相続制度改正3(遺留分廃止)

家督相続人・法定相続人である限り廃除されなければ相続出来る・・戦後民法改正(現行法)では、従来の家の制度がなくなったとはいえ、身分・血縁関係で相続分が自動的に決まる点は同じで家督相続から均分相続に変った(廃除制度も旧規定と全く同じ)ことくらいです。
戦後家の制度が廃止されたと大きく宣伝されているものの、実際には先祖伝来の家産・・戸主ないし現在の所有者は半永久的な時間が経過・通過して行く一時点での預かり主に過ぎず、次世代に引き継いで行くべき・・管理者的意識を前提にしたものでした。
自然保護・環境問題には、子々孫々にまで受け継いで行く意識は重要ですが、ここでは相続・戸籍制度維持の必要性の観点から書いています。
現在でも生活に困っていない限り、相続して自分で耕さない遠い故郷の農地でも、あるいは無人になってしまった親の住んでいた家でも無駄だから直ぐに売ってしまおうとしない・・抵抗があるのは、先祖から受け継ぎ子孫に繋いで行く意識があるからです。
戦後民法でも遺言(特段の意思表示)がない限り法定相続どおりになってしまうことと、本来遺言で自由に処分出来るべきところ、家の制度・・先祖伝来の世襲財産価値を重く見る立場から、遺留分制度を設けることによって結果的に遺言の自由は原則として半分しかないことは戦前の民法と全く同じ規定です。
ただし、原則と例外の関係に関する規定の仕方から、先ずは遺言があればその通りに100%効力が生じるようにして、一定期間内に遺留分権利者が遺留分権を行使しない限り、遺言で決めた効力のままになってしまうとする規定の仕方によって遺言の効力が守られやすくなっていますので少し(結果は半分になるのですが)自由処分権に比重が置かれていたことになります。
この規定の仕方は、戦前の民法でも同じでした。
(原文の写真については法令全書で見られますので気になる方はご自分でご覧下さい)
いろんな制度があっても積極的に動いた人だけが実現出来るとすると実際に動く人は少ない・・裁判までしようとするとかなりのエネルギーが必要なことから、その権利・受益実現は限定されます。
次男らは全部遺言で貰った兄弟相手に裁判までしにくいので、遺言がそのまま100%効力を維持出来ることが多くなっていました。
争いが起きるのは、主に腹違いの兄弟がいる場合でした。
このように一定の権利が認められても、その実効性は法の規定の仕方によるところが大きいのです。
April 8, 2011「失踪宣告4」までのコラムで失踪宣告の申し立てまでする人は少ないと書いたのと同じことで、何を有効性の原則にするかで法の実際的効果はまるで違ってきます。
この後に書いて行く遺言の有効性に関しても、現行法のように原則的に全部有効としておくのか、一定の場合・・一定年齢以降や施設入居後は一律に無効としておくのかによって、実際上の効果がまるで違ってきます。
ですから、親族相続に関する戦後の大改正と言っても、観念だけで元々何の効果も持っていなかった家の制度をなくしたくらいで、経済的社会的変化を反映させると言う視点での変化は微温的だったことになります。
敗戦当時はまだ個人の能力次第の社会に殆ど変化してなくて、静的な世襲財産の価値・比重が大きい社会であったからでしょうか。
あるいはアメリカの外圧による仕方なしの改革であって、(何とか旧習を温存しようとする勢力の方が強く)明治維新のときのようにこれからの日本社会を積極的に合理化・変えて行こうとする意気込みが全くなかったからかもしれません。
この点では明治31年の民法は当時の社会実態よりはかなり進んでいたことが分ります。
民法典論争時の誰かの意見を読んだ記憶では、「今は進んでいるように見えても今後10年もすれば時代遅れになるのだから・・」と言う意見を読んだことがあります。
現状よりも大分進んだ法律であった分だけ相続意識の実態(子々孫々に承継して行く中継ぎ意識))に合わなかったので、前向き・自由処分の方法としての利用は少なく、(戦後になってもまだ)逆に戦後は世襲制維持のため・・・均分相続制に対する抵抗として長男に全部相続させる方向へ利用されていた程度だったのです。
意識が遅れていたからと言うよりは、その後の経済発展にも拘らず、なお社会全体に占める世襲財産の価値比重が大きかったことによります。
明治創業の世に知られる一代の成功者(財界に限らず政界でも同様でした)は今同様に能力だけで駆け上がった人が多かったので、直ぐに能力社会になると思っていた人が多かった・・これが明治民法の革新的制度の創設理由であった筈です。
ところが皮肉なもので、明治の大成功者自身が「児孫に美田を残さず」と伝えられる西郷隆盛を例外としてほとんどが成功すると自分の子孫に(財閥を筆頭に大中小の成功者・軍人官僚その他みんな親の築いた地位を残して行く方向へ進みました。
今でもそうですが自分の築いた(大小を問わず)資産や地位を出来るだけ自分の子供に残したい本能があるのは否定出来ないでしょう。
残すほどの資産がない人は、進学競争に明け暮れているのも、その本質は同じです。
明治中期以降社会秩序が固定すると世襲制が却って強化されて行ったので明治末頃から、人材の行き詰まりが出て来て第二次世界大戦へ突入すべく、我が国は窮屈な社会になって行った経過を以前書いたことがあります。
西郷隆盛は、西南の役で途中死亡したから「美田を残さず」の伝説が残っているのですが、彼が最後まで中央でいた場合どうなっていたかは分りません。
明治村にある西郷従道邸を見れば、西郷一族自身世襲の恩恵を受けていたことは明らかです。
明治後期以降は明治初めに創業し大成功した人達が財閥化し、その子孫が世襲の地位財産で良い思いをする時代に入って行ったので、遺言の自由化が進まなかったのは当然です。
米軍の空襲によって壊滅的被害を受けた戦後でも、元々の一文無しが創業出来るものではないので、親世代からの世襲の地位財産(仮に100分のⅠに減っていても資本と言えるもの)を利用して飛躍した人が多かったのです。
戦前の財閥企業がそのまま今でも大きな存在であることを見れば分りますが、財閥に限らず大中小の資本を持っていた人が戦後元の事業を再興拡大して行った点は同じです。
ただ、戦後は明治維新当時同様に旧秩序が解体されたので自由競争がし易くなり業者間の競争淘汰が進んだ点が明治末〜昭和前期までとは違って自由闊達な感じになりました。
更に戦後の大きな変革は、ホワイトカラー層の拡大充実があって、中間層の大量出現を見たことです。
中間層とは、能力だけが自分の主たる主たる資産で(だから進学熱が上がるのですが、これも形を変えた世襲化の思想です)世襲出来るほどの資産や地位を持たないけれどもある程度遺産があると言う意味ですから、これらの階層の相続が始まった昭和末頃からは世襲財産から解放されて個人財産化して来たのです。
ここにおいて初めて、遺言制度の改正が必要な時期になった・・制限的制度から積極的に利用し易い制度への変化が求められているようになったと私は考えています。
遺留分に関しては、07/18/03「遺留分13(民法75)(減殺請求権1)」前後のコラムで紹介していますが、もう一度条文だけ紹介しておきましょう。

第八章 遺留分
(遺留分の帰属及びその割合)
第千二十八条  兄弟姉妹以外の相続人は、遺留分として、次の各号に掲げる区分に応じてそれぞれ当該各号に定める割合に相当する額を受ける。
一  直系尊属のみが相続人である場合 被相続人の財産の三分の一
二  前号に掲げる場合以外の場合 被相続人の財産の二分の一
(遺留分の算定)
第千二十九条  遺留分は、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加えた額から債務の全額を控除して、これを算定する。
第千四十二条  減殺の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から一年間行使しないときは、時効によって消滅する。
相続開始の時から十年を経過したときも、同様とする。

上記の通り明治以降現行法まで法定相続を原則にしていて遺言があった時だけ法定相続を修正出来る仕組みですが、世襲制に親和性の高い農業や家業の比重が下がってきた昭和の終わり頃から中間層の相続が始まると相続した人も気楽に遺産を売却して換金化したいと思う人が増えますし、被相続人も自分で稼いで貯めたお金だから、好きな人にやりたいと思う人が増えてきます。
今では数百年前から受け継いで来た資産に頼って生活している人の比重が激減しています。
今の都会人の9割以上の人にとっては、自分の稼いだ分が自己の資産・あるいは自分の築いた能力が生活手段のほとんどを占めている筈です。
こういう時代になれば、自分で築いた地位や資産はその人が自由に処分するのを原則にする・・先祖から引き継いだ資産ではないので、子孫に残して行く義務もない・・遺言で決めて行くのを原則にし、(勿論子供に残したければ遺言で書けば良いのです)遺留分など認めず遺言しない人は遺産の受け手を決める権利を放棄した・・棄権したものとして国庫帰属にして行く方が合理的です。
遺言ですべて決めて行き法定相続人を認めない時代が来れば、血縁関係調査のための記録整備・戸籍簿は不要となります。
その代わり、遺言に関する規制も従来とは違った規制が必要になりますので、これを次回以降に書いて行きます。

戸籍制度存在意義3(相続制度改正1)

例えば乱暴な話ですが、誰かに相続させたければ遺言を書いておくのを原則にして何も書いていない人は、誰にも相続させたい人がいないとみなして死亡後すべて国庫帰属にしてしまえば、相続人を捜すための戸籍制度は不要です。
現在の法定相続制廃止と同時に先祖伝来の世襲財産継続を前提とする遺留分権制度を全面廃止すべきです。
遺言する人が少ないことと遺留分権があることから、権利者確定のために戸籍登録が必要になっているのです。
急な死亡の場合、遺言を書くヒマがないと言う意見もあるでしょうが、遺言しておかなければ駄目となれば、誰でもたとえば20歳以降は年に1回は遺言を書く習慣にすれば良いし、すぐそうなるでしょう。
それでも書かない人は(遺産と言えるほどのものはないし)誰に遺産が行っても良いと言う人と見なして行けばいいことです。
昭和50年代にサラ金禍が始まった時に私は、どんどん破産申し立てをして行きましたが、その頃はまだ殆ど破産申し立てをする時代ではなく、弁護士が親族などと協議して「出来る範囲の弁済をするから残金を免除してくれ」と言う和解交渉をするのが普通でした。
弁護士仲間からも、私のやり方では借りておいて踏み倒すのを奨励するようなもので法を悪用したやり方であるとして、弁護士倫理に反するかのような言い方をされたことがあります。
これに対して私の反論は、むしろ親族が責任を持って払うようにするから、資力のないものに貸し付けたり過剰な取り立て行為の弊害が起きるのだから、親族は敢然と断れば、次から焦げ付きを恐れてサラ金の方で支払能力のない人には、貸さない・・自己責任の経営になる筈だと主張していたことがあります。
実際私のように破産申し立てする弁護士がどんどん増えて来て、(本を書く人も出ました)困ったサラ金の方で破産されても損しないように自己責任で信用調査するようになり、無理な取り立ても収まり債権管理能力がなく取り立て方法ばかり厳しい悪質サラ金は敬遠されて淘汰されて行きました。
この辺のいきさつは、04/30/02「破産 5(破産は日本の為になるか?1)」前後のコラムに書いたことがありますが、遺言制度も同じで書いておかないと国庫に帰属してしまう分れば、その内みんなこれと言った財産のない人も毎年念のために書いておく習慣になる時代が来る筈です。
遺言が二枚以上あって矛盾する内容の場合、後から書いた方が有効ですから、半年先や5年先のことが分っている必要がないのです。
やりたい相手が代われば、(母から恋人に)そのときに相手の名前だけ書き直せば足ります。
保険金受取人の変更は保険会社に手続きしなければならず不便ですが、遺言の場合年賀状Ⅰ枚書く程度の手間で自筆証書遺言を書けますので(一回だけ弁護士に書き方を習えば2回目からは同じように書けば良いので)書く気になれば簡単です。
その内に高校の授業で一回は、遺言書作成を実習する時代が来るかもしれません。
高校生や20代で自分の何十年先の死亡時の財産など今から考えられないと言う人がいるでしょうが、自分が「今死んだら誰にやりたいか」を考えて今書くことは簡単です。
その時の好きな人とあと半年で別れるかもしれないとしても、その時にまた書き直せば良いことですから、何年も先のことを深く考える必要がありません。
何よりも約束事と違い、何回でも自分の気分次第で書き直しが出来るのでその時々の気分であまり先のことを深く考えずに書けることが分れば、誰でも毎年(年賀状みたい、あるいは日記帳の一部としてに気楽に)書き替えておくのが普通になるでしょう。
失恋した悔しい思いを日記に書いたついでに、次のページに遺言書を書き直せば良いのです。
遺言書と言うと難しいことを書かねばならないかのように誤解している人が多いのですが、大した資産のない人にとっては「自分の遺産全部を誰にやる」と書けばいいので、実は簡単です。
ことを難しそうにしているのは、信託銀行などがあえて小難しく書いて素人には出来ないような印象を与えて巨額報酬をせしめようとしているからに外なりません。
如何にも難しそうに細かく書くと一見有り難そうですが、却って、書き間違えやその後の口座の変更などによって効力を失いかねず、その都度書き換えが必要になり・・その都度信託銀行などが巨額手数料を取るのですが、大づかみに書いておけば修正不要で、やる相手が代わったらそのことだけ書き換えて行けば良いことで簡単です。
私の考えで言えば、細かく書かずに自分の妻や夫あるいは恋人に「全部相続させる」と書いておけば(自転車しかない時に書いて、その後に車も持つようになっても)内容の変更ではなく恋人や友人が代わる都度相手を書き変えるだけで足ります。
気が変わる都度やる相手の名前の書き換えくらいなので誰でも自分で簡単に書けます。
お経も難しそうにして僧侶の価値を高めるやり方から南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の繰り返しで足りるとしたのと同じ発想です。
現在の法制度は遺言しないことを前提・・原則にした制度設計である・・法定相続制度であるから、国民も遺言の必要性を感じないし遺言を書くのは大変なことと教育されて馴染みもないのです。
日記を書いているついでに・・・つきあっている相手が変わる都度受受遺者・やる相手を書き直しておけば、何時突然死亡しても最新の気持ちを反映出来ます。
遺言しない限り自分の好きな人に相続させられないとすれば、子供だとか兄弟と言う身分関係だけでは相続出来ませんので、(もしかしたら貰える期待と言うのも変ですが・・)親しい身近な友人が貰える可能性があるので改正後は相互に友人や高齢者を大事にする社会になるでしょう。
高齢者介護や心のよりどころを血縁に頼りすぎる弊害をこれで是正して行ける筈です。
法定相続制を廃止すると親族かどうか血縁が近いかではなく、実際に親しいかどうかにかかって来るので、少子化・・独身や子供のいない人が増えてくる実態にあった現実的な制度設計になります。
我が国の制度・・・明治31年公布の民法も戦後改正された現行法も、先祖伝来の農地や家業(造り酒屋など)等を相続財産の主たる資産として構想して、結果として戸主が自由に相続人を指定出来ない・・戦後も家督相続制から均分相続に変わっただけでした。
これからは先祖伝来の世襲財産よりは自分一代で築いた財産しか持っていない人が普通になると、子孫に受け継いで行くべき道徳的縛りがなくなり、まして子供のいない人が増えてくると自分の気に入った人に残して行きたい・・あるいは大事なペットをきちんと見てくれるところに寄付したいなどと思う人が増えて来る筈です。
そういう人や相手のいない人は国に寄付・・放置していれば国庫帰属・・・生きて来て世話になった地域・国だけが今の法定相続人の地位(国の相続分を2割、県が3割地元市町村が5割などの比率で)を取得するのが合理的です。
そうなると市町村間で高齢者の取り合いになって身寄りのない高齢者も(資産のある人は)大事にされますよ?

戸籍制度存在意義2

今では年金・選挙権等すべてが住民登録(国勢調査など人口調査もそうです)を基準にしているので、超高齢者が戸籍に残っていても今のところ何の実害もないのですが、仮に住民登録制度が完備してくると戸籍制度を廃止してしまえば、超高齢者がそのままになることはありません。
超高齢者の問題で明らかになったことは、政府は戸籍の記載を基準にして政治をしていない・・何のために戸籍制度が今でも存在しているかの疑問です。
住民登録制度では、生死に係らずその所帯構成員でなくなれば(しかも届け出を待たずに随時調査していて)職権で消除する仕組みですから超高齢者が登録されたままにはなりません。
江戸時代の宗門人別帳で、江戸等へ出たものを除籍していたのと同じですが、江戸時代家族の申し出によって除籍していたのが、今では市の職権調査で消して除籍もやっている違いです。
江戸時代までには、民には義務やリスクのみあったのが、今では人民ニは権利が多くなって・・市の義務が多くなったことから、届け出のない中間的な場合も積極的に抹消して行く仕組みになっているのです。
現在(このコラムは昨年秋頃に書いていたものですが・・・)社会問題になっている年金受給者が死亡後も死亡者の名義で誰かが受給し続けている問題は、戸籍記載の問題ではなく住民登録の問題です。
その住居に現実に住んでいるか否かが住民登録の基準ですから、行方不明者は生死に関わらず直ちに住民登録からは職権消除される仕組みですし、年金や社会保障関係ではこれを基準にして支給しています。
公園で寝ている人やドヤ街での住人は、元の家族から見れば行方不明で住民登録は抹消されているものの、戸籍はそのままに残ってしまうのは、これまで書いているように戸籍制度は現況把握制度ではない以上、当然の結果です。
生死不明の場合、一定年齢で自動的に抹消し生きている証拠のある人だけ登録更新して行く仕組みにするのか、逆に死亡の証拠がない限り消せないのかの制度設計の問題です。
明治以来(国民を目一杯管理したくなって)安易な除籍を防止するために死亡の証拠がいるとする逆転制度にした以上は、証拠のない中間・灰色の人が残って行くのは制度上当然に起きて来る問題です。
死亡したかどうか不明の人が残るのは制度上「仕方がないでしょう」と言えば、如何にも何か害悪がありそうな感じですが今では戸籍を基準に政治をしていないので必要悪でもないし、何の害悪もありません。
あるいは海外移住した息子の場合、その親が死亡してもまだ兄弟の生存中は相互に時々の連絡もありますが、その兄弟世代が死んでしまうと最早日常的連絡も途絶えるので、死亡したか否か誰も分らなくなるのが普通です。
だからと言って誰も戸籍抹消までは出来ませんし、お金をかけて中南米やその他の国に出かけて行って調査する必要性もありません。
「100歳上の人は調査の上抹消しろ・・していないのは政府の怠慢だ」と言う主張を良く見かけますが、そんなことのために膨大な役人が戸籍を眺める手間をかけるのは国費の無駄遣いです。
中間灰色の人・・死亡したか否か不明の人を戸籍に残したくないならば、上記のように制度設計を逆転し、例えば一定年齢以上は毎年本人出頭して更新しない限り自動抹消して行く制度にすれば良いのです。
ただし、今でも戸籍簿に残っていても住民登録さえなければその人に年金支給する心配もないし、勿論生活保護も選挙権もありませんし各種受益がありません。
今では戸籍を基に何の政治もしていないので、戸籍制度自体存在意義がなくなっているので戸籍制度の制度設計を議論する事自体無駄な行為になっています。
現在戸籍簿が利用されているのはここ数日書いて来たように相続に関連した時だけですが、除籍に関する立証責任同様の考え方で、次回以降に書いて行きますが相続の基準・原則をどこにおくかの制度設計次第で戸籍簿を不要に出来ます。

 戸籍制度の存在意義1

現在は昔と違って戸籍に残っていると年金受給などの実害があるかのようなムード報道が昨年秋頃には盛んでしたが、選挙権、年金支給その他社会保障関連・・というか国民の権利行使関連はすべて住民登録を基準にしているので、(蒸発した人は住民登録されていないので)戸籍に残っていることが何かの不都合を起こすことはあり得ません。
年金や医療、子供手当など直接受益以外に公園・道路などの公的施設利用利益も、死亡した人は受けません。
年金制度支給の正確性に関しては、社会的テーマになっているのは記録=事務処理の正確性の問題であって戸籍制度と何の関係もないのは明らかですし、このように考えて行くと現在の戸籍制度は何のために残っているのか不明です。
これまで縷々書いて来ましたが、戸籍制度は住民登録をする有効な制度がなかった明治の初めに住民登録との未分化状態から始まり、家の制度と結びついて確固たる制度に発展したに過ぎません。
現在では家の制度がなくなり、他方で現況把握に基づく住民登録の制度的基盤が完成している外に、科学技術の発展で(DNAや虹彩、指紋等の組み合わせで世帯単位どころか「個」としての識別さえ可能ですから、)個人識別機能としては存在意義がなくなって久しいのです。
戸籍謄本があっても、その謄本・あるいは戸籍事項証明書所持者が本人かどうかまるで分りません。
超高齢者の調査をしないまでも、戸籍制度を存続させるためだけでも巨額の税を毎年使っているのですが、(後見被後見等の権利能力制度も登記制度に移行しています)無駄な戸籍制度を廃止してこれら個人識別に関する科学技術を発展させて制度化する方が科学技術の発展にも資するし合理的です。
現在の戸籍制度は、合理的存在意味がなく単なるノスタルジア・・地方に残っている村祭りを存続させたい程度の意味しかないのではないでしょうか?
郷愁のため(博物館的存在意義)としては膨大な経費を使い過ぎで、結果的に日本では何をするにもコストが高くなっているのは、国際競争力上問題です。
2011-4-6「住民登録制度6(公示から管理へ)」で紹介したとおり、既に韓国では戸籍制度を廃止しているし、その他刑事手続きも身柄拘束を激減させて・・簡素化して経費がかからないようになっています。
無罪の推定があるのに日本のように身柄拘束したままの裁判を原則にしていると人権上問題であるだけはなく、拘束に要する国費・コスト面から見ても膨大な無駄です。
保釈運用の不当性については、1/05/04「保釈の実態3(勾留の必要性)刑事訴訟法11」その他で既に何回も書いたことがありますが、私の経験した限りでは保釈で出た人が逃亡したことなどは皆無(私の経験限定であって全国的に皆無と言うのではなく一定率いることはいるでしょうが)ですし、そんな心配のある人はいません。
と言うことは、そもそも保釈の前提たる勾留自体不要な被告人が大半だと言うことです。
常識的に考えても無免許等で交通事故を起こして被害者死亡の場合、原則現行犯逮捕ですが、それって逃亡・証拠隠滅のおそれとどういう関係があるの?と言う疑問を持たない方が不思議です。
こんなことのために手錠をはめて、看守用に大の男を二人付けていろんな行動・・現場検証などをするのですが、留置場等の諸経費等を考えると国費の無駄遣いの典型ではないでしょうか?
こうした無駄遣いの累積が高コスト・重税となって国際競争力を弱めているのです。
これまではこうした運用に対して人権上問題であると言う視点から書いてきましたが、今回は経済効率上の視点からの批判です。

超高齢者調査が必要か

 

戦前の政府は国民を臣民と言い、(明治憲法では国民の権利義務ではなく「臣民の権利義務」と書いていました)を税金を取ったり徴兵する対象・管理するべき客体であって国民は国家の主体・主権者ではありませんでした。
国家の経営主体は天皇にあって国民はその対象・・今で言えば牧畜業者が牛や豚の頭数を管理しているような関係、「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ」と言う文言を見ると今風に言えば親の代から大事に可愛がっているペットみたいな扱いです。
第2章は現行憲法では国民の権利義務とあるのですが、明治憲法ではすべて臣民となっています

大日本帝国憲法(明治22年2月11日公布、明治23年11月29日施行)

憲法発布勅語
朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在 及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス
以下中略・・・朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム ・・以下省略
第2章 臣民権利義務

第18条 日本臣民タル要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第19条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均シク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得
第20条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス
第21条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス
以下省略

戸籍に載っている人が死んでいるのにこれを抹消しなかくとも、死んだ人から税を取れないし徴兵出来ないことは同じですから、(死んだ人が記録に残っているだけでは犯罪を犯さないので、治安上の問題がないし)国家としては何の不都合もないので、生死を調べて歩く必要がありませんでした。
むしろ生きているのに死亡したとして、あるいは勝手に除籍して税や徴兵逃れをされるのは困るので、除籍には厳しく対応して来たのが明治以来の歴史でした。
今でもその精神で運用しているので、死亡届=除籍には医師の死亡診断書等証拠を要求したりして大変です。
日露戦争まで相続税の考えがなかったことを、11/20/03「相続税法 10(相続税の歴史1)」のコラムで紹介しました
相続税が制度化されると政府としては死亡したら税を取れるメリットがあるようになりましたが、実際に行方不明者・・普通は蒸発→どこかの公園で寝たりドヤ街で暮らしている程度ですから、行き倒れの人の死亡で相続税が発生するようなことは殆どあり得なかったでしょう。
政府は費用を掛けて死んだ人を探し出して戸籍を抹消する必要がまるでないまま、現在に至ったのです。
当時の政府は国民に要求するばかりで、国民が恩恵を受けるような今の時代・・社会保障の充実した現在の感覚で国民と国家の関係を考えるとまちがいます。
自分の納めている税金よりも受ける給付の方が多い人が今ではかなりいると思われますが、今の国民は政府に対して社会保障等要求する傾向が強くなる一方ですが、当時の国民と国家の関係はまるで違っていたのです。
個々人の納税額は別として、全体としては、(金持ち貧乏人・法人税や間接税も含めて)総納税額以上の支出を政府が出来ない理屈ですが、赤字国債の発行で可能になっている・・財政赤字の累積分だけ国民の受益の方が大きくなっていることになります。
財政赤字下では平均以下の納税者は、受益の方が大きいのは明らかです。
今になって(最近収まりましたが、このコラムは昨年秋頃の大騒ぎ時に書いてあったものですが間にいろいろ原稿が挟まって今になったものです)超高齢者の死亡が記録されていないのは政府の怠慢だと大騒ぎしていますが、届け出もないのに職権調査するとなれば膨大な人件費がかかります。
将来全部コンピューター化出来れば別ですが、死亡者の登録を消すだけのために過去100年分の戸籍簿を全部コンピューター化するために膨大なコストを掛けるのは無駄ですから、紙記録のままで調査するしかないでしょう。
紙の戸籍簿をにらんで(蒸発したような高齢者は戸籍筆頭者=戸主でないことが殆どですから、表紙だけ見ても分らず中をめくって行って初めて分ります。)その中の生年月日から逆算して今は何歳として、その人の関係者の追跡調査を始めるのには膨大な時間コストがかかります。
しかもこの種調査は一時的に全部やれば終わるのではなく、定期調査しなければまた100歳以上の高齢者が溜まってしまうのですが、そんなことに高額所得の公務員を多数貼付けて巨額の税をつぎ込む必要がありません。
今でもこの抹消のメリット・・戸籍に残っていることによる政府のデメリットが皆無に近いからです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC