共同体意識1と離脱金支給

伝統的集落から早めに離脱して行く人に対して、その集落運営者が平均以上の早期割増金を払うのは心情的に抵抗があるのは分りますが、物事は心情重視では無理がでてきます。
大方心情重視と言うときは心情が社会実態の変化から乖離している・・社会実態に遅れているときに使う言葉でしょう。
稲作共同体の歴史が長かった我が国では、集落共同体を死守することが集団員の生活を守る命綱でしたし構成員は当然守るべき最低の義務であり美徳であると教え込まれて来たので、社会構造が大きく変わってしまってから100年前後も経過しているのに今回の大震災では未だにこれに執念を燃やす人・・「郷土愛の強い人がいる限り復興は出来る」などとたたえられる傾向があります。
現在のマスコミ報道で見ると、飽くまでふるさとに戻りたい・破壊された集落や元の事業の復活に執念を燃やしてる人がもっとも尊いかのように描かれ、これを賛美する意見が100%です。
原発の避難地域に限らず、津波で壊滅的被害を受けた地域とは、将来再度同じような惨禍が予想される地域でもあるのですから、同じ場所に復元であれ復興する発想は、遊水池の比喩で言えば豪雨で遊水池が水浸しになった後にもう一度同じ遊水池内に集落を復元する運動を賛美しているのと同類で、おかしなものです。  
復興するには今度は津波の来ない高台等別の場所に集落を復興すべきですが、そうなると同じ場所ではなくなるので、復興とは何かの問題に行き当たります。
元の同じ集落住民が別の場所でもう一度固まって住みたい・・濃厚な人間関係の維持・継続を願っている気持ちが中核にあって、出来れば元の集落の近くでありたいと言うことになるのでしょうか?
場所は二次的要素でしかなく(同じ場所またはその近くにこしたことはないとしても)少なくとも従来の人間関係を復活したいと言うのがその基本でしょうか。
日本では、今でも何故共同体意識を重視するのでしょうか?
勿論アメリカもこれを知っていて「ともだち作戦」とか言って、(なかなかのキャッチコピーと言うべきです)日本人の心情をくすぐります。
誰もが先ず共同体意識を重視するかのような発言をする智恵があるのは、(私は年甲斐もなくこうした智恵に疎いので本当のことを書きたくなりますが・・・)稲作社会では灌漑設備は共同でなければ維持出来ないので、共同体を重視するし、これを軽視する発言をする人は危険人物視されて来た長い歴史があってのことでしょう。
ムラ意識に関しては、2011年4月24日に書き始めたムラ八分の続きを、この後に書く予定ですが、ここでムラ意識について少し割り込むことになります。
近いところでは、明治維新で国許にいられなくなった伊達家や会津松平家、あるいは淡路の稲田家など集団移転して開拓に従事していますので日本人は集団行動が好きかと誤解しがちですが、(徳川家も静岡へ)これは開拓の特殊性によるものであって、開拓移住以外で各藩の武士等が東京や大阪へ移住するのには集団行動ではなく各人バラバラの移動です。
私が育った頃から、小中学校まで一緒でもその後は(昭和30年代以降)その殆どが進学や就職等で離ればなれになるのが普通で、江戸時代までのように生まれてから死ぬまで同じ集落で同じ農業に従事している人の方が少ない・・今や稀な時代です。
現在の郷土愛・・結局は共同体意識の復活を重視するマスコミ論調は、過去の村落共同生活・・今や存在しない亡霊を前提に賛美しているに過ぎません。
千葉県の過疎化の進んでいる地域で見ると、高度成長に取り残された農業で生活するのが苦しくなってからは、遠くの中核都市に職を得て朝早く出て夜遅く帰る生活となっているものの、職場が遠いので地元集落と日常的には何の関係もなくなって共同体意識がバラバラになっている・・と言うよりは、濃厚な人間関係を鬱陶しく思っている人が多くなっています。
農村にいながら水田を荒れ地にしている家が増えたのは、1つにはいろんなムラの共同作業参加が面倒くさく感じている人が増えた面も有るでしょう。
この第一世代・7〜80代の(鬱陶しい)意識を反映してか、次世代になると千葉や船橋周辺・都市部にアパートを借りたりマンションを購入したりして移転してしまい、共同体作業(鎮守の森の草刈その他一杯有ります・・)への参加など無視している世代です。
彼らは最早過疎地化しつつある実家に戻る気もないので、次の世代になると県のはずれの方では空き家がすでに増加しつつあります。

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