中国購買力持続性5(債務膨張2)

アメリカ大統領候補選挙に関する報道のあり方に話題にズレましたが、格差社会論・・中国債務に戻ります。
5月14日に記載のとおり、社会全体の装置によって統計の意味が違いますからアメリカのフロー収入の統計や社会問題をアメリカの問題として論じるのは意味がありますが、あたかも日本社会の重大問題であるかのような議論をしても国民がしらけるのは当然です。
外国で問題化していることを日本の問題であるかのように安易に置き換えるのではなく、日本特有の問題を自分の目で見て国民に報道すべきです。
今朝の日経新聞17pの大機小機「課題先進国」と言うテーマを見ると、格差拡大やテロで困るようになった欧米基準が正しい前提にして日本が取り組むべき価値観未到達のオンパレードです。
日本は昔から子供や身の回りの小動物・植物・自然環境を大事に育てて来たことその他、あらゆる面で共同体全体の信頼構築型社会・・欧米と違った価値観で成功して来たことが今や世界中で尊敬されるようになって来た原因です。
中韓の場合「人民」はつい最近まで専制支配の対象でしかなかったし、今も同じ価値観で支配していることは誰でも知っているとおりです。
西欧でもフランス革命まで被支配者を人扱いしていなかった点で同じでしたが、日本は古代からそんな社会ではありません。
欧米では、アタマで人権や平等感・動物愛護精神を理解した程度でしかないので、法に触れさえしなければ、移民でも何でも少しでも安く奴隷的労働させて搾取出来る限度まで搾取する前提のやり方(奴隷解放前の黒人奴隷に対するのと同じ基準)が壁にぶつかっている現実・・・格差拡大やテロ頻発が大問題になっているのは、低賃金労働力を取り込みさえすれば良いと言う社会のあり方に基礎があり矛盾激化の原因です・・。
上記大機小機の主張は、この現実を見ないで、子育てなんかどうでも良いから労働力になる人間を生みさえすれば良い、あとは保育所に預けてもっと働かせろ、少子化対策に外国人を入れろなどなど未だに欧米基準に到達するのを目標としていて,日本はこの課題が克服されていないとする主張でしかありません。
中国の豊かさ・・真の購買力に戻りますと、新興国のフロー収入=GDPだけを見ても真の豊かさとは関係がない・・バリバリと稼いでいる若いときの名目収入高を見て豊かさを計れません。
まして借金・第三者からの投資で水ぶくれしている場合にはなおさらです。
若いときには周囲への配慮や将来への思慮が足りない傾向がありますが中国の場合、新興・青年期の行動様式として他国に比べると、環境無視の顕著な姿勢からみて(一事が万事)共同体維持や将来への備え意識の低さが極端な社会であることが明らかです。
何千年単位で圧政を受けて他者を顧みるゆとりや経験がないから仕方がない面もあります。
将来無視の青年期の派手な消費が・・いわゆる爆買いに繋がっていたのですから、高齢化する前でもちょっとでも調子が狂うと直ぐに消費力が激減します。
14日にアメリカでホワイトカラーが失業すると直ぐに路上生活者になる不思議を紹介しましたが、マスコミに誇大報道の傾向があるので割り引いて考える必要があるとしても、アメリカ社会のあり方の一端を表していると思われます。
これまでアメリカと中国の国民気質が良く似ている(環境無関心の程度も似ています)・・だからいつでも直ぐに手を握る傾向があるので、安心出来ないと書いてきましたが、日本とは「人としての生き方」の基本が違っています。
中国の勢いは、たまたま、新興国としてどこにでもある勢いでしかなかったのに、爆買いの基礎となる中国の高収入が一生涯・・永続すると誤解し煽って来た方がおかしいのです。

政府と国民5(2項対立3)

2項対立論者は、何かあると国民が困ってもいないことを過大に宣伝して政府の施策妨害のために批判するのですが、イザと言うとき・・サールスなど患者が発生したときに伝染拡大を防ぐためにその足取り追跡などのためのデータ収集に反対すれば、誰が困るでしょうか?
ベネッセ情報流出に関して書きましたが、本当に困ったのはマスコミに叩かれたベネッセでした。
仮に搭乗者名簿や宿泊名簿が流出しても誰が個人的に困るか?(勤務先や家族に知られたくない愛人との旅行など後ろめたい人でしょう)スーパーなどの防犯カメラで誰が困るかの疑問です。
何か困ったことが起きれば、政府だけが困ると思って喝采するのがこれまでのマスコミの姿勢でしたが、ソモソモ政府だけ困るのか国民全部か?と言う図式設定自体が間違っている・・実態はもっと複雑多岐であると思う国民が圧倒的多数でしょう。
国民主権国家論も(コクミンのためにあるか抑圧ためにあるかの)西洋的2元論によるものですが、少なくとも国民主権国家である以上は、政府は国民のためにあるものですが、革新系論者の各種意見は日本がその段階に至っていない立場のようです。
「人権活動家」と称する人たちが国連に出掛けて行って、報道の自由が抑圧されている少女の性道徳が乱れているから調査に来てくれとか、慰安婦問題を宣伝しているのです。
19世紀西洋で到達した近代社会に達していない中国社会を前提にすれば、国連に出掛けて行って自国政府批判するのは合理的ですが近代法成立よりもずっと以前から、高度な社会に達している日本政府が如何に酷いかを宣伝しても世界中がキョトンとしているのではないでしょうか?
「人権活動家」とは、人類を「万物の霊長」として、どんな残虐なことをしても良いと思っていた西洋人・中国人が「動物愛護」「人としてやって良いこととイケナイことの区別」を知って、自分が目覚めると今度はしたり顔で、イキナリ捕鯨反対をしているグループと同レベルではないでしょうか?
日本民族はフランス革命のずっと前から人権・民意・環境・万物尊重社会だったと言う立場です。
世の中は、シロか黒か、暑い寒いかなどの2択ではなくいろんなバリエーションがあることはこれまで書いている・・私が書かなくとも多くの日本人はそう思って生きて来たでしょう。
何とか集会では、2項対立的議論・・すっきりして分りよいことを大きな声で主張している人は自慢げですが、多くの参加者「そうは言ってもなあ・・・・」と言う顔をしている人が圧倒的多数です。
・・複雑多岐で一言で言い切れない意見を持っている国民性・・意見がないのではなく・・白か黒かのような単純な意見として表現し切れないだけのことですから、高度文明社会では演説的単純表現しきれない、サイレントマジョリテイが重要です。
芸術分野でも西洋では近代に入って漸く写実の必要性に気が付いたようですが、日本人は写楽のクビ絵.北斎の赤富士などが出る江戸時代のもっと昔・・・縄文の昔から、写実をはるかに通り越した土偶を一杯残しています。
アメリカでは交渉力その他総合力がなくとも映画界その他演出のプロの言うとおりに、演説さえ上手にこなせれば、大統領や政治家になれるのは不思議でも何でもありません・・要は国民レベルが低くてその程度の煽動的単純主張しか理解出来ない民度・・単純主張では飽き足らないレベルの人が少ないからです。
それでも国際政治が何とかなっているように見えたのは、その都度損ばかりしていても大金持ち・・資源大国・・産業革命→資源活用の時代が始まってうまくマッチ出来たので、その結果を誤摩化せていたに過ぎません。
支配地拡大縮小の結果から第2次世界大戦を見ればスターリンは東欧諸国を支配下に収め西欧諸国は植民地支配権を失ってスターリンの一人勝ちの結果に終わり、更に世界共産革命を目指す余力まで与えました。
引き続いて始まった朝鮮戦争はソ連に対抗する力を着けそうな中国をアメリカの正面の敵に据える作戦にうまく乗せられ,米中双方が引きずり込まれた上でソ連はあっさり手を引いて米中の消耗戦にさせられてしまいました。
その後ベトナム戦争に始まり現在のシリア混迷に至るまで下手ばかり打っているアメリカですが、それでも底力(資源地生産と資源利用力が近代化レベルにマッチしていた優位性)の勝負で最後はソ連崩壊に追い込みましたが、今では資源開発能力進歩によって(アフリカ諸国もロシアも中国も)世界中が資源国化してきてアメリカは相対的資源利用大国に過ぎなくなって来ました。

地方自治制度の悪用1(僻地・末端の重要性2)

昨日から地震災害で紹介したように、地方の決定・自然災害がサプライチェーンを通じて全国波及する時代です。
原発稼働の可否は立地する市町村・・僻地だけに利害のあることではなく、経済合理性や環境破壊の有無は言うに及ばず、国防政策や日本の将来の産業構造を規定する全国的関心のある事柄です。
学問的も、全国原発停止以降原子力関係学科の志望者が激減しています。
1地域住民の賛否や・・(ドサ廻りになっている)数人の末端裁判官の意見で国家の枢要事を決めて直ぐに国家意思として強制力が出る仕組みがあるのは制度的に無理があります。
この辺は沖縄の基地問題の議論も同様で、国防に関する決定を地元沖縄の意見で決めようとする運動自体おかしな議論です。
裁判官で言えば、地方小単位の社会に関係のある決定権者として、地方に赴任しているに過ぎないのにタマタマ全国的テーマが地方の管轄になると、俄然(上級審の結論が出るまで原則として効力が出ない本案訴訟手続があるのに、これをしないで即時効のある仮処分決定するのは)全国民に影響のある決定権を行使するのは権限乱用です。
内乱罪等国家的影響のある事件は高裁から始める特別規定がありますが、原発や軍事基地のあり方など1つの裁判結果が全国に影響を及ぼすことが明らかな事件は、高裁ではなくとも大規模庁に専属する仕組みにする・・あるいは原則として仮処分を許さないなどの配慮をすべきでしょう。
世界中どこの国で、国家的関心事である軍事基地の設置に関して地元自治体の同意を必要とする→地元裁判所で一次的な決着がついてしまう国があるでしょうか?
軍事基地や原発は、国全体のためにあるものですから、その基地や施設が国全体のためにある・・その地域だけのものではないのは当然です。
実際原発規制委は全国を管轄にして審査しています。
沖縄の基地移転については海面の埋め立てが必要なために県知事の許可や承認にかかっているので、国が県知事の承認がないと埋め立て出来ないと言う変な法制度がガンになっているようです。
ソモソモ民間が公有水面を埋め立てるには、(勝手に出来るでは困るので)許可がいるのは当然としても、地方で許可しても国家の大局からみて不都合なときには、国が取り消せる制度設計が本来です。
地方自治制度と国のあり方の基本問題ですが、国の決定の可否を自治体が最終判断出来る・・逆の制度設計は無理があります。
いわゆる「法の間違い・・不備」を衝いているのがこの種事件一般のあり方です。
民間または同格の公共団体(喩えば隣の県が隣の県内の海を埋め立てるのは埋め立て地の県の同意が要るなど)が行なうときだけの制度であるべきでした。
国が決める場合地方の意見を聞かねばならないと言うのは分りますが、地方が国策の最終決定権を持つのは統一国家の制度としては無理があります。
地方自治は、戦後憲法(アメリカの押し付け)で出来た制度で、その前には官選知事制度でしたから、知事の許可の権限=国にの命令次第だったので矛盾がなかったのです。
地元民の民選になる都知事が最終決定権を持ったままにしておくのは、国家意思の一体性からして無理があります。
アメリカは、将来日本が言うこと聞かなくなれば、政府と地元の対立さえ起こせばにっちもさっちも行かなくなるように、(武力不保持条項同様に)時限爆弾のようにアメリカが置き土産として残した仕掛けだったかも知れません。
何しろ尖閣諸島情勢緊迫により、自衛隊が遠くから駆けつけるのでは・・時間的に不利なので最寄りの島に駐留するにも地元民(大人だけで言えば千人前後?))の賛否をとっていましたから、(公明党の言うように外国人にも地方自治体への参政権を与えると・・実際以下に紹介するとおり基地賛否の住民投票には外国人にまで投票権を与えています。)イザとなれば中国系の勢力浸透は簡単です。
ウイキペディアによると以下のとおりです。
  与那国島
人口1,745人、年平均気温23.6℃、年間降水量2,363.5mm。石垣島からは124kmの国境の島で、台湾宜蘭蘇澳港までは111km

以下は与那国島と防衛問題に関するウイキペデイアです

2014年3月31日、国と与那国町との間で町有地を貸す契約が正式に結ばれた[25]。2014年4月19日、小野寺五典防衛大臣出席のもと、沿岸監視部隊配備のための着工式典が開かれた[26]。2016年には、200名弱の自衛隊関係者が与那国町に駐屯すると見られる。
2014年9月7日投票の与那国町議会選挙で、町議会は誘致派が3人、反対派らが3人となった。誘致派が議長となったため、議長を除く議席構成では、反対派が多数となった。反対派らの賛成多数で、自衛隊誘致の賛否を島民に問う反対派が主導する住民投票条例が可決され[27][28]、2015年2月22日に陸上自衛隊沿岸監視部隊配備の是非を問う住民投票が実施された。
この住民投票に法的拘束力は無いものの、与那国町の住民投票条例は町長と町議会に対して「投票結果を尊重」するよう求めている[29]。誘致反対派の要求により、この住民投票での投票権は中学生以上の未成年者や永住外国人にも与えられた[30]。この住民投票には、有権者1276人のうち1094人が投票し投票率は85.74%。開票結果は、賛成632票、反対445票で、賛成派が多数を占めた[31]。しかしながら反対派は納得せず、工事差し止めを求める裁判を起こすことを検討している[30]。
反対派住民30名は武力衝突による平和的生存権の侵害や電磁波による健康被害の恐れを根拠に駐屯地の工事差し止めの仮処分命令申し立てを行ったが、那覇地方裁判所は2015年12月24日付けで却下した。決定理由として、武力衝突に至る恐れがあることを認める資料がないことや、電磁波の強度が法律の基準値を下回ることを挙げた[32]。住民3名はこれを不服として即時抗告したが、福岡高等裁判所那覇支部は2016年2月19日付けで却下した

※上記決定によれば「武力衝突のおそれがないこと」を理由の1にしているのですから驚きです。
武力衝突のおそれがあれば自衛隊基地の存在が許されないと言うならば、まんがではないでしょうか?

人材登用(社長の器2)

ところで、社長業はやらせてみないと分らないと言う世間常識は社長お気に入りの候補(多くはイエスマンです)を側近から選ぶことを前提にしているから「やらせてみないと実践能力が分らない」のであって、トヨタの奥田碩氏はフィリッピンかどこかの子会社に飛ばされていた人材と言うことでしたし、その弟で松坂屋と阪急の合併会社の「何とかフロント」の社長・・最近日経新聞「私の履歴書」が出ていましたが、本流から外れて海外などの子会社で実績を挙げて来た候補者を選定すれば試運転が要りません。
幕府で言えば紀伊徳川家から選んだ吉宗のような事例です。
その前も綱吉が館林城主、その次が甲府城主など経営の実績を元にいわゆる親政を布いています。
親から子への直系相続の場合、年齢差が大きく経験がないので海千山千の長老に囲まれると「良きに計らえ」となって結局人形になってしまいます。
藤原氏の地位が確固たるモノにになって行くのは藤原4兄弟〜北家南家等の競り合いがあって勢力伸長したモノですし、道長の場合も兄弟間の競り合いを最後に制した・・戦国時代の最後を飾った家康のようなものでその後直系世襲になると凋落して行きます。
徳川幕府も吉宗以降は直系相続にせずに傍系相続にしてどこかの藩政で成功している藩主を次期将軍につけるようなステムにしておけばよかった気がします。
その後の直系将軍は名ばかりで、マトモな政治が出来ない・・藩政経験のある松平定信などに実権が移って行ったのは仕方のないことです。
幕末最後の将軍(一橋)慶喜は直系ではない=成人していたし頭が切れたにしても、幕閣で家柄(御三卿の一橋家に養子に入りました)を背景に発言力があっただけ、小さな藩すらも経営したことがない・・実戦・・実務経験がなかったのが弱点でした。
ちなみに水戸徳川家で観念論が幅を利かしていたのは、参勤交代が許されず江戸に常駐する特殊な縛り(江戸定府義務→毎日登城しなければならない旗本同様の身分)があったから、国許での経営実務経験がないこと(平安時代の遥任の官のような立場)によるのかも知れません。
戦国大名のママの島津その他大名家では、家臣団も先祖伝来の自分の領地と直結したままですから、お城から帰れば農業をやる半農半士・・大身の場合自分の領地経営がありましたが、幕府旗本は房総半島の領地へ生涯に1〜2度行くか行かないか・・自分で領地経営したこともないのが普通で御家人同様の実質給料取り・・平家の公達みたいでした。
これが幕末・・国家緊急事態に足腰の弱った旗本が活躍出来なかった原因ですし、明治維新は下級武士・・生活に根ざしていた武士階級が担った原因でした。
慶喜の政治力に戻しますと、実践能力の裏付けがないところで発言力の後ろ盾である将軍職・権威喪失=大政奉還してみるとたちまち小御所会議で、してやられてあっという間に(大政奉還から小御所会議までの期間はホンのわずかでした)朝敵に追いやられてしまいました。
今回のセブンイレブンの再任拒否騒動を見ると、自分が元気なうちに後継者を天皇に早く着けて自分が上皇になって後見・睨みを利かせる・・自分が元気である以上次世代がまだ若く未熟・・結果的に上皇が権勢を振るった時代に戻ったような印象です。
ただし、セブンイレブンは元は内需型企業で国内で大成功してるだけであって、トヨタのような世界展開企業ではありませんでした。
・消費系は、元々内需型で満足していたので、海外展開を始めるようになって年数が浅く、元気印を海外子会社で武者修行させておくような余裕のある組織になっていないからかも知れません。
ただ、海外子会社から呼び戻すようなことは、危急存亡時限定であって、日常的業務としてはカリスマ経営者=船頭は2人要らないので普通の業績順調企業の場合、後継者としてイエスマンを指名するのが普通です。
そうである以上は、やらせてみると創造力に乏しいのは当然であって、鈴木氏の現社長への不満は、無い物ねだりの可能性あります。
まだ自分が現役のうちに隠退して影響力を行使するのは、世襲制の場合には概ね次期後継者が(親子の年齢差は大きい)若いので創業乱世を生き抜いて来たオヤの目から見て頼りない状態だからです。
オヤとしては自分が周囲に文句を言わせない力のあるうちに未熟な息子に実践経験させて試運転させてやりたいと言う親心から出ていることが多く・・それなりに合理性があります。
院政の先駆事例と思われる光明皇后の紫微中台(今で言う大宮御所ですが、後の院宣のような「紫微令」を発したことで光明子は前天皇ではないけれども事実上院政(院宣)の始まりではないか(今まで読んだ限りではそう言う意見が見つかりませんが・・)と私は思っています。
光明皇后が夫の聖武天皇の尻を叩いて事実上朝廷を牛耳っていたすごいやり手であったことは争いのないところですが、娘の孝謙天皇だったかがあまり頼りないから、目を光らせるために紫微中台を創設していたと見るべきでしょう。
少年事件で見ると、子供がしっかりしないからオヤが良い歳になった息子に一々小言を言う・・子供がうっとうしくなるのと似ています。
目を光らせていた光明皇后死亡後には、孝謙女帝は皇統を断絶させるかと言う日本史上空前絶後の大事件・・弓削の道鏡による天皇位簒奪未遂事件・・宇佐八幡の神託事件を起こしていますので、やはり元々しっかりしていなかったのでしょう。

司法権の限界9(法と良心とは?1)

テロとは国家秩序を短時間でも矛盾混乱させるのが目的ですが、たった1つの裁判所でも勝てば今回の仮処分のように全国的影響がある・・大逆転のチャンスがあるので「司法闘争」が合法的テロを仕掛けるような役割を果たしています。
テロとは国家秩序を短時間でも矛盾混乱させるのが本質的目的ですが、たった1つの裁判所でも勝てば今回の仮処分のように全国的影響がある・・大逆転のチャンスがあるので「司法闘争」が合法的テロを仕掛けるような役割を果たしています。
政治で既に負けているので、裁判で負けて元々・・40回に1〜2回でも勝てば儲けモノ的訴訟が増えます。
ちなみに脱原発弁護団全国会議(全国脱原発訴訟一覧2016年3月15日現在)によれば、現在の原発訴訟の数は以下のとおりです。
表が大き過ぎてコピペしきれません(何日分のコラムになってしまいます)ので要約しますと、(青字のみ現在係争中とのことです)全体で41事件あって青字の部分は29件です。(数え間違いがあるかも知れませんが大方こんなものです)
都道府県の数からすれば、原発・関連施設のあるところ殆ど全てで裁判していることが分ります。
裁判官が自己の政治信条によって判断することが許されると地域ごとに変わった判決・・千葉と埼玉では同じ国政選挙が有効だったり無効だったりする矛盾した国家意思になってしまいます。
こうなると裁判官が個人的政治信条に従った裁判をして良いか・・政治に介入することが許されるかの議論の重要性が分るでしょう。
公務員の中立性の要請もその基礎は同じです。
ここで裁判官に求められている判断基準が何かが重要になってきます。
この後で書くつもりでしたがここでちょっと書いておきますと、裁判官は「法・憲法と良心のみに拘束される」のが近代法の原理ですが、主観的政治信条に(忠実に?)従った裁判をするのは「法と良心」に関するはき違えです。

憲法
第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
○2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
○3  すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

個人の主観的信条を裁判官の「良心」とは言いません・主観的意見とはちがっていても確定判例や通説に従うのが「法や良心」に従うことです。
ただしこのままでは判例変更出来ませんから、従来の判例通説が間違っている・・社会実態の変化にあっていないので改正すべきだとの確信があれば、堂々と新判例を出して上級審の判定を待ち、最高裁の場合判例評論等の批判に委ねるべきです。
例えば特定宗教に凝っていても共産主義を信奉していても裁判官になるのは自由ですが、その教義や主義に従って憲法を無視してたとえばイスラム法に従った判決や決定・・喩えば、不貞行為の主張に対してイスラム法を引いて「男は何人妻を持っても良い」と言う判決をすることは許されません。
自分の意見は司法界の通説判例(あるいは、司法界で通用している経験則)に反していて上級審ではすぐに否定されると分っていながら敢えて主観的意見による判決や決定を出すのは(裁判官が知っている法解釈に反した行為ですから)「裁判官の良心や法に従った」判断ではありません。
本来の訴訟による判決の場合不服のある場合には、すぐに控訴出来てその場合1審判決の執行力もありませんが、仮処分の場合異議申し立てしか出来ず直ぐに控訴出来ない仕組みですから、この仕組みを悪用すれば、申立人の意見が政治意見に共鳴する裁判官にあたって主張が偶然通るとしてもそれは異端説・・一般的解釈に反していることを見越しての訴訟提起です。
上級審では直ぐにも覆ることを知っていながら申し立てする場合、申立人は、本来本案訴訟でやるべき事件をすぐに上級審に移行出来ないように敢えて仮処分制度を悪用?することも可能です。

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