戸籍制度存在意義3(相続制度改正1)

例えば乱暴な話ですが、誰かに相続させたければ遺言を書いておくのを原則にして何も書いていない人は、誰にも相続させたい人がいないとみなして死亡後すべて国庫帰属にしてしまえば、相続人を捜すための戸籍制度は不要です。
現在の法定相続制廃止と同時に先祖伝来の世襲財産継続を前提とする遺留分権制度を全面廃止すべきです。
遺言する人が少ないことと遺留分権があることから、権利者確定のために戸籍登録が必要になっているのです。
急な死亡の場合、遺言を書くヒマがないと言う意見もあるでしょうが、遺言しておかなければ駄目となれば、誰でもたとえば20歳以降は年に1回は遺言を書く習慣にすれば良いし、すぐそうなるでしょう。
それでも書かない人は(遺産と言えるほどのものはないし)誰に遺産が行っても良いと言う人と見なして行けばいいことです。
昭和50年代にサラ金禍が始まった時に私は、どんどん破産申し立てをして行きましたが、その頃はまだ殆ど破産申し立てをする時代ではなく、弁護士が親族などと協議して「出来る範囲の弁済をするから残金を免除してくれ」と言う和解交渉をするのが普通でした。
弁護士仲間からも、私のやり方では借りておいて踏み倒すのを奨励するようなもので法を悪用したやり方であるとして、弁護士倫理に反するかのような言い方をされたことがあります。
これに対して私の反論は、むしろ親族が責任を持って払うようにするから、資力のないものに貸し付けたり過剰な取り立て行為の弊害が起きるのだから、親族は敢然と断れば、次から焦げ付きを恐れてサラ金の方で支払能力のない人には、貸さない・・自己責任の経営になる筈だと主張していたことがあります。
実際私のように破産申し立てする弁護士がどんどん増えて来て、(本を書く人も出ました)困ったサラ金の方で破産されても損しないように自己責任で信用調査するようになり、無理な取り立ても収まり債権管理能力がなく取り立て方法ばかり厳しい悪質サラ金は敬遠されて淘汰されて行きました。
この辺のいきさつは、04/30/02「破産 5(破産は日本の為になるか?1)」前後のコラムに書いたことがありますが、遺言制度も同じで書いておかないと国庫に帰属してしまう分れば、その内みんなこれと言った財産のない人も毎年念のために書いておく習慣になる時代が来る筈です。
遺言が二枚以上あって矛盾する内容の場合、後から書いた方が有効ですから、半年先や5年先のことが分っている必要がないのです。
やりたい相手が代われば、(母から恋人に)そのときに相手の名前だけ書き直せば足ります。
保険金受取人の変更は保険会社に手続きしなければならず不便ですが、遺言の場合年賀状Ⅰ枚書く程度の手間で自筆証書遺言を書けますので(一回だけ弁護士に書き方を習えば2回目からは同じように書けば良いので)書く気になれば簡単です。
その内に高校の授業で一回は、遺言書作成を実習する時代が来るかもしれません。
高校生や20代で自分の何十年先の死亡時の財産など今から考えられないと言う人がいるでしょうが、自分が「今死んだら誰にやりたいか」を考えて今書くことは簡単です。
その時の好きな人とあと半年で別れるかもしれないとしても、その時にまた書き直せば良いことですから、何年も先のことを深く考える必要がありません。
何よりも約束事と違い、何回でも自分の気分次第で書き直しが出来るのでその時々の気分であまり先のことを深く考えずに書けることが分れば、誰でも毎年(年賀状みたい、あるいは日記帳の一部としてに気楽に)書き替えておくのが普通になるでしょう。
失恋した悔しい思いを日記に書いたついでに、次のページに遺言書を書き直せば良いのです。
遺言書と言うと難しいことを書かねばならないかのように誤解している人が多いのですが、大した資産のない人にとっては「自分の遺産全部を誰にやる」と書けばいいので、実は簡単です。
ことを難しそうにしているのは、信託銀行などがあえて小難しく書いて素人には出来ないような印象を与えて巨額報酬をせしめようとしているからに外なりません。
如何にも難しそうに細かく書くと一見有り難そうですが、却って、書き間違えやその後の口座の変更などによって効力を失いかねず、その都度書き換えが必要になり・・その都度信託銀行などが巨額手数料を取るのですが、大づかみに書いておけば修正不要で、やる相手が代わったらそのことだけ書き換えて行けば良いことで簡単です。
私の考えで言えば、細かく書かずに自分の妻や夫あるいは恋人に「全部相続させる」と書いておけば(自転車しかない時に書いて、その後に車も持つようになっても)内容の変更ではなく恋人や友人が代わる都度相手を書き変えるだけで足ります。
気が変わる都度やる相手の名前の書き換えくらいなので誰でも自分で簡単に書けます。
お経も難しそうにして僧侶の価値を高めるやり方から南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の繰り返しで足りるとしたのと同じ発想です。
現在の法制度は遺言しないことを前提・・原則にした制度設計である・・法定相続制度であるから、国民も遺言の必要性を感じないし遺言を書くのは大変なことと教育されて馴染みもないのです。
日記を書いているついでに・・・つきあっている相手が変わる都度受受遺者・やる相手を書き直しておけば、何時突然死亡しても最新の気持ちを反映出来ます。
遺言しない限り自分の好きな人に相続させられないとすれば、子供だとか兄弟と言う身分関係だけでは相続出来ませんので、(もしかしたら貰える期待と言うのも変ですが・・)親しい身近な友人が貰える可能性があるので改正後は相互に友人や高齢者を大事にする社会になるでしょう。
高齢者介護や心のよりどころを血縁に頼りすぎる弊害をこれで是正して行ける筈です。
法定相続制を廃止すると親族かどうか血縁が近いかではなく、実際に親しいかどうかにかかって来るので、少子化・・独身や子供のいない人が増えてくる実態にあった現実的な制度設計になります。
我が国の制度・・・明治31年公布の民法も戦後改正された現行法も、先祖伝来の農地や家業(造り酒屋など)等を相続財産の主たる資産として構想して、結果として戸主が自由に相続人を指定出来ない・・戦後も家督相続制から均分相続に変わっただけでした。
これからは先祖伝来の世襲財産よりは自分一代で築いた財産しか持っていない人が普通になると、子孫に受け継いで行くべき道徳的縛りがなくなり、まして子供のいない人が増えてくると自分の気に入った人に残して行きたい・・あるいは大事なペットをきちんと見てくれるところに寄付したいなどと思う人が増えて来る筈です。
そういう人や相手のいない人は国に寄付・・放置していれば国庫帰属・・・生きて来て世話になった地域・国だけが今の法定相続人の地位(国の相続分を2割、県が3割地元市町村が5割などの比率で)を取得するのが合理的です。
そうなると市町村間で高齢者の取り合いになって身寄りのない高齢者も(資産のある人は)大事にされますよ?

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC