調整型から指導者へ

話を家庭内の扶養義務者の発生要因に戻します。
2010-12-7「貨幣経済化と扶養義務1」の続きです。
原始農耕社会でも集団生活である以上戸主・家長類似の権力構造が形成されたとしても、最初の頃はその役割の多くは各人の成果分配・調整の役割・コーディネーターでしかなかったでしょう。
我が国では、千年単位で各種組織や団体の長にふさわしい資質としては、衆より抜きん出た能力よりは(これは前回書いた強烈な平等意識の結果「出る杭は打たれ」逆に嫌われます)利害調整型能力が重視されて来たのは、この歴史が長かったことによるのです。
バブル崩壊以降政治の要点は、内部分配よりは国をどこへ向けて行くかの能力・・・内部利害調整型から団体を引っ張って行くリーダ-シップ・・信長のような能力が求められるようになっています。
実際経済界ではその頃から総合的に扱うのではなく、戦略的視点での資源の集中・廃棄のリストラが盛んになっています。
漫然と何もかも扱っているのでは、国際競争に伍して行けなくなったからです。
リストラと言うと人員整理ばかり連想するようになっていますが、元はロシアのペレストロイカの英訳で、これを和製英語にしたもので、本来の英訳としては事業活動の選択・・見直し策のことです。
このように産業界はバブル崩壊以降リストラ策が盛んですが、政治の方は国民意識の変化が遅いのでさっぱり進みません。
従来通り利害調整型ばかりが政党の幹部・党首に上がってくるし、せっかく政権が変わっても国民の方が従来通り利害調整を求めるので、新政権が右往左往してしまうのです。
沖縄の普天間基地移設問題がその典型ですが、ダムであれ、高速道路であれ両方の意見を聞いていれば何も決められなくなるのはたり前です。
自由貿易協定も両方の意見を聞いていると前に進めない・・利害調整型では、現状維持になるばかりで変化の激しい世界経済化の始まった時代にやって行けません。
以前から都市計画でも、旧市街の活性化と新都心・新市街地の成功の二兎を追い求める政策・・足し算ばかりが多く、これでは無理だと批判して来ましたが、国単位でも何を切り捨ててどの分野に注力して行くかの選択が必要なことは同じです。
政治が必要とされている集中と選択が出来ないで右往左往している・・・これを一般にバラマキと言うのですが、・・・ことに対する閉塞感・不満が、沸点に達したことが、調整型に徹して来た自民党政権崩壊への原動力だった筈です。

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