取締役の責任1

 我が国の企業体では内部昇進(社長に抜擢されるの)が原則ですので、取締役は大名家の家老のような意識・存在で社長に忠誠を尽くすことが予定されている意識です。
取締役が会社に対する忠実義務に反して会社に損害を与えれば損害賠償責任があるのは理の当然で、誰もこれを怪しまないでしょう。
しかし、会社(社長独走)の不法行為で会社が第三者に損害を与えた時に、社長の暴走を止めなかった平取締役に対して取締役会の社長に対する監督責任を問える仕組みが商法時代(266条の3)→から現行の会社法(429条)に引き継がれています。
家老的立場に上り詰めた取締役としては忠誠心を試されるのは分りますが、社長に対する監視責任・・役割を法律で決めてあると言われてもピンと来ませんし、実際には機能しないのは当然です。
いくつかの取締役選出母体があってそれぞれの選出母体の利害に基づいて取締役会議で合議するのではなく、社長の一存(忠誠心と忠誠心発揮能力レベル)で取締役に抜擢される現状を前提にすると社長に対する監視・監督責任が法律に書いてあるからと言う理由が強調され、巨額賠償を請求されても、追求される取締役としては違和感があるでしょう。
ときに社長による企業の私物化・暴走が止められない事件(三越の岡田事件その他有名な事件も一杯あります)が起きるので、一罰百戒的に取締役の連帯責任が強調されているのでしょう。
責任を問われた多くの取締役は、自分の上司である(主君のような感覚の)社長に対する監視責任と言われても心からの納得をしていないものの、「一緒に一生懸命やったのだから、社長一人の責任ではなく自分もその結果責任を問われるのは仕方がない」と言う諦め方で受け入れているものと思われます。
選任経過やわが国の歴史を前提にすれば、監視責任を問うよりは上(主君・・今はトップと言う言い方がはやっています)を支えるために一心同体の行動をして来た共同行為責任を問う方が、責任を問われる方の気持ちにしっくりします。
内閣の連帯責任と似ていますが、内閣の場合政治責任の連帯・・総辞職があるだけで、損害賠償責任まではありません。
営利団体である会社の場合、ウマいことするだけ一緒にしていて辞職だけすれば良い・解任(政治責任)だけでは済まないので、経済上の責任を求める必要があるのでしょうか。
内部昇進の取締役に自分を抜擢してくれたトップを監視するのを期待するのは無理があるので、最近しきりに外部取締役の必要性が宣伝されています。
上下関係がない点はいいのですが、監査役同様に自分に声をかけてくれた現執行部に義理があるので意外に面と向かっての反対意見を言い難いのと、外部取締役は同業他社でない限りその業界の仕事に精通していないので(世界企業の場合)膨大な案件が上程される取締役会でマトモな意見を言えない・・反対の論陣を張れないところにあります。
ある事業案件に一緒に同意したから・・あるいは反対していなかったから、その失敗の責任があると言われるのでは、荷が重すぎます。
まじめに考えれば、社外取締役など滅多に引き受けられない筈ですが・・・。
次回紹介するように「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったとき」(会社法429条)だけですが、どんな場合に悪意重過失になるかについては平成17年に会社法制定される前の商法266条(条文の文言は同じです)の時代に膨大な判例の集積があります。
我々中小企業相手の市井の弁護士にとっては、商法266の3の旧条文は、個人事業主が倒産等で個人責任を追及したりされたりする時にいつも使われていた有名な条文でした。

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