明治維新と上級武士層の没落

明治維新はフランス市民(ブルジョア)革命と違って支持階層から言えば、下級武士・無資産層による社会革命の一種であったと言えますので、この結果四民平等意識の徹底(・・・今でも世界中で日本ほど平等意識の強い国がないのはこの歴史に由来するのです)に役立ったと言えます。
他方から言えば明治維新は経済原理による革命ではなく、民族意識の覚醒・・政治的理由・・黒船到来とアヘン戦争に端を発した植民地化の恐怖への対処が中心だったと言えます。
西洋のブルジョアージーによる市民革命とは違い、明治維新では大名や上級武士層が没落して中抜きが進んでしまい、1君万民制度(天皇家を除く四民平等)になってしまったのは、現象的には下級武士によって維新が遂行されたことによるのですが、これだけではなく、大名や上級武士層は夷狄から国を守る戦力としては無力であったことが明らかとなり、他方で新しい社会構造に必要な人材でもなかったことによるのです。
無駄飯食いのリストラ策が廃刀令であり、(兵力維持には武士は無用となり、士官学校の創設と国民皆兵策)行政組織としては廃藩置県・・大名の知藩事からの放逐・・中途退職割り増し金に該当するのが金碌公債の交付でした。
中には、維新後に金碌公債を元手に西洋貴族のまねをしていわゆる士族の商法をやった人(元大名)も少しはいたものの、その多くは失敗に終わり、基本的には産業・商業資本家に転化出来ませんでした。
彼らはその後どうなったかですが、一部優秀な武人は士官学校に進出した人もいたでしょうし、知的に優秀な人は高級官僚(榎本武揚など)になったり知的階層への転出母体あるいは、地方公務員層として生き残れた人が少しだけいたと言うことでしょうか?
明治維新後の近代工業国家への脱皮成功は、既に産業資本家が育っていたからではなく、岩崎弥太郎のように時代の機運に乗じて勃興した(国家助成と合体した)新興事業家と江戸時代から育んでいた知的レベルの高さ・手工業技術の下地があって成功したことによるものです。
日本の明治維新以降及び戦後の経済大国化成功の秘訣は、共に江戸時代以降の知的レベルや・技術の蓄積によるものであって、それ以上のことはないとも言えますので、知的レベル・技術力の維持こそ我が国の基礎であることは、これからも同じでしょう。
ただし、技術力だけで生きて行けるか(個人で言えばエージェンシーの必要性)は別問題ですので、この点はこの次以降リーダーシップに関して書きます。

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