人材登用(社長の器2)

ところで、社長業はやらせてみないと分らないと言う世間常識は社長お気に入りの候補(多くはイエスマンです)を側近から選ぶことを前提にしているから「やらせてみないと実践能力が分らない」のであって、トヨタの奥田碩氏はフィリッピンかどこかの子会社に飛ばされていた人材と言うことでしたし、その弟で松坂屋と阪急の合併会社の「何とかフロント」の社長・・最近日経新聞「私の履歴書」が出ていましたが、本流から外れて海外などの子会社で実績を挙げて来た候補者を選定すれば試運転が要りません。
幕府で言えば紀伊徳川家から選んだ吉宗のような事例です。
その前も綱吉が館林城主、その次が甲府城主など経営の実績を元にいわゆる親政を布いています。
親から子への直系相続の場合、年齢差が大きく経験がないので海千山千の長老に囲まれると「良きに計らえ」となって結局人形になってしまいます。
藤原氏の地位が確固たるモノにになって行くのは藤原4兄弟〜北家南家等の競り合いがあって勢力伸長したモノですし、道長の場合も兄弟間の競り合いを最後に制した・・戦国時代の最後を飾った家康のようなものでその後直系世襲になると凋落して行きます。
徳川幕府も吉宗以降は直系相続にせずに傍系相続にしてどこかの藩政で成功している藩主を次期将軍につけるようなステムにしておけばよかった気がします。
その後の直系将軍は名ばかりで、マトモな政治が出来ない・・藩政経験のある松平定信などに実権が移って行ったのは仕方のないことです。
幕末最後の将軍(一橋)慶喜は直系ではない=成人していたし頭が切れたにしても、幕閣で家柄(御三卿の一橋家に養子に入りました)を背景に発言力があっただけ、小さな藩すらも経営したことがない・・実戦・・実務経験がなかったのが弱点でした。
ちなみに水戸徳川家で観念論が幅を利かしていたのは、参勤交代が許されず江戸に常駐する特殊な縛り(江戸定府義務→毎日登城しなければならない旗本同様の身分)があったから、国許での経営実務経験がないこと(平安時代の遥任の官のような立場)によるのかも知れません。
戦国大名のママの島津その他大名家では、家臣団も先祖伝来の自分の領地と直結したままですから、お城から帰れば農業をやる半農半士・・大身の場合自分の領地経営がありましたが、幕府旗本は房総半島の領地へ生涯に1〜2度行くか行かないか・・自分で領地経営したこともないのが普通で御家人同様の実質給料取り・・平家の公達みたいでした。
これが幕末・・国家緊急事態に足腰の弱った旗本が活躍出来なかった原因ですし、明治維新は下級武士・・生活に根ざしていた武士階級が担った原因でした。
慶喜の政治力に戻しますと、実践能力の裏付けがないところで発言力の後ろ盾である将軍職・権威喪失=大政奉還してみるとたちまち小御所会議で、してやられてあっという間に(大政奉還から小御所会議までの期間はホンのわずかでした)朝敵に追いやられてしまいました。
今回のセブンイレブンの再任拒否騒動を見ると、自分が元気なうちに後継者を天皇に早く着けて自分が上皇になって後見・睨みを利かせる・・自分が元気である以上次世代がまだ若く未熟・・結果的に上皇が権勢を振るった時代に戻ったような印象です。
ただし、セブンイレブンは元は内需型企業で国内で大成功してるだけであって、トヨタのような世界展開企業ではありませんでした。
・消費系は、元々内需型で満足していたので、海外展開を始めるようになって年数が浅く、元気印を海外子会社で武者修行させておくような余裕のある組織になっていないからかも知れません。
ただ、海外子会社から呼び戻すようなことは、危急存亡時限定であって、日常的業務としてはカリスマ経営者=船頭は2人要らないので普通の業績順調企業の場合、後継者としてイエスマンを指名するのが普通です。
そうである以上は、やらせてみると創造力に乏しいのは当然であって、鈴木氏の現社長への不満は、無い物ねだりの可能性あります。
まだ自分が現役のうちに隠退して影響力を行使するのは、世襲制の場合には概ね次期後継者が(親子の年齢差は大きい)若いので創業乱世を生き抜いて来たオヤの目から見て頼りない状態だからです。
オヤとしては自分が周囲に文句を言わせない力のあるうちに未熟な息子に実践経験させて試運転させてやりたいと言う親心から出ていることが多く・・それなりに合理性があります。
院政の先駆事例と思われる光明皇后の紫微中台(今で言う大宮御所ですが、後の院宣のような「紫微令」を発したことで光明子は前天皇ではないけれども事実上院政(院宣)の始まりではないか(今まで読んだ限りではそう言う意見が見つかりませんが・・)と私は思っています。
光明皇后が夫の聖武天皇の尻を叩いて事実上朝廷を牛耳っていたすごいやり手であったことは争いのないところですが、娘の孝謙天皇だったかがあまり頼りないから、目を光らせるために紫微中台を創設していたと見るべきでしょう。
少年事件で見ると、子供がしっかりしないからオヤが良い歳になった息子に一々小言を言う・・子供がうっとうしくなるのと似ています。
目を光らせていた光明皇后死亡後には、孝謙女帝は皇統を断絶させるかと言う日本史上空前絶後の大事件・・弓削の道鏡による天皇位簒奪未遂事件・・宇佐八幡の神託事件を起こしていますので、やはり元々しっかりしていなかったのでしょう。

人材と身分保障4(社長の器1)

千葉県は高度成長中だったので、流れに遅れないと言うスタンスでもお互いに何とかなっていましたが・・。
新興国ではみんなが北国の春みたいに、一斉に先進国モデル導入ですので早く始めた方が勝ち見たいところがありますが、先頭集団の日本の場合だれかの真似をして1ヶ月でも早く始めれば良いと言う社会ではありません。
誰もが賛同するような事業進出では他社よりせいぜい半年くらい早く出店・出荷する程度の違いしかなく、長期的には経営が左前になります。
人材登用の基準に戻りますと、政治決定には国民の協力が必要なために構成員の納得・・根回しが必要ですが、新規事業に乗り出すか否か・・その決断を誰に任せるかになると社員の協力がいると言う意味は薄れて、顧客の心・社会のニーズをイチ速くつかめるかの方が優先ですから、社内のみんなが認める反対のない手堅い事業が良い訳ではありません。
組織のトップには、町内会や各種業界団体など団体自体現状維持的組織の場合には構成員の気持ちを読む程度・・敵のいない円満な人がいいでしょうが、新規挑戦の必要な競争の激烈な個別企業にとっては社外・・世間のニーズをより早く・・設備投資の時間差を考えると数年先に読む力が重要になります。
社内の誰もが気が付かない先を見る目が常人より優れている人が必要であり、組織構成員の心を読むのが中心の人材・・社内コンセンサス重視で出世して来た人材・・社内の誰もが認めるようなことしか提案しない人が企業トップではジリ貧です。
鈴木氏の新規事業判断がいつもあたって来たから今度も重視すべきと言うのではなく・元々新規挑戦は外れる確率もありますが、それでも前に進む・やるしかないのが企業です。
・・海のモノとも山のモノとも分らないリスク決断(将来企業を引っ張って行くリーダーを決めるのは「やらしてみないと分からない」と言う意味では、新規事業決断と同じです。
内部構成員のコンセンサス重視で成功して来た有識者・・リスクを取れる人の採用判断の是非を失敗しないことを信条にうまく(イエスマン?)生き残って来た人間(元警視総監等)が集まって多数決で決める事自体が馬鹿げていませんか?
内実は新聞報道しか分らないのですが、鈴木氏の意見・「現社長は社長の器ではない」と言う意見が否定されたのは彼の社内でのカリスマ性否定・・あなたの言うことは聞いてられないと言う意思表示ですから、彼が退任するのは潔いし、正しいことでしょう。
結局は鈴木敏文氏退任の後で、(彼が君臨していることによって自己流を発揮出来なかった場合もありますので)現社長がどう言うリーダーシップを発揮出来るかにかかっているでしょう。
解任(再任拒否)理由に挙げている鈴木氏の見立て・今の社長は(イエスマン?で)創造性がなくて将来を任せられないと言うのは彼の意見であって真偽は分りません。
ところで、セブンイレブンでは社長候補ではなく社長にしてしまっていたので、解任ではなく任期満了まで待って再任をやめようと言う提案らしいですから、任期中の解任・・中国で行なわれて来た皇帝を廃帝にするのとは意味が違い、一応ルールを守っています。
この辺マスコミが頻りに「解任」と言う大見出しにしているのは、一定の方向へ世論誘導したい意図が感じられます。
ところで昨日の新聞によると15人の取締役中2人が棄権で7人が賛成6人が反対で過半数取れず否決されたと言うのですが、任期満了の場合放っておけば社長でなくなるので、逆に鈴木氏以外の誰かの提案した再任提案が過半数取れたかどうかだと思いますが、不思議な解説です。
任期満了だったと言う解説が間違いだったのかと思って7日の朝刊3pを読み直してみるとやはり任期満了と書いてあって、ただ、「交代案の提案」と書いてあります。
交代案否決=事実上任期満了のとき再任同意だから続投と言う流れなのでしょうか?
でも交代反対が15人中6人しかいないならば、任期満了時に再任決議は出来ないのではないかと思いますが・・。
元々交代案を出す必要がなかった・・任期満了時の再任案に反対すればよかったことになりますが、鈴木氏としては技巧を弄してまで持論を通したくないと言う潔さ・・15人中反対が6人もいるのでは、カリスマ経営者としてはやってられないと言うことでしょうか?
本来試運転であれば社長候補で様子見をすればよかったのですが、企業には皇太子のような制度がないので試運転をさせたいと言う意図で本来社長候補であったのを社長にして、自分が会長になっていた点がややこしくなっているようです。
本気で後を任せられるかを見るテスト期間のつもりだったと言うのが鈴木氏の思いでしょうか?
この辺の評価が、陋習にこだわっている古い体質が出て来たと言う評価になる・・外部識者と言う流行の器・・指名委員会と言うモノが合理的で素晴らしいかどうかの分かれ目のように思えます。

各団体の長の役割1

話題を各種団体のリーダーに戻しますと、佐倉義民伝の佐倉惣五郎だってそうですが、みんなの意見で代表・責任者に推されただけであって特に特定の意見を押し付けたりする指導者とか号令するような役割ではなく・・我が国のトップの実質は責任者に過ぎません。
明治までは組織の責任を取るだけで、いろんな団体や組織の責任者の名称として莊屋とか名主などがあっただけでした。
明治以降、区長や戸長、市町村長、校長・学長・塾長・寮長・級長すべての分野で指揮者の号令一下、動くような「長」と言う漢字を持って来た事自体、違和感があったでしょう。
元々「長」の語源は年長者や長老・・年功によって相応の智恵のあるものですから、組織や団体にはご意見番として知恵者が何人かいるのは当然ですが、近代軍隊制度が発達した以降、組織の長となると突撃隊長をイメージする指揮命令権者をイメージするように変化しています。
明治政府の指導に従っていろんな組織では、すべて責任者の名称に「長」をつけることになっていますが、(小は小さな家の「家長」に始まり町内会長、村長、町長、市長があり、対等な仲間で作る筈の各種協同組合まで、組合長や理事長があります。
しかし、長の名称ばかりが広がり過ぎて学校長、裁判所所長、工場長,営業所長などは,具体的に何をして良いのか分らない感じです。
校長はすることがないので朝礼で訓示したり草むしりをしていますし、平均以上の規模の裁判所所長はあちこちの会議に出て挨拶をする仕事が中心です。
営業所や店長も同じで毎朝ミーテイングと言う朝礼をして格好付けていますが,営業マンの先輩としてのアドバイスなどの仕事がたまにはあるでしょうが,それ以外に長として何を指揮命令するのかが見えません。
工場長だって同じで各部門は部門ごとで動いているので、工場長自身も職人や部門長を兼ねない限り自分で何かする仕事がありません。
私が修習生をしていた当時の宇都宮地裁では裁判官が所長を含めて全部で6人程度でしたので、所長も事件を担当して自分で裁判をしていましたし、それ以外の所長としての仕事は(何年に一回あるかないかの営繕関係を除いて)まるでありません。
刑務所所長も各部門別にやっていて、部門長の会議を所長が主催しているだけでしょうし、校長も職員会議の議長でしかなく、裁判所長も裁判官会議の議長に過ぎません。
このようにわが国の組織では必ず長を置くことになっていますが、実際には合議の議長役として機能しているのが普通です。
古代の国司の仕事は司会役・・議長役程度だったのではないかと May 6, 2011「州の刺使と国司」May 20, 2011「郡司6と国司」等で書いてきましたが、この習慣が今でもいろんな組織で続いているのです。
ただし、営利団体の会社の場合、平安中期以降勃興した武士団の「長」と同じで、社長はまさに陣頭指揮命令権者であって、社長を選任し監視すべき取締役は(以下に述べるように法的には違いますが実際上)指揮命令を受ける部下(部門長)に過ぎません。
この違いは何かと言うと,対外的に一団として行動することが日々求められる集団(会社や武士団)と存在そのものが安定していて内部処理だけの組織(国司は隣国との国対抗戦争をしません)の違いとも言えます。
会社の場合、戦国大名同様に日々食うか食われるかの競合他社との戦いの連続ですから、社長は各部門の報告を聞いたり、司会したり、訓示を垂れたりだけでその他の時間はのんびり草むしりしている訳には行きません。
日々指揮命令する会社では社「長」と言う名称はぴったりして来る反面、社長の指揮命令を受ける取締役が法律上社長の行動を監視する役目にあると言われても実態に合わずにピンと来ない人が多いでしょう。
会社制度はリーダーシップを求められる社会であるアメリカがリードして現在の法制度が造られているのですが、リーダーシップの強い筈のアメリカで逆に社長の権限牽制システムが理念とされているのに対し、合議制社会の我が国で逆に取締役の監督機能が弱いのは不思議です。
アメリカでは,大統領の権限が強い代わりに議会や裁判所がしっかり監視する仕組みになっているのと同じで、社長権限が強いからこそ監視機能が必要だと言う割り切り方(企業統治にも3権分立の精神が貫徹されています)があるからでしょうか?
わが国の場合、原則として合議制運用で来たのでトップは暴走出来ない前提があって、暴走に対する外部的歯止めが歴史的に用意されていないところに問題があるようです。
あまりにもひどい君主が出た場合に時々行われていた家臣団による君主押し込めのような、一種のクーデターに頼る形式と言えるでしょうか?
そういえば三越百貨店の岡田事件の決着も家臣団的な取締役によるクーデター形式でした。
わが国の会社の場合、実際に社長の権限は強化される一方ですから、我が国でも突発的なクーデター形式に頼る是正しかないのでは法的安定性が害されますので、今後は暴走を阻止するための担保制度が遅ればせながら必要になって来ています。

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