戸籍制度の存在意義1

現在は昔と違って戸籍に残っていると年金受給などの実害があるかのようなムード報道が昨年秋頃には盛んでしたが、選挙権、年金支給その他社会保障関連・・というか国民の権利行使関連はすべて住民登録を基準にしているので、(蒸発した人は住民登録されていないので)戸籍に残っていることが何かの不都合を起こすことはあり得ません。
年金や医療、子供手当など直接受益以外に公園・道路などの公的施設利用利益も、死亡した人は受けません。
年金制度支給の正確性に関しては、社会的テーマになっているのは記録=事務処理の正確性の問題であって戸籍制度と何の関係もないのは明らかですし、このように考えて行くと現在の戸籍制度は何のために残っているのか不明です。
これまで縷々書いて来ましたが、戸籍制度は住民登録をする有効な制度がなかった明治の初めに住民登録との未分化状態から始まり、家の制度と結びついて確固たる制度に発展したに過ぎません。
現在では家の制度がなくなり、他方で現況把握に基づく住民登録の制度的基盤が完成している外に、科学技術の発展で(DNAや虹彩、指紋等の組み合わせで世帯単位どころか「個」としての識別さえ可能ですから、)個人識別機能としては存在意義がなくなって久しいのです。
戸籍謄本があっても、その謄本・あるいは戸籍事項証明書所持者が本人かどうかまるで分りません。
超高齢者の調査をしないまでも、戸籍制度を存続させるためだけでも巨額の税を毎年使っているのですが、(後見被後見等の権利能力制度も登記制度に移行しています)無駄な戸籍制度を廃止してこれら個人識別に関する科学技術を発展させて制度化する方が科学技術の発展にも資するし合理的です。
現在の戸籍制度は、合理的存在意味がなく単なるノスタルジア・・地方に残っている村祭りを存続させたい程度の意味しかないのではないでしょうか?
郷愁のため(博物館的存在意義)としては膨大な経費を使い過ぎで、結果的に日本では何をするにもコストが高くなっているのは、国際競争力上問題です。
2011-4-6「住民登録制度6(公示から管理へ)」で紹介したとおり、既に韓国では戸籍制度を廃止しているし、その他刑事手続きも身柄拘束を激減させて・・簡素化して経費がかからないようになっています。
無罪の推定があるのに日本のように身柄拘束したままの裁判を原則にしていると人権上問題であるだけはなく、拘束に要する国費・コスト面から見ても膨大な無駄です。
保釈運用の不当性については、1/05/04「保釈の実態3(勾留の必要性)刑事訴訟法11」その他で既に何回も書いたことがありますが、私の経験した限りでは保釈で出た人が逃亡したことなどは皆無(私の経験限定であって全国的に皆無と言うのではなく一定率いることはいるでしょうが)ですし、そんな心配のある人はいません。
と言うことは、そもそも保釈の前提たる勾留自体不要な被告人が大半だと言うことです。
常識的に考えても無免許等で交通事故を起こして被害者死亡の場合、原則現行犯逮捕ですが、それって逃亡・証拠隠滅のおそれとどういう関係があるの?と言う疑問を持たない方が不思議です。
こんなことのために手錠をはめて、看守用に大の男を二人付けていろんな行動・・現場検証などをするのですが、留置場等の諸経費等を考えると国費の無駄遣いの典型ではないでしょうか?
こうした無駄遣いの累積が高コスト・重税となって国際競争力を弱めているのです。
これまではこうした運用に対して人権上問題であると言う視点から書いてきましたが、今回は経済効率上の視点からの批判です。

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