者でも若者のルームシェアーを参考に浴室、台所、洗面所などの共同形式の方が、見守りがし易くなります。
大規模避難が20年に一回もあれば大変なことですから、(その頻度で今回のような事故が起きる前提ならば、初めっからやらない方が言いでしょう)3〜40年計画・・この間に貰ったお金をほぼこのために使いきっても良いのです。
このように予め設計や仕様が決まっていれば、業者もある程度の準備をしておけますし、いきなりゼロから注文するのと違って大分安く・且つ早く出来る筈です。
いきなりですといろんな計画の前提になる行政資料が散逸してしまうなどのリスクがありますが、予め移転用役場も決まっていれば数ヶ月〜半年遅れ程度で、バックアップしておけますので、水没その他の消失リスクが減少します。
遠く離れた避難予定地の管理事務所を役場の支所みたいに普段から利用していれば、住民登録・保険・介護・その他のデータもリアルタイムで、その支所のパソコンに入力される仕組みに出来ていたでしょう。
(千葉市で言えばどこの区役所窓口でも住民票が交付されますが、そのバックアップシステム(紙記録の場合ダブる保管場所としても)を遠く離れた避難予定地の事務所に設けておけば良いのです)

用地取得とリゾート開発の心

避難用地取得のテーマで書いているうちに大分横にそれていましたが、仮に用地取得した場合を書いてきましょう。
予め土地取得して分譲予定の段階では、現実に住むようになるまで道路の形状の造成程度でとどめておくのが合理的です。
緊急時仮設住宅を建設する時に備えて道路造成と水(地下水のくみ上げ・濾過装置・水質検査など)や電気だけは予め引いておく必要がありますが・・・舗装までして何十年も放置していると駄目になるので、できるだけ陳腐化する投資はしない方が良いでしょう・・。
仮設住宅建設予定地あるいは生活利便設備建設予定地への進入道路予定地には、砂利を敷いて道路の形状だけ造っておけば、超期間経過で草ぼうぼうになっていてもイザとなった時にブルで地ならしをすれば、直ぐ仮設住宅・仮設店舗等の着工が出来ます。
自治体としては用地だけ確保しておいて、早めに別荘生活をしたい人は自分で好きな建物を建てて、順次移転を開始して行けば良いのです。
勿論一般商業的な分譲も拒まず、むしろその方面の客が来れば、その客向けの利便設備もそろい易いし、何かと便利です
政府から貰った巨額資金のうち約半分で用地取得や運営センターその他インフラ整備や管理費を賄うこととし、残り半分を個別分配資金として別荘建設・移転等補助金を出せば、(個人にとっては土地代がただですから、)のある程度(一般リゾート分譲地にあるグレード以上)の別荘向け木造家屋が建てられるでしょう。
こうして事故が起きる前から徐々に移転を促進しておけば、危険地域内住民自体が減少しているか、残っていた人でもイザとなっても自分の別荘に一時避難するだけで済みます。
事故発生時までに別荘用建物建築まで進まなかった人たちには、別荘村のセンター建物に(現在の体育館に寝泊まりする代わり)その他の施設に(林間学校用宿舎など)一時避難してもらい、その間に各戸あてに予定していた別荘用地に急いで仮設住宅を建設することになります。
(その費用は各戸あて分配すべき予定資金から控除となります)
徐々に別荘建築が進んでいる途中での放射能漏れ事故の場合、別荘村がある程度機能し始めて顧客向けのインフラ(コンビニ等各種設備)もある程度そろっているので、緊急避難者向けのちょっとした追加設備を造るだけで足りることになります。
私は20年以上前から八ヶ岳山麓の別荘村を開発しているリゾート会員になっていますが、(子供が大きくなってからは20年ほど別荘タイプのそこには行ってないので、今はどうなっているか不明ですが、そこでは長期滞在用に当初からミニスーパーも併設されていましたが、この姿をイメージして書いています。
放射能漏れ事故の場合、1〜2泊ではなく長期移転が前提ですから、避難先には食料品その他生活必需品の供給施設、教育施設(保育所から小中まで)や介護や医療、美容院、ドラグストアー、コンビにやスーパー等生活利便施設の併設が必須です。
現在のようにでたらめに空いている体育館へや廃校舍に避難し、仮設住宅を建てるにしても住宅だけ建てるのでは、そこに入居した人たちの生活が成り立ちません。
現在社会では何もかも(食料が自給出来ないだけではなく身の回りの世話さえ介護業者に頼る時代ですし、医師さえいれば良いのではなく薬局も必要です)外部供給に頼っているので、総合的な一括移転がないと生活が出来ないために、せっかく出来上がった仮設住宅の抽選にあたっても結果的に2割の入居辞退したとも言われています。
村全体でまとまって移転する計画があって、その用地を確保しておけば、原発周辺の人たちもかなり安心出来ますし、こうした予定地に関しては開発行為の特例として法的手続きも整備しておくことは可能です。
(今回はこうした手続き整備もなかったので、空き地があっても農地転用や開発行為の手続きが難しいなどの問題がありました。)
June 19, 2011事前準備6(移転奨励3)まで書いて来た巨額資金を活用すれば、村の機能・人のつながりを維持してそのまままとまって移転するような一定の準備をしておくことは可能です。
仮に事前に別荘建築する人がいなくとも、用地さえ取得しておいて各戸あての分譲予定地まで決まっていれば、残っている住民にとってもイザとなればそこへ行けば良いのだと言う安心感が違います。
まとまって行けば・・役場は言うまでもなくコンビニ(町の規模によっては小さなスーパー)や魚屋、八百屋、居酒屋、美容院、医療機関、介護事業所、学校や保育所その他の町や村の機能(ムラ社会で点在していたのを一カ所にまとめるだけです)もそのまま移転すれば、(ついて行けない農業・牧畜などの例外を除けば、)避難地での生活にも困りませんし、それぞれ元のお店や保育所などがそのまま移転すれば失業も少ないでしょう。
それぞれの仕入れ先・供給ルートに関しては「イザと言う時にはこうして下さい」などの事前協議である程度解決しておくことが可能です。
もしかしたら町内の零細工業所も取得用地内に一定の工業団地的な事業所用地が準備されていれば、人の避難・移転について、一緒に移転するかも知れません。
農業や牧畜自体の移転は難しいようですが、これも山間僻地の大規模用地取得のときには、過疎地で既に休耕・荒れ地になっている農地や採草地が多いので、予め借り上げる契約・・あるいは購入しておけば、イザとなれば牛や鶏なども連れて引っ越し出来ます。
各種事業所なども立地条件次第で、自治体の用意した土地あるいは近くの土地を手当てしたり、あるいは都会に出る個人同様に、まるで関係ないところに事業予定地を自分で手当する企業も出てくるでしょう。

共同体離脱金2

 

共同体離脱に対する後ろめたさ・・ひいては離脱補助金交付に対する反発は合理的ではないことを書いてきましたが、故郷から出て行く方法として村の用意した用地内だと仕事がないが・・少し離れた場所に移転すれば就職先がある場合もあるでしょうし、あるいは自治体の取得した用地外ならば農地や牧畜(養鶏や養豚など)用地を個人的に取得し、家業を続けられる人もいるでしょう。
こうした人へも補助金・交付金の分配をすべきだとすれば、全く関係のない遠方へ移住したい人にだけ一銭も出さない合理性がありません。
そこにあるのは共同体から完全離脱するかしないかの区別しかないことになります。
昨日まで書いて来たように共同体維持の必要性が減少しているのですから、共同体維持・存続意識(忠誠心?)の強弱を基準にするのは誤りですから、今後自治体の用意した用地利用その他のサービスを受ける権利放棄と引き換えに自治体の取得した用地内に転居する人が貰える補助金と同額資金プラスアルファを貰いたいと言うのを拒む理由はないと思えます。
実際には危機でもないときに予め転地したいから転地費用をくれと言われても、地元に残り続ける人たちの心情・政治的にはすんなりと行かないでしょうが、そもそも早期転出奨励こそが自治体の役目とすれば何も疑問がありません。
それに自治体自身が元々危機が具体的でないにも拘らず、将来「不安だ」と言うだけで政府から前もって(モデル計算によれば運転開始までに9000億の半額貰うのですが、土木工事中に放射能漏れの危険などあり得ないことは誰にも分ります)巨額の交付金をもらっているのに、住民の要望に対して自治体が「何の危機も具体化していないのに不安だけでは前もって渡せない」と言うのは背理です。
別荘建設や移動の費用として政府から貰った交付金の半額(用地取得その他自治体で負担する費用があるので)までを村に残った人には仮に補助するとしたら、一緒に行動しないで独自ルートで生活してくれる人(後は何の世話にもならないと言う人)は、一緒に行動している人よりも自治体に掛ける迷惑が少なくなるのですから、最後まで行動を共にする人と同額補助金プラスアルファ(早期割増金)を支給しない理由はありません。
これに対して、交付金は住民に対して配るべきものではなく「地元振興策として交付されているものである」と言う立場による反対が考えられます。
国土の均衡ある発展を図る国策には、04/29/04「過疎地域活性化特別措置法2(過疎地とは?5)」その他のコラムで以前から繰り返し反対していますが、政治は生身の国民や住民の福利のためにあるべきであって、国土や自治体のためにあるべきではありません。
国土の発展は住民の増加によるのではなく、むしろ域内のビニールハウスや人を減らして緑したたる緑地を増大しても国民が豊かな生活を出来るようにすることこそが、この言葉に似つかわしいでしょう。
この地域は危険だからと言って交付金をもらいながら、その地域の振興策・人口増加あるいは維持策をとるのは矛盾することについては、2011-6-18事前準備5(移転2)で書きました。
予め別荘用地に建物を取得していた一家にとっては危険地帯に残っていてもイザ避難となっても別荘に一時避難すれば済みます。
別荘には家財道具もある程度そろっていて道具の不足分は車で持って行けるし(緊急避難とは言っても津波のように寸刻を争う必要がなく、車に荷物を積む程度の時間の余裕はありますし、また何が足りないかも予め知ってます)現在のように体育館に雑魚寝するよりは比較にならないほど良かったでしょう。
この避難準備も10日20日の避難ならば体育館よりは有効で申し分ないですが、半年、1年と長期化すれば仕事先が心配になりますから、介護関係など顧客減少に困らない仕事の人の場合にはこの方法がベストでしょう。
水産加工業や漁業者の場合、場所が変わればおしまいですから、この種職業従事者にとってはお金を配ってもらった方が合理的です。
別荘建設まで進まないで取り残されていた人たちだけが、緊急避難の対象者となって身体的には何の故障もない元気な人に対してまで、自治体が住むところから食事の配給や医師の派遣など何から何まで生活の世話までしなければならないことなります。
ですから原発立地後一定期間内に転出もしない、自分の好みの別荘すらも建てない人に対しては、標準的な別荘を建てて強制割り当て(その分支給金を減らす)してのが妥当です。

郷土愛とは?

郷土を愛する心をマスコミが英雄のごとく賛美してやまないのですが、マスコミのムード報道にごまかされてその方向に地元民が突っ走ると時代錯誤な結果・・資源の無駄遣いになってしまいます。
郷土愛とは何かですが、自分の生まれ育った風土を愛する・・郷愁を大切にする気持ちは故郷を出た誰もが持っているものでしょう。
(都会のマンション等で育った人にはこれもないかな?)

  かにかくに渋民村は恋しかりおもいでの山おもいでの川

啄木ならずとも地方から都会に出た人にとっては、「ウサギ追いしかの山・・かの川」は大切なものです。
しかし、久しぶりにふる里に帰ってみると、終日遊び暮らしていた広々とした川原がコンクリの堤防に遮られて狭苦しくなっていたり、山肌が削られてコンクリートの擁壁になっていたりして、その変貌に驚く人が多いと思います。(驚くのは60代以降の世代だけかな?)
この変貌を推進していたのは、地元に残った郷土を愛すると主張している人たちなのです。
風土や故郷のたたずまい・・自然そのものは、震災にあった人々が必死に復興作業をしなくとも自然治癒力があって元に戻して行くものです。
崖の崩れたところを急いでコンクリートで補強しなくとも、自然に委ねれば優しくいつの間にかなだらかな起伏にしてビロードのような草や樹木を繁茂させるでしょう。
「郷土の復活を強く願う」意味内容は、ここ数十年土木業者が人工的に築き上げてきた人工物の復興と言うことでしょうか?
天災があると自然の猛威とか脅威と表現しますが、これもせっかく先人や自分が努力して自然を改変(破壊?)したものを、自然の復元力によって崖崩れなどによって元の自然の形に戻されてしまったことを言うようです。
山肌を削って道路や鉄道を通している場合、崖崩れによって鉄道や道路が埋まったり線路の路盤が崩れたりするのは自然による当然の復元作用・治癒力と言うべきです。
今回の陸前高田や石巻の惨状を見ても、自然から見れば人の造ったよけいな物をなぎ倒して自然に戻しただけだと言うことになるのでしょう。
人間が努力しなくとも草や樹木の生えるべきところには新たに草や樹木が生えて、汽水湖のようになるべきところは汽水湖となり、あるいは干潟となって新たな自然・形状が出来上がります。
現在の干潟や汽水湖も何らかの自然現象の結果生じたに過ぎませんから、干潟になる前の状態をよしとするならば、あちこちでの干潟を守る運動など意味が有りません。
東京駅前もつい数百年前までは八重洲と言う海岸線だったのですから、どの時点に復元するのかの問題になり議論は果てないので、結局は自然現象の結果は自然に任せて人間は自然現象による変化に合わせて適応して行くのが合理的と言うことでしょう。
郷土愛に燃えて復興を叫んでいる人は、この自然の営みに適応して行くよりは反抗しようと呼びかけているに過ぎないことになります。
人が生き易いように最近まで自然を改変して来たのが正しかったとしても、これが自然の反抗によってぶっ壊されて元に戻されてしまったとしたら、この際、今後100年の計として、どのように自然を変えて行くのが正しいかは別問題です。
100年経過した古い工場や商店が火災にあった時に、元のまま再建する人はいないでしょう。
(外見はそのままでも内装や配置している機械を変えるなど今後100年に適応して行ける工夫が必要です)
先人や父親の真似だけしてそっくり復興するのでは芸がないのは当然の智恵となっています。
商店や工場で言えば、競争相手に負け続けて漸く持ち堪えている状態(あと数年・・自分が隠退するまで赤字でも維持して行きたい・・・)の商店や工場が火災等に遭った場合、元のままに再建出来る保険金が入っても新戦略がない場合、火災等の被害にあった機会に土地を更地にして撤退するのが普通です。
神戸の震災復興では、元の古いしもた屋を(神戸の歴史を守れと)復元・建て直したものではありません。
今回の大震災被害にあった地域では、従来の過疎化が進む一方の地域で・・・じり貧のまま漸く持ちこたえて来た古い商店や事業所あるいは老人だけが住んでいた家が多かったとすれば、(高齢者が町中で経営していた古い店舗をもう一度再開するんだと頑張っている姿を英雄のように持ち上げていますが・・・)再建したい・・郷土を守る訴え・心情を美化して報道し過ぎると間違う人が出てきます。

共同体意識2(崩壊)

昭和30年代から進んだ山村等の過疎地ではまだ日本が貧しい時代の名残で家の造りが貧弱だったので、無人になるとそのまま朽ち果てて行くのが目に見えたのですが(日本画家向井潤吉の世界です)、昭和50年代から進んだ空洞化は日本がかなり豊かになって以降ですので、家の造りが割に良くて外見上では簡単に分りません。
シャッター通りで表現される商店街は客が来なくなったことによるもので家は立派でもシャッターが閉まっている状態ですから、外見上分りよいですが、これにほぼ比例して農村に限らず地方小都市では一般住戸・農家でも家の内部空洞化がすごい勢いで進んでいます。
シャッター通りは郊外型巨大店舗が出来たことを目の敵にしてマスコミが報道していますが、そればかりではなく、地方住民の空洞化が元々進んでいたのです。
千葉から鴨川までの高速バスを利用すると、途中から高速を下りて久留里の小さな盆地らしい地域の旧道を通過するのですが、(久留里城のあるところです)ここには特に大きな郊外型店舗が出来ている訳ではないものの、道路沿いの駅前旧商店街はほぼ死に態です。
50年ほど前から農村経済が縮小し近郷近在からの買い物客が減少し始めた上に、残った僅かな客も車社会化でここ数十年くらいは10〜20kmくらい先の木更津など中核都市に客を奪われてしまったのです。
この20年くらいは高速道路化の進展によって、周辺の客を奪っていた木更津自体が(東京湾横断道路によって15分で川崎、30分ほどで横浜や東京駅につきます)川崎や千葉市に客を奪われて地盤沈下・不景気に苦しんでいます。
今では、久留里周辺の住民が買い物に都会に出るのではなく、木更津を通り越して千葉や市川、船橋等の都会に出てしまっている様子です。
(4〜5人家族だった家で言えば、子供が進学や就職で30〜40年ほど前から都会に出てしまい、その内父親も亡くなっておばあさん一人と言う家が多くなり最後は空き家になるパターンです)
2007年4月に犬吠埼灯台へ行ったついでに銚子市内を散策したことがありますが、市街の規模は大きくしかも家は割合いに新しい(せいぜい手直し後または新築後3〜40年前後?)のでその頃まで、現役世代または退職金で新築した感じですが、現状はかなり無人の家が多い様子で町中がシーンとしていて、この先どうなるのかな?と言う印象を受けました。
銚子よりも千葉に特急で30分ほど近い八日市場駅(千葉から特急50分です)周辺の市街地・数年前まで八日市場市→今は匝瑳市と言いますが、この市街地へは千葉地裁八日市場支部があるので時々行きますが、そこは地名の通り地域の中心的市場として栄えた歴史があるらしくいくつもの立派な寺院があって、(平成2年に立派な寺院で行われた地元弁護士の葬儀に参列したこともあります)明治の最初から裁判所もある古い場所です。
この市街は広大な水田地帯の真ん中にあるので、現役の漁港を擁する銚子に比べて衰退が早かったらしく、ここなどは築5〜60年以上経過したような家が多く、最早完全に過去の町になりきっている感じです。
農業が駄目になって農村が疲弊したのではなく、同じ生産量の場合、その他産業が機械化によって3倍5倍10倍と生産性が上がるとその上昇力に比例出来ず、ひいては従来と同じ人口を養えなくなって人口流出が続いて行くのですが、銚子漁港の場合、生活水準の向上によって魚類の消費量が増えて価格が上昇し、近代化(機械化)に連れて遠洋漁業に進出して漁場も広がり生産性が上がっていたので、昭和50年代までは元気でした。
(小舟を操って沿岸漁業していたときは農業で言えば一戸たり5〜6反部の規模だったのが、2〜30町歩に規模拡大したような変化でした)
漁獲制限や排他的経済水域制が発達して来て、日本漁業の拡大が頭打ちになった50年代からは元気がなくなっています。
これは銚子漁港に限らず、大手水産会社が元気をなくして行った時期とも一致します。
昭和40年代までは高校野球では銚子商業高校の活躍、川崎市を本拠とするプロ野球の大洋ホエールズ(スポンサーは大洋漁業)があったのですが、これが1978(昭和53)年撤退して横浜に売却されてしまったのがその象徴です。
私が弁護士になった頃には、八日市場駅周辺から千葉の県庁や裁判所(書記官)、千葉市内の企業へ通っている50代の人が結構いましたが、今ではこうした人はとっくに見かけなくなっていますので多分その多くは鬼籍に入っていることでしょう。
今春久しぶりに(ここ5〜6年に行ってない記憶です)八日市場支部へ行ったときに、先輩弁護士の家の前を通ると雨戸が閉まっていたので、支部の人に消息を尋ねると数年前に亡くなったとのことでした。
裁判所へ行く裏通りは元の旧街道らしく私より3〜40年以上先輩の弁護士の家が並んでいたものでしたが、いずれもなくなって以来門を閉ざし、無人の屋敷になっている様子になって久しく(いつの間にか空き地になっているのもあります)上記弁護士一人が残っていたのです。
このように地方では共同体意識は崩壊しつつあったにも拘らず(あるいはほぼ崩壊してしまっている集落が殆どでしょう)、これを大震災被害に対する世間の同情心をテコに「無理」に復活させようとしても、前提になる共同生活(水利の共同利用管理など)がなくなっているのですから、無理なものは無理です。
震災被害に対する同情心を利用して、既になくなりつつあって崩壊寸前あるいは最早存在していない共同体意識を強調している人がホンの少数いるだけではないでしょうか?
ドン・キホーテのように、滅び去った価値観にこだわる人の姿はどこか人の心を撃つものですが・・・。

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