危機管理の事前準備・・トレーニングの必要性

トランプ政権成立以降、米国の対中政策が強硬となり、G20会議を利用して18年12月1日に米中首脳会談を行い90日間の猶予(中国の対米提案を待つ)を米国が与えた形ですが、この記事は16年5月頃に書いていた中韓の反日運動への関心シリーズの続きの原稿の続きです。
今年8月に1ヶ月間ほどサーバーの不具合で在庫の記事ばかり(無気力に?)掲載していた結果、時事問題をテーマにしたブログを書く習慣がなくなってしまい、いまだに在庫整理的掲載が続いています。
中国経済がハードランニングを恐れて時間稼ぎをすればするほど、その間に経済規模が縮小し、世界での存在を小さくして行く期待感で16年5月ころに書いていた原稿です。
2014〜5年ころからの中国経済の変調が起きると資源爆買いがおさまり、購買力が落ちている・・15年からの原油や資源値下がりの主因はこれですので、その分資源国その他への影響力が着実に下がっています。
(ただし経済縮小が始まるとじりじり犯罪目的の来日が増えるリスクがありますが・・・)
これこそが正に中国政府の言う「新常態・ニューノーマル」です。
トランプの対中高関税の脅し以来米中関係は緊張激化の一途ですが、今朝の日経新聞第一面には、「工作機械受注が10月23ヶ月ぶりに前年同月を割り込んだ。主因は中国が36、5%も減少したことだ」と書いていて、いかに中国が日本にとって大切かのトーンですが、対中輸出減を連日煽って日本にとって大変な不利益になる・・米中の争いが激化するのは日日本にとって大きな不利益だから米中間を取り持つ必要があるという長期的論調です。
中国の減速は一時的には大問題でしょうが、このように傾向が続くとチャイナプラスワンの流れが加速するだけのことであって、中長期的には中国の存在感が縮小していくはずです。
米国の対中関税強化で中国の対米輸出が減れば、その穴を埋めるために東南アジア諸国が米国向け輸出を増やす・・生産増になるでしょうから、日本は東南アジア諸国への工作機械輸出を伸ばせばいいのであって、一時の輸出減にしかなりません。
中国では債務が激増しているのに投資が増えない・・これは投資のための債務増加ではなく債務返済用の借り換え需要が中心になっていることを表していますが、こう言う状態では赤字輸出も高値で仕入れてしまった在庫がなくなれば、赤ジウhs鬱用の資源h輸入を続けれないので生産が止まるしかありません。
中国経済がガン細胞のように(ガンそのものと言う見方もあるでしょうが)ドンドン小さくなって(場合によっては四分五裂してから・・ただしこの段階で混乱を避けてかなりの灰色難民が日本へ来るでしょう・・)から、デフォルトしてくれるのが、世界経済にとって最も理想的な形です。
北朝鮮であれ韓国であれ、イキナリの大混乱は日本に迷惑だと言う現実的思惑があって、(嫌韓派が怒るでしょうが・・)韓国がつぶれそうになるとスワップ協定してやるしかないか?などと言う動きが出て来ます。
実際に海運会社「韓進」が16年だったか準備なく(無責任に)つぶれてしまい、輸送中の世界中の荷主が迷惑を受けています。
荷役や港湾利用料その他の支払い保証がないので、世界中の港湾に接岸させてもらえず荷揚げが止まっているのですが、これを救済するために?日本の裁判所が神戸港での荷揚げ命令?を出したと言うニュースが流れています。
日本の買い主が、荷物が入らないと生産活動に支障が出るから無償で接岸させろと言うのかあるいは買い主の支払い保証があるから?でしょうか?
これが国家規模のデフォルトになれば大きな迷惑が起きることは間違いがありません。これを防ぎ損害を最小化するにはニッポンが出来るだけ中韓との取引を減らしておくことです。
中韓企業の商品やサービスは半値でも注文しないなどの保険的コスト負担が必要です・・つぶれそうな会社の値引き勧誘にうっかり乗ると酷い目に遭います。
ここで中国の永続的反日戦略がいつ始まったかの関心ですが、これは・・中国の天安門事件による国際孤立による危機感が発端であると考えられます。
天安門事件に関するhttps://ja.wikipedia.org/wikiで時系列を見ておきましょう。

「1989年6月4日(日曜日)に、同年4月の胡耀邦元党総書記の死をきっかけとして、中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺した[1][2])し、多数の死傷者を出した事件である。」
江沢民に関するウイキペデイアの記事です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%B2%A2%E6%B0%91
対日関係
天安門事件直後の1989年6月21日、日本政府は第3次円借款の見合わせを通告し、フランスなどもこれに応じた。7月の先進国首脳会議(アルシュ・サミット)でも中国の民主化弾圧を非難し、世界銀行の中国に対する新規融資の延期に同意する政治宣言が発表された。円借款自体は1991年8月の海部俊樹首相の訪中によって再開されたものの、中国が国際的孤立から脱却するには天安門事件のイメージを払拭する必要があった。そのために江沢民政権は、1992年10月、今上天皇・皇后を中国訪問に招待した[31]。天皇訪中は日中関係史で歴史的な出来事だったが、西側諸国の対中制裁の突破口という側面もあった[32]。江沢民政権は1994年に「愛国主義教育実施要綱」を制定し、「抗日戦争勝利50周年」にあたる1995年から、徹底した反日教育を推進していった。同年9月3日に北京で開催された「首都各界による抗日戦争記念ならびに世界反ファシスト戦争勝利50周年大会」で江は演説し、日中戦争の被害者数をそれまでの軍民死亡2100万(抗日勝利40周年の1985年に中国共産党が発表した数値)から死傷者数を含めた上で3500万とした[33]。1998年8月には、「日本に対しては、台湾問題をとことん言い続けるとともに、歴史問題を終始強調し、しかも永遠に言い続けなくてはならない」と外国に駐在する特命全権大使など外交当局者を集めた会議で指示を出した[34]。江沢民の対日政策によって中国では反日感情が高まり、同時に日本でも嫌中意識が強まっていった。」
1997年10月、江沢民はアメリカ合衆国を訪問。ハワイ真珠湾へ立ち寄って戦艦アリゾナ記念館に献花を行い[43]、ここで日本の中国(当時の中国大陸は中華民国の中国国民党政府の統治下であった)「侵略」と真珠湾攻撃を批判した。
アメリカ合衆国との関係においては緊密な関係を築き、大統領であるビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュとも複数回にわたって会い、一緒にレジャーを過ごした事もある。ブッシュの叔父で米中商工会議所議長を務めたプレスコット・ブッシュ・ジュニアと江沢民は長年の友人[19]であるなどブッシュ家とは密接な関係を持ち、江沢民の息子である江綿恒はブッシュの弟で中国共産党入党の示唆[20]で中国国内で知られるニール・ブッシュと中国で会社を共同経営している[21]。1997年10月に訪米した際、江沢民とクリントンは両国関係を初めて「戦略的建設的パートナー」と表現して米中協調の枠組み作りを本格化させ・・・」

民法改正1

民法の抜本的大改正作業が内田貴元東大教授の努力で進んでいますが、その特徴は判例等で解釈が固まっている細かなルールまで法文に乗せてしまい、素人にも分り易くしようとするものですから、膨大な条文になりそうです。
(まじめに勉強していないので誤りがあるかも知れませんが、結果として膨大な条文になることは多分間違いがないでしょう・・)
新民法改正方向ではあまりにも条文が膨大になり過ぎて却って分り難いのではないかと玄人からすれば言いたくなりますが、この種議論も一種の抵抗勢力と言えるのでしょうか?
「民をして知らしべし」という思想からすれば少しでも分り易くすることは良いことかも知れません。
(ただし、学説判例で決まっている程度ですと柔軟に変化対応出来ますが、法律自体が細かすぎると社会のちょっとした変化がある都度、法律改正が必要になる・・時代変化に対応するのに時間がかかり過ぎる問題があることを7月29日に書きました・・)
今の民法の条文では、そこだけ見ても何のことやらさっぱり分らず、あちこちを総合して、さらに判例等をみないと答えが出て来ない・・法律学の訓練がないと条文だけ見ても訳が分らない仕組みです。
これでは素人にとっては法の意味を理解出来ないままですから、法治国家と言えないのではないかという疑問が生じます。
法治国家とは、国民が法を理解してこれを守るところに意味があるとすればそのとおりでしょう。
そうではなく、国民の代表である議会で制定した範囲のことしか権力行使出来ないようにする・・権力行使制限のために法治国家の思想があるとすれば、庶民全部が法律を理解していなくとも国民代表が理解して法制定に参画・同意していれば良いことになります。
権力の行使が法に違反しているかどうかについては最終的に裁判所が判断してくれる仕組みが今の原理ですから、国民個々人が法の明細を知っている必要はありません。
数日前から書いているように各種分野の規制・規則は専門化が進んでいるので、その職種に関係のない国民がこれを誰でもちょっと見たら分るようにすることにどれだけ意味があるのでしょうか?
原子力発電所の細かな技術基準や放射性治療室入室の規制その他飲食関連の保健衛生ルール・風俗営業法の規制・・建築基準法の鉄骨量やコンクリート等の基準など関係ない人が知っておく必要はありません。
廃棄物を勝手に棄ててはいけないらしいという程度のことを知っていれば良いことです。
業として行なうのに必要な知識を業者が身につけるべきは当然であっても、素人がちらっと見ただけで誰でも分るようになる必要はありません。
消費者はホテルやパチンコ屋、飲食店、航空機搭乗その他行った先の業種が守るべき規制法・マニュアルを知る必要がないし、専門的条項(原発の設計・仕様書に限らず、マンションなどの構造計算書や設計図書など見ても分らないでしょう)を見ても分らなくて当然です。
科学分野だけではなく金融取引のガイドライン等も金融取引に精通したプロ向けに作っているものであって、素人が見たら直ぐに分るものではありません。
一般人が知らないことを前提にクルマの運転免許を取得するには交通法規の専門的知識をテスト科目に入れているし、ボイラーマンその他全て資格試験・廃棄物処理業の許可等はこのような思想で出来上がっています。
建築の場合1級2級の建築士の資格試験があるのもこの原理によります。
これらを法律で決めれば、(その授権による規則・操作手順であってもこれに違反して事故が起きれば刑事罰の対象になる率が高くなります)国民の行動を縛るものだから、細部にわたるまで全て素人にも分るように法律に書けというのは、モーゼの十戒で間に合うような原始的単純社会の復活を望んでいるようなものです。

事前規制と事後審査5

事前規制・・ルール化の効用に戻ります。
細かな規制をする以上は、予想外の震災や事故等があれば耐震基準その他の対応基準がより精密になって行くように今後規制が詳細化する一方です。
その代わり、柔軟対応能力が必要です。
歩く程度ならばブレーキは不要ですが、自転車以上にスピードが出れば出るほどブレーキが必要になるようにモノゴトは高度化に比例して操作方法が複雑になります。
早くなれば方向転換能力(規制変更適応力)も比例して上げて行くしかないでしょう。
10日ほど前に私が出席した審議会では、大災害時の高齢者等弱者避難援助に関して、これらの名簿を町内会等へ配布する場合の基準造りに関するテーマでした。
このように着々と法(その下位の条例等の明細基準)整備が進んで行くと、法があってこれを受けた条例や内部規則が出来ている方がこれに従って町内会等に配布すればいいし、町内会長も関係者に配布するのに基準があった方が現場が迷わずに運用出来てスムースです。
運用の結果、その基準では実質的プライバシー侵害になる場合は,この基準自体が違法だと争う場合があるとしても、(もし基準に不備があって違法ならば新たな基準がそのときに定立されるので)一種の代表的裁判で終わってしまい事件数が大幅に減ります。
予めの配布基準を作らず放置していて、それぞれ現場での自己流の解釈でこの辺の範囲まで名簿を配っても良いだろう式でやらせた後で、広く配布し過ぎれば被害者はプライバシー侵害で訴えれば良いし、配布した方は無関係な人にまで配って訴えられるのは判断ミスだから自己責任というのではあまりにも乱暴過ぎます。
行動基準がないと萎縮し過ぎますし、無鉄砲な人だけが運用すると訴訟が増え過ぎます。
社会生活が円滑に進むには事前の明細基準整備・・マニュアル化が重要なことですから、行政の意思決定過程に(各種規則制定過程に)外部有識者による審議会等が多用されるようになります。
審議会出の実質的決定が増えて来ると審議会にかける以前に事務局作成の草案作成過程でも、7月25日に書いたように専門家が参加するようになって来たのは必然の結果でした。
野党になって外で反対と叫んでいるだけでは無責任ですから、公明党のように与党に入って少しでも意見を通す方に行くのも1つの方法です。
秘密保全法(スパイ防止法)制定機運のもり上がりに比例して、人権侵害リスクに敏感なグループでは反対運動が盛んになっていますが、反対と叫んでいるだけでは、中国韓国等の反日戦争でも始めかねない勢いを見ていると「スパイの好きにやらせておけば良い」という国民は少ないので法律になってしまいます。
本当に人権侵害が心配ならば、法律が出来てしまうのを座視するよりは、審議会・作業部会等に入って、人権侵害にならないように歯止めをかける工夫・努力をする方が合理的ではないでしょうか?
何事も決めるときに意見を入れてもらうよりも、決まったことの変更を求める方が大きなエネルギーが必要です。
民主党は沖縄の普天間基地問題で見込みもないのに、野党の気落さで反対ばかりしていて、政権を取って困ってしまいました。
企業では、株主が後日総会で社長らの責任追及するよりは、取締役会議の意思決定過程を合理的にチェックする社外役員が要請されるようになって来たのはこのような理由によります。
不祥事があると直ぐにマスコミが社外取締役の必要性を宣伝しますが、社外取締役の存在意義は不祥事チェックのためではなく、意思決定過程に内部昇格のイエスマンばかりではなく外部者の健全な意見反映を狙ったものであって、不正防止は副次効果と言うべきでしょう。
これと言った行動基準がなくて事後に争う制度・・アメリカのような訴訟社会は、事前にきめ細やかなルール造り・・合意の出来ない社会に必要な現象です。
きめ細かく決めておかないで行動するから事後にもめ事が頻発する社会は、価値観の一体化している(昔から暗黙裏に細かな行動基準の合意のある)日本文化から見れば、周回遅れの野蛮な制度ですから訴訟社会に憧れて真似する必要はありません。
法を整備さえすれば進歩した社会になるのではなく、その前段階、そのまた前段階の微細部分までみんなが理解出来、守ることの出来る社会こそが進んだ社会です。
我が国では法・・監視があるから守るのではなく、自発的に礼儀を守り家の周りを綺麗にするし、ゴミを散らしません。
礼儀作法・生活作法に至る隅々まで暗黙裏の社会合意のある社会でした。

事前規制と事後審査4(ルール整備と訴訟の減少2)

高度成長期以降に生じた公害等の発生・・あるいはいろんな分野で生活スタイルが急激に変化したので、旧来暗黙裡に成立していた社会合意形成によるのでは時間がかかり過ぎて間に合わなくなってきました。
新たな社会合意形成が自然に出来上がるの待っていると時間がかかりますので、この間に日進月歩の科学技術の革新・社会生活様式の絶えざる変化にいつも追いつかないどころか格差が広がるばかりで、・・被害拡大・・社会紛争が多発してしまいます。
自然発生的社会ルール合意の形成を待てないところから、一方で法制定に馴染まない(原子力発電所の細かい規制を考えても分るように技術基準を法で決めるのは無理があります・・化学プラント・建築基準その他全ての分野で)個別の運用基準(法以下の規則やガイドライン)等の整備をする一方で、既に発生してしまった被害発生の救済のために訴訟が必要になりました。
昭和40年代以降労災その他の被害回復訴訟(交通事故を含めて)が大量に発生したのは、規制の追いつかない場面で起きた現象と言えます。
公害や労災訴訟等と平行して,社会の自然発生的合意形成を待っていられない(いろんな分野で専門知識が必要になって来たので自然発生的合意形成に馴染まなくなったことも大きな違いです)ので、公害関連その他規則が充実した結果、世界一公害防止技術の発展した国になり、この種の紛争はなくなりました。
(クルマの普及比で中国その他後進国に比べて交通事故死も激減していることは周知のとおりです)
いつも例として書きますが、日照権紛争も、木造二階建てしかない住宅街にビルが建ち始めた当時はこれに関連した事前の社会合意があり得なかったので、一時続々と日照権紛争が起きましたが、この結果日照に関する条例(日影規制や近隣同意条項)が各自治体で制定されてからは、ほぼ皆無になりました。
ところでモクモクと煙が出るような被害は直ぐに問題点が分りますが、水俣病や石綿(アスベスト)や薬害訴訟等・・当時一般人には危険性さえ分らなかったことが後で分ることがあります。
規制当局や関連業界で早くから分っていたのにイキナリの規制では設備投資した業界が参ってしまうので、一般人に分らないことを良いことにして隠していたり規制を先送りしていた結果、被害拡大したのではないかと言う争いがこれら訴訟の核心です。
ここ数日の話題では福島原発の汚染水が海に流れ込んでいることの発表がありましたが、これが1〜2ヶ月前から井戸の水位計の関係で疑うべきだったのに軽視していた疑い・・社長が知ってから数日置いて公表したことに対する批判で、昔のように数十年単位で隠していたか否かどころか期間が大幅に短縮されて批判を浴びる時代になりました。
カネボウの美白化粧品の問題発表遅れや、三菱のリコール隠し問題も同じです。
高度成長期以降建築その他各種分野で専門技術化が進んでいるので、建築基準や交通ルールその他専門分野での暗黙の社会合意の成立は無理・・不可能になりっています。
(原子力に限らず普通の医療、介護、食品・最も原始的で従来暗黙の合意が可能と思われていた農業でさえ残留農薬基準・遺伝子組み換え等専門知識が必要です・・その他従来常識と思えていた日常的分野でも専門知識化が大幅に進んできました)
こうなると従来のように常識の生成発展に委ねていると(日照被害紛争の頻発で言えば、従来の一戸建て新築に際してご近所へのご挨拶程度・・精々騒音被害に対する意味くらいしかなかったでしょう)無理が出て来たのです。
社会の発展に連れていろんな分野で規制(細かなルールあるいはマニュアル化が)がドンドン必要になって行きこれが信用出来れば、多くの国民はこれに従って行動すれば足りるので便利ですし、事前規制が増えれば訴訟が減ることはあっても増えることはありません。
この結果何かする都度、規制をクリアーしているかの準備に多くのエネルギーがとられる・・迅速性が犠牲になりますが、準備しないで猪突猛進してから損害賠償訴訟に巻き込まれたり設備投資が無駄になるよりは、手堅くやる方がトータルとして経済性が高いと考えるのが先進諸国や簡単に倒産して夜逃げすることの出来ない大手企業の一致した思想です。
訴訟社会と言われるアメリカでも、金融その他先進分野では規制がもの凄く細かく複雑ですから、事前規制が多いのは日本特有のことではなく社会の進展度の差によることが明らかです。
この先端分野では、アメリカでも規制を守るか罰金等をとられるばかりで訴訟社会にはなっていないでしょう。
社会が高度化すれば約束事(上流社会ではTPOに応じて着るもの食事ルールその他礼儀作法がきめ細かくなるものです)が多くなるのはどこでも同じです。
今までアメリカは、遅れている粗野な分野が多過ぎて事前規制が少なかったので訴訟社会になっていたのです。
礼儀正しくしていれば滅多に喧嘩も起きません。

事前規制と事後審査3(ルール整備と訴訟の減少1)

現行法では、行政への国民の関与については以下条文を紹介しますが、いずれも既に行政が(不作為を含めて)決定した行為を後日争うものばかりです。
(裁判・訴訟制度はすべからくそう言うものです。)
前向き参画の制度がない・・法制度が遅れていることがこれでも分ります。
行政事件訴訟法(昭和三十七年五月十六日法律第百三十九号)
(抗告訴訟)
第三条  この法律において「抗告訴訟」とは、行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟をいう。
(当事者訴訟)
第四条  この法律において「当事者訴訟」とは、当事者間の法律関係を確認し又は形成する処分又は裁決に関する訴訟で法令の規定によりその法律関係の当事者の一方を被告とするもの及び公法上の法律関係に関する確認の訴えその他の公法上の法律関係に関する訴訟をいう。
(民衆訴訟)
第五条  この法律において「民衆訴訟」とは、国又は公共団体の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟で、選挙人たる資格その他自己の法律上の利益にかかわらない資格で提起するものをいう。
(機関訴訟)
第六条  この法律において「機関訴訟」とは、国又は公共団体の機関相互間における権限の存否又はその行使に関する紛争についての訴訟をいう。

近年の規制緩和政策に関連して、今後は事前規制ではなく事後に不都合があれば裁判で争う方式にするというのが、新しい思潮であるかの如く宣伝されています。
しかし、何もかも規制をなくして事件が起きてから損害賠償を請求すれば良いというのでは、あまりにも粗雑な社会になって、現実的ではありません。
全て規制をなくすという主張ではないのは当然ですが、規制・・予めのルールが少なければ少ないほど良いという主張を煎じ詰めればの話です。
一定の合理的な細かな規制が前もって存在すればそれを基準にみんな行動すれば済むし、(建築基準や保健衛生基準等々)それに反しているかどうか・・あるいは規制自体の有効性等を争う方が裁判も省エネです。
逆に規制出来るものは出来るだけ微に入り細にわたって出来ている方が合理的です。
交通事故で言えば予めスピードや信号機、一時停止義務,追い越し禁止区間などを細かく規制していれば、どちらが規制に反していた否かの事実の当てはめで過失割合が簡単に決まってきますが、速度規制や一時停止等の規制が決まっていない状態で事故が起きたときに、どちらの過失が大きいか、一々手探りで審査して行く必要が起きて効率が悪くなります。
(信号機がなくて一時停止の標識がない交差点の事故の場合、どちらが優先道路かを決めるために双方の道路幅を測るなどその都度無駄な作業が必要ですが、信号機や一時停止標識があれば簡単に決着がつきます。)
建築紛争でも、素人が鉄筋の量や柱が少なくて危険だと争うには(どの程度なら危険なのかの基準が不明瞭で、その都度いろんな学者の意見・・鑑定等が必要になりますが、鉄骨の使用基準が基準法で決まっていれば、基準法に違反しているか否かだけで簡単に勝負がつきます
その他全ての紛争は予め細かく基準が決まっている方が訴訟社会になっても争点が簡単になります。
事前規制を出来るだけやめて事後規制社会にして行くというスローガンで始まった小泉改革は、本来は時代の進運に反した思想です。
粗雑なアメリカ由来の訴訟社会にするのが正しいというだけで、恰も進んだ考えであるかのように誤ってマスコミが宣伝して来たことになります。
訴訟社会とは、ルールがはっきりない・・作れない低レベル社会に必要になる社会システムであって、進んだ社会ではむしろ例外減少と言うべきです。
高レベル・・日本のように高度な合意のある社会では、基準がきめ細かく分っていればどちらがその基準どおりにやったか否かだけが争点になって専門家がそれほど多く要りません。
事前に細かく基準が決まっていれば、訴訟が少ない社会となります。
基準自体が大雑把でアヤフヤですとリーガルセンスに長けた達人が必要になって、事前の法律相談が必要ですし、裁判をやってみないと分らないので紛争が多くなります。
基準が整備されていても社会の変化によって規則や制度自体の合理性が失われているのに、基準の改定が遅れているときにその狭間で起きた事件だけが、基準の合理性を争って是正を求める裁判になります。
もしも、その訴訟の結果既存のルールが違法と決まれば、直ぐにルールを改めて行くので、それが一種の代表訴訟となって新たなルールになって行く社会になります。
一人一人がバラバラと裁判しなくとも基準自体を誰かが代表して争えば良いので、訴訟がホンの少しで済みます。
我が国では訴訟が少ないのは権利意識が遅れているからだと文化人が言いますが、実際には、むしろ微に要り細にわたって社会的に細かくルールが(明文がないとしても価値観が安定しているので暗黙の合意が成立する社会でした)決まっている社会だったから、これ(常識)に従っていれば良いし、これに反すればムラ社会から相手にされない社会だったからです。
企業内の人間関係あるいは企業間でも暗黙のルールがあって、それに従って交渉等をしているのが普通です。

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